2019年イースター・メッセージ

2019年イースター・メッセージ

新しい春が世界にめぐってくる

「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終をしらせた」
ルカによる福音書 24章9節

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 3月1日に、私はソウルにて「3・1独立運動から100周年」の記念すべき礼拝に出席できました。韓国のプロテスタント側の主要教派で構成されるエキュメニカルな礼拝はソウルにある貞洞(ジョンドン)第一教会で開催されました。
 100年前に、日本からの独立を求めて朝鮮全土で200万人の人々が立ち上がったのが3・1独立運動ですが、礼拝の中では、現代を取り巻く様々なテーマに基づいて、とりなしの祈りがささげられ、とくに「朝鮮半島の一致」を願う祈りは、情熱的な祈りの中にも、希望に満ちた祈りでした。
 100年前に読まれた独立宣言の中にこのような一文があります。

「ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人々を押さえつける時代はもう終わりである。……新しい春が世界にめぐってきたのであり、酷く寒い中で、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。……」(外村大氏訳)。
 
 ここには、自分たちの権利を奪った日本への非難、あるいは植民地主義からの脱却と解放の宣言というよりも、100年たってもなお新しさをもつ宣言であり、今を生きる私たちすべての人間が求める平和への希望が表されていると思います。
 「3・1独立宣言」は、初めは東京にいる韓国人留学生から端を発し、やがてソウルへとつなげられていき、そして最後には朝鮮半島全土に波及していきましたが、その中の平壌の崇徳(スンドク)女子学校では、楽隊の音に合わせて讃美歌を歌いながらデモを始め、この希望の宣言を伝えていったそうです。
 
 ルカによる福音書の伝える復活証言もまた、女性たちの証言から始まりました。「輝く衣を着た二人の人」(4節)から「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(6節)と言われた時、すぐに「イエスの言葉を思い出し」(8節)、「墓から帰って」(9節)、他の男性の弟子たちに伝えた女性たち。おそらく、賛美の歌を歌いながら走っていったことでしょう。
 さらにこの証言はペトロへとつなげられ、彼もまた「立ち上がって墓へ」(12節)賛美の声を歌いながら、走ってゆくのでした。
 1000年後の今を生きる私たちも、この復活のメッセージを賛美しながら伝えていき、朝鮮半島と東アジアの和解と平和を祈り求めていきたいと思います。

<荻窪教会創立記念日礼拝> 2019年2月3日説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>
2019年2月3日説教要旨

策   略

エステル記 3章1~15節
使徒言行録 5章27~29節

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 1月27日の午後に開かれた「部落解放祈りの日集会」に出席し、上映された狭山事件のドキュメンタリー映画を見ました。狭山事件とは被差別部落出身の石川一雄さんが女子高生の殺人犯に仕立て上げられ、一時は死刑判決まで出たのですが、石川さんは無実を主張し続け、冤罪を晴らすには至っておらず、長い戦いが続いています。
 この事件の最大の背景であり発端は警察が犯人を逮捕できないのが恥と考え、民意の感情に忖度してマイノリティの石川さんを犯人に仕立てた点です。映画では様々な手口で自白を迫る場面も再現されていました。
 また最近、映画の魔術師と言われるヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ」を見ました。ストーリーが進むうちに被害者と加害者の区別がはっきりしなくなり、観客はいつの間にか加害者を心の中で応援する立場になってしまいます。つまり価値観が分からなくなり、ヒッチコックの魔術にかかってマインドコントロールされたかのようになります。

 今日読みましたエステル記の第3章は、エステルが命がけでユダヤ人を守ることになる前の段階の非常に重要な場面です。独裁国家であるペルシャ王国のクセルクセス王は感情的な王で、その周りは王に忖度するばかり。王の感情が爆発すると何が起こるか分からない不安定な状態でした。エステルは王妃になるとともに、王の暗殺を防いだモルデカイも出世しましたが、二人ともこの時点では出自がユダヤ人であることを伏せていました。
 そうした中、同僚の誰よりも出世したハマンが、自分に敬礼しないモルデカイを快く思わないことを発端としてプルというくじの結果、アダルの月の13日に国家予算の3分の2を使ってでもユダヤ人を全滅させ財産を没収する企てを立て、それを王の勅書として巧みに仕上げ、全部族に届けられます。国は大混乱に陥るのですが、そのような時に、王とハマンは酒を酌み交わしていたというのです。
 エステル記は旧約の中で、ヘロドトスの書いた文書に当時のペルシャ王国の事が書かれていることから、異教徒に内容が裏打ちされている内容とされています。

 ヒトラーの時代に、強制収容所で毒ガスの使用に関わるヴァンゼー会議が開かれました。ここは保養地として知られる美しい場所です。当時の議事録は回収されたはずですが、一部持ち出された記録から大まかな内容が明らかにされています。それによれば議論の発端は収容所の大臣が法律の命令がないと職員の士気が衰えると言ったことでした。その結果、法律による命令が作られ、職員が直接手を下すのでなく、毒ガスを使うことで職員の良心的ストレスが減るという結論になったのです。
 これを読んだ時、私は日本の日の丸、君が代問題を思い起こしました。当初は首相も文科相も国民の内面にまでは立ち入らないと言っていたのですが、広島で校長が自殺したことを発端に国旗の掲揚と君が代斉唱が法律化され、従わない職員の資格が失われることが横行するようになりました。
 エステル記のユダヤ人虐殺計画の発端はモルデカイがハマンに頭を下げないことへの不満でした。
 私たちも、ちょっと気を許すと、いま現在の日本でも、このようなことが起こりかねない時代になっています。たとえ少数でも聖書に基づくポリシーを持って生きている人たちが、おかしいことには異議申し立ての声を上げ、世界がおかしくなることを防ぎたいと願います。
 創立記念日に当たる今日、エステル記のこの部分を読んだことを通じて、このことを改めて心に刻みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

「羊を右に」

荻窪教会副牧師 龍口奈里子

エゼキエル38:11~17
マタイによる福音書20:31~46

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「主に従う羊の群れ」です。今の時代を生きる私たちに示された使命が何であるか聖書を通してもう一度聞きます。
 今日の箇所は主イエスが十字架にかけられる前、最後に話されたたとえ話です。主は十字架にかかり、復活され、天に上り、やがてこの世の終わりの時に、もう一度私たちのところに来られると約束されるのです。再臨されるのです。ただ再臨されるのではなく、キリストは「主の王として」「裁きの座」につかれ、「羊とやぎ」を分けるように、私たちを「右と左」に分けられるというのです。しかも、対象者は32節にあるように「すべての国の民」なのです。ユダヤ人たちは、羊とやぎを一緒に放牧して、一日の終わりに二つに分けていました。同じように主イエスは最後の日に二つに分けて、右側の羊の方は恩恵を受ける側、神に祝福された人たちのための場所とし、もう一方の左側のやぎの方は呪われた場所として分けると言われるのです。飢えている人、貧しい人、困っている旅人、病人、囚人、疎外されている人、それらの人たちに、善い行いをした人は右に分け、逆に、それらの人々に善い行いをしなかったひとは左に分けると主はいいます。神は祝福だけでなく裁かれる方なのだということは、聖書の大切な教えです。
 特に旧約聖書を読むとき、「神の裁き」が幾度となく出てきます。旧約聖書エゼキエル書第34章の今日の箇所では「まことの牧者」について書かれています。この牧者とは、当時の指導者たちを指しています。イスラエルの民たちが捕囚となった原因は、この指導者たちの堕落が原因でした。そのありさまをご覧になった主ご自身が牧者となり、羊たちを豊かに養われ、堕落した指導者を裁かれるのです。マタイによる福音書25章では、主イエスは、たとえ話の中で最後の審判について大変厳しく語っておられます。主イエスは今日の箇所の前に2つのたとえ話を語っています。一つは「10人のおとめのたとえ」もう一つは「タラントンのたとえ」です。主はやがて復活して再び来られる。そのときに「最後の裁き」が行われる。そのために、今何をなすべきか、この2つのたとえは教えているのです。
 「10人のおとめ」のたとえでは、花嫁がランプに火を灯して花婿を待つように備えることを教えています。「タラントン」のたとえでは、わずか1タラントンであっても主は豊かに用いた人を喜ばれるのです。「主の再臨を備えて待つこと」と「最後の審判で託されたものをどのように用いたか問われるために備えておくこと」この2つの備えが、マタイ25章のテーマです。最後の審判における救いと滅びを分かつのは、私たちの自覚や強い意志で決まるのではないということです。
 では何が問われ、基準となるのでしょうか。その大きなポイントは40節と45節に書かれています。この「もっとも小さい者たちのひとり」とは誰のことなのか、これがこのたとえの重要なカギとなります。主は「このもっとも小さい者たちの一人」に対してしたことは、すなわち「私にしてくれた」ことだと言われています。キリストの「このもっとも小さい者」に出会うことによって、「私に出会い、私に従う」ということです。キリスト教の「奉仕」とは、ギリシャ語で「ディアコニア」といいます。太陽と月の関係のように、神の教えを私たちが浴びて、それを映し出すように、小さい者の一人に届けることです。主イエスキリストは共に歩んで下さる羊飼いです。私たちは他の人の弱さや小ささに心を向け、共に歩むように委託されています。主は終わりの日に来られ、正しく裁かれます。その時のために備えて待ち望みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

「私の羊を飼いなさい」
鶴川教会牧師 瀬戸 英治

ヨナ書4:1~10
ヨハネによる福音書21:16~18

<メッセージ>

はじめに

 私は北海道の釧路で生まれ育ち、高校卒業まで釧路におりました。高卒後、飛行機のパイロットを目指して海上自衛隊の養成学校に入隊したものの気質が合わず1年で除隊し、札幌で予備校に入りました。キリスト教と出会ったのはこの頃で、米国の宣教師が経営する伝道喫茶でキリスト教の網にかかり、洗礼を受けました。
 その後、紆余曲折がありましたが、召命を受けて農村伝道神学校(以下、農伝と略)に入学し、教団の補教師になり、当時まだ西支区時代、東中野教会に伝道師として赴任し、小海先生とはその時以来のお付き合いとなります。
今日の説教題は「私の羊を飼いなさい」とし、私自身の牧会への考え方、教会論をお話します。

農伝在学中の様々な出会いによる課題を抱えて牧会現場へ

 私は牧師の他に、いくつかの団体の責任を持っております。主なものは横浜市中区で精神障がい者の地域での生活を支援するNPO団体「ろばと野草の会」理事長、同じ地域で身体・知的・精神の三つの障がい者を一括して支援する地域活動拠点「みはらしポンテ」を運営する社会福祉法人理事長、在日外国人の子どもたちへの教育相談・支援を行っているNPO法人「信愛塾」副理事長、町田市にある「朝鮮学校を支える町田市民の会」代表などです。
 教会関係では、市民ボランティアによる傾聴を中心とする電話相談を立ち上げたり、5年前からは教会集会室を利用して毎月第一・第三水曜日に「水曜カフェ倶楽部」と称して私の手作りのケーキを出したりしています。
 これらは一つとして自分がやろうとして始めたものではなく、ほとんどが出会いから必然として関わらざるを得なくなったものばかりです。農伝の会報「後援会だより」第113号(今年6月発行)に神学生時代に出会った事柄について書かせて頂きました。在日朝鮮韓国人差別問題、沖縄問題、女性差別や性差別、部落差別、アイヌ差別などは習ったのではなく、すべて学生の当事者から問題を指摘され問われ知らされた問題ばかりです。農伝は学生自らが課題を持って解放を求めてやってくる場所だと思います。全てが未解決のまま卒業し、現場に放り出されるという表現が適切かもしれません。私も放り出された一人です。
 幸い私は東中野教会で伝道師として2年の猶予を頂くことができ、その間に小海先生をはじめ多くの同年代の牧師たちと知り合い、多くを学ぶ機会を与えられ、神様の恵みであったと感じています。

Aさんとの出会いが牧師としての自分の姿勢に決定的影響

 東中野教会、まぶね教会でそれぞれ2年を過ごし、その次に赴任したのが川和教会です。ここで私はその後の自分の牧師としての姿勢に決定的に影響をもたらした人に出会いました。その人を仮にAさんとします。Aさんは中程度の脳性麻痺を持つ高齢女性でした。手と足に麻痺があり、そばから見ればかなり危ない状態ですが歩行は可能。手は硬直していて自由に動きませんが判読が困難ながら字も書くことが出来ます。言語にも若干障がいがあり、時々聞き取れなくなる状態でした。私と出会った時には同じく脳性麻痺の男性と結婚し、教会近くの公団のアパートに住んでおられ、熱心に教会に通われていました。お連れ合いの生存中Aさんを詳しくは知りませんでしたが、お一人になられてから様々なことを知らされました。
 Aさんは生まれた時から麻痺があり、私立の養護学校に行くまで寝かされて育ったこと。埼玉の整形外科医師と出会い、幾度かの手術によって歩行が可能となり、勤務に出ることも出来たことなど。
 Aさんはその医師がおられなければ自分は、寝たきりの生活だったが、先生のお蔭で普通の女性のように買物、恋愛も出来るようになったと言われています。
 彼女は一般男性と結婚し先妻の子どもたちを育てて幸せに暮らしていたそうです。最初のお連れ合いとは死に別れとなり、次に障がい者と再婚されました。お連れ合いを亡くされてから一人で生活しておられましたが、高齢で次第に筋力が落ちて家の中でも転ぶことが多くなり、度々救急車を呼ぶ状態になりました。緊急連絡先が私になっていたため、その度に私は夜中に呼び出されることも度々でした。
 その後、入居された老人ホームでは自分が出来ることも、させてくれない状況になり、私に抗議してこられたり、別のホームに移ってからは、自分は認知症ではないのに、強制的に睡眠導入剤らしき薬を飲まされそうになり服薬を拒否するなどしてその抗議をし、私が施設に掛け合って了解を取り付けたこともありました。
 ある時、Aさんが一度経験したいことがあると言われました。それはお寿司屋さんのカウンターに座って好きなお寿司を食べたいというのです。親しい寿司屋に依頼して店の休憩時間に出向きました。Aさんは震える手でお寿司を掴み、頬張りました。ほとんどは口からごぼれてしまいましたが、それでもおいしい、おいしいと心から喜んでくれたことが忘れられません。人は人との出会いによって変えられて行くのだと思います。それに法則はありません。一人の人に向き合うこと、一人ひとり違うようにそれぞれの出会いも多様です。

「あなたはあなたのままでいい」と伝えるのが本当の福音

 今日の新約の聖書個所でイエスはペトロに三回も「私を愛しているか?」と聞きます。ペトロはこのイエスの質問に対し、しつこいと感じて三度目には「私が愛しているのは、あなたがよく知っているでしょう」と返すくらいでした。しかしイエスは単に三回繰り返したのではありません。
 最初の2回の「愛している」はギリシャ語では「アガペー」つまり無償の愛、神の愛です。それに対するペトロの返答は、「フィレー」すなわち「人間の愛、友情」です。この個所がイエスに遡るのかどうかは分かりません。ヨハネ福音書の著者が人間であるペトロにあえて「アガペー」を使わなかったのかも知れません。しかし、3度目にイエスは「フィレー」で私を愛するか?と聞かれています。私はこれによってイエスは現実を理解されて、人間つまりペトロの現実にまで降りてきて下さった結果の言葉と思っています。

 人には完璧な愛などありません。私たちはそれぞれの現実と限界の中で人と関わってゆく以外にないのです。それだからこそ、一期一会の人との出会いを大切にしなければならないし、十人いたら十通りの関わり方があるのが当然なのです。教会もまた、一人ひとりに寄り添おうとするならば様々な顔を持って当然と思います。
 出会い、寄り添い、共に変えられていく。まさにこれこそがイエスが示される「福音」ではないでしょうか。
 教会も個人も、もっと個性的であって良いと思います。そのように個性的になる時、Aさんのように、私は皆とは違うと引いている人に、「あなたはあなたのままでいいよ」と伝えることが出来るように思うのです。神様はそのままで受け入れて下さるのです。

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

「羊の毛のしるし」

荻窪教会牧師  小海 基

士師記6:33~40
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29

<メッセージ>

 「士師」というのは、英語ではジャッジ、ヘブライ語ではシェフェート。つまり「裁き人」「治める人」という意味です。出エジプト後の約束の地カナンで、12部族の中から1代限りの長である「士師」が神により立てられ、困難に打ち勝ち他民族の攻撃から身を守っていったイスラエルの民の歴史が「士師記」に記録されています。
 イスラエルの民を悩ませていた他民族には王がいて、王制が敷かれていました。「士師記」17章6節と最後の結び21章25節に「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と記されています。つまり、王がいないから、皆が自分勝手に正しいと思うことを行い、他民族に攻め込まれるのだという思いが満ちていた時代でした。しかし神は、約束の地で王を立てるより、皆が羊飼いのように自分たちの羊を守っていく形で、国が導かれていくことを理想とされていたようです。
 ギデオンは士師の中でも多くの功績を残した一人です。神から遣わされた天使に、「士師になるように」と言われ最初は断りますが、それならば「しるし」を見せて欲しいと求めます。最初の「しるし」は、子山羊の肉とパンを岩の上に置くと、岩から火が燃え上がって全て焼きつくすというものでした。
 今日の旧約箇所は2番目と3番目の「しるし」です。2番目のしるしは、「羊1匹分の毛だけを濡らし、土は乾いているようにする」3番目は逆に「羊の毛だけが乾いていて、土は濡らしておく」というものでした。
これほどの臆病者は聖書の中でも他におりませんが、3回の「しるし」を見て、ようやくギデオンは兵を集めて士師として立つのです。
 
 1933年2月初めに荻窪教会は誕生しましたが、この年を世界史的に見ると、第2次世界大戦に大きく舵を切った年でした。3月末のドイツの選挙でナチスが43.9%の議席を獲得し、全体主義へと一気に進み、5月にはベルリン大学の前で焚書が行われます。11月の総選挙はナチスの信任投票となり、民主主義はドイツから姿を消すのです。
 当時27歳の若きボンヘッファー牧師は、この時代に危機感を覚え、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム記念教会での説教で、「あなたたちはギデオンなのですよ」と「士師記」のギデオンの物語を選び、大聴衆の前で以下のように説教するのでした。
 ギデオンはヒトラーの好きなワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の主人公ジークフリートではない。つまり、英雄の物語ではなく、私たち臆病者の物語なのだ。ギデオンは1933年、この時代のプロテスタントのキリスト者、あなたそのものなのだ。ギデオンは他の多くの人々と同じような人間である。しかし神はギデオンを選び、神に仕えるように召し出し、行動するように召された。どうして、まさに彼を、どうして、他ならぬあなたや私を、神は召し出したのか。神の召しの声の前では、どうして、という問いは消え失せざるを得ない。神があなたを召した。神はあなたと共にある。それで十分である。備えて待っているがよい。そう呼びかけたのです。

 新約箇所Ⅰコリ1:26以下のように、神は能力があるとか、家柄が良いとか、知恵があるということで私たちを選ばれたのではなく、むしろ、そうでない一人のギデオンである私たちを、この世界を良くするために立たせました。私たちにはこの世において、一人の士師として担うべき課題があります。主に従う羊の群れとして、主の委託に答えることができるように共に祈り、共に励まし合って、大変な時代を乗り切っていきましょう。

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨
「御国が来ますように」

富坂キリスト教センター総主事
岡田   仁(ひとし)先生

出エジプト記    19:1~6
マタイによる福音書  6:10

<メッセージ>

主イエスとの出会い

 私は大阪で生まれ育ち、高校生の時にアシュラムという修養会への参加をきっかけに高2のクリスマスに洗礼を受けました。アシュラムは「退修」という意味で、「イエスは主なり」を合言葉に沈黙のうちに御言葉に聴くのです。今仕えている富坂キリスト教センターでは、霊性と社会倫理を柱に活動しています。まさに主イエスがそうであったように、喧噪から退いて聖書の御言葉に静かに聴いて祈ることは、この世で証を立てる上で大切なことです。神様が愛されたこの世に仕え、その課題を責任をもって担うことです。ハレスビーの「みことばの糧」という本を通して献身の志を与えられ、関西学院大学で神学を学びました。

水俣での実習体験

 神学部の実習の一つとして、初めて沖縄、筑豊、大牟田、水俣を訪ねました。その頃(1988年)水俣では、未認定患者の聞き取り調査が行われていました。二度目の訪問の際、田上義春さんという認定患者と出会いました。26歳の時に水俣病を発症して相当苦労された方です。「わしは水俣病になって良かった。裁判を通じて多くの人に出会い、チッソの本質、人間の欲望、業がはっきりわかった。人間は裏切るが自然は裏切らない。お金で換算できないものがこの世にある」。水俣病になったお蔭で視野が広がったという内容で、その言葉に私は全身を烈しく撃たれました。水俣病被害者は、日本の近代化、高度経済成長期の陰で、直接その恩恵を受けることなく、裏側で繁栄を支え、犠牲になった人たちと言えます。
 私は当時教団の教会が水俣に無かったので開拓伝道をするつもりで宣教の対象として水俣の人たちを見ていました。しかし、私が行く前にすでに神はそこに居られ、苦しんで亡くなる人と共に涙を流し、公害被害者と苦しみを共にされている神様と、水俣で出会わされ、もう一度牧師として立つように促されました。水俣での5年半の間、2トントラックを運転して、患者とその家族のミカン出荷の手伝いや、廃食油をリサイクルして石鹸を作る工場で働きました。田上さんたち患者と支援者でせっけん運動を始めました。
 また、胎児性患者との出会いも忘れることが出来ません。妊婦の場合、母親が食べた汚染魚の毒を、母親ではなく胎児が引き受け、重い障がいを負って生まれます。一人一人与えられた生命を生き、自立を目指す彼らに接するうちに、神の国は抽象的ではなく、もっと具体的で最も悲惨で闇と思われる荒れ野のような場所に、神の国の福音はダイナミックに前進し、人間の限界を突き破って既に動き始めていました。
 
根っこは「貪(むさぼ)りの罪」

 戦争は最大の公害、環境破壊と言われますが、その根っこにあるのは「貪りの罪」です。チッソ工場の製品は、プラスチックやビニールの原料、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料などいずれも私たちが日常生活で快適で便利だと言って使うものです。いわば日本の近代化を陰で支えてきたのが水俣を含む公害被害者です。十戒の第一の戒め「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」と、十番目の戒め「隣人の……を欲してはならない」(貪ってはならない)が最初と最後におかれているのは意味があります。神ならぬものを神とする一方で、我々の中にある「むさぼりの罪」「自己絶対化の罪」などの毒素が「チッソ」を生み、大規模な環境破壊と大量殺戮を引き起こしました。
最近亡くなられた石牟礼道子さんは「1908年(チッソ水俣工場創業)から日本人の道徳や美徳の崩壊が始まり、今や日本人自体が世界の毒素になってしまっている。日本人の倫理観が厳しく問われている」と言われました。水俣病は、60年以上経過した今もその事件の全容の殆どが分からず、複雑な問題が絡み合っています。石牟礼さんのメッセージを我々は今一度心に刻み付けるべきでしょう。
 過去に学び、今と将来に向けて人間としてどう生きるか。もはや加害者か被害者か二項対立ではなく、一人ひとりが突きつけられている問題であって、水俣病事件には第三者的な立場はないと思います。水俣病が問うているのはこのことです。  
 
井上良雄先生から学んだこと

 主イエスが弟子たちに主の祈りを教えました。「御名が崇められますように」のあと「御国が来ますように」との祈りが続きます。井上良雄先生から学んだことは、キリスト者とは「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ生きる存在であり、この終末論的信仰に生きるからこそ、この世の問題に仕える(ロマ12―13章、Ⅰコリント7章)のであって、そこで求められるのは「人間の参与」(応答)であるということです。「神の国の到来と人間の参与は密接に結び合っている」がゆえに「『御国を来たらせたまえ』と祈る者は地上の現実から一歩も退かず、人間の悲惨の総体を背負うようにして神の前に立ち、神に助けを祈り続け、終わりの日を待ち望みつつ生きるゆえに、私たちは現在の課題を回避しない」と井上先生は言われます。神の国の成就のために、苦しんでいる全人類のため、全被造物が新しくされるために聖霊が注がれるよう神に求めることが重要です。神の国の到来を待ち望むゆえに、いま小さくされている存在とその命に焦点を合わせるのです。 
 出エジプト記19章には、世界中に神の国の福音を証しする責任が民に委ねられているとあります。そして次章で「貪るな」との戒めが続くのです。選びとは有責性を意味します。神が創られ愛されるこの世と、他者に仕えるために私たちは神から選ばれているのです。「あなたの御国が来ますように」神の国はすでに近づいて動いているのです。同時に今この時を精一杯生き、共に生きよということです。
伝道とは、苦しんでいる人に寄り添い、苦しむその声に耳を傾けて共にいること。私という土の器を通して、神様が必要な時に必要な言葉を語りかけて下さる。私たちはこれからも、神の国の証人・主の証人として「御国が来ますように」と祈りつつ、神が創られた世界、被造物が悲鳴を上げている現実に対して常に目を覚ますのです。神の国の徴(しるし)とその生き生きとした動きを見極め、神の愛の働きに喜んで参与するものでありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨
「向こう岸へわたろう」
八王子ベテル伝道所牧師
千原  創(はじめ)
申命記  7:6-8
マルコによる福音書4:35-5:20

<メッセージ>

湖の「向こう岸」とは知らない新しい世界

イエス様は、基本的に湖のこちら側で宣教活動をしておられました。そこでは、いつもおびただしい群衆が集まり、語られる福音に誰しもが耳を傾けていた状況がありました。であるならば、もっとそうした群衆のために語り続けてもよかったでしょうし、湖のこちら側の別の場所で、また別の群衆を集めて神様の愛を語り続けてもよかったのです。
しかし、イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、あちら側へと向かわれたのでした。向こう岸は「ゲラサ人の地方」であり、ユダヤ人の地方ではありません。つまりあちら側は、こちら側のユダヤの人々からすると、生活習慣、文化や価値観も違う人たちが住む、知らない新しい世界なのです。
しかも向こう岸に渡るためには激しい突風の中、船に乗って航海に乗り出さないといけないのです。このあたりの個所は、春の伝道礼拝で語られた部分ですので端折らせていただきます。
さらに、向こう岸に行くには船のチャーターも必要でしょうし、見知らぬ地でどうなるかわからない状況のため、ある程度のお金も必要でしょう。また弟子たちも一緒ですから、なおさら経費が必要なはずです。しかし地元にはイエス様に従う多くの群衆がいましたから費用の調達はカンパや献金などで、すぐにまかなえたのかもしれません。
そうした中で実際に向こう岸に着いてみるとどうでしょうか。穢れた霊に取りつかれた一人をイエス様が救われるという出来事が起こったのです。つまり、まだ宣教されていない、新しい地に自ら赴き、そこで出会う人々にも新規に宣教活動をされておられたということになります。
 
私の伝道所体験を含め、様々な形がある福音宣教の業

 少し私自身のお話をさせていただきます。私は、両親がクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。高校まで山口県で生活をしていました。毎週日曜日には欠かさず教会にも通っていましたが、そこはいわゆる地方の小規模教会です。幼少期に出席していた教会は、記憶もわずかですが、礼拝出席が20名もいかないような教会でした。後に通った別の伝道所は借家で開拓伝道をしているところでした。そうした小規模教会・伝道所には、子どもの礼拝などもありませんから、基本的に大人の礼拝に出る形の教会生活です。そうした教会生活の中で大人になりましたから、私にとっての教会は、そうした地方の小規模教会であって、荻窪教会のような規模の教会は私にとっては落ち着かない場所です。
よく、開拓伝道で大変ですねとか、よく北海道の興部(おこっぺ)に赴任されましたね、とか言われるのですが、私にとっては、そうした教会が当たり前の教会なのです。
 福音宣教の働きというのは、都会の人口の多い場所で、ある程度の規模の教会として活動していくこともあれば、人口が少ない地域にあっても、またキリスト教を受け入れることの難しい土地柄にあって地道に細々と行われていたりと、様々な形で、その場その場で行われていくのです。
 
「向こう岸」での伝道活動の実際は一人が救われただけ

今日の聖書ではどうでしょうか。イエス様は、あえて向こう岸へ渡ろうとおっしゃいました。船をチャーターし、向こう岸での宣教活動がどのくらいの期間になるのかも誰も分からない中で、ある程度の費用をもって出かけたと思われます。しかし実際は、一人の人が救われただけです。湖のこちら側、つまり地元での宣教活動のようにおびただしい群衆がイエス様を求め、神様の話を聞きに来たわけではありません。むしろ町の人々は、イエス様に詰め寄り、5章17節にあるように、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。」というのです。イエス様に対し、ここから出ていってほしいと、地元住民は要求したのです。イエス様は、そうした地元住民の要求になすすべもなく、向こう岸での宣教活動を中止し、撤退を余儀なくされるのです。
 皆さんは、このイエス様の向こう岸への伝道活動をどう総括されるでしょうか。結局、たった一人を救っただけで、すぐに舞い戻ってきたイエス様。向こう岸でも、おびただしい群衆の中で神さまを讃美する人々が起こされるような宣教活動を期待して、支援してきた人たちは、どのような思いだったのでしょう。
 このように目に見える事柄だけに意識がいくと、人間の心には様々な不信な思いが起こるのです。しかし、聖書の神様は、目に見えない私たちの思いに寄り添い、その命を支え守ろうとされるのです。5章19節で救われた人に対して、イエス様が語りかけます。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」主があなたを憐れまれたと、イエス様はおっしゃいました。
イエス様は、この一人の男を憐れまれるために、わざわざ時間と、費用と労力をかけて、しかも嵐の湖で航海するという命を懸けて向こう岸へと渡られたのです。費用対効果の面から考えると無駄の多い業ですし、たった一人を救っただけで、住民の反対運動に遭い、撤退せざるを得なくなるのです。しかし、それでもその一人の男を神様は憐れまれるために必死になって向こう岸へと渡られるのです。そして、これこそが聖書の神様が示す愛の業なのです。
 本日お読みいただいた旧約聖書、申命記7章には、「あなたたちを選ばれたのは……他のどの民よりも数が多かったからではない。……他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、……救い出されたのである」と記されています。
主イエスは、誰よりも貧弱だった向こう岸にいるこの一人の男に心惹かれ、主の愛のゆえに救い出されました。そして、人々が見捨て、墓場に捨て置き、相手にしないこの男を、主イエスは主の聖なる民である、宝の民だと語られるのです。
 神様は、いつも私たち一人一人に目を留めておられます。そして私たちがくじけそうになる時、立ち止まり、うずくまる時、命を懸けて私たちのもとに来られ、励まし力づけ、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたを憐れむとおっしゃられるのです。そして、私たちの事を、主の聖なる民である。宝の民だと宣言してくださるのです。神様は、そのように私たちの命を守り、この命が祝福され、尊ばれ、生かされることを望んでおられるのです。
 この現実の社会の中で生きていくときに、私たちはたくさんの、重荷や弱さを担います。し
かし主イエスは、そうしたレギオンから、私たちを解放し、神様の恵みの中で生かすために導
かれます。そうした神が私たちの味方となって、いつもそばにおられることを信じ、主イエス
を見つめ、神様の愛の中で生きる者でありたいと願います。