<2020年4月12日イースター・メッセージ>
復活の希望を伝える
小海 基
聖書の言葉:
「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。」
(テモテへの手紙Ⅱ1:10)
<メッセージ>
今年のレント(受難節)は、中国の武漢で始まった新型コロナウイルス感染がヨーロッパも含めて世界中に広がる「パンデミック」と重なった、例年になく重苦しい日々となってしまいました。
マスク、消毒薬が町中の売り場から消え、死が私たちの日常のすぐ隣り合わせにある不安を意識せざるを得ず、様々な活動中止を余儀なくされました。
西東京教区でさえも全体研修会や立川からしだね伝道所の夕礼拝が無くなり、いくつかの(特に幼稚園等の付属施設を持つ)教会は礼拝を中止しました。
荻窪教会では、「緊急事態宣言」が出されたことに伴い、4月12日の礼拝から宣言が解除されるまで、礼拝と諸集会を中止することを決定しました。この原稿を書きながらもまだ出口は見えてきません。
「信徒の友」誌4月号の特集「マタイ受難曲を聴こう」の原稿を書くために、バッハの同曲のCDをいくつも聴きながら過ごすレントの日々でした。「死の脅威、不安」と普段口にすることはあっても、まさか医療従事者用のマスクが買い占められネットで高額で売買され、経済のダメージは広がり……と、弱みと不安に付け込んだあさましいまでの人間の欲と罪の姿に翻弄されることだったのだと知らされました。
そのような日々の中でイースター(復活祭)を私たちは迎えます。聖書は、キリストの復活がキリストご自身に留まる話ではなくて、私たちを取り巻き脅かしているこの「死」を滅ぼし、死にまつわりついていた欲望、罪……といった一切を価値なき物とされたのだと宣言します。
コロナウイルス騒ぎも、予防薬、治療薬が開発され、流行の出口が見えたら、人間の欲望の道具にされたマスクや消毒薬といった物の価値が暴落していくのでしょう。
聖書が語るのは、それ以上の大転換がキリストの復活によって、既に私たちには、もたらされていて、私たちの生きていく「価値転換」が起きていたことだったのだと、改めて思わされます。
世の暗闇の中に動ぜず、「不滅の命」に生きていることを確かに輝かせる群れとして、私たちキリスト者が立たされていることを改めて知らされます。不安もそうですが、ささやかでも確かな希望、信頼は、伝染でもするように周囲に伝わっていくものです。そうやってキリストの復活は伝えられてきたのです。