<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

「羊の毛のしるし」

荻窪教会牧師  小海 基

士師記6:33~40
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29

<メッセージ>

 「士師」というのは、英語ではジャッジ、ヘブライ語ではシェフェート。つまり「裁き人」「治める人」という意味です。出エジプト後の約束の地カナンで、12部族の中から1代限りの長である「士師」が神により立てられ、困難に打ち勝ち他民族の攻撃から身を守っていったイスラエルの民の歴史が「士師記」に記録されています。
 イスラエルの民を悩ませていた他民族には王がいて、王制が敷かれていました。「士師記」17章6節と最後の結び21章25節に「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と記されています。つまり、王がいないから、皆が自分勝手に正しいと思うことを行い、他民族に攻め込まれるのだという思いが満ちていた時代でした。しかし神は、約束の地で王を立てるより、皆が羊飼いのように自分たちの羊を守っていく形で、国が導かれていくことを理想とされていたようです。
 ギデオンは士師の中でも多くの功績を残した一人です。神から遣わされた天使に、「士師になるように」と言われ最初は断りますが、それならば「しるし」を見せて欲しいと求めます。最初の「しるし」は、子山羊の肉とパンを岩の上に置くと、岩から火が燃え上がって全て焼きつくすというものでした。
 今日の旧約箇所は2番目と3番目の「しるし」です。2番目のしるしは、「羊1匹分の毛だけを濡らし、土は乾いているようにする」3番目は逆に「羊の毛だけが乾いていて、土は濡らしておく」というものでした。
これほどの臆病者は聖書の中でも他におりませんが、3回の「しるし」を見て、ようやくギデオンは兵を集めて士師として立つのです。
 
 1933年2月初めに荻窪教会は誕生しましたが、この年を世界史的に見ると、第2次世界大戦に大きく舵を切った年でした。3月末のドイツの選挙でナチスが43.9%の議席を獲得し、全体主義へと一気に進み、5月にはベルリン大学の前で焚書が行われます。11月の総選挙はナチスの信任投票となり、民主主義はドイツから姿を消すのです。
 当時27歳の若きボンヘッファー牧師は、この時代に危機感を覚え、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム記念教会での説教で、「あなたたちはギデオンなのですよ」と「士師記」のギデオンの物語を選び、大聴衆の前で以下のように説教するのでした。
 ギデオンはヒトラーの好きなワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の主人公ジークフリートではない。つまり、英雄の物語ではなく、私たち臆病者の物語なのだ。ギデオンは1933年、この時代のプロテスタントのキリスト者、あなたそのものなのだ。ギデオンは他の多くの人々と同じような人間である。しかし神はギデオンを選び、神に仕えるように召し出し、行動するように召された。どうして、まさに彼を、どうして、他ならぬあなたや私を、神は召し出したのか。神の召しの声の前では、どうして、という問いは消え失せざるを得ない。神があなたを召した。神はあなたと共にある。それで十分である。備えて待っているがよい。そう呼びかけたのです。

 新約箇所Ⅰコリ1:26以下のように、神は能力があるとか、家柄が良いとか、知恵があるということで私たちを選ばれたのではなく、むしろ、そうでない一人のギデオンである私たちを、この世界を良くするために立たせました。私たちにはこの世において、一人の士師として担うべき課題があります。主に従う羊の群れとして、主の委託に答えることができるように共に祈り、共に励まし合って、大変な時代を乗り切っていきましょう。

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨
「御国が来ますように」

富坂キリスト教センター総主事
岡田   仁(ひとし)先生

出エジプト記    19:1~6
マタイによる福音書  6:10

<メッセージ>

主イエスとの出会い

 私は大阪で生まれ育ち、高校生の時にアシュラムという修養会への参加をきっかけに高2のクリスマスに洗礼を受けました。アシュラムは「退修」という意味で、「イエスは主なり」を合言葉に沈黙のうちに御言葉に聴くのです。今仕えている富坂キリスト教センターでは、霊性と社会倫理を柱に活動しています。まさに主イエスがそうであったように、喧噪から退いて聖書の御言葉に静かに聴いて祈ることは、この世で証を立てる上で大切なことです。神様が愛されたこの世に仕え、その課題を責任をもって担うことです。ハレスビーの「みことばの糧」という本を通して献身の志を与えられ、関西学院大学で神学を学びました。

水俣での実習体験

 神学部の実習の一つとして、初めて沖縄、筑豊、大牟田、水俣を訪ねました。その頃(1988年)水俣では、未認定患者の聞き取り調査が行われていました。二度目の訪問の際、田上義春さんという認定患者と出会いました。26歳の時に水俣病を発症して相当苦労された方です。「わしは水俣病になって良かった。裁判を通じて多くの人に出会い、チッソの本質、人間の欲望、業がはっきりわかった。人間は裏切るが自然は裏切らない。お金で換算できないものがこの世にある」。水俣病になったお蔭で視野が広がったという内容で、その言葉に私は全身を烈しく撃たれました。水俣病被害者は、日本の近代化、高度経済成長期の陰で、直接その恩恵を受けることなく、裏側で繁栄を支え、犠牲になった人たちと言えます。
 私は当時教団の教会が水俣に無かったので開拓伝道をするつもりで宣教の対象として水俣の人たちを見ていました。しかし、私が行く前にすでに神はそこに居られ、苦しんで亡くなる人と共に涙を流し、公害被害者と苦しみを共にされている神様と、水俣で出会わされ、もう一度牧師として立つように促されました。水俣での5年半の間、2トントラックを運転して、患者とその家族のミカン出荷の手伝いや、廃食油をリサイクルして石鹸を作る工場で働きました。田上さんたち患者と支援者でせっけん運動を始めました。
 また、胎児性患者との出会いも忘れることが出来ません。妊婦の場合、母親が食べた汚染魚の毒を、母親ではなく胎児が引き受け、重い障がいを負って生まれます。一人一人与えられた生命を生き、自立を目指す彼らに接するうちに、神の国は抽象的ではなく、もっと具体的で最も悲惨で闇と思われる荒れ野のような場所に、神の国の福音はダイナミックに前進し、人間の限界を突き破って既に動き始めていました。
 
根っこは「貪(むさぼ)りの罪」

 戦争は最大の公害、環境破壊と言われますが、その根っこにあるのは「貪りの罪」です。チッソ工場の製品は、プラスチックやビニールの原料、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料などいずれも私たちが日常生活で快適で便利だと言って使うものです。いわば日本の近代化を陰で支えてきたのが水俣を含む公害被害者です。十戒の第一の戒め「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」と、十番目の戒め「隣人の……を欲してはならない」(貪ってはならない)が最初と最後におかれているのは意味があります。神ならぬものを神とする一方で、我々の中にある「むさぼりの罪」「自己絶対化の罪」などの毒素が「チッソ」を生み、大規模な環境破壊と大量殺戮を引き起こしました。
最近亡くなられた石牟礼道子さんは「1908年(チッソ水俣工場創業)から日本人の道徳や美徳の崩壊が始まり、今や日本人自体が世界の毒素になってしまっている。日本人の倫理観が厳しく問われている」と言われました。水俣病は、60年以上経過した今もその事件の全容の殆どが分からず、複雑な問題が絡み合っています。石牟礼さんのメッセージを我々は今一度心に刻み付けるべきでしょう。
 過去に学び、今と将来に向けて人間としてどう生きるか。もはや加害者か被害者か二項対立ではなく、一人ひとりが突きつけられている問題であって、水俣病事件には第三者的な立場はないと思います。水俣病が問うているのはこのことです。  
 
井上良雄先生から学んだこと

 主イエスが弟子たちに主の祈りを教えました。「御名が崇められますように」のあと「御国が来ますように」との祈りが続きます。井上良雄先生から学んだことは、キリスト者とは「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ生きる存在であり、この終末論的信仰に生きるからこそ、この世の問題に仕える(ロマ12―13章、Ⅰコリント7章)のであって、そこで求められるのは「人間の参与」(応答)であるということです。「神の国の到来と人間の参与は密接に結び合っている」がゆえに「『御国を来たらせたまえ』と祈る者は地上の現実から一歩も退かず、人間の悲惨の総体を背負うようにして神の前に立ち、神に助けを祈り続け、終わりの日を待ち望みつつ生きるゆえに、私たちは現在の課題を回避しない」と井上先生は言われます。神の国の成就のために、苦しんでいる全人類のため、全被造物が新しくされるために聖霊が注がれるよう神に求めることが重要です。神の国の到来を待ち望むゆえに、いま小さくされている存在とその命に焦点を合わせるのです。 
 出エジプト記19章には、世界中に神の国の福音を証しする責任が民に委ねられているとあります。そして次章で「貪るな」との戒めが続くのです。選びとは有責性を意味します。神が創られ愛されるこの世と、他者に仕えるために私たちは神から選ばれているのです。「あなたの御国が来ますように」神の国はすでに近づいて動いているのです。同時に今この時を精一杯生き、共に生きよということです。
伝道とは、苦しんでいる人に寄り添い、苦しむその声に耳を傾けて共にいること。私という土の器を通して、神様が必要な時に必要な言葉を語りかけて下さる。私たちはこれからも、神の国の証人・主の証人として「御国が来ますように」と祈りつつ、神が創られた世界、被造物が悲鳴を上げている現実に対して常に目を覚ますのです。神の国の徴(しるし)とその生き生きとした動きを見極め、神の愛の働きに喜んで参与するものでありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨
「向こう岸へわたろう」
八王子ベテル伝道所牧師
千原  創(はじめ)
申命記  7:6-8
マルコによる福音書4:35-5:20

<メッセージ>

湖の「向こう岸」とは知らない新しい世界

イエス様は、基本的に湖のこちら側で宣教活動をしておられました。そこでは、いつもおびただしい群衆が集まり、語られる福音に誰しもが耳を傾けていた状況がありました。であるならば、もっとそうした群衆のために語り続けてもよかったでしょうし、湖のこちら側の別の場所で、また別の群衆を集めて神様の愛を語り続けてもよかったのです。
しかし、イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、あちら側へと向かわれたのでした。向こう岸は「ゲラサ人の地方」であり、ユダヤ人の地方ではありません。つまりあちら側は、こちら側のユダヤの人々からすると、生活習慣、文化や価値観も違う人たちが住む、知らない新しい世界なのです。
しかも向こう岸に渡るためには激しい突風の中、船に乗って航海に乗り出さないといけないのです。このあたりの個所は、春の伝道礼拝で語られた部分ですので端折らせていただきます。
さらに、向こう岸に行くには船のチャーターも必要でしょうし、見知らぬ地でどうなるかわからない状況のため、ある程度のお金も必要でしょう。また弟子たちも一緒ですから、なおさら経費が必要なはずです。しかし地元にはイエス様に従う多くの群衆がいましたから費用の調達はカンパや献金などで、すぐにまかなえたのかもしれません。
そうした中で実際に向こう岸に着いてみるとどうでしょうか。穢れた霊に取りつかれた一人をイエス様が救われるという出来事が起こったのです。つまり、まだ宣教されていない、新しい地に自ら赴き、そこで出会う人々にも新規に宣教活動をされておられたということになります。
 
私の伝道所体験を含め、様々な形がある福音宣教の業

 少し私自身のお話をさせていただきます。私は、両親がクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。高校まで山口県で生活をしていました。毎週日曜日には欠かさず教会にも通っていましたが、そこはいわゆる地方の小規模教会です。幼少期に出席していた教会は、記憶もわずかですが、礼拝出席が20名もいかないような教会でした。後に通った別の伝道所は借家で開拓伝道をしているところでした。そうした小規模教会・伝道所には、子どもの礼拝などもありませんから、基本的に大人の礼拝に出る形の教会生活です。そうした教会生活の中で大人になりましたから、私にとっての教会は、そうした地方の小規模教会であって、荻窪教会のような規模の教会は私にとっては落ち着かない場所です。
よく、開拓伝道で大変ですねとか、よく北海道の興部(おこっぺ)に赴任されましたね、とか言われるのですが、私にとっては、そうした教会が当たり前の教会なのです。
 福音宣教の働きというのは、都会の人口の多い場所で、ある程度の規模の教会として活動していくこともあれば、人口が少ない地域にあっても、またキリスト教を受け入れることの難しい土地柄にあって地道に細々と行われていたりと、様々な形で、その場その場で行われていくのです。
 
「向こう岸」での伝道活動の実際は一人が救われただけ

今日の聖書ではどうでしょうか。イエス様は、あえて向こう岸へ渡ろうとおっしゃいました。船をチャーターし、向こう岸での宣教活動がどのくらいの期間になるのかも誰も分からない中で、ある程度の費用をもって出かけたと思われます。しかし実際は、一人の人が救われただけです。湖のこちら側、つまり地元での宣教活動のようにおびただしい群衆がイエス様を求め、神様の話を聞きに来たわけではありません。むしろ町の人々は、イエス様に詰め寄り、5章17節にあるように、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。」というのです。イエス様に対し、ここから出ていってほしいと、地元住民は要求したのです。イエス様は、そうした地元住民の要求になすすべもなく、向こう岸での宣教活動を中止し、撤退を余儀なくされるのです。
 皆さんは、このイエス様の向こう岸への伝道活動をどう総括されるでしょうか。結局、たった一人を救っただけで、すぐに舞い戻ってきたイエス様。向こう岸でも、おびただしい群衆の中で神さまを讃美する人々が起こされるような宣教活動を期待して、支援してきた人たちは、どのような思いだったのでしょう。
 このように目に見える事柄だけに意識がいくと、人間の心には様々な不信な思いが起こるのです。しかし、聖書の神様は、目に見えない私たちの思いに寄り添い、その命を支え守ろうとされるのです。5章19節で救われた人に対して、イエス様が語りかけます。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」主があなたを憐れまれたと、イエス様はおっしゃいました。
イエス様は、この一人の男を憐れまれるために、わざわざ時間と、費用と労力をかけて、しかも嵐の湖で航海するという命を懸けて向こう岸へと渡られたのです。費用対効果の面から考えると無駄の多い業ですし、たった一人を救っただけで、住民の反対運動に遭い、撤退せざるを得なくなるのです。しかし、それでもその一人の男を神様は憐れまれるために必死になって向こう岸へと渡られるのです。そして、これこそが聖書の神様が示す愛の業なのです。
 本日お読みいただいた旧約聖書、申命記7章には、「あなたたちを選ばれたのは……他のどの民よりも数が多かったからではない。……他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、……救い出されたのである」と記されています。
主イエスは、誰よりも貧弱だった向こう岸にいるこの一人の男に心惹かれ、主の愛のゆえに救い出されました。そして、人々が見捨て、墓場に捨て置き、相手にしないこの男を、主イエスは主の聖なる民である、宝の民だと語られるのです。
 神様は、いつも私たち一人一人に目を留めておられます。そして私たちがくじけそうになる時、立ち止まり、うずくまる時、命を懸けて私たちのもとに来られ、励まし力づけ、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたを憐れむとおっしゃられるのです。そして、私たちの事を、主の聖なる民である。宝の民だと宣言してくださるのです。神様は、そのように私たちの命を守り、この命が祝福され、尊ばれ、生かされることを望んでおられるのです。
 この現実の社会の中で生きていくときに、私たちはたくさんの、重荷や弱さを担います。し
かし主イエスは、そうしたレギオンから、私たちを解放し、神様の恵みの中で生かすために導
かれます。そうした神が私たちの味方となって、いつもそばにおられることを信じ、主イエス
を見つめ、神様の愛の中で生きる者でありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨
「主によって旅立ち、主によってとどまる」
民数記    9:15~23
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:1~13

荻窪教会牧師
小海  基

<メッセージ>

星野香(かおる)神学生が昨年度1年間牧会実習をされたひばりが丘教会は、ご自身も卒業された日本聖書神学校でキリスト教教育を教えておられた山田稔(みのる)牧師が40年以上、プレハブの礼拝堂で開拓伝道を続けていた教会です。教会員も増えて伝道所から第二種教会、第一種教会へと成長しても、昔ながらのプレハブ礼拝堂で礼拝を守り続けていました。
そして私たちの会堂建築より少し前に、荻窪教会と同じ設計者の田淵諭(さとし)先生による礼拝堂が完成したのです。私は献堂式に出席したのですが、山田牧師は説教でまさに今日の民数記を引いて次のように語られました。

「うちのプレハブの礼拝堂は西支区一のボロボロ礼拝堂だった。教会員、近隣牧師からも早く建て直しを、と言われ続けてきた。しかし教会は建物じゃない。この世の荒れ野を旅する群れなのだと自分は語り続けてきた。
建築費用の事情もあるが、神の群れは民数記の民のように、神様の示される昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて旅を続けなければならない。自分たちの目から見て、『今日は旅立ちにふさわしい日だ』と思えても、雲がとどまり続けている限りは、絶対に動いてはならない。そして神様が動け、と命ぜられたので、私たちはこの会堂建築に踏み切って今日を迎えたのだ」。

この10月の伝道月間のテーマは「選択」です。「旅立つ」か「とどまる」か。「渡る」のか「帰る」のか。その「選択」の根拠を何に置くのか。
今日配布された教会報「つのぶえ」234号に、5月の伝道礼拝にお呼びした道家紀一(どうけ・のりかず)牧師が開拓伝道されている立川からしだね伝道所と、来週お呼びする千原創(ちはら・はじめ)牧師が開拓伝道されている八王子ベテル伝道所の写真と記事が掲載されています。
どちらも教区総会で開拓伝道が決議され、一つは教区を挙げての開拓伝道、もう一つは親教会群伝道としての開拓伝道が続けられています。
今日の聖書の個所は初めての過越祭を荒野で祝った直後に神様が語られた言葉です。本来なら1年1カ月ほどで出エジプトの旅は終わって、約束の地での新しい生活が始まるはずだったのです。ところが偵察隊の報告(14章)の結果、出エジプトの荒れ野の旅路は、何と40年間もお預けになってしまうわけです。
神様の雲の柱、火の柱に頼らず、人間の判断で最短距離を行けば1カ月ちょっとの旅路で済むかも知れないのに、それを40年かけることの意味は何なのかということです。
二伝道所とも、必ずしも順調な歩みではありません。
立川では最初、南口のレンタルスペースで始まり、次に北口の1階に楽器屋があるビルの2階で礼拝を守りつつ、新たな礼拝場所を求め続け、このほど立川で伝道しているどの教派よりも駅から最も近くで、しかも文教地区に土地と建物を購入できたのです。
八王子は、八王子教会・金井直治牧師の私設礼拝堂でスタートし、早い一人立ちが可能と思われていましたが、金井牧師が急逝され、相続問題が起こり、現在地に移らざるを得なくなりました。しかし移転以降、受洗者が一人また一人と与えられています。
神の幕屋と共に歩んだイスラエルの民、二つの開拓伝道所の歩みを通して知らされることは、「停滞」や「回り道」の中に、むしろ神の恵みがあるということです。神によって旅立ち、とどまることで、与えられた人生の旅を歩んでまいりたいと思います。

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨
「たとえ船は沈んでも」               

エレミヤ書第29章11節
使徒言行録第27章21節~26節、39節~44節

荻窪教会副牧師
龍口奈里子

<メッセージ)

 パウロは三回の伝道旅行の中で、三回「難船」したことがあるとコリントの信徒への手紙Ⅱで述べています。今日の箇所はこの三回の伝道旅行の後の出来事です。パウロは囚人として船でローマに護送される途上、暴風雨に巻き込まれました。船は座礁するのか沈むのか、誰一人助かる希望などない、死を覚悟した状態になりました。そのような状況の中、パウロはこう言ったのです。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失うものはないのです」。
 パウロにはこの時確かな根拠がありました。神の使いから次のように告げられていたのです。「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべてのものを、あなたに任せてくださったのだ」と。パウロは自分の判断ではなく、主なる神が告げられた言葉への信頼を根拠にして、絶望の淵にいる囚人たちに励ましの言葉、希望の言葉を語りました。囚人だけでなく、護送する責任者であった百人隊長のユリウスもまた、このパウロの言葉に励まされました。船が陸地に難破した時、逃亡するのを防ぐために兵士たちが囚人を撃ち殺そうとしたとき、ユリウスはそれを止め、囚人は誰一人命を失うことはありませんでした。
 パウロが皆の前に立ち、「元気を出しなさい」「みんな助かります」と言えたのは、「どん底の只中にあっても」自分には神様の立てた計画があり、なすべき使命があって、それが果たされるよう主が導いてくださるという確信があった、ただそれだけなのです。たとえ自分の思い描くような希望や計画が絶たれたとしても、神が与えてくださる希望の計画は着々と前に進むのだという、その確信のみがパウロの励ましの言葉となったのです。
 東日本大震災で大きな被害を受けた新生釜石教会の牧師柳谷先生が「福音と世界」の今年の三月号に次のように書いておられます。「震災以降、『復興は進んでますか?』『教会が元通りになってよかったですね』といった言葉をかけられてきました。これを聞くたび、…『元通りってどういうこと?』『復っていうけどどこに戻るの?』と疑問に思っていました。神は…あれだけの悲しみ、あれほどの悲惨を見せつけて、それに負けず私たちが震災前の世界に戻ることを願っているのでしょうか?…しっくり来るのは次の預言です。『わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。未来と希望を与えるものである』(エレミヤ書29・11)。あのような大きな出来事を通して、神は平和の計画を実現しようとしています。…神が元通りを願っているとは私には思えません。逆に『あれがあったからこそ今がある』と思えるように成長することに着地点があるように感じます。」
 私たちは弱さゆえに愚かさゆえに、「元通りになりたい」「あのときがよかったのに」とつぶやきます。しかし神の計画は着々と前に漕ぎ出され、嵐の中をも進んでいくのです。私たちは経験した嵐や苦難や労苦を通して、神は平和の計画を「あのとき」から実現されようとしていたことを確信できるのです。嵐が吹き荒れ、沈みかけた小舟にいる私たちを主は、救いだし、使命を与えてくださり、共に船をこぎ続けてくださるのです。主への信頼を失わず一歩一歩進めていくことが何よりも大切であると、パウロの信仰を通して教えられるのです。主が約束される「平和と希望」を語りあい、この船をこぎ続けてまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨
「この船は沈まない」
出エジプト記第17章8節〜16節
ルカによる福音書第8章22節〜25節

立川からしだね伝道所牧師
道家 紀一(どうけ・のりかず)先生

<メッセージ>

 立川からしだね伝道所のためにいつもお祈り頂き、ありがとうございます。本日はとても良い時にお招き頂いたと感謝しております。というのは当初この伝道礼拝へのお話を受けた時はまだ決まっておりませんでしたが、先日ようやく土地・建物を取得することが出来、そのご報告を携えて本日の説教奉仕に伺えることになったためです。

私のこれまでの歩み

 ごく簡単に私のこれまでの歩みをお話します。私は1960年名古屋で生まれ、高校まで名古屋におりました。家庭には聖書、讃美歌と羽仁もと子著作集がある環境で育ち、母の影響でキリスト教に出会いました。大学は茨城県の茨城大学に進み、臨床心理学を学びました。大学在学中、水戸教会で洗礼を受けました。
 卒業後、就職せず献身を志し、牧師が同志社出身であったことから同志社大学に願書を送りましたが、提出が期限ぎりぎりであった上、大雪のため郵便が遅延して受理されない結果となりました。そのため郷里の名古屋に戻り、一年間地元の大学の聴講生として過ごしました。教会は金城教会に通い、献身を願い同志社への推薦を牧師に願い出たところ、牧師が東神大(東京神学大学)出身で東神大への進学を主張され、やむなく東神大に入学しました。入学は小海牧師の卒業と入れ替わりと記憶しています。東神大在学中は国立教会に通い、現在の西東京教区(当時西支区)との関わりが出来ました。1989年に卒業し、四国・徳島県の小松島教会で8年間、そのあと東京都杉並区の井草教会で17年間仕えました。
 その間に教団の仕事にも関わり、西東京教区では書記、開拓伝道委員長を務めたりして立川からしだね伝道所の主任牧師(兼務)になり、現在に至っています。このような人生の嵐を経験した中から御言葉を語りたいと思います。

主が「湖の向こう岸に渡ろう」と言われる意味

 ガリラヤでの伝道活動を弟子たちと続けておられた日々のある日、主イエスは突然、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われて船出したと聖書にあります。のちにその日々は〝ガリラヤの春〟と呼ばれるように平穏な日々の中でした。
 これは突然波風を立てるようなご発言でありました。今日の私たちにしてみればガリラヤ湖の向こう岸に行くとは何でもないことのように思われますが、当時は単純なことではありませんでした。向こう岸とは彼らユダヤ人の知らない別の世界、異邦人の国でした。そのような地へ渡るにはそれ相応の決心と覚悟が必要で、弟子たちは相当戸惑い、恐ろしさを感じていたかもしれません。

神様はなぜ眠られ、沈黙しておられたのか

 主イエスと共に船出した弟子たちに驚くべきことが起こります。主が眠ってしまわれたのです。これまでと同じ場所に移動する船旅ではなく異邦人の地に向かっているのです、それなのに眠ってしまわれたのです。
神を信じる者が必死になって行動している時に、神が眠って何も答えて下さらない時があります。神の沈黙とでも言いましょうか。
 遠藤周作の小説『沈黙』が映画化されましたが、主人公の宣教師はそのような決断の極みに立たされます。信仰を捨てる(棄教)ことによってキリシタンの信者を救ってやろうという役人の言葉に彼は激しく迷います。
 そんな時私たちの多くは「神よ、なぜお答えにならないのか」と眠れない夜が続き、待てなくなって神に代わって自分で答を出してしまいます。究極の場で自分が取った行動に何らかの評価がほしいからです。
 主が眠られたのは弟子たちを信頼し安心されているからです。神は私たちを抜きにしては行動を起こされない、これは真実です。神は神と共に働く私たちを召しておられるのですから、いささか厳しい言いようでありますが、私たちはその信頼に答えるべきです。神からの答えを急いで引き出そうと焦らず、むしろ神の信頼に応えて難局を歩み抜こうと努力すべきではないでしょうか。
 結果は神様が責任をとって下さると信じて、ひたすら祈り、なすべき務めを実行して歩み続けましょう。神は結果ではなく〝プロセス〟に目を留めて下さるお方です。

嵐の中にあっても漕ぎ続ければ船は決して沈まない

 主イエスが船で眠られている間に嵐となり、船に水が入り沈みそうになります。弟子たちは「先生、先生、おぼれそうです」と言います。主を信頼して従ってきたのにどうしてこんな恐ろしい目に遭わねばならないのかと弟子たちは考えたに違いありません。
 私たちは洗礼を受けて信仰の世界に入ったからといって嵐のない波風の立たない静かな世界に入ったということではありません。この世で嵐がなくなることはありません。嵐の時にそれをどう引き受けることができるか、それが神を信じる者に常に問われることです。「こんなにも悪いことが続いたら信仰どころではない」と言って信仰の世界を去ってゆく人は後を絶ちません。教会を去ってゆく人には、たとえ神が眠っておられるように思えても、神に信頼されている自分を信じて歩み続けるよう申し上げたいのです。
 主イエスは眠りから起きて風と荒波をお叱りになると静まって凪になり、弟子たちは平安を取り戻しました。この主イエスの行動は神が沈黙を破って答えられたという信仰の物語ではありません。信仰なき実に情けない弟子たちの、そして私たちの神への信頼のなさの現れ以外の何物でもありません。イエスが弟子たちに問われたことは嵐の中であっても、なぜ船を漕ぎ続けなかったかということです。
 主イエスは「あなたの信仰はどこにあるのか」と言われます。これは神を信じ、神に信頼されている人間として持つべき信仰とはどういうものであるか、よくよく考えなさいという意味です。
 弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう」と互いに言います。この答えはのちに主が死の眠りから甦られた時に弟子たちは悟ることになります。主の十字架と復活の歩みに思いを馳せて、全てを担われる主を信頼して船を漕ぎ出してまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨
「迷走船の行方」

ヨナ書第1章1~16節
マタイによる福音書第12章38~41節
荻窪教会牧師 
小海  基

<メッセージ>

 5月の伝道月間のテーマは、「航海」です。
 人生を航海に例えたり、教会のシンボルが船になったりするのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたキリスト教にとってかなり後の時代となりますが(この砂漠の民はよほど海が恐ろしかったらしく、世界の終末を語るヨハネの黙示録第20章の終わりで早々と海は消えます。「パラダイス」というと南太平洋の島のようなイメージを抱きがちな私たちには意外なことですが…)、それでも旧約にも新約にもわずかながら「航海」の物語が残されています。
 その代表的なものとして伝道礼拝一回目で旧約聖書の預言書「ヨナ書」を読みましょう。
 預言者ヨナが神さまから「さあ、大いなる都ニネベに行って……呼びかけよ」と命令をうけたニネベは大きな都です。ここがアッシリア帝国の最後の首都となったのがセンナケリブ王の時代、紀元前700年前後で帝国の全盛の頃でした。
 預言者は神のことばをとりつぐ人です。宗教社会学者のマックス・ウエーバーは至福預言には人間は喜んでお金を払うが不吉なことを語っているとお金はとれないし、場合によっては石が飛んでくることもある。神さまから禍の預言を託されて語る預言者こそ本当のプロであると書いています。
 預言者ヨナは実在した人です(列王記下14章25節)。アミタイの子ヨナは神さまから世界超大国のアッシリア帝国の首都ニネベへ行って、ニネベは悪のゆえに滅びると禍の預言を語れと命じられます。
しかし権力の絶頂期のアッシリア帝国にこの言葉を伝えて何になろう、お金を貰うどころか逮捕され、殺されてしまうかもしれないと、ヨナは正反対に西へ地中海を船で渡って、スペインの南西タルシュシュ(現在のタルステ)へ逃げて行こうとしたのです。ヨナ書のテーマは、神のあわれみはヘブライ民族のみではなく、悔い改める全世界の異邦人にも及ぶということです。
 ヨナ書は寓話です。神さまの命令から人間は逃げられない。ヨナが主から逃れようと乗り込んだ船は迷走しはじめ、沈没しかねない時にヨナは船底で眠りこけています。船長はヨナを起こしてあなたの神に祈れと頼みます。ヨナも祈ったが何も変わらなかった。犯人探しのためにくじ引きをするとヨナに当たり、しぶしぶ告白します。私はヘブライ人で海と陸を創造された神をおそれる者です(よくも言えたものです!)が、主の命令に逆らって逃げています。私を捕らえて海にほうり込みなさい。彼らが主に祈りながらヨナの手足を捕らえて海にほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。プロの預言者ヨナより異邦人の船員たちの方がよほど信仰的です。
ヨナは三日三晩大きな魚に飲み込まれ、陸地に吐き出されます(このヨナの物語は後のピノキオ物語となる)。
 ニネベは悔い改め救われます。

 迷走船は私たちの世界そのものではないでしょうか。ヘイトスピーチが世界中ではびこり、自国優先主義が流行して、アメリカや日本が迷走に加担している世界は今自分を見失って迷走船のようになっています。私たち自身もヨナそのものかもしれません。
 本当に神の言葉を聞いて共に生きていくことはどういうことでしょうか。迷走船の行方は神さまが示して導いて下さっていることをしっかりと心に受け止めて歩んでいきましょう。