<2019年春の伝道礼拝>第3回6月2日説教要旨

<2019年春の伝道礼拝>第3回6月2日説教要旨

愛するとき……ひとりよりふたりが良い

コヘレトへの言葉 4:9~10   ルカによる福音書 17:20~21

龍口奈里子

<メッセージ>
 来年の東京オリンピックを招致する時に、「おもてなし」という言葉があたかも日本特有の美学であるかのようなスピーチが話題になりました。
 しかし聖書にも「旅人をもてなすよう努めなさい」(ローマの信徒への手紙12章13節)など多く出てきます。英語ではhospitality。その語源のギリシャ語では、「見知らぬ人に友情を示すこと、愛を示すこと」という意味です。「旅人」や「寄留者」といった、自分たちがまだ出会ったことのない人、人が築いた枠の中から逸れてしまった人、排除されてしまった人と友となること、その人に愛を示すことが、聖書のいう誰かを「もてなす」こと、「おもてなし」ということです。
 ラルシュという施設の創設者ジャン・バニエ司祭は、知的な障碍を持つ人が施設や病院で、その存在を認められず、「誰かより劣るもの、ダメなもの」というレッテルを貼られて苦しんでいる姿に触れ、彼らと一つの家庭・家族として寄り添い、生活を分かち合いたいという思いから「ラルシュ」を始めました。
 この共同体の理念は、そこに住む人が互いにケアーしあうことでした。「ケアーする」は日本語に訳すと、「心を配る」、「人をもてなす」、いうなれば「おもてなし」です。
 語源のラテン語「クーラ」は「心を痛めること、誰かと一緒に叫ぶこと」です。私たちは誰かを「ケアーする」ことは、AがBに「心を配る」ことだと思いがちですが、語源の意味から考えると、単にAからBへの一方通行的な心配りではなく、時に入れ替わって、BがAに心を配る。だから、相手を励ましているようで励まされ、慰めているようで慰められている、そのような相互の関係が生まれることが「ケアー」「もてなし」の語源の意味なのです。
 創世記2章18節に「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とあります。主なる神は、アダムが「助ける者」としてエバを創造しただけでなく、逆にエバもアダムを「助ける者」として、互いに助け合い、励ましあい、ケアーする者として、人間を創造されました。
 今日の旧約箇所にも同じことが記されています。共に労苦しあう二人、どちらか一方が「倒れ」たら、もう一方が「助け起こす」そのような関係性の中で、「ひとりよりもふたりが良い」と言います。この先の12節に、「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい」とあり、ここで糸が2本ではなく、3本の糸になっているのは、「わたしとあなた」そしてもう1本の糸は明らかに主なる神の介在を指し示しています。
 新約聖書ヨハネによる福音書15章「ぶどうの木」のたとえの中で、「わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」「わたしの喜びがあなたがたの内にあるとき、あなたがたの喜びが満たされるのだ」と主イエスは述べられています。
 キリストの愛が私たちの内に留まっているから、わたしたちはキリストにあってひとつとされ、互いに愛し合い、喜びに満たされる。まさに「三つよりの糸は切れにくい」と同じです。
 今日の新約箇所で、主は「私たちの内に」ではなく、「私たちの間に」とも語っておられます。「神の国」とは、神様の御心が現れるところです。それは遠い空の彼方でも、はるか地平線の彼方でもなく、「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」と主イエスは言われました。
 私たちも「私たちの間に」宿って下さるキリストの愛から離れないようにして、互いに「助ける者」として、「ケアー」しあい、神を愛し、人を愛する者とされたいと思います。

<2019年春の伝道礼拝>第2回(5月26日)説教要旨

<2019年春の伝道礼拝>第2回(5月26日)説教要旨

愛するとき……–民族差別のない平和の奇跡が創られる

サムエル記上 25:32~35   
マタイによる福音書 5:9
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」
  
高麗博物館名誉館長、文化センター・アリラン副理事長
宋富子(ソン・プジャ)先生

<メッセージ>
はじめに

 アンニョン(安寧)ハセヨ! 皆さんおはようございます。
 この祝福され、恵まれた礼拝の時、異なった二つの民族の私たちの心が一つになって、イエス様の聖霊のみ力によって私たちの心が燃え、平和を創れるよう祈ります。

出会いは神様の摂理、李仁夏(イ・インハ)先生との出会い

 私は在日朝鮮人二世として生まれました。そのため小学校時代、周りの子どもたちからいじめられ、3年生からは死ぬことばかり考えていました。
 結婚して川崎市に住むようになり4人の子どもの親になりました。子どもが通う保育園で在日大韓基督教会、川崎教会の牧師で園長の李仁夏先生の父母会での挨拶の言葉「自分を愛するように自分の隣り人を愛しなさい。というみ言葉にそって保育します。自分を愛する意味で、韓国朝鮮人の方は民族名の本名を親子で使用して頂きます。今は植民地時代ではありませんので自由です」。
 私にとっては民族名など、とんでもないことです。植民地って何だろう。李先生の言葉が電流のように体に入ってきました。自分を愛するように隣り人を愛する。凄い凄い言葉です。その夜は朝まで眠れませんでした。私は社会の仕組みも、歴史も何も知らない。自分の無知に愕然としました。
 翌日、聖書研究会に出席しました。担当は、小杉尅次副牧師です。その声は初めて聞く優しい人間の声でした。今村秀子(60歳)おばあちゃんのお祈りにびっくりしました。
 両手で顔を覆い泣きながら「天の神様、どうか日本人の罪を赦して下さい。オモニ(母)さんたちが神様の聖霊のみ力によって本当の名前で生きられるようにして下さい」。指の間から涙がこぼれています。お二人の生き様を見て、6ケ月後31歳で受洗しました。

民族差別を無くして平和を創ることが使命と確信する

 私の生命は神様の愛で創られた。私は差別されるために生まれたのではない。自分を愛して隣人の日本人を愛するために生まれたのだ。「差別を無くして平和を創る」ために、イエス様は私を選んで下さったのだと確信しました。
 私は中学を卒業していても、漢字も読めない、割算、掛算も出来ない学力でした。
 夫の仕事は自動車修理工場を経営し、従業員が7人住み込みでしたので、家族も含め13人分の食事作りに追われる毎日でしたが、心が熱く燃えている私は夢中で聖書を読み、画用紙にみ言葉を書いて台所や柱、トイレ、天井に貼り、覚えました。
 「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11・13)。
 これからは神の子として気高く生きたい、人間らしく、やさしい気持で平和を創る人間になりたいと思いました。宝石と日本の高価な着物を処分して歴史の本を買って学びました。
 1970年、在日韓国人朴鐘碩(パク・チョンソク、19歳)が大企業の日立製作所を日本名で入社試験を受け合格したのですが、韓国人ということで不採用になり、裁判を起こしました。李先生や教会の青年も頑張り、多くの牧師、特に中平健吉弁護士の支援、キリスト者の支援は大きく、3年半で勝利しました。この運動は全国に広がり、民族差別撤廃運動の先駆けとなりました。
 私も初めてプラカードを持って銀座をデモして叫びました。社会の悪に抗い、正す生き方こそ平和を創る一歩と体で知りました。
 その後も、児童手当、川崎信用金庫融資問題や市営住宅入居、川崎市教育委員会との交渉など、数々の民族差別撤廃運動に関わりました。

日本は在日朝鮮人にとって人権では生き地獄

 日本人の一人一人は優しい良い方ばかりです。社会の差別の構造と制度は政権が作ります。しかし行うのは、加害の真実の歴史を学んでいないで、偏見を植え込まれている市民です。子どもは親を真似ていじめます。大切なのは愚民化(無知)政策に気づいて歴史を知り、神の愛に生きることです。
 日本の植民地政策で、日本に約230万人の朝鮮人が自分の土地を奪われたり、強制連行で働かされました。戦後、大半の朝鮮人は祖国に帰国しましたが、65万人が日本に残りました。神様が日本の平和を創るために残して下さったのだと信じています。戦後日本が在日朝鮮人に行った一番酷い事は1947年5月3日、日本国憲法が施行される前日の5月2日、突然に、天皇の最後の勅令として、台湾人、朝鮮人は外国人とみなすとしました。その意味は、朝鮮人は日本人とされて多くの者が戦死しましたが、軍属や負傷者、遺族に対して、保障や遺族年金等から除外するためでした。
 また外国人登録令を公布し、指紋を押捺させ厳しく取り締まりました。政府は植民地支配を反省して、日本に住む朝鮮人に対して、違いを認め合う共生共存でなく、治安対象と見、排除と同化政策を行いました。
 戦後74年を迎えた今も在日朝鮮人の85パーセントは日本名で出自を隠して生きています。ありのままで生きられない在日の心身症は日本人の5倍です。未だに特別永住外国人の朝鮮人に参政権も付与しません。先進国で付与していないのは日本だけです。これは人としての最低の権利です。納税は課せられています。
 大学で教員資格を取得しても、公立の小、中、高校の教員になれず非常勤講師です。現在も、結婚、就職、入居と多くの見えない差別と偏見のために日本名で日本国籍を取得します。日本国籍の姪は私に電話をかけてきて「長男が日本人と結婚するの。結婚式に民族衣装を着て来ないでネ。朝鮮語を絶対話さないでネ」と頼みます。

ぜひ文化センター・アリランの賛助会員に~1日28円、1年1万円~

 私は以前、高麗博物館に「一人芝居」をしながら20年間関わりましたが、2007年に文化センター・アリランの理事に就任し、現在副理事長をしています。アリランの目的は日朝の真実の歴史を伝えて、市民と在日が出会って交流し、信頼関係を築いて「民族差別のない平等で平和な社会を創る」ことにあります。韓国・朝鮮と日本に関する近現代史の歴史書や資料を5万点所蔵する私設図書館です。
 在日朝鮮人が出資し市民と共に運営する図書館は日本で初めてです。アリランは日本の歴史教育に欠けているところを補完する場であり、日本の中学、高校、大学のゼミの実習の場でもあります。日朝日韓関係を和解に導き、自由な交流を実現するためにも、なくてはならない場です。
 運営はすべて会員の会費と寄付で賄われています。1日28円、1年で1万円の賛助会員です。10万人の心に繋ぐと1年で10億円です。東京にすぐに建設できます。
 皆さん、美しいパンフレットの中の小海牧師の賛助会員へのお薦めの言葉を読んで下さい。イエスさまの愛に溢れています。
 この活動をぜひ霊的に受け容れて下さいませ。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイ3・23)。
 皆さんの隣人愛を信じます。

<2019年春の伝道礼拝>第1回5月12日説教要旨

<2019年春の伝道礼拝>第1回5月12日説教要旨

愛するとき……光の中に留まり続ける

詩編   139:11~12    ヨハネの手紙Ⅰ 2:7~11

小海 基

<メッセージ>

 現在のように世界情勢が不安定になっている中、国境や文化や民族を超えて世界宗教が平和の担い手になることは大変重要です。戦争を起こしてしまえば地球という星が存在し続けることが出来るか否かの決定的危機を抱えています。
 かつては宗教やイデオロギーを超えて、人間の理性で何とかできると考えていた時もありました。哲学の時代といっても良いでしょう。
 宗教というのは、人間の力の限界を認めて人間の外にある創造者、絶対者に耳を傾けさせるものです。どんなに人間の言葉で感情に走り、熱を帯びていても、もう一度冷静にさせ、深く共に考えることに立ち戻らせるものです。
 ところが現在では、不幸なことに世界宗教さえも不信感をたきつけ、駆り立てる用い方がされているのです。本来成熟した国境、民族、文化を超えた「キリスト教」「イスラム教」「仏教」……と言った世界宗教こそが一民族一国家のいらだちや国益を超える視点をもたらすものであるはずなのに、昨今起こっている事件は、モスクや礼拝堂、シナゴーグがテロに遭い、報復が繰り返されています。もう一度私たちは神の言葉から聴いて冷静になり、原点に立ち戻らなければならない時にあると思います。
 今日はヨハネの手紙Ⅰを読みました。この手紙は紀元110年頃、キリスト教内部で、仮現論(グノーシス)といわれるイエス・キリストは肉を持たないという異端の考えが蔓延し、教会分裂をしかねない危機にあった時代に書かれた手紙です。
 分裂の危機を迎えると人間というのは実に愚かなものです。仮想の敵をでっちあげて敵対し、憎しみを向け一致しようとし始めるのです。この動きに対してヨハネの手紙Ⅰでは、イエス・キリストが私たちのもとに来られて、私たちの罪のために十字架にかかり、復活し、救いをもたらせてくださったという原点に立ち返れとすすめるのです。それが光の中を歩むということなのだと語るのです。
 光と闇と二つの対立概念で語られていますが等価値ではありません。光は圧倒的に闇にまさっているのです。兄弟姉妹を愛する中に光があると繰り返し語るヨハネの手紙Ⅰでは、「神は光」「神は愛」だと言い切っています。私たちを救うために来て下さったのは、憎しみ合うためではなく、私たちを兄弟姉妹として愛し合うために来てくださったのです。愛し合わなければ光の中に留まっていることにならないのです。創世記によれば、最初に神が創造されたのも光でした(創世記1章1~5節)。
 物理学者アイザック・ニュートンは早熟の天才でした。22歳で「万有引力の法則」をとなえ、微分積分を発明し、「ニュートン力学」は今でも自然科学の基本です。26歳でケンブリッジ大学の教授になりました。その後は初期の神の秩序の発見からそれて、錬金術、オカルティズムへと変わっていき、データを捏造して信用を失い、最後は精神的に異常をきたし、85歳で妹に看取られて寂しく亡くなりました。ウエストミンスター寺院に葬られたニュートンの墓碑銘は「自然と自然の法則は闇に留まっていた。神は言われた。『ニュートン出でよ』すべては光の中に現れた」。
 これは、イギリスの有名な詩人A・ホープの詩から引用された墓碑銘だと言われています。ニュートンの85年の後半生と、キリスト教のヨハネの手紙Ⅰの時代は、今日の日本のキリスト教の陥りかねない姿です。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す」(詩編139篇11~12節)神さまは夜の闇の中にも光を放っておられるのです。愛することは意志、決意を伴うことです。
 神のことばの原点に立ち返って、私たちは互いに愛し合う時に光の中に留まり続けることができるのです。ヨハネのことばを胸に刻み歩み続けましょう。

2019年イースター・メッセージ

2019年イースター・メッセージ

新しい春が世界にめぐってくる

「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終をしらせた」
ルカによる福音書 24章9節

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 3月1日に、私はソウルにて「3・1独立運動から100周年」の記念すべき礼拝に出席できました。韓国のプロテスタント側の主要教派で構成されるエキュメニカルな礼拝はソウルにある貞洞(ジョンドン)第一教会で開催されました。
 100年前に、日本からの独立を求めて朝鮮全土で200万人の人々が立ち上がったのが3・1独立運動ですが、礼拝の中では、現代を取り巻く様々なテーマに基づいて、とりなしの祈りがささげられ、とくに「朝鮮半島の一致」を願う祈りは、情熱的な祈りの中にも、希望に満ちた祈りでした。
 100年前に読まれた独立宣言の中にこのような一文があります。

「ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人々を押さえつける時代はもう終わりである。……新しい春が世界にめぐってきたのであり、酷く寒い中で、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。……」(外村大氏訳)。
 
 ここには、自分たちの権利を奪った日本への非難、あるいは植民地主義からの脱却と解放の宣言というよりも、100年たってもなお新しさをもつ宣言であり、今を生きる私たちすべての人間が求める平和への希望が表されていると思います。
 「3・1独立宣言」は、初めは東京にいる韓国人留学生から端を発し、やがてソウルへとつなげられていき、そして最後には朝鮮半島全土に波及していきましたが、その中の平壌の崇徳(スンドク)女子学校では、楽隊の音に合わせて讃美歌を歌いながらデモを始め、この希望の宣言を伝えていったそうです。
 
 ルカによる福音書の伝える復活証言もまた、女性たちの証言から始まりました。「輝く衣を着た二人の人」(4節)から「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(6節)と言われた時、すぐに「イエスの言葉を思い出し」(8節)、「墓から帰って」(9節)、他の男性の弟子たちに伝えた女性たち。おそらく、賛美の歌を歌いながら走っていったことでしょう。
 さらにこの証言はペトロへとつなげられ、彼もまた「立ち上がって墓へ」(12節)賛美の声を歌いながら、走ってゆくのでした。
 1000年後の今を生きる私たちも、この復活のメッセージを賛美しながら伝えていき、朝鮮半島と東アジアの和解と平和を祈り求めていきたいと思います。

<荻窪教会創立記念日礼拝> 2019年2月3日説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>
2019年2月3日説教要旨

策   略

エステル記 3章1~15節
使徒言行録 5章27~29節

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 1月27日の午後に開かれた「部落解放祈りの日集会」に出席し、上映された狭山事件のドキュメンタリー映画を見ました。狭山事件とは被差別部落出身の石川一雄さんが女子高生の殺人犯に仕立て上げられ、一時は死刑判決まで出たのですが、石川さんは無実を主張し続け、冤罪を晴らすには至っておらず、長い戦いが続いています。
 この事件の最大の背景であり発端は警察が犯人を逮捕できないのが恥と考え、民意の感情に忖度してマイノリティの石川さんを犯人に仕立てた点です。映画では様々な手口で自白を迫る場面も再現されていました。
 また最近、映画の魔術師と言われるヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ」を見ました。ストーリーが進むうちに被害者と加害者の区別がはっきりしなくなり、観客はいつの間にか加害者を心の中で応援する立場になってしまいます。つまり価値観が分からなくなり、ヒッチコックの魔術にかかってマインドコントロールされたかのようになります。

 今日読みましたエステル記の第3章は、エステルが命がけでユダヤ人を守ることになる前の段階の非常に重要な場面です。独裁国家であるペルシャ王国のクセルクセス王は感情的な王で、その周りは王に忖度するばかり。王の感情が爆発すると何が起こるか分からない不安定な状態でした。エステルは王妃になるとともに、王の暗殺を防いだモルデカイも出世しましたが、二人ともこの時点では出自がユダヤ人であることを伏せていました。
 そうした中、同僚の誰よりも出世したハマンが、自分に敬礼しないモルデカイを快く思わないことを発端としてプルというくじの結果、アダルの月の13日に国家予算の3分の2を使ってでもユダヤ人を全滅させ財産を没収する企てを立て、それを王の勅書として巧みに仕上げ、全部族に届けられます。国は大混乱に陥るのですが、そのような時に、王とハマンは酒を酌み交わしていたというのです。
 エステル記は旧約の中で、ヘロドトスの書いた文書に当時のペルシャ王国の事が書かれていることから、異教徒に内容が裏打ちされている内容とされています。

 ヒトラーの時代に、強制収容所で毒ガスの使用に関わるヴァンゼー会議が開かれました。ここは保養地として知られる美しい場所です。当時の議事録は回収されたはずですが、一部持ち出された記録から大まかな内容が明らかにされています。それによれば議論の発端は収容所の大臣が法律の命令がないと職員の士気が衰えると言ったことでした。その結果、法律による命令が作られ、職員が直接手を下すのでなく、毒ガスを使うことで職員の良心的ストレスが減るという結論になったのです。
 これを読んだ時、私は日本の日の丸、君が代問題を思い起こしました。当初は首相も文科相も国民の内面にまでは立ち入らないと言っていたのですが、広島で校長が自殺したことを発端に国旗の掲揚と君が代斉唱が法律化され、従わない職員の資格が失われることが横行するようになりました。
 エステル記のユダヤ人虐殺計画の発端はモルデカイがハマンに頭を下げないことへの不満でした。
 私たちも、ちょっと気を許すと、いま現在の日本でも、このようなことが起こりかねない時代になっています。たとえ少数でも聖書に基づくポリシーを持って生きている人たちが、おかしいことには異議申し立ての声を上げ、世界がおかしくなることを防ぎたいと願います。
 創立記念日に当たる今日、エステル記のこの部分を読んだことを通じて、このことを改めて心に刻みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

「羊を右に」

荻窪教会副牧師 龍口奈里子

エゼキエル38:11~17
マタイによる福音書20:31~46

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「主に従う羊の群れ」です。今の時代を生きる私たちに示された使命が何であるか聖書を通してもう一度聞きます。
 今日の箇所は主イエスが十字架にかけられる前、最後に話されたたとえ話です。主は十字架にかかり、復活され、天に上り、やがてこの世の終わりの時に、もう一度私たちのところに来られると約束されるのです。再臨されるのです。ただ再臨されるのではなく、キリストは「主の王として」「裁きの座」につかれ、「羊とやぎ」を分けるように、私たちを「右と左」に分けられるというのです。しかも、対象者は32節にあるように「すべての国の民」なのです。ユダヤ人たちは、羊とやぎを一緒に放牧して、一日の終わりに二つに分けていました。同じように主イエスは最後の日に二つに分けて、右側の羊の方は恩恵を受ける側、神に祝福された人たちのための場所とし、もう一方の左側のやぎの方は呪われた場所として分けると言われるのです。飢えている人、貧しい人、困っている旅人、病人、囚人、疎外されている人、それらの人たちに、善い行いをした人は右に分け、逆に、それらの人々に善い行いをしなかったひとは左に分けると主はいいます。神は祝福だけでなく裁かれる方なのだということは、聖書の大切な教えです。
 特に旧約聖書を読むとき、「神の裁き」が幾度となく出てきます。旧約聖書エゼキエル書第34章の今日の箇所では「まことの牧者」について書かれています。この牧者とは、当時の指導者たちを指しています。イスラエルの民たちが捕囚となった原因は、この指導者たちの堕落が原因でした。そのありさまをご覧になった主ご自身が牧者となり、羊たちを豊かに養われ、堕落した指導者を裁かれるのです。マタイによる福音書25章では、主イエスは、たとえ話の中で最後の審判について大変厳しく語っておられます。主イエスは今日の箇所の前に2つのたとえ話を語っています。一つは「10人のおとめのたとえ」もう一つは「タラントンのたとえ」です。主はやがて復活して再び来られる。そのときに「最後の裁き」が行われる。そのために、今何をなすべきか、この2つのたとえは教えているのです。
 「10人のおとめ」のたとえでは、花嫁がランプに火を灯して花婿を待つように備えることを教えています。「タラントン」のたとえでは、わずか1タラントンであっても主は豊かに用いた人を喜ばれるのです。「主の再臨を備えて待つこと」と「最後の審判で託されたものをどのように用いたか問われるために備えておくこと」この2つの備えが、マタイ25章のテーマです。最後の審判における救いと滅びを分かつのは、私たちの自覚や強い意志で決まるのではないということです。
 では何が問われ、基準となるのでしょうか。その大きなポイントは40節と45節に書かれています。この「もっとも小さい者たちのひとり」とは誰のことなのか、これがこのたとえの重要なカギとなります。主は「このもっとも小さい者たちの一人」に対してしたことは、すなわち「私にしてくれた」ことだと言われています。キリストの「このもっとも小さい者」に出会うことによって、「私に出会い、私に従う」ということです。キリスト教の「奉仕」とは、ギリシャ語で「ディアコニア」といいます。太陽と月の関係のように、神の教えを私たちが浴びて、それを映し出すように、小さい者の一人に届けることです。主イエスキリストは共に歩んで下さる羊飼いです。私たちは他の人の弱さや小ささに心を向け、共に歩むように委託されています。主は終わりの日に来られ、正しく裁かれます。その時のために備えて待ち望みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

「私の羊を飼いなさい」
鶴川教会牧師 瀬戸 英治

ヨナ書4:1~10
ヨハネによる福音書21:16~18

<メッセージ>

はじめに

 私は北海道の釧路で生まれ育ち、高校卒業まで釧路におりました。高卒後、飛行機のパイロットを目指して海上自衛隊の養成学校に入隊したものの気質が合わず1年で除隊し、札幌で予備校に入りました。キリスト教と出会ったのはこの頃で、米国の宣教師が経営する伝道喫茶でキリスト教の網にかかり、洗礼を受けました。
 その後、紆余曲折がありましたが、召命を受けて農村伝道神学校(以下、農伝と略)に入学し、教団の補教師になり、当時まだ西支区時代、東中野教会に伝道師として赴任し、小海先生とはその時以来のお付き合いとなります。
今日の説教題は「私の羊を飼いなさい」とし、私自身の牧会への考え方、教会論をお話します。

農伝在学中の様々な出会いによる課題を抱えて牧会現場へ

 私は牧師の他に、いくつかの団体の責任を持っております。主なものは横浜市中区で精神障がい者の地域での生活を支援するNPO団体「ろばと野草の会」理事長、同じ地域で身体・知的・精神の三つの障がい者を一括して支援する地域活動拠点「みはらしポンテ」を運営する社会福祉法人理事長、在日外国人の子どもたちへの教育相談・支援を行っているNPO法人「信愛塾」副理事長、町田市にある「朝鮮学校を支える町田市民の会」代表などです。
 教会関係では、市民ボランティアによる傾聴を中心とする電話相談を立ち上げたり、5年前からは教会集会室を利用して毎月第一・第三水曜日に「水曜カフェ倶楽部」と称して私の手作りのケーキを出したりしています。
 これらは一つとして自分がやろうとして始めたものではなく、ほとんどが出会いから必然として関わらざるを得なくなったものばかりです。農伝の会報「後援会だより」第113号(今年6月発行)に神学生時代に出会った事柄について書かせて頂きました。在日朝鮮韓国人差別問題、沖縄問題、女性差別や性差別、部落差別、アイヌ差別などは習ったのではなく、すべて学生の当事者から問題を指摘され問われ知らされた問題ばかりです。農伝は学生自らが課題を持って解放を求めてやってくる場所だと思います。全てが未解決のまま卒業し、現場に放り出されるという表現が適切かもしれません。私も放り出された一人です。
 幸い私は東中野教会で伝道師として2年の猶予を頂くことができ、その間に小海先生をはじめ多くの同年代の牧師たちと知り合い、多くを学ぶ機会を与えられ、神様の恵みであったと感じています。

Aさんとの出会いが牧師としての自分の姿勢に決定的影響

 東中野教会、まぶね教会でそれぞれ2年を過ごし、その次に赴任したのが川和教会です。ここで私はその後の自分の牧師としての姿勢に決定的に影響をもたらした人に出会いました。その人を仮にAさんとします。Aさんは中程度の脳性麻痺を持つ高齢女性でした。手と足に麻痺があり、そばから見ればかなり危ない状態ですが歩行は可能。手は硬直していて自由に動きませんが判読が困難ながら字も書くことが出来ます。言語にも若干障がいがあり、時々聞き取れなくなる状態でした。私と出会った時には同じく脳性麻痺の男性と結婚し、教会近くの公団のアパートに住んでおられ、熱心に教会に通われていました。お連れ合いの生存中Aさんを詳しくは知りませんでしたが、お一人になられてから様々なことを知らされました。
 Aさんは生まれた時から麻痺があり、私立の養護学校に行くまで寝かされて育ったこと。埼玉の整形外科医師と出会い、幾度かの手術によって歩行が可能となり、勤務に出ることも出来たことなど。
 Aさんはその医師がおられなければ自分は、寝たきりの生活だったが、先生のお蔭で普通の女性のように買物、恋愛も出来るようになったと言われています。
 彼女は一般男性と結婚し先妻の子どもたちを育てて幸せに暮らしていたそうです。最初のお連れ合いとは死に別れとなり、次に障がい者と再婚されました。お連れ合いを亡くされてから一人で生活しておられましたが、高齢で次第に筋力が落ちて家の中でも転ぶことが多くなり、度々救急車を呼ぶ状態になりました。緊急連絡先が私になっていたため、その度に私は夜中に呼び出されることも度々でした。
 その後、入居された老人ホームでは自分が出来ることも、させてくれない状況になり、私に抗議してこられたり、別のホームに移ってからは、自分は認知症ではないのに、強制的に睡眠導入剤らしき薬を飲まされそうになり服薬を拒否するなどしてその抗議をし、私が施設に掛け合って了解を取り付けたこともありました。
 ある時、Aさんが一度経験したいことがあると言われました。それはお寿司屋さんのカウンターに座って好きなお寿司を食べたいというのです。親しい寿司屋に依頼して店の休憩時間に出向きました。Aさんは震える手でお寿司を掴み、頬張りました。ほとんどは口からごぼれてしまいましたが、それでもおいしい、おいしいと心から喜んでくれたことが忘れられません。人は人との出会いによって変えられて行くのだと思います。それに法則はありません。一人の人に向き合うこと、一人ひとり違うようにそれぞれの出会いも多様です。

「あなたはあなたのままでいい」と伝えるのが本当の福音

 今日の新約の聖書個所でイエスはペトロに三回も「私を愛しているか?」と聞きます。ペトロはこのイエスの質問に対し、しつこいと感じて三度目には「私が愛しているのは、あなたがよく知っているでしょう」と返すくらいでした。しかしイエスは単に三回繰り返したのではありません。
 最初の2回の「愛している」はギリシャ語では「アガペー」つまり無償の愛、神の愛です。それに対するペトロの返答は、「フィレー」すなわち「人間の愛、友情」です。この個所がイエスに遡るのかどうかは分かりません。ヨハネ福音書の著者が人間であるペトロにあえて「アガペー」を使わなかったのかも知れません。しかし、3度目にイエスは「フィレー」で私を愛するか?と聞かれています。私はこれによってイエスは現実を理解されて、人間つまりペトロの現実にまで降りてきて下さった結果の言葉と思っています。

 人には完璧な愛などありません。私たちはそれぞれの現実と限界の中で人と関わってゆく以外にないのです。それだからこそ、一期一会の人との出会いを大切にしなければならないし、十人いたら十通りの関わり方があるのが当然なのです。教会もまた、一人ひとりに寄り添おうとするならば様々な顔を持って当然と思います。
 出会い、寄り添い、共に変えられていく。まさにこれこそがイエスが示される「福音」ではないでしょうか。
 教会も個人も、もっと個性的であって良いと思います。そのように個性的になる時、Aさんのように、私は皆とは違うと引いている人に、「あなたはあなたのままでいいよ」と伝えることが出来るように思うのです。神様はそのままで受け入れて下さるのです。

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

「羊の毛のしるし」

荻窪教会牧師  小海 基

士師記6:33~40
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29

<メッセージ>

 「士師」というのは、英語ではジャッジ、ヘブライ語ではシェフェート。つまり「裁き人」「治める人」という意味です。出エジプト後の約束の地カナンで、12部族の中から1代限りの長である「士師」が神により立てられ、困難に打ち勝ち他民族の攻撃から身を守っていったイスラエルの民の歴史が「士師記」に記録されています。
 イスラエルの民を悩ませていた他民族には王がいて、王制が敷かれていました。「士師記」17章6節と最後の結び21章25節に「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と記されています。つまり、王がいないから、皆が自分勝手に正しいと思うことを行い、他民族に攻め込まれるのだという思いが満ちていた時代でした。しかし神は、約束の地で王を立てるより、皆が羊飼いのように自分たちの羊を守っていく形で、国が導かれていくことを理想とされていたようです。
 ギデオンは士師の中でも多くの功績を残した一人です。神から遣わされた天使に、「士師になるように」と言われ最初は断りますが、それならば「しるし」を見せて欲しいと求めます。最初の「しるし」は、子山羊の肉とパンを岩の上に置くと、岩から火が燃え上がって全て焼きつくすというものでした。
 今日の旧約箇所は2番目と3番目の「しるし」です。2番目のしるしは、「羊1匹分の毛だけを濡らし、土は乾いているようにする」3番目は逆に「羊の毛だけが乾いていて、土は濡らしておく」というものでした。
これほどの臆病者は聖書の中でも他におりませんが、3回の「しるし」を見て、ようやくギデオンは兵を集めて士師として立つのです。
 
 1933年2月初めに荻窪教会は誕生しましたが、この年を世界史的に見ると、第2次世界大戦に大きく舵を切った年でした。3月末のドイツの選挙でナチスが43.9%の議席を獲得し、全体主義へと一気に進み、5月にはベルリン大学の前で焚書が行われます。11月の総選挙はナチスの信任投票となり、民主主義はドイツから姿を消すのです。
 当時27歳の若きボンヘッファー牧師は、この時代に危機感を覚え、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム記念教会での説教で、「あなたたちはギデオンなのですよ」と「士師記」のギデオンの物語を選び、大聴衆の前で以下のように説教するのでした。
 ギデオンはヒトラーの好きなワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の主人公ジークフリートではない。つまり、英雄の物語ではなく、私たち臆病者の物語なのだ。ギデオンは1933年、この時代のプロテスタントのキリスト者、あなたそのものなのだ。ギデオンは他の多くの人々と同じような人間である。しかし神はギデオンを選び、神に仕えるように召し出し、行動するように召された。どうして、まさに彼を、どうして、他ならぬあなたや私を、神は召し出したのか。神の召しの声の前では、どうして、という問いは消え失せざるを得ない。神があなたを召した。神はあなたと共にある。それで十分である。備えて待っているがよい。そう呼びかけたのです。

 新約箇所Ⅰコリ1:26以下のように、神は能力があるとか、家柄が良いとか、知恵があるということで私たちを選ばれたのではなく、むしろ、そうでない一人のギデオンである私たちを、この世界を良くするために立たせました。私たちにはこの世において、一人の士師として担うべき課題があります。主に従う羊の群れとして、主の委託に答えることができるように共に祈り、共に励まし合って、大変な時代を乗り切っていきましょう。

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。