<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨
「御国が来ますように」

富坂キリスト教センター総主事
岡田   仁(ひとし)先生

出エジプト記    19:1~6
マタイによる福音書  6:10

<メッセージ>

主イエスとの出会い

 私は大阪で生まれ育ち、高校生の時にアシュラムという修養会への参加をきっかけに高2のクリスマスに洗礼を受けました。アシュラムは「退修」という意味で、「イエスは主なり」を合言葉に沈黙のうちに御言葉に聴くのです。今仕えている富坂キリスト教センターでは、霊性と社会倫理を柱に活動しています。まさに主イエスがそうであったように、喧噪から退いて聖書の御言葉に静かに聴いて祈ることは、この世で証を立てる上で大切なことです。神様が愛されたこの世に仕え、その課題を責任をもって担うことです。ハレスビーの「みことばの糧」という本を通して献身の志を与えられ、関西学院大学で神学を学びました。

水俣での実習体験

 神学部の実習の一つとして、初めて沖縄、筑豊、大牟田、水俣を訪ねました。その頃(1988年)水俣では、未認定患者の聞き取り調査が行われていました。二度目の訪問の際、田上義春さんという認定患者と出会いました。26歳の時に水俣病を発症して相当苦労された方です。「わしは水俣病になって良かった。裁判を通じて多くの人に出会い、チッソの本質、人間の欲望、業がはっきりわかった。人間は裏切るが自然は裏切らない。お金で換算できないものがこの世にある」。水俣病になったお蔭で視野が広がったという内容で、その言葉に私は全身を烈しく撃たれました。水俣病被害者は、日本の近代化、高度経済成長期の陰で、直接その恩恵を受けることなく、裏側で繁栄を支え、犠牲になった人たちと言えます。
 私は当時教団の教会が水俣に無かったので開拓伝道をするつもりで宣教の対象として水俣の人たちを見ていました。しかし、私が行く前にすでに神はそこに居られ、苦しんで亡くなる人と共に涙を流し、公害被害者と苦しみを共にされている神様と、水俣で出会わされ、もう一度牧師として立つように促されました。水俣での5年半の間、2トントラックを運転して、患者とその家族のミカン出荷の手伝いや、廃食油をリサイクルして石鹸を作る工場で働きました。田上さんたち患者と支援者でせっけん運動を始めました。
 また、胎児性患者との出会いも忘れることが出来ません。妊婦の場合、母親が食べた汚染魚の毒を、母親ではなく胎児が引き受け、重い障がいを負って生まれます。一人一人与えられた生命を生き、自立を目指す彼らに接するうちに、神の国は抽象的ではなく、もっと具体的で最も悲惨で闇と思われる荒れ野のような場所に、神の国の福音はダイナミックに前進し、人間の限界を突き破って既に動き始めていました。
 
根っこは「貪(むさぼ)りの罪」

 戦争は最大の公害、環境破壊と言われますが、その根っこにあるのは「貪りの罪」です。チッソ工場の製品は、プラスチックやビニールの原料、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料などいずれも私たちが日常生活で快適で便利だと言って使うものです。いわば日本の近代化を陰で支えてきたのが水俣を含む公害被害者です。十戒の第一の戒め「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」と、十番目の戒め「隣人の……を欲してはならない」(貪ってはならない)が最初と最後におかれているのは意味があります。神ならぬものを神とする一方で、我々の中にある「むさぼりの罪」「自己絶対化の罪」などの毒素が「チッソ」を生み、大規模な環境破壊と大量殺戮を引き起こしました。
最近亡くなられた石牟礼道子さんは「1908年(チッソ水俣工場創業)から日本人の道徳や美徳の崩壊が始まり、今や日本人自体が世界の毒素になってしまっている。日本人の倫理観が厳しく問われている」と言われました。水俣病は、60年以上経過した今もその事件の全容の殆どが分からず、複雑な問題が絡み合っています。石牟礼さんのメッセージを我々は今一度心に刻み付けるべきでしょう。
 過去に学び、今と将来に向けて人間としてどう生きるか。もはや加害者か被害者か二項対立ではなく、一人ひとりが突きつけられている問題であって、水俣病事件には第三者的な立場はないと思います。水俣病が問うているのはこのことです。  
 
井上良雄先生から学んだこと

 主イエスが弟子たちに主の祈りを教えました。「御名が崇められますように」のあと「御国が来ますように」との祈りが続きます。井上良雄先生から学んだことは、キリスト者とは「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ生きる存在であり、この終末論的信仰に生きるからこそ、この世の問題に仕える(ロマ12―13章、Ⅰコリント7章)のであって、そこで求められるのは「人間の参与」(応答)であるということです。「神の国の到来と人間の参与は密接に結び合っている」がゆえに「『御国を来たらせたまえ』と祈る者は地上の現実から一歩も退かず、人間の悲惨の総体を背負うようにして神の前に立ち、神に助けを祈り続け、終わりの日を待ち望みつつ生きるゆえに、私たちは現在の課題を回避しない」と井上先生は言われます。神の国の成就のために、苦しんでいる全人類のため、全被造物が新しくされるために聖霊が注がれるよう神に求めることが重要です。神の国の到来を待ち望むゆえに、いま小さくされている存在とその命に焦点を合わせるのです。 
 出エジプト記19章には、世界中に神の国の福音を証しする責任が民に委ねられているとあります。そして次章で「貪るな」との戒めが続くのです。選びとは有責性を意味します。神が創られ愛されるこの世と、他者に仕えるために私たちは神から選ばれているのです。「あなたの御国が来ますように」神の国はすでに近づいて動いているのです。同時に今この時を精一杯生き、共に生きよということです。
伝道とは、苦しんでいる人に寄り添い、苦しむその声に耳を傾けて共にいること。私という土の器を通して、神様が必要な時に必要な言葉を語りかけて下さる。私たちはこれからも、神の国の証人・主の証人として「御国が来ますように」と祈りつつ、神が創られた世界、被造物が悲鳴を上げている現実に対して常に目を覚ますのです。神の国の徴(しるし)とその生き生きとした動きを見極め、神の愛の働きに喜んで参与するものでありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨
「向こう岸へわたろう」
八王子ベテル伝道所牧師
千原  創(はじめ)
申命記  7:6-8
マルコによる福音書4:35-5:20

<メッセージ>

湖の「向こう岸」とは知らない新しい世界

イエス様は、基本的に湖のこちら側で宣教活動をしておられました。そこでは、いつもおびただしい群衆が集まり、語られる福音に誰しもが耳を傾けていた状況がありました。であるならば、もっとそうした群衆のために語り続けてもよかったでしょうし、湖のこちら側の別の場所で、また別の群衆を集めて神様の愛を語り続けてもよかったのです。
しかし、イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、あちら側へと向かわれたのでした。向こう岸は「ゲラサ人の地方」であり、ユダヤ人の地方ではありません。つまりあちら側は、こちら側のユダヤの人々からすると、生活習慣、文化や価値観も違う人たちが住む、知らない新しい世界なのです。
しかも向こう岸に渡るためには激しい突風の中、船に乗って航海に乗り出さないといけないのです。このあたりの個所は、春の伝道礼拝で語られた部分ですので端折らせていただきます。
さらに、向こう岸に行くには船のチャーターも必要でしょうし、見知らぬ地でどうなるかわからない状況のため、ある程度のお金も必要でしょう。また弟子たちも一緒ですから、なおさら経費が必要なはずです。しかし地元にはイエス様に従う多くの群衆がいましたから費用の調達はカンパや献金などで、すぐにまかなえたのかもしれません。
そうした中で実際に向こう岸に着いてみるとどうでしょうか。穢れた霊に取りつかれた一人をイエス様が救われるという出来事が起こったのです。つまり、まだ宣教されていない、新しい地に自ら赴き、そこで出会う人々にも新規に宣教活動をされておられたということになります。
 
私の伝道所体験を含め、様々な形がある福音宣教の業

 少し私自身のお話をさせていただきます。私は、両親がクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。高校まで山口県で生活をしていました。毎週日曜日には欠かさず教会にも通っていましたが、そこはいわゆる地方の小規模教会です。幼少期に出席していた教会は、記憶もわずかですが、礼拝出席が20名もいかないような教会でした。後に通った別の伝道所は借家で開拓伝道をしているところでした。そうした小規模教会・伝道所には、子どもの礼拝などもありませんから、基本的に大人の礼拝に出る形の教会生活です。そうした教会生活の中で大人になりましたから、私にとっての教会は、そうした地方の小規模教会であって、荻窪教会のような規模の教会は私にとっては落ち着かない場所です。
よく、開拓伝道で大変ですねとか、よく北海道の興部(おこっぺ)に赴任されましたね、とか言われるのですが、私にとっては、そうした教会が当たり前の教会なのです。
 福音宣教の働きというのは、都会の人口の多い場所で、ある程度の規模の教会として活動していくこともあれば、人口が少ない地域にあっても、またキリスト教を受け入れることの難しい土地柄にあって地道に細々と行われていたりと、様々な形で、その場その場で行われていくのです。
 
「向こう岸」での伝道活動の実際は一人が救われただけ

今日の聖書ではどうでしょうか。イエス様は、あえて向こう岸へ渡ろうとおっしゃいました。船をチャーターし、向こう岸での宣教活動がどのくらいの期間になるのかも誰も分からない中で、ある程度の費用をもって出かけたと思われます。しかし実際は、一人の人が救われただけです。湖のこちら側、つまり地元での宣教活動のようにおびただしい群衆がイエス様を求め、神様の話を聞きに来たわけではありません。むしろ町の人々は、イエス様に詰め寄り、5章17節にあるように、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。」というのです。イエス様に対し、ここから出ていってほしいと、地元住民は要求したのです。イエス様は、そうした地元住民の要求になすすべもなく、向こう岸での宣教活動を中止し、撤退を余儀なくされるのです。
 皆さんは、このイエス様の向こう岸への伝道活動をどう総括されるでしょうか。結局、たった一人を救っただけで、すぐに舞い戻ってきたイエス様。向こう岸でも、おびただしい群衆の中で神さまを讃美する人々が起こされるような宣教活動を期待して、支援してきた人たちは、どのような思いだったのでしょう。
 このように目に見える事柄だけに意識がいくと、人間の心には様々な不信な思いが起こるのです。しかし、聖書の神様は、目に見えない私たちの思いに寄り添い、その命を支え守ろうとされるのです。5章19節で救われた人に対して、イエス様が語りかけます。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」主があなたを憐れまれたと、イエス様はおっしゃいました。
イエス様は、この一人の男を憐れまれるために、わざわざ時間と、費用と労力をかけて、しかも嵐の湖で航海するという命を懸けて向こう岸へと渡られたのです。費用対効果の面から考えると無駄の多い業ですし、たった一人を救っただけで、住民の反対運動に遭い、撤退せざるを得なくなるのです。しかし、それでもその一人の男を神様は憐れまれるために必死になって向こう岸へと渡られるのです。そして、これこそが聖書の神様が示す愛の業なのです。
 本日お読みいただいた旧約聖書、申命記7章には、「あなたたちを選ばれたのは……他のどの民よりも数が多かったからではない。……他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、……救い出されたのである」と記されています。
主イエスは、誰よりも貧弱だった向こう岸にいるこの一人の男に心惹かれ、主の愛のゆえに救い出されました。そして、人々が見捨て、墓場に捨て置き、相手にしないこの男を、主イエスは主の聖なる民である、宝の民だと語られるのです。
 神様は、いつも私たち一人一人に目を留めておられます。そして私たちがくじけそうになる時、立ち止まり、うずくまる時、命を懸けて私たちのもとに来られ、励まし力づけ、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたを憐れむとおっしゃられるのです。そして、私たちの事を、主の聖なる民である。宝の民だと宣言してくださるのです。神様は、そのように私たちの命を守り、この命が祝福され、尊ばれ、生かされることを望んでおられるのです。
 この現実の社会の中で生きていくときに、私たちはたくさんの、重荷や弱さを担います。し
かし主イエスは、そうしたレギオンから、私たちを解放し、神様の恵みの中で生かすために導
かれます。そうした神が私たちの味方となって、いつもそばにおられることを信じ、主イエス
を見つめ、神様の愛の中で生きる者でありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨
「主によって旅立ち、主によってとどまる」
民数記    9:15~23
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:1~13

荻窪教会牧師
小海  基

<メッセージ>

星野香(かおる)神学生が昨年度1年間牧会実習をされたひばりが丘教会は、ご自身も卒業された日本聖書神学校でキリスト教教育を教えておられた山田稔(みのる)牧師が40年以上、プレハブの礼拝堂で開拓伝道を続けていた教会です。教会員も増えて伝道所から第二種教会、第一種教会へと成長しても、昔ながらのプレハブ礼拝堂で礼拝を守り続けていました。
そして私たちの会堂建築より少し前に、荻窪教会と同じ設計者の田淵諭(さとし)先生による礼拝堂が完成したのです。私は献堂式に出席したのですが、山田牧師は説教でまさに今日の民数記を引いて次のように語られました。

「うちのプレハブの礼拝堂は西支区一のボロボロ礼拝堂だった。教会員、近隣牧師からも早く建て直しを、と言われ続けてきた。しかし教会は建物じゃない。この世の荒れ野を旅する群れなのだと自分は語り続けてきた。
建築費用の事情もあるが、神の群れは民数記の民のように、神様の示される昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて旅を続けなければならない。自分たちの目から見て、『今日は旅立ちにふさわしい日だ』と思えても、雲がとどまり続けている限りは、絶対に動いてはならない。そして神様が動け、と命ぜられたので、私たちはこの会堂建築に踏み切って今日を迎えたのだ」。

この10月の伝道月間のテーマは「選択」です。「旅立つ」か「とどまる」か。「渡る」のか「帰る」のか。その「選択」の根拠を何に置くのか。
今日配布された教会報「つのぶえ」234号に、5月の伝道礼拝にお呼びした道家紀一(どうけ・のりかず)牧師が開拓伝道されている立川からしだね伝道所と、来週お呼びする千原創(ちはら・はじめ)牧師が開拓伝道されている八王子ベテル伝道所の写真と記事が掲載されています。
どちらも教区総会で開拓伝道が決議され、一つは教区を挙げての開拓伝道、もう一つは親教会群伝道としての開拓伝道が続けられています。
今日の聖書の個所は初めての過越祭を荒野で祝った直後に神様が語られた言葉です。本来なら1年1カ月ほどで出エジプトの旅は終わって、約束の地での新しい生活が始まるはずだったのです。ところが偵察隊の報告(14章)の結果、出エジプトの荒れ野の旅路は、何と40年間もお預けになってしまうわけです。
神様の雲の柱、火の柱に頼らず、人間の判断で最短距離を行けば1カ月ちょっとの旅路で済むかも知れないのに、それを40年かけることの意味は何なのかということです。
二伝道所とも、必ずしも順調な歩みではありません。
立川では最初、南口のレンタルスペースで始まり、次に北口の1階に楽器屋があるビルの2階で礼拝を守りつつ、新たな礼拝場所を求め続け、このほど立川で伝道しているどの教派よりも駅から最も近くで、しかも文教地区に土地と建物を購入できたのです。
八王子は、八王子教会・金井直治牧師の私設礼拝堂でスタートし、早い一人立ちが可能と思われていましたが、金井牧師が急逝され、相続問題が起こり、現在地に移らざるを得なくなりました。しかし移転以降、受洗者が一人また一人と与えられています。
神の幕屋と共に歩んだイスラエルの民、二つの開拓伝道所の歩みを通して知らされることは、「停滞」や「回り道」の中に、むしろ神の恵みがあるということです。神によって旅立ち、とどまることで、与えられた人生の旅を歩んでまいりたいと思います。

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨
「たとえ船は沈んでも」               

エレミヤ書第29章11節
使徒言行録第27章21節~26節、39節~44節

荻窪教会副牧師
龍口奈里子

<メッセージ)

 パウロは三回の伝道旅行の中で、三回「難船」したことがあるとコリントの信徒への手紙Ⅱで述べています。今日の箇所はこの三回の伝道旅行の後の出来事です。パウロは囚人として船でローマに護送される途上、暴風雨に巻き込まれました。船は座礁するのか沈むのか、誰一人助かる希望などない、死を覚悟した状態になりました。そのような状況の中、パウロはこう言ったのです。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失うものはないのです」。
 パウロにはこの時確かな根拠がありました。神の使いから次のように告げられていたのです。「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべてのものを、あなたに任せてくださったのだ」と。パウロは自分の判断ではなく、主なる神が告げられた言葉への信頼を根拠にして、絶望の淵にいる囚人たちに励ましの言葉、希望の言葉を語りました。囚人だけでなく、護送する責任者であった百人隊長のユリウスもまた、このパウロの言葉に励まされました。船が陸地に難破した時、逃亡するのを防ぐために兵士たちが囚人を撃ち殺そうとしたとき、ユリウスはそれを止め、囚人は誰一人命を失うことはありませんでした。
 パウロが皆の前に立ち、「元気を出しなさい」「みんな助かります」と言えたのは、「どん底の只中にあっても」自分には神様の立てた計画があり、なすべき使命があって、それが果たされるよう主が導いてくださるという確信があった、ただそれだけなのです。たとえ自分の思い描くような希望や計画が絶たれたとしても、神が与えてくださる希望の計画は着々と前に進むのだという、その確信のみがパウロの励ましの言葉となったのです。
 東日本大震災で大きな被害を受けた新生釜石教会の牧師柳谷先生が「福音と世界」の今年の三月号に次のように書いておられます。「震災以降、『復興は進んでますか?』『教会が元通りになってよかったですね』といった言葉をかけられてきました。これを聞くたび、…『元通りってどういうこと?』『復っていうけどどこに戻るの?』と疑問に思っていました。神は…あれだけの悲しみ、あれほどの悲惨を見せつけて、それに負けず私たちが震災前の世界に戻ることを願っているのでしょうか?…しっくり来るのは次の預言です。『わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。未来と希望を与えるものである』(エレミヤ書29・11)。あのような大きな出来事を通して、神は平和の計画を実現しようとしています。…神が元通りを願っているとは私には思えません。逆に『あれがあったからこそ今がある』と思えるように成長することに着地点があるように感じます。」
 私たちは弱さゆえに愚かさゆえに、「元通りになりたい」「あのときがよかったのに」とつぶやきます。しかし神の計画は着々と前に漕ぎ出され、嵐の中をも進んでいくのです。私たちは経験した嵐や苦難や労苦を通して、神は平和の計画を「あのとき」から実現されようとしていたことを確信できるのです。嵐が吹き荒れ、沈みかけた小舟にいる私たちを主は、救いだし、使命を与えてくださり、共に船をこぎ続けてくださるのです。主への信頼を失わず一歩一歩進めていくことが何よりも大切であると、パウロの信仰を通して教えられるのです。主が約束される「平和と希望」を語りあい、この船をこぎ続けてまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨
「この船は沈まない」
出エジプト記第17章8節〜16節
ルカによる福音書第8章22節〜25節

立川からしだね伝道所牧師
道家 紀一(どうけ・のりかず)先生

<メッセージ>

 立川からしだね伝道所のためにいつもお祈り頂き、ありがとうございます。本日はとても良い時にお招き頂いたと感謝しております。というのは当初この伝道礼拝へのお話を受けた時はまだ決まっておりませんでしたが、先日ようやく土地・建物を取得することが出来、そのご報告を携えて本日の説教奉仕に伺えることになったためです。

私のこれまでの歩み

 ごく簡単に私のこれまでの歩みをお話します。私は1960年名古屋で生まれ、高校まで名古屋におりました。家庭には聖書、讃美歌と羽仁もと子著作集がある環境で育ち、母の影響でキリスト教に出会いました。大学は茨城県の茨城大学に進み、臨床心理学を学びました。大学在学中、水戸教会で洗礼を受けました。
 卒業後、就職せず献身を志し、牧師が同志社出身であったことから同志社大学に願書を送りましたが、提出が期限ぎりぎりであった上、大雪のため郵便が遅延して受理されない結果となりました。そのため郷里の名古屋に戻り、一年間地元の大学の聴講生として過ごしました。教会は金城教会に通い、献身を願い同志社への推薦を牧師に願い出たところ、牧師が東神大(東京神学大学)出身で東神大への進学を主張され、やむなく東神大に入学しました。入学は小海牧師の卒業と入れ替わりと記憶しています。東神大在学中は国立教会に通い、現在の西東京教区(当時西支区)との関わりが出来ました。1989年に卒業し、四国・徳島県の小松島教会で8年間、そのあと東京都杉並区の井草教会で17年間仕えました。
 その間に教団の仕事にも関わり、西東京教区では書記、開拓伝道委員長を務めたりして立川からしだね伝道所の主任牧師(兼務)になり、現在に至っています。このような人生の嵐を経験した中から御言葉を語りたいと思います。

主が「湖の向こう岸に渡ろう」と言われる意味

 ガリラヤでの伝道活動を弟子たちと続けておられた日々のある日、主イエスは突然、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われて船出したと聖書にあります。のちにその日々は〝ガリラヤの春〟と呼ばれるように平穏な日々の中でした。
 これは突然波風を立てるようなご発言でありました。今日の私たちにしてみればガリラヤ湖の向こう岸に行くとは何でもないことのように思われますが、当時は単純なことではありませんでした。向こう岸とは彼らユダヤ人の知らない別の世界、異邦人の国でした。そのような地へ渡るにはそれ相応の決心と覚悟が必要で、弟子たちは相当戸惑い、恐ろしさを感じていたかもしれません。

神様はなぜ眠られ、沈黙しておられたのか

 主イエスと共に船出した弟子たちに驚くべきことが起こります。主が眠ってしまわれたのです。これまでと同じ場所に移動する船旅ではなく異邦人の地に向かっているのです、それなのに眠ってしまわれたのです。
神を信じる者が必死になって行動している時に、神が眠って何も答えて下さらない時があります。神の沈黙とでも言いましょうか。
 遠藤周作の小説『沈黙』が映画化されましたが、主人公の宣教師はそのような決断の極みに立たされます。信仰を捨てる(棄教)ことによってキリシタンの信者を救ってやろうという役人の言葉に彼は激しく迷います。
 そんな時私たちの多くは「神よ、なぜお答えにならないのか」と眠れない夜が続き、待てなくなって神に代わって自分で答を出してしまいます。究極の場で自分が取った行動に何らかの評価がほしいからです。
 主が眠られたのは弟子たちを信頼し安心されているからです。神は私たちを抜きにしては行動を起こされない、これは真実です。神は神と共に働く私たちを召しておられるのですから、いささか厳しい言いようでありますが、私たちはその信頼に答えるべきです。神からの答えを急いで引き出そうと焦らず、むしろ神の信頼に応えて難局を歩み抜こうと努力すべきではないでしょうか。
 結果は神様が責任をとって下さると信じて、ひたすら祈り、なすべき務めを実行して歩み続けましょう。神は結果ではなく〝プロセス〟に目を留めて下さるお方です。

嵐の中にあっても漕ぎ続ければ船は決して沈まない

 主イエスが船で眠られている間に嵐となり、船に水が入り沈みそうになります。弟子たちは「先生、先生、おぼれそうです」と言います。主を信頼して従ってきたのにどうしてこんな恐ろしい目に遭わねばならないのかと弟子たちは考えたに違いありません。
 私たちは洗礼を受けて信仰の世界に入ったからといって嵐のない波風の立たない静かな世界に入ったということではありません。この世で嵐がなくなることはありません。嵐の時にそれをどう引き受けることができるか、それが神を信じる者に常に問われることです。「こんなにも悪いことが続いたら信仰どころではない」と言って信仰の世界を去ってゆく人は後を絶ちません。教会を去ってゆく人には、たとえ神が眠っておられるように思えても、神に信頼されている自分を信じて歩み続けるよう申し上げたいのです。
 主イエスは眠りから起きて風と荒波をお叱りになると静まって凪になり、弟子たちは平安を取り戻しました。この主イエスの行動は神が沈黙を破って答えられたという信仰の物語ではありません。信仰なき実に情けない弟子たちの、そして私たちの神への信頼のなさの現れ以外の何物でもありません。イエスが弟子たちに問われたことは嵐の中であっても、なぜ船を漕ぎ続けなかったかということです。
 主イエスは「あなたの信仰はどこにあるのか」と言われます。これは神を信じ、神に信頼されている人間として持つべき信仰とはどういうものであるか、よくよく考えなさいという意味です。
 弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう」と互いに言います。この答えはのちに主が死の眠りから甦られた時に弟子たちは悟ることになります。主の十字架と復活の歩みに思いを馳せて、全てを担われる主を信頼して船を漕ぎ出してまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨
「迷走船の行方」

ヨナ書第1章1~16節
マタイによる福音書第12章38~41節
荻窪教会牧師 
小海  基

<メッセージ>

 5月の伝道月間のテーマは、「航海」です。
 人生を航海に例えたり、教会のシンボルが船になったりするのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたキリスト教にとってかなり後の時代となりますが(この砂漠の民はよほど海が恐ろしかったらしく、世界の終末を語るヨハネの黙示録第20章の終わりで早々と海は消えます。「パラダイス」というと南太平洋の島のようなイメージを抱きがちな私たちには意外なことですが…)、それでも旧約にも新約にもわずかながら「航海」の物語が残されています。
 その代表的なものとして伝道礼拝一回目で旧約聖書の預言書「ヨナ書」を読みましょう。
 預言者ヨナが神さまから「さあ、大いなる都ニネベに行って……呼びかけよ」と命令をうけたニネベは大きな都です。ここがアッシリア帝国の最後の首都となったのがセンナケリブ王の時代、紀元前700年前後で帝国の全盛の頃でした。
 預言者は神のことばをとりつぐ人です。宗教社会学者のマックス・ウエーバーは至福預言には人間は喜んでお金を払うが不吉なことを語っているとお金はとれないし、場合によっては石が飛んでくることもある。神さまから禍の預言を託されて語る預言者こそ本当のプロであると書いています。
 預言者ヨナは実在した人です(列王記下14章25節)。アミタイの子ヨナは神さまから世界超大国のアッシリア帝国の首都ニネベへ行って、ニネベは悪のゆえに滅びると禍の預言を語れと命じられます。
しかし権力の絶頂期のアッシリア帝国にこの言葉を伝えて何になろう、お金を貰うどころか逮捕され、殺されてしまうかもしれないと、ヨナは正反対に西へ地中海を船で渡って、スペインの南西タルシュシュ(現在のタルステ)へ逃げて行こうとしたのです。ヨナ書のテーマは、神のあわれみはヘブライ民族のみではなく、悔い改める全世界の異邦人にも及ぶということです。
 ヨナ書は寓話です。神さまの命令から人間は逃げられない。ヨナが主から逃れようと乗り込んだ船は迷走しはじめ、沈没しかねない時にヨナは船底で眠りこけています。船長はヨナを起こしてあなたの神に祈れと頼みます。ヨナも祈ったが何も変わらなかった。犯人探しのためにくじ引きをするとヨナに当たり、しぶしぶ告白します。私はヘブライ人で海と陸を創造された神をおそれる者です(よくも言えたものです!)が、主の命令に逆らって逃げています。私を捕らえて海にほうり込みなさい。彼らが主に祈りながらヨナの手足を捕らえて海にほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。プロの預言者ヨナより異邦人の船員たちの方がよほど信仰的です。
ヨナは三日三晩大きな魚に飲み込まれ、陸地に吐き出されます(このヨナの物語は後のピノキオ物語となる)。
 ニネベは悔い改め救われます。

 迷走船は私たちの世界そのものではないでしょうか。ヘイトスピーチが世界中ではびこり、自国優先主義が流行して、アメリカや日本が迷走に加担している世界は今自分を見失って迷走船のようになっています。私たち自身もヨナそのものかもしれません。
 本当に神の言葉を聞いて共に生きていくことはどういうことでしょうか。迷走船の行方は神さまが示して導いて下さっていることをしっかりと心に受け止めて歩んでいきましょう。

<2016年度信徒講座Ⅱ>(2017年2月26日)メッセージ要旨

2016年度信徒講座Ⅱ(2017年2月26日)
「旧約に聴く」

小海 基

<メッセージ>
〇このたび静岡市で牧会されている神愛教会ジャクソン・ノブ・F先生から、先生が作成された「旧・新約聖書のポイント」と題する一覧表の印刷物をご好意で荻窪教会に寄贈された。本日ご出席の方に贈呈する。これは「あとがき」にあるように、町の広域市街図のように聖書を一目でみることが出来たらとの願いから作成された。聖書を読む時の参考資料として、ぜひとも活用して頂きたい。
〇小海家では私の子ども時代から、毎日朝食前に聖書1章を読み続けている。特に長い詩篇119編の時などは朝食時間が随分遅くなることもあるが、継続している。旧新約聖書を1日1章読み進めると、全部を読み終わるには約3年半かかる。
〇聖書の読み方は人それぞれである。光山良子姉は韓国、中国に住んでおられたが、聖書を大学ノートに書き写すことを通して自国語以外の言葉を覚えられた。松村英津子姉は目を悪くされた時、聖書を朗読して、いつでも聴くことができるように録音された。
〇聖書の読み方という点で印象深く記憶しているのは、ドイツの神学者として著名なブッパータール大学のヘルベルト・クラッパート先生が2010年に来日の際、若手牧師を前に話されたショッキングな内容の講演である。日本人は旧約を知らなすぎる、もっと旧約を読めと言われた。その時、日本側の牧師(同志社出身でいま北海道で牧会)が可能な範囲で入手した国内の教会の教会史に記載されている説教題と聖書個所を調査して統計を取った報告がなされたが、戦後、1年のうち旧約を取り上げたのは僅か5%程度との結果であった。
〇私はイーデン神学校での留学を終えて荻窪教会に戻って以来、旧約の講解説教を始めたので例外的に旧約聖書に基づく説教が多い。
〇クラッパート先生はその講演で日本において旧約が読まれていないとは、とんでもないことと言われた。実はドイツでそのような事態に陥ったのがナチス時代。当時「ルタールネッサンス」とか「ドイツキリスト者」という言葉が叫ばれ、教会はカルト化していった。あの時代、ドイツで起こったことは旧約やヘブライ語を教えていたユダヤ人の血が交る教授たちを大学から追い出し、絶滅収容所に送ったり、アメリカに亡命させるなどであった。戦中から戦後にかけてアメリカで旧約の研究が進んだのはこのような背景による。私が教えを受けた浅見定雄先生や左近淑先生もアメリカで旧約を学ばれた。
〇ヒトラーの時代、旧約は必要ない、新約だけでよいと言われた。紀元1世紀頃そのようなことを言ったのがマルキオンであり、当時それなりに影響力があった。
〇旧約を読まなくなるとヒトラーがメシアであるかのような事態に陥る。ボンヘッファーは処刑され、バルトはスイスに国外追放となる。両者ともこういう時代だからこそ旧約抜きの新約ではおかしなことになると強く主張している。
〇聖公会出版で発行された『《メサイヤ》は何を歌うのかーzその魅力と醍醐味』(家田足穂著)という本を読んだ。家田氏はこの本で、聖書を引用した歌詞は3分の2が旧約と指摘している。ヘンデルはアウグスチヌスの影響を強く受けており、旧約の中に新約が隠されているとの理解に基づいて、メサイヤを含む多くのオラトリオの作曲につながった。
〇2017年は時あたかも宗教改革500年の年。ルターによって聖書が自国語で読めるようになり、そのことは教会に限らず、文学(シェイクスピアなど)、音楽(バッハ、ヘンデルなど)、美術というように非常に幅広く文化面にも影響が及ぶ結果となった。
〇今のような時代だからこそ主イエス・キリストは旧約の預言の成就の上にあることを改めて覚える者でありたい。
〇今年度の標語はイザヤ書最後の66章の13節にある御言葉「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める」であった。旧約があるからこその思いを一層強めていきたい。(終)

<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教
イザヤの励ましとヒゼキヤの祈り

列王記下19:1〜19
ペトロの手紙Ⅱ3:8〜13

小海  基

<メッセージ>
 北イスラエル19人、南ユダ王国のダビデ王朝24人、計43人の王の中で、本当によく祈った王はダビデ王とヒゼキヤ王です。ダビデ王の祈りは現在、詩編という形で残されており、いくつかは賛美歌として歌われています。美しい文学的な祈りです。
 一方ヒゼキヤ王の祈りはダビデより立派なものではなく荒っぽく本当に苦難の中でボロボロになっての祈りで決して整えられた理想的な祈りではありません。それだからこそ、現代の私たちの胸を打つ祈りです。却ってこのヒゼキヤ王は本当に預言者イザヤを通して神様を頼みとしていたのだなあ、超大国に揺さぶられる一人の無力な人間として、ただただ神様に委ねて祈ってきた人間なのだなあということがうかがえます。

 今日の礼拝は荻窪教会の創立記念日礼拝として捧げていますが、講解説教でこのヒゼキヤ王の祈りを、この日に読むことは大変意義深いことと思います。八十年を越えるこの教会の歴史の中で試練の時が何度もありました。
 先日、京都の洛陽教会を訪ねました。同教会は1890年(明治23年)の創立で、『一一〇年史』『一二五年史』の二冊の教会史を頂戴しましたが、歴史を担った人々が祈りを合わせてきたことがよく分かります。
 荻窪教会では、会堂建築の会計のことで大きな試練の時があり、マイナスからの再建に取り組んでいたその当時、全教会員が平日の同じ時間に祈りを合わせていたことが記録されています。私たち人間は無力だけれど、無力だからこそ神様に委ねて祈る、それが最も尊い祈りの本質です。

 ヒゼキヤはアッシリア軍のラブ・シャケの言葉を聞かされて衣を裂いてあられもない嘆きの言葉を預言者イザヤに伝えます。実は列王記に預言者イザヤの名前が登場するのはこの19章が初めてです。イザヤが預言者に召しだされて立ったのはウジヤ王の亡くなった時でした。それから南ユダ王国の王様で言えばヨタム、アハブといった2代が続きますが、イザヤに頼ろうとはしませんでした。
 しかしここに来てヒゼキヤ王はあられもないほど取り乱してイザヤに執り成しを求めるのです(19章3〜4節)。イザヤは励まします(同章6〜7節)。実際この通りに歴史は進みますが、この時点では誰もそんなことが起こるとは夢にも思っていないわけです。ラブ・シャケはアッシリアのセンナケリブ王と落ち合い、アッシリアのセンナケリブ王はクシュつまりエチオピアがエジプトと手を組んでアッシリアに歯向かおうとしていることに促され、早く南ユダを落として全面戦争をするのだとラブ・シャケを急かします。ラブ・シャケはここで再び激しく挑発します(10〜13節)。
 ヒゼキヤ王は自ら祈らざるを得なくなり、エルサレム神殿に出向き、手紙を主の前に広げ、ケルビムの前で祈ります。その祈りが15節から19節に記されています。
 「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」(19節)。主はイザヤを通して祈られたその祈りに応えて下さったのです。
ペトロの手紙Ⅱでは、一人も滅びないで皆が悔い改めるように神様が忍耐しておられることが記されています。主がつくっておられる歴史に私たちも立ち会っていることを改めて思います。(終)

<2016年秋の伝道礼拝>第3回(11月27日) 説教要旨

「他人は救ったのに自分を救えない神」

イザヤ書第53章3〜5節
マルコによる福音書第15章25〜32節

荻窪教会牧師  小海  基

<メッセージ>

秋の伝道月間のテーマは「逆説の神」です。聖書が予定調和、順説表現をあえてとらない時は、ひとひねりの表現でしか語り切れない特別な意味があると思うのです。
本日の説教題は十字架につけられた主イエスに投げつけられた侮辱の言葉です。先ほど
読んだマルコによる福音書が一番古い記録ですが、このことはマタイ(27章)、ルカ(23章)にも記録されています。いずれも注目されるのは、イエスがその侮辱の言葉を訂正されていないことです
ルカでは一緒に十字架にかけられた犯罪人の一人が「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と繰り返します。もう一人の犯罪人はたしなめて「我々は自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかしこの方は何も悪いことをしていない」と告白します。「自分を救わない」でなく「救えないメシア」と侮るのです。

今日はアドベント第一礼拝でもあります。教会暦の色として紫色を用います。紫は悲しみの色であり、最近は赤色でなく、紫色のロウソクを用いるキリスト教国もあります。楽しいクリスマスというよりも、断食をするような思いでこの四週間を過ごすというクリスマスの迎え方が復興しつつあります。
それは「飼い葉桶と十字架」という言い方で表現されることですが、この救い主は神の座におられるのに、私たちを救うために地上に降りてこられ、生まれた最初の晩も、王宮のベッドではなく飼い葉桶に寝かされ、枕する所もない日々を送り、十字架という形(単に死んだのではなく政治犯として殺された)を通して罪深い私たちを救われた方だということをこのアドベントの四週間、深く心に刻みながら救い主の誕生日を待つべきだということなのです。
今日はマルコに加えてイザヤ書53章、苦難の僕(しもべ)の個所を一緒に読みました。まるで受難節に読むような個所です。私が神学生の時に二年間過ごした吉祥寺教会で竹森満佐一牧師はアドベントに入ると、このイザヤ書53章を説教で採り上げることをならいとされていました。先生は「ここは大変暗い話だが、神の前に苦難を使命として遣わされた僕としての救い主の姿が画かれている」と語られ、クリスマスを浮かれて迎えてはいけないと強く言われていました。
最も絶望の中にいる人こそが、主の十字架の出来事を最も身近に感じることが出来ます。そうした一人が、ヒトラーの暗殺計画に関わったことで捕えられ処刑されたボンヘッファーです。獄中で暗殺計画が失敗であったことを知らされたあとに彼が獄中で書いた文章は、ドイツばかりか世界中のキリスト者に衝撃を与えました。
彼は、マルコ15・34(エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ)、イザヤ書53章を踏まえて、「神の苦しみにあずかることが、キリスト者を作る。これが、悔改め(メタノイア)なのだ。それは自分自身の窮乏や問題、罪や不安を先ず考えることではなく、イエス・キリストの道に、イザヤ書53章が今成就されるというメシアの出来事に、自分がまきこまれることだ!」と書いています。
「自分は救えない」という形で、救い・希望・赦しを私たちに与える神の姿を聖書は伝えています。予定調和、順説の表現では言い表し得ない出来事、主イエスキリストの救いのメッセージを私たちが広く宣べ伝えていきたいと願います。