2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 この2018年2月10日に90歳で『苦海浄土 わが水俣病』(講談社1969年)の著者石牟礼道子さんが亡くなられました。新日本窒素肥料(後のチッソ)の有機水銀が美しい不知火海の魚を汚染し、「水俣病」を発症させたことが公式に確認されたのが1956年、裁判が始まったのが69年、困難な裁判でしたが、73年の判決でチッソ側の過失が認定されました。同書や写真家ユージン・スミス氏の写真によって、「水俣病」をはじめとする「公害」問題、命や生態系をないがしろにしてきた近代文明は根底から問い直され、社会に大きな衝撃を与えました。しかしそれは問題の始まりのひとつに過ぎず、その後の2011年3月11日の東日本大震災と津波、福島第1原発事故による放射能汚染へと続いていきます。

 この春の伝道礼拝は、富坂キリスト教センター総主事の岡田仁牧師をお招きして、現代社会が抱えているこの問題について聖書から聴くシリーズです。岡田先生は関西学院大学大学院在学中、水俣で現地研修をされたことを大きなきっかけとし、卒業後、佐世保比良町教会、駒場エデン教会、ドイツ留学を経ながらも、課題を担い続けてこられた方です。現在総主事として働いておられる富坂キリスト教センターは、戦前にドイツの教会によって建てられた施設です。岡田先生をお迎えする伝道礼拝を皮切りに、主イエス・キリストが教えて下さった「主の祈り」を中心に、旧約聖書と新約聖書から私たちが真に心を合わせて祈り続けなければならない課題を見つめる3週続きの伝道礼拝となります。

 はじめて教会をくぐるという方、どなたでも参加できます。聖書から促される私たちの祈りの課題へ耳を傾け、祈りの輪に加わってみませんか。

5月13日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御国が来ますように」  富坂キリスト教センター主事 岡田(おかだ) 仁(ひとし)
略歴 1967年生まれ。1989年関西学院大学神学部卒業。   
同大学院在学中、水俣で現地研修。                  
佐世保比良町教会牧師、駒場エデン教会副牧師を経て、2006年EKD奨学生としてドイツ・ホフガイスマール牧師研修所に留学。2009年より(公財)基督教イースト・エイジャ・ミッション富坂キリスト教センター総主事                                                                                                         共著 『低きに立つ神』(コイノニア社、2009年)、『キリスト教平和学事典』(教文館、2009 年)、『行き詰まりの先にあるもの―ディアコニアの現場から』(いのちのことば社、2014年)など。

5月20日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御心が天にも地にも」   荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい)
東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
当荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イエ  
スのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』(日
本キリスト教団出版局 共著)などがある。

5月27日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「日毎の糧を今日も」   荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
1993年~ 当荻窪教会副牧師。

2017年12月24日(日)18時から キャンドルサービス 

キャンドルサービス
2017年12月24日(日)18時から
於:荻窪教会

※ クリスマス礼拝:12月24日(日)午前10時30分
※ 教会学校の祝会:12月17日(日)午後2時~4時
                   (献金をご用意ください)

※東京バッハ合唱団クリスマス特別演奏会:12月16日(土)午後14時より
≪ロ短調ミサ曲≫より抜粋  カンタータ≪待ちのぞむ みななれを≫
 入場無料

どなたでもご自由におこしください。 

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨
「向こう岸へわたろう」
八王子ベテル伝道所牧師
千原  創(はじめ)
申命記  7:6-8
マルコによる福音書4:35-5:20

<メッセージ>

湖の「向こう岸」とは知らない新しい世界

イエス様は、基本的に湖のこちら側で宣教活動をしておられました。そこでは、いつもおびただしい群衆が集まり、語られる福音に誰しもが耳を傾けていた状況がありました。であるならば、もっとそうした群衆のために語り続けてもよかったでしょうし、湖のこちら側の別の場所で、また別の群衆を集めて神様の愛を語り続けてもよかったのです。
しかし、イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、あちら側へと向かわれたのでした。向こう岸は「ゲラサ人の地方」であり、ユダヤ人の地方ではありません。つまりあちら側は、こちら側のユダヤの人々からすると、生活習慣、文化や価値観も違う人たちが住む、知らない新しい世界なのです。
しかも向こう岸に渡るためには激しい突風の中、船に乗って航海に乗り出さないといけないのです。このあたりの個所は、春の伝道礼拝で語られた部分ですので端折らせていただきます。
さらに、向こう岸に行くには船のチャーターも必要でしょうし、見知らぬ地でどうなるかわからない状況のため、ある程度のお金も必要でしょう。また弟子たちも一緒ですから、なおさら経費が必要なはずです。しかし地元にはイエス様に従う多くの群衆がいましたから費用の調達はカンパや献金などで、すぐにまかなえたのかもしれません。
そうした中で実際に向こう岸に着いてみるとどうでしょうか。穢れた霊に取りつかれた一人をイエス様が救われるという出来事が起こったのです。つまり、まだ宣教されていない、新しい地に自ら赴き、そこで出会う人々にも新規に宣教活動をされておられたということになります。
 
私の伝道所体験を含め、様々な形がある福音宣教の業

 少し私自身のお話をさせていただきます。私は、両親がクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。高校まで山口県で生活をしていました。毎週日曜日には欠かさず教会にも通っていましたが、そこはいわゆる地方の小規模教会です。幼少期に出席していた教会は、記憶もわずかですが、礼拝出席が20名もいかないような教会でした。後に通った別の伝道所は借家で開拓伝道をしているところでした。そうした小規模教会・伝道所には、子どもの礼拝などもありませんから、基本的に大人の礼拝に出る形の教会生活です。そうした教会生活の中で大人になりましたから、私にとっての教会は、そうした地方の小規模教会であって、荻窪教会のような規模の教会は私にとっては落ち着かない場所です。
よく、開拓伝道で大変ですねとか、よく北海道の興部(おこっぺ)に赴任されましたね、とか言われるのですが、私にとっては、そうした教会が当たり前の教会なのです。
 福音宣教の働きというのは、都会の人口の多い場所で、ある程度の規模の教会として活動していくこともあれば、人口が少ない地域にあっても、またキリスト教を受け入れることの難しい土地柄にあって地道に細々と行われていたりと、様々な形で、その場その場で行われていくのです。
 
「向こう岸」での伝道活動の実際は一人が救われただけ

今日の聖書ではどうでしょうか。イエス様は、あえて向こう岸へ渡ろうとおっしゃいました。船をチャーターし、向こう岸での宣教活動がどのくらいの期間になるのかも誰も分からない中で、ある程度の費用をもって出かけたと思われます。しかし実際は、一人の人が救われただけです。湖のこちら側、つまり地元での宣教活動のようにおびただしい群衆がイエス様を求め、神様の話を聞きに来たわけではありません。むしろ町の人々は、イエス様に詰め寄り、5章17節にあるように、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。」というのです。イエス様に対し、ここから出ていってほしいと、地元住民は要求したのです。イエス様は、そうした地元住民の要求になすすべもなく、向こう岸での宣教活動を中止し、撤退を余儀なくされるのです。
 皆さんは、このイエス様の向こう岸への伝道活動をどう総括されるでしょうか。結局、たった一人を救っただけで、すぐに舞い戻ってきたイエス様。向こう岸でも、おびただしい群衆の中で神さまを讃美する人々が起こされるような宣教活動を期待して、支援してきた人たちは、どのような思いだったのでしょう。
 このように目に見える事柄だけに意識がいくと、人間の心には様々な不信な思いが起こるのです。しかし、聖書の神様は、目に見えない私たちの思いに寄り添い、その命を支え守ろうとされるのです。5章19節で救われた人に対して、イエス様が語りかけます。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」主があなたを憐れまれたと、イエス様はおっしゃいました。
イエス様は、この一人の男を憐れまれるために、わざわざ時間と、費用と労力をかけて、しかも嵐の湖で航海するという命を懸けて向こう岸へと渡られたのです。費用対効果の面から考えると無駄の多い業ですし、たった一人を救っただけで、住民の反対運動に遭い、撤退せざるを得なくなるのです。しかし、それでもその一人の男を神様は憐れまれるために必死になって向こう岸へと渡られるのです。そして、これこそが聖書の神様が示す愛の業なのです。
 本日お読みいただいた旧約聖書、申命記7章には、「あなたたちを選ばれたのは……他のどの民よりも数が多かったからではない。……他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、……救い出されたのである」と記されています。
主イエスは、誰よりも貧弱だった向こう岸にいるこの一人の男に心惹かれ、主の愛のゆえに救い出されました。そして、人々が見捨て、墓場に捨て置き、相手にしないこの男を、主イエスは主の聖なる民である、宝の民だと語られるのです。
 神様は、いつも私たち一人一人に目を留めておられます。そして私たちがくじけそうになる時、立ち止まり、うずくまる時、命を懸けて私たちのもとに来られ、励まし力づけ、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたを憐れむとおっしゃられるのです。そして、私たちの事を、主の聖なる民である。宝の民だと宣言してくださるのです。神様は、そのように私たちの命を守り、この命が祝福され、尊ばれ、生かされることを望んでおられるのです。
 この現実の社会の中で生きていくときに、私たちはたくさんの、重荷や弱さを担います。し
かし主イエスは、そうしたレギオンから、私たちを解放し、神様の恵みの中で生かすために導
かれます。そうした神が私たちの味方となって、いつもそばにおられることを信じ、主イエス
を見つめ、神様の愛の中で生きる者でありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨
「主によって旅立ち、主によってとどまる」
民数記    9:15~23
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:1~13

荻窪教会牧師
小海  基

<メッセージ>

星野香(かおる)神学生が昨年度1年間牧会実習をされたひばりが丘教会は、ご自身も卒業された日本聖書神学校でキリスト教教育を教えておられた山田稔(みのる)牧師が40年以上、プレハブの礼拝堂で開拓伝道を続けていた教会です。教会員も増えて伝道所から第二種教会、第一種教会へと成長しても、昔ながらのプレハブ礼拝堂で礼拝を守り続けていました。
そして私たちの会堂建築より少し前に、荻窪教会と同じ設計者の田淵諭(さとし)先生による礼拝堂が完成したのです。私は献堂式に出席したのですが、山田牧師は説教でまさに今日の民数記を引いて次のように語られました。

「うちのプレハブの礼拝堂は西支区一のボロボロ礼拝堂だった。教会員、近隣牧師からも早く建て直しを、と言われ続けてきた。しかし教会は建物じゃない。この世の荒れ野を旅する群れなのだと自分は語り続けてきた。
建築費用の事情もあるが、神の群れは民数記の民のように、神様の示される昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて旅を続けなければならない。自分たちの目から見て、『今日は旅立ちにふさわしい日だ』と思えても、雲がとどまり続けている限りは、絶対に動いてはならない。そして神様が動け、と命ぜられたので、私たちはこの会堂建築に踏み切って今日を迎えたのだ」。

この10月の伝道月間のテーマは「選択」です。「旅立つ」か「とどまる」か。「渡る」のか「帰る」のか。その「選択」の根拠を何に置くのか。
今日配布された教会報「つのぶえ」234号に、5月の伝道礼拝にお呼びした道家紀一(どうけ・のりかず)牧師が開拓伝道されている立川からしだね伝道所と、来週お呼びする千原創(ちはら・はじめ)牧師が開拓伝道されている八王子ベテル伝道所の写真と記事が掲載されています。
どちらも教区総会で開拓伝道が決議され、一つは教区を挙げての開拓伝道、もう一つは親教会群伝道としての開拓伝道が続けられています。
今日の聖書の個所は初めての過越祭を荒野で祝った直後に神様が語られた言葉です。本来なら1年1カ月ほどで出エジプトの旅は終わって、約束の地での新しい生活が始まるはずだったのです。ところが偵察隊の報告(14章)の結果、出エジプトの荒れ野の旅路は、何と40年間もお預けになってしまうわけです。
神様の雲の柱、火の柱に頼らず、人間の判断で最短距離を行けば1カ月ちょっとの旅路で済むかも知れないのに、それを40年かけることの意味は何なのかということです。
二伝道所とも、必ずしも順調な歩みではありません。
立川では最初、南口のレンタルスペースで始まり、次に北口の1階に楽器屋があるビルの2階で礼拝を守りつつ、新たな礼拝場所を求め続け、このほど立川で伝道しているどの教派よりも駅から最も近くで、しかも文教地区に土地と建物を購入できたのです。
八王子は、八王子教会・金井直治牧師の私設礼拝堂でスタートし、早い一人立ちが可能と思われていましたが、金井牧師が急逝され、相続問題が起こり、現在地に移らざるを得なくなりました。しかし移転以降、受洗者が一人また一人と与えられています。
神の幕屋と共に歩んだイスラエルの民、二つの開拓伝道所の歩みを通して知らされることは、「停滞」や「回り道」の中に、むしろ神の恵みがあるということです。神によって旅立ち、とどまることで、与えられた人生の旅を歩んでまいりたいと思います。

教会バザーのご案内

日本キリスト教団 荻窪教会 教会バザー

とき:2018年1月28日(日)12時30分 ~14時30分
ところ:荻窪教会 
    住所:杉並区荻窪4-2-10
    電話:03-3398-2104

食堂(ランチセット 他)
手作り食品(ケーキ、菓子、惣菜など)・衣類 他
 
良いもの、たくさん 💛 ご来場をお待ちしています

                       
牧師: 小海基・龍口奈里子

2017年 秋 《伝道礼拝へのお招き》

 10月の伝道月間のテーマは、「選択」です。「旅立つ」のか?「とどまる」のか?「渡る」のか?「帰る」のか?私たちは人生の分かれ道で「選択」しなければならない存在です。その「選択」の根拠を何に置くのか?
 単なるあてずっぽうなのか?
 好みに任せてなのか?

 荻窪教会の属する西東京教区は中野から奥多摩に伸びる細長い地域ですが、現在のところ人口は西側が増えており、中野、杉並といった「区」の地域の人口はせいぜいのところ横ばい、場合によっては減り始めています。西高東低なのです。ところが教会数はかつてのままで西側が少なく、西側に新たな教会を「開拓」していかなければと祈り続けてきました。現在、私たちの荻窪教会が祈りに覚え、支援し続けるこうした「開拓教会(伝道所)」は「立川からしだね伝道所」(立川駅北側)と「八王子ベテル伝道所」の2つです。このうち今年度の春の伝道礼拝の方は「立川からしだね伝道所」の道家紀一牧師にお話しいただきました。この秋の伝道礼拝は「八王子ベテル伝道所」の千原創牧師をお招きします。八王子の恩方地区で伝道されている千原牧師は、ご夫妻で保育園をされながら新たな教会を建てようとしておられます。
 混迷するこの時代の旅路の「選択」のただ中で、私たちは「確かな行く手を示してくださる神」に気づいているのでしょうか?聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

10月8日伝道礼拝

 説教題「主によって旅立ち、主によってとどまる」
  荻窪教会 小海(こかい) 基(もとい) 牧師

 講師略歴: 
 東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、当荻窪教会牧師に就任。
 1989年~1991年イーデン神学校留学。農村伝道神学校講師。小諸いずみ会理事長。「こどもさんびか」の作曲、「讃美歌21」編集、著書に「聖餐 イエスのいのちを生きる」(新教出版社 共著)、「牧師とは何か」(日本キリスト教団出版局 共著)などがある。

10月15日伝道礼拝

 説教題「向こう岸へ渡ろう」
  八王子ベテル伝道所 千原(ちはら) 創(はじめ) 牧師

 講師略歴:
 関西学院大学神学部にて学ぶ。
 広島主城教会(広島市)、
 興部伝道所(北海道紋別郡興部町)、
 境南教会(東京都武蔵野市)を経て
 2012年11月より、
 八王子ベテル伝道所牧師。

10月22日伝道礼拝

 説教題「自分の家に帰りなさい」
  荻窪教会 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ) 副牧師

 講師略歴:
 関西学院大学大学院修了後、
 塚口教会担任教師。
 東京女子大学キリスト教センター宗教主事として勤務。1993年より、当荻窪教会副牧師。

≪修養会と特別集会≫
10月15日(日)昼食会後 教会全体修養会1「教団『戦責告白』50年」 小海 基 牧師
10月15日(日)午後2時 ミリアムの会特別集会「夏期伝道実習報告」 星野 香 神学生
10月22日(日)昼食会後 教会全体修養会2「教団『戦責告白』50年」 小海 基 牧師

どなたでも参加できます。

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第3回(5月28日)説教要旨
「たとえ船は沈んでも」               

エレミヤ書第29章11節
使徒言行録第27章21節~26節、39節~44節

荻窪教会副牧師
龍口奈里子

<メッセージ)

 パウロは三回の伝道旅行の中で、三回「難船」したことがあるとコリントの信徒への手紙Ⅱで述べています。今日の箇所はこの三回の伝道旅行の後の出来事です。パウロは囚人として船でローマに護送される途上、暴風雨に巻き込まれました。船は座礁するのか沈むのか、誰一人助かる希望などない、死を覚悟した状態になりました。そのような状況の中、パウロはこう言ったのです。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失うものはないのです」。
 パウロにはこの時確かな根拠がありました。神の使いから次のように告げられていたのです。「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべてのものを、あなたに任せてくださったのだ」と。パウロは自分の判断ではなく、主なる神が告げられた言葉への信頼を根拠にして、絶望の淵にいる囚人たちに励ましの言葉、希望の言葉を語りました。囚人だけでなく、護送する責任者であった百人隊長のユリウスもまた、このパウロの言葉に励まされました。船が陸地に難破した時、逃亡するのを防ぐために兵士たちが囚人を撃ち殺そうとしたとき、ユリウスはそれを止め、囚人は誰一人命を失うことはありませんでした。
 パウロが皆の前に立ち、「元気を出しなさい」「みんな助かります」と言えたのは、「どん底の只中にあっても」自分には神様の立てた計画があり、なすべき使命があって、それが果たされるよう主が導いてくださるという確信があった、ただそれだけなのです。たとえ自分の思い描くような希望や計画が絶たれたとしても、神が与えてくださる希望の計画は着々と前に進むのだという、その確信のみがパウロの励ましの言葉となったのです。
 東日本大震災で大きな被害を受けた新生釜石教会の牧師柳谷先生が「福音と世界」の今年の三月号に次のように書いておられます。「震災以降、『復興は進んでますか?』『教会が元通りになってよかったですね』といった言葉をかけられてきました。これを聞くたび、…『元通りってどういうこと?』『復っていうけどどこに戻るの?』と疑問に思っていました。神は…あれだけの悲しみ、あれほどの悲惨を見せつけて、それに負けず私たちが震災前の世界に戻ることを願っているのでしょうか?…しっくり来るのは次の預言です。『わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。未来と希望を与えるものである』(エレミヤ書29・11)。あのような大きな出来事を通して、神は平和の計画を実現しようとしています。…神が元通りを願っているとは私には思えません。逆に『あれがあったからこそ今がある』と思えるように成長することに着地点があるように感じます。」
 私たちは弱さゆえに愚かさゆえに、「元通りになりたい」「あのときがよかったのに」とつぶやきます。しかし神の計画は着々と前に漕ぎ出され、嵐の中をも進んでいくのです。私たちは経験した嵐や苦難や労苦を通して、神は平和の計画を「あのとき」から実現されようとしていたことを確信できるのです。嵐が吹き荒れ、沈みかけた小舟にいる私たちを主は、救いだし、使命を与えてくださり、共に船をこぎ続けてくださるのです。主への信頼を失わず一歩一歩進めていくことが何よりも大切であると、パウロの信仰を通して教えられるのです。主が約束される「平和と希望」を語りあい、この船をこぎ続けてまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第2回(5月21日)説教要旨
「この船は沈まない」
出エジプト記第17章8節〜16節
ルカによる福音書第8章22節〜25節

立川からしだね伝道所牧師
道家 紀一(どうけ・のりかず)先生

<メッセージ>

 立川からしだね伝道所のためにいつもお祈り頂き、ありがとうございます。本日はとても良い時にお招き頂いたと感謝しております。というのは当初この伝道礼拝へのお話を受けた時はまだ決まっておりませんでしたが、先日ようやく土地・建物を取得することが出来、そのご報告を携えて本日の説教奉仕に伺えることになったためです。

私のこれまでの歩み

 ごく簡単に私のこれまでの歩みをお話します。私は1960年名古屋で生まれ、高校まで名古屋におりました。家庭には聖書、讃美歌と羽仁もと子著作集がある環境で育ち、母の影響でキリスト教に出会いました。大学は茨城県の茨城大学に進み、臨床心理学を学びました。大学在学中、水戸教会で洗礼を受けました。
 卒業後、就職せず献身を志し、牧師が同志社出身であったことから同志社大学に願書を送りましたが、提出が期限ぎりぎりであった上、大雪のため郵便が遅延して受理されない結果となりました。そのため郷里の名古屋に戻り、一年間地元の大学の聴講生として過ごしました。教会は金城教会に通い、献身を願い同志社への推薦を牧師に願い出たところ、牧師が東神大(東京神学大学)出身で東神大への進学を主張され、やむなく東神大に入学しました。入学は小海牧師の卒業と入れ替わりと記憶しています。東神大在学中は国立教会に通い、現在の西東京教区(当時西支区)との関わりが出来ました。1989年に卒業し、四国・徳島県の小松島教会で8年間、そのあと東京都杉並区の井草教会で17年間仕えました。
 その間に教団の仕事にも関わり、西東京教区では書記、開拓伝道委員長を務めたりして立川からしだね伝道所の主任牧師(兼務)になり、現在に至っています。このような人生の嵐を経験した中から御言葉を語りたいと思います。

主が「湖の向こう岸に渡ろう」と言われる意味

 ガリラヤでの伝道活動を弟子たちと続けておられた日々のある日、主イエスは突然、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われて船出したと聖書にあります。のちにその日々は〝ガリラヤの春〟と呼ばれるように平穏な日々の中でした。
 これは突然波風を立てるようなご発言でありました。今日の私たちにしてみればガリラヤ湖の向こう岸に行くとは何でもないことのように思われますが、当時は単純なことではありませんでした。向こう岸とは彼らユダヤ人の知らない別の世界、異邦人の国でした。そのような地へ渡るにはそれ相応の決心と覚悟が必要で、弟子たちは相当戸惑い、恐ろしさを感じていたかもしれません。

神様はなぜ眠られ、沈黙しておられたのか

 主イエスと共に船出した弟子たちに驚くべきことが起こります。主が眠ってしまわれたのです。これまでと同じ場所に移動する船旅ではなく異邦人の地に向かっているのです、それなのに眠ってしまわれたのです。
神を信じる者が必死になって行動している時に、神が眠って何も答えて下さらない時があります。神の沈黙とでも言いましょうか。
 遠藤周作の小説『沈黙』が映画化されましたが、主人公の宣教師はそのような決断の極みに立たされます。信仰を捨てる(棄教)ことによってキリシタンの信者を救ってやろうという役人の言葉に彼は激しく迷います。
 そんな時私たちの多くは「神よ、なぜお答えにならないのか」と眠れない夜が続き、待てなくなって神に代わって自分で答を出してしまいます。究極の場で自分が取った行動に何らかの評価がほしいからです。
 主が眠られたのは弟子たちを信頼し安心されているからです。神は私たちを抜きにしては行動を起こされない、これは真実です。神は神と共に働く私たちを召しておられるのですから、いささか厳しい言いようでありますが、私たちはその信頼に答えるべきです。神からの答えを急いで引き出そうと焦らず、むしろ神の信頼に応えて難局を歩み抜こうと努力すべきではないでしょうか。
 結果は神様が責任をとって下さると信じて、ひたすら祈り、なすべき務めを実行して歩み続けましょう。神は結果ではなく〝プロセス〟に目を留めて下さるお方です。

嵐の中にあっても漕ぎ続ければ船は決して沈まない

 主イエスが船で眠られている間に嵐となり、船に水が入り沈みそうになります。弟子たちは「先生、先生、おぼれそうです」と言います。主を信頼して従ってきたのにどうしてこんな恐ろしい目に遭わねばならないのかと弟子たちは考えたに違いありません。
 私たちは洗礼を受けて信仰の世界に入ったからといって嵐のない波風の立たない静かな世界に入ったということではありません。この世で嵐がなくなることはありません。嵐の時にそれをどう引き受けることができるか、それが神を信じる者に常に問われることです。「こんなにも悪いことが続いたら信仰どころではない」と言って信仰の世界を去ってゆく人は後を絶ちません。教会を去ってゆく人には、たとえ神が眠っておられるように思えても、神に信頼されている自分を信じて歩み続けるよう申し上げたいのです。
 主イエスは眠りから起きて風と荒波をお叱りになると静まって凪になり、弟子たちは平安を取り戻しました。この主イエスの行動は神が沈黙を破って答えられたという信仰の物語ではありません。信仰なき実に情けない弟子たちの、そして私たちの神への信頼のなさの現れ以外の何物でもありません。イエスが弟子たちに問われたことは嵐の中であっても、なぜ船を漕ぎ続けなかったかということです。
 主イエスは「あなたの信仰はどこにあるのか」と言われます。これは神を信じ、神に信頼されている人間として持つべき信仰とはどういうものであるか、よくよく考えなさいという意味です。
 弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう」と互いに言います。この答えはのちに主が死の眠りから甦られた時に弟子たちは悟ることになります。主の十字架と復活の歩みに思いを馳せて、全てを担われる主を信頼して船を漕ぎ出してまいりましょう。

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨

<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨
「迷走船の行方」

ヨナ書第1章1~16節
マタイによる福音書第12章38~41節
荻窪教会牧師 
小海  基

<メッセージ>

 5月の伝道月間のテーマは、「航海」です。
 人生を航海に例えたり、教会のシンボルが船になったりするのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたキリスト教にとってかなり後の時代となりますが(この砂漠の民はよほど海が恐ろしかったらしく、世界の終末を語るヨハネの黙示録第20章の終わりで早々と海は消えます。「パラダイス」というと南太平洋の島のようなイメージを抱きがちな私たちには意外なことですが…)、それでも旧約にも新約にもわずかながら「航海」の物語が残されています。
 その代表的なものとして伝道礼拝一回目で旧約聖書の預言書「ヨナ書」を読みましょう。
 預言者ヨナが神さまから「さあ、大いなる都ニネベに行って……呼びかけよ」と命令をうけたニネベは大きな都です。ここがアッシリア帝国の最後の首都となったのがセンナケリブ王の時代、紀元前700年前後で帝国の全盛の頃でした。
 預言者は神のことばをとりつぐ人です。宗教社会学者のマックス・ウエーバーは至福預言には人間は喜んでお金を払うが不吉なことを語っているとお金はとれないし、場合によっては石が飛んでくることもある。神さまから禍の預言を託されて語る預言者こそ本当のプロであると書いています。
 預言者ヨナは実在した人です(列王記下14章25節)。アミタイの子ヨナは神さまから世界超大国のアッシリア帝国の首都ニネベへ行って、ニネベは悪のゆえに滅びると禍の預言を語れと命じられます。
しかし権力の絶頂期のアッシリア帝国にこの言葉を伝えて何になろう、お金を貰うどころか逮捕され、殺されてしまうかもしれないと、ヨナは正反対に西へ地中海を船で渡って、スペインの南西タルシュシュ(現在のタルステ)へ逃げて行こうとしたのです。ヨナ書のテーマは、神のあわれみはヘブライ民族のみではなく、悔い改める全世界の異邦人にも及ぶということです。
 ヨナ書は寓話です。神さまの命令から人間は逃げられない。ヨナが主から逃れようと乗り込んだ船は迷走しはじめ、沈没しかねない時にヨナは船底で眠りこけています。船長はヨナを起こしてあなたの神に祈れと頼みます。ヨナも祈ったが何も変わらなかった。犯人探しのためにくじ引きをするとヨナに当たり、しぶしぶ告白します。私はヘブライ人で海と陸を創造された神をおそれる者です(よくも言えたものです!)が、主の命令に逆らって逃げています。私を捕らえて海にほうり込みなさい。彼らが主に祈りながらヨナの手足を捕らえて海にほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。プロの預言者ヨナより異邦人の船員たちの方がよほど信仰的です。
ヨナは三日三晩大きな魚に飲み込まれ、陸地に吐き出されます(このヨナの物語は後のピノキオ物語となる)。
 ニネベは悔い改め救われます。

 迷走船は私たちの世界そのものではないでしょうか。ヘイトスピーチが世界中ではびこり、自国優先主義が流行して、アメリカや日本が迷走に加担している世界は今自分を見失って迷走船のようになっています。私たち自身もヨナそのものかもしれません。
 本当に神の言葉を聞いて共に生きていくことはどういうことでしょうか。迷走船の行方は神さまが示して導いて下さっていることをしっかりと心に受け止めて歩んでいきましょう。