2019年イースター・メッセージ

2019年イースター・メッセージ

新しい春が世界にめぐってくる

「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終をしらせた」
ルカによる福音書 24章9節

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 3月1日に、私はソウルにて「3・1独立運動から100周年」の記念すべき礼拝に出席できました。韓国のプロテスタント側の主要教派で構成されるエキュメニカルな礼拝はソウルにある貞洞(ジョンドン)第一教会で開催されました。
 100年前に、日本からの独立を求めて朝鮮全土で200万人の人々が立ち上がったのが3・1独立運動ですが、礼拝の中では、現代を取り巻く様々なテーマに基づいて、とりなしの祈りがささげられ、とくに「朝鮮半島の一致」を願う祈りは、情熱的な祈りの中にも、希望に満ちた祈りでした。
 100年前に読まれた独立宣言の中にこのような一文があります。

「ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人々を押さえつける時代はもう終わりである。……新しい春が世界にめぐってきたのであり、酷く寒い中で、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。……」(外村大氏訳)。
 
 ここには、自分たちの権利を奪った日本への非難、あるいは植民地主義からの脱却と解放の宣言というよりも、100年たってもなお新しさをもつ宣言であり、今を生きる私たちすべての人間が求める平和への希望が表されていると思います。
 「3・1独立宣言」は、初めは東京にいる韓国人留学生から端を発し、やがてソウルへとつなげられていき、そして最後には朝鮮半島全土に波及していきましたが、その中の平壌の崇徳(スンドク)女子学校では、楽隊の音に合わせて讃美歌を歌いながらデモを始め、この希望の宣言を伝えていったそうです。
 
 ルカによる福音書の伝える復活証言もまた、女性たちの証言から始まりました。「輝く衣を着た二人の人」(4節)から「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(6節)と言われた時、すぐに「イエスの言葉を思い出し」(8節)、「墓から帰って」(9節)、他の男性の弟子たちに伝えた女性たち。おそらく、賛美の歌を歌いながら走っていったことでしょう。
 さらにこの証言はペトロへとつなげられ、彼もまた「立ち上がって墓へ」(12節)賛美の声を歌いながら、走ってゆくのでした。
 1000年後の今を生きる私たちも、この復活のメッセージを賛美しながら伝えていき、朝鮮半島と東アジアの和解と平和を祈り求めていきたいと思います。

2019 春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2019 春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 5月の伝道月間のテーマは、「愛するとき」です。巷では「天皇代替わり」と称して年号を変え、皇室関係者の反対にも耳を貸さず軍国時代以上の予算をつけて宗教儀式を国費で行っている最中ですが、だからこそ静かに私たちが送るべき「とき」について聖書から聞こうと思います。
 今回説教者としてお呼びする宋富子(ソン・プジャ)先生は、在日大韓基督教会川崎教会の信徒・主婦として、長年在日の歴史を「ひとり芝居」で演じてこられ、最近では新宿にある高麗博物館の初代館長としてまた文化センター・アリランの副理事長として、日韓の「懸け橋」の役割を先頭に立って担い続けている方です。私たちの身近なところにたくさんのいわゆる「在日韓国・朝鮮人」の友人たちが暮らしており、しかも最近では心無い「ヘイト・スピーチ」、「ヘイト・デモ」といった歴史根拠も無い民族差別にさらされ、大変な苦しみを負っていることを私たちはニュース等で知らされています。私たちの荻窪教会のメンバーの中にもいます。先生が担ってこられた「ひとり芝居」や高麗博物館、文化センター・アリランでの働きは、友好関係の歴史を掘り起こし、互いに敵対し合うのではなく、愛し合い、平和な未来を築いていこうとする働きです。私たちも祈りをもってこうした働きをこれからも積極的に支援していきたいですし、宋先生からの学びと祈りを深めたいと思っています。
 また5月25日(土)午後3時からは、当教会を練習地として活躍する東京バッハ合唱団によるJ・S・バッハのカンタータ109「われは信ず わが主よ」、166「いずこへ 主よ行きたもう」、188「わが堅き望み」、79「神はわが光 盾」の特別演奏会(入場無料)も行います。今や東京都杉並区の荻窪が、本場ドイツのライプツィヒを抜いて世界一頻繁にバッハのカンタータ上演をしている街になりつつあります。お楽しみください。
 混迷するこの時代のただ中で独りよがりに陥らず、もう一度原点に立ち戻って聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

5月12日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「愛するときー光の中に留まり続けるー」  
 荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい) 
  東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
  荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
  農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
  『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イ   
  エスのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』  
  (日本キリスト教団出版局 共著)などがある。

5月19日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「愛するときー民族差別のない平和の奇跡が創られるー」
 文化センター・アリラン副理事長   宋(ソン) 富子(プジャ)
  奈良県に在日朝鮮人二世として出生。
  子どもが通う保育園を通してキリスト教に入信。日本と朝鮮半島の
  真の歴史を学び民族と人間に目覚めて人権活動に携わる。講演、
  「ひとり芝居」などの活動により募金を集め、2001年「高麗博物
  館」開館、初代館長(~2007) 
  現在「文化センター・アリラン」副理事長。
  著書『愛するとき奇跡は創られる』(三一書房)
  『灯を輝かし、闇を照らす』(共著)(いのちのことば社)

5月26日(日) 伝道礼拝 午前10時30分~
「愛するときーひとりよりもふたりが良いー」
 荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
  関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
  1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
  1993年~ 当荻窪教会副牧師。

日本キリスト教団荻窪教会 
〒167-0051杉並区荻窪4丁目2-10 
Tel.03-3398-2104 fax.03-3398-1200 
荻窪駅東改札南口より徒歩8分。
駐車場無し。
コインパーキングをご利用ください。

<荻窪教会創立記念日礼拝> 2019年2月3日説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>
2019年2月3日説教要旨

策   略

エステル記 3章1~15節
使徒言行録 5章27~29節

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 1月27日の午後に開かれた「部落解放祈りの日集会」に出席し、上映された狭山事件のドキュメンタリー映画を見ました。狭山事件とは被差別部落出身の石川一雄さんが女子高生の殺人犯に仕立て上げられ、一時は死刑判決まで出たのですが、石川さんは無実を主張し続け、冤罪を晴らすには至っておらず、長い戦いが続いています。
 この事件の最大の背景であり発端は警察が犯人を逮捕できないのが恥と考え、民意の感情に忖度してマイノリティの石川さんを犯人に仕立てた点です。映画では様々な手口で自白を迫る場面も再現されていました。
 また最近、映画の魔術師と言われるヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ」を見ました。ストーリーが進むうちに被害者と加害者の区別がはっきりしなくなり、観客はいつの間にか加害者を心の中で応援する立場になってしまいます。つまり価値観が分からなくなり、ヒッチコックの魔術にかかってマインドコントロールされたかのようになります。

 今日読みましたエステル記の第3章は、エステルが命がけでユダヤ人を守ることになる前の段階の非常に重要な場面です。独裁国家であるペルシャ王国のクセルクセス王は感情的な王で、その周りは王に忖度するばかり。王の感情が爆発すると何が起こるか分からない不安定な状態でした。エステルは王妃になるとともに、王の暗殺を防いだモルデカイも出世しましたが、二人ともこの時点では出自がユダヤ人であることを伏せていました。
 そうした中、同僚の誰よりも出世したハマンが、自分に敬礼しないモルデカイを快く思わないことを発端としてプルというくじの結果、アダルの月の13日に国家予算の3分の2を使ってでもユダヤ人を全滅させ財産を没収する企てを立て、それを王の勅書として巧みに仕上げ、全部族に届けられます。国は大混乱に陥るのですが、そのような時に、王とハマンは酒を酌み交わしていたというのです。
 エステル記は旧約の中で、ヘロドトスの書いた文書に当時のペルシャ王国の事が書かれていることから、異教徒に内容が裏打ちされている内容とされています。

 ヒトラーの時代に、強制収容所で毒ガスの使用に関わるヴァンゼー会議が開かれました。ここは保養地として知られる美しい場所です。当時の議事録は回収されたはずですが、一部持ち出された記録から大まかな内容が明らかにされています。それによれば議論の発端は収容所の大臣が法律の命令がないと職員の士気が衰えると言ったことでした。その結果、法律による命令が作られ、職員が直接手を下すのでなく、毒ガスを使うことで職員の良心的ストレスが減るという結論になったのです。
 これを読んだ時、私は日本の日の丸、君が代問題を思い起こしました。当初は首相も文科相も国民の内面にまでは立ち入らないと言っていたのですが、広島で校長が自殺したことを発端に国旗の掲揚と君が代斉唱が法律化され、従わない職員の資格が失われることが横行するようになりました。
 エステル記のユダヤ人虐殺計画の発端はモルデカイがハマンに頭を下げないことへの不満でした。
 私たちも、ちょっと気を許すと、いま現在の日本でも、このようなことが起こりかねない時代になっています。たとえ少数でも聖書に基づくポリシーを持って生きている人たちが、おかしいことには異議申し立ての声を上げ、世界がおかしくなることを防ぎたいと願います。
 創立記念日に当たる今日、エステル記のこの部分を読んだことを通じて、このことを改めて心に刻みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第3回(10月28日)説教要旨

「羊を右に」

荻窪教会副牧師 龍口奈里子

エゼキエル38:11~17
マタイによる福音書20:31~46

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「主に従う羊の群れ」です。今の時代を生きる私たちに示された使命が何であるか聖書を通してもう一度聞きます。
 今日の箇所は主イエスが十字架にかけられる前、最後に話されたたとえ話です。主は十字架にかかり、復活され、天に上り、やがてこの世の終わりの時に、もう一度私たちのところに来られると約束されるのです。再臨されるのです。ただ再臨されるのではなく、キリストは「主の王として」「裁きの座」につかれ、「羊とやぎ」を分けるように、私たちを「右と左」に分けられるというのです。しかも、対象者は32節にあるように「すべての国の民」なのです。ユダヤ人たちは、羊とやぎを一緒に放牧して、一日の終わりに二つに分けていました。同じように主イエスは最後の日に二つに分けて、右側の羊の方は恩恵を受ける側、神に祝福された人たちのための場所とし、もう一方の左側のやぎの方は呪われた場所として分けると言われるのです。飢えている人、貧しい人、困っている旅人、病人、囚人、疎外されている人、それらの人たちに、善い行いをした人は右に分け、逆に、それらの人々に善い行いをしなかったひとは左に分けると主はいいます。神は祝福だけでなく裁かれる方なのだということは、聖書の大切な教えです。
 特に旧約聖書を読むとき、「神の裁き」が幾度となく出てきます。旧約聖書エゼキエル書第34章の今日の箇所では「まことの牧者」について書かれています。この牧者とは、当時の指導者たちを指しています。イスラエルの民たちが捕囚となった原因は、この指導者たちの堕落が原因でした。そのありさまをご覧になった主ご自身が牧者となり、羊たちを豊かに養われ、堕落した指導者を裁かれるのです。マタイによる福音書25章では、主イエスは、たとえ話の中で最後の審判について大変厳しく語っておられます。主イエスは今日の箇所の前に2つのたとえ話を語っています。一つは「10人のおとめのたとえ」もう一つは「タラントンのたとえ」です。主はやがて復活して再び来られる。そのときに「最後の裁き」が行われる。そのために、今何をなすべきか、この2つのたとえは教えているのです。
 「10人のおとめ」のたとえでは、花嫁がランプに火を灯して花婿を待つように備えることを教えています。「タラントン」のたとえでは、わずか1タラントンであっても主は豊かに用いた人を喜ばれるのです。「主の再臨を備えて待つこと」と「最後の審判で託されたものをどのように用いたか問われるために備えておくこと」この2つの備えが、マタイ25章のテーマです。最後の審判における救いと滅びを分かつのは、私たちの自覚や強い意志で決まるのではないということです。
 では何が問われ、基準となるのでしょうか。その大きなポイントは40節と45節に書かれています。この「もっとも小さい者たちのひとり」とは誰のことなのか、これがこのたとえの重要なカギとなります。主は「このもっとも小さい者たちの一人」に対してしたことは、すなわち「私にしてくれた」ことだと言われています。キリストの「このもっとも小さい者」に出会うことによって、「私に出会い、私に従う」ということです。キリスト教の「奉仕」とは、ギリシャ語で「ディアコニア」といいます。太陽と月の関係のように、神の教えを私たちが浴びて、それを映し出すように、小さい者の一人に届けることです。主イエスキリストは共に歩んで下さる羊飼いです。私たちは他の人の弱さや小ささに心を向け、共に歩むように委託されています。主は終わりの日に来られ、正しく裁かれます。その時のために備えて待ち望みたいと思います。

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

「私の羊を飼いなさい」
鶴川教会牧師 瀬戸 英治

ヨナ書4:1~10
ヨハネによる福音書21:16~18

<メッセージ>

はじめに

 私は北海道の釧路で生まれ育ち、高校卒業まで釧路におりました。高卒後、飛行機のパイロットを目指して海上自衛隊の養成学校に入隊したものの気質が合わず1年で除隊し、札幌で予備校に入りました。キリスト教と出会ったのはこの頃で、米国の宣教師が経営する伝道喫茶でキリスト教の網にかかり、洗礼を受けました。
 その後、紆余曲折がありましたが、召命を受けて農村伝道神学校(以下、農伝と略)に入学し、教団の補教師になり、当時まだ西支区時代、東中野教会に伝道師として赴任し、小海先生とはその時以来のお付き合いとなります。
今日の説教題は「私の羊を飼いなさい」とし、私自身の牧会への考え方、教会論をお話します。

農伝在学中の様々な出会いによる課題を抱えて牧会現場へ

 私は牧師の他に、いくつかの団体の責任を持っております。主なものは横浜市中区で精神障がい者の地域での生活を支援するNPO団体「ろばと野草の会」理事長、同じ地域で身体・知的・精神の三つの障がい者を一括して支援する地域活動拠点「みはらしポンテ」を運営する社会福祉法人理事長、在日外国人の子どもたちへの教育相談・支援を行っているNPO法人「信愛塾」副理事長、町田市にある「朝鮮学校を支える町田市民の会」代表などです。
 教会関係では、市民ボランティアによる傾聴を中心とする電話相談を立ち上げたり、5年前からは教会集会室を利用して毎月第一・第三水曜日に「水曜カフェ倶楽部」と称して私の手作りのケーキを出したりしています。
 これらは一つとして自分がやろうとして始めたものではなく、ほとんどが出会いから必然として関わらざるを得なくなったものばかりです。農伝の会報「後援会だより」第113号(今年6月発行)に神学生時代に出会った事柄について書かせて頂きました。在日朝鮮韓国人差別問題、沖縄問題、女性差別や性差別、部落差別、アイヌ差別などは習ったのではなく、すべて学生の当事者から問題を指摘され問われ知らされた問題ばかりです。農伝は学生自らが課題を持って解放を求めてやってくる場所だと思います。全てが未解決のまま卒業し、現場に放り出されるという表現が適切かもしれません。私も放り出された一人です。
 幸い私は東中野教会で伝道師として2年の猶予を頂くことができ、その間に小海先生をはじめ多くの同年代の牧師たちと知り合い、多くを学ぶ機会を与えられ、神様の恵みであったと感じています。

Aさんとの出会いが牧師としての自分の姿勢に決定的影響

 東中野教会、まぶね教会でそれぞれ2年を過ごし、その次に赴任したのが川和教会です。ここで私はその後の自分の牧師としての姿勢に決定的に影響をもたらした人に出会いました。その人を仮にAさんとします。Aさんは中程度の脳性麻痺を持つ高齢女性でした。手と足に麻痺があり、そばから見ればかなり危ない状態ですが歩行は可能。手は硬直していて自由に動きませんが判読が困難ながら字も書くことが出来ます。言語にも若干障がいがあり、時々聞き取れなくなる状態でした。私と出会った時には同じく脳性麻痺の男性と結婚し、教会近くの公団のアパートに住んでおられ、熱心に教会に通われていました。お連れ合いの生存中Aさんを詳しくは知りませんでしたが、お一人になられてから様々なことを知らされました。
 Aさんは生まれた時から麻痺があり、私立の養護学校に行くまで寝かされて育ったこと。埼玉の整形外科医師と出会い、幾度かの手術によって歩行が可能となり、勤務に出ることも出来たことなど。
 Aさんはその医師がおられなければ自分は、寝たきりの生活だったが、先生のお蔭で普通の女性のように買物、恋愛も出来るようになったと言われています。
 彼女は一般男性と結婚し先妻の子どもたちを育てて幸せに暮らしていたそうです。最初のお連れ合いとは死に別れとなり、次に障がい者と再婚されました。お連れ合いを亡くされてから一人で生活しておられましたが、高齢で次第に筋力が落ちて家の中でも転ぶことが多くなり、度々救急車を呼ぶ状態になりました。緊急連絡先が私になっていたため、その度に私は夜中に呼び出されることも度々でした。
 その後、入居された老人ホームでは自分が出来ることも、させてくれない状況になり、私に抗議してこられたり、別のホームに移ってからは、自分は認知症ではないのに、強制的に睡眠導入剤らしき薬を飲まされそうになり服薬を拒否するなどしてその抗議をし、私が施設に掛け合って了解を取り付けたこともありました。
 ある時、Aさんが一度経験したいことがあると言われました。それはお寿司屋さんのカウンターに座って好きなお寿司を食べたいというのです。親しい寿司屋に依頼して店の休憩時間に出向きました。Aさんは震える手でお寿司を掴み、頬張りました。ほとんどは口からごぼれてしまいましたが、それでもおいしい、おいしいと心から喜んでくれたことが忘れられません。人は人との出会いによって変えられて行くのだと思います。それに法則はありません。一人の人に向き合うこと、一人ひとり違うようにそれぞれの出会いも多様です。

「あなたはあなたのままでいい」と伝えるのが本当の福音

 今日の新約の聖書個所でイエスはペトロに三回も「私を愛しているか?」と聞きます。ペトロはこのイエスの質問に対し、しつこいと感じて三度目には「私が愛しているのは、あなたがよく知っているでしょう」と返すくらいでした。しかしイエスは単に三回繰り返したのではありません。
 最初の2回の「愛している」はギリシャ語では「アガペー」つまり無償の愛、神の愛です。それに対するペトロの返答は、「フィレー」すなわち「人間の愛、友情」です。この個所がイエスに遡るのかどうかは分かりません。ヨハネ福音書の著者が人間であるペトロにあえて「アガペー」を使わなかったのかも知れません。しかし、3度目にイエスは「フィレー」で私を愛するか?と聞かれています。私はこれによってイエスは現実を理解されて、人間つまりペトロの現実にまで降りてきて下さった結果の言葉と思っています。

 人には完璧な愛などありません。私たちはそれぞれの現実と限界の中で人と関わってゆく以外にないのです。それだからこそ、一期一会の人との出会いを大切にしなければならないし、十人いたら十通りの関わり方があるのが当然なのです。教会もまた、一人ひとりに寄り添おうとするならば様々な顔を持って当然と思います。
 出会い、寄り添い、共に変えられていく。まさにこれこそがイエスが示される「福音」ではないでしょうか。
 教会も個人も、もっと個性的であって良いと思います。そのように個性的になる時、Aさんのように、私は皆とは違うと引いている人に、「あなたはあなたのままでいいよ」と伝えることが出来るように思うのです。神様はそのままで受け入れて下さるのです。

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

「羊の毛のしるし」

荻窪教会牧師  小海 基

士師記6:33~40
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29

<メッセージ>

 「士師」というのは、英語ではジャッジ、ヘブライ語ではシェフェート。つまり「裁き人」「治める人」という意味です。出エジプト後の約束の地カナンで、12部族の中から1代限りの長である「士師」が神により立てられ、困難に打ち勝ち他民族の攻撃から身を守っていったイスラエルの民の歴史が「士師記」に記録されています。
 イスラエルの民を悩ませていた他民族には王がいて、王制が敷かれていました。「士師記」17章6節と最後の結び21章25節に「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と記されています。つまり、王がいないから、皆が自分勝手に正しいと思うことを行い、他民族に攻め込まれるのだという思いが満ちていた時代でした。しかし神は、約束の地で王を立てるより、皆が羊飼いのように自分たちの羊を守っていく形で、国が導かれていくことを理想とされていたようです。
 ギデオンは士師の中でも多くの功績を残した一人です。神から遣わされた天使に、「士師になるように」と言われ最初は断りますが、それならば「しるし」を見せて欲しいと求めます。最初の「しるし」は、子山羊の肉とパンを岩の上に置くと、岩から火が燃え上がって全て焼きつくすというものでした。
 今日の旧約箇所は2番目と3番目の「しるし」です。2番目のしるしは、「羊1匹分の毛だけを濡らし、土は乾いているようにする」3番目は逆に「羊の毛だけが乾いていて、土は濡らしておく」というものでした。
これほどの臆病者は聖書の中でも他におりませんが、3回の「しるし」を見て、ようやくギデオンは兵を集めて士師として立つのです。
 
 1933年2月初めに荻窪教会は誕生しましたが、この年を世界史的に見ると、第2次世界大戦に大きく舵を切った年でした。3月末のドイツの選挙でナチスが43.9%の議席を獲得し、全体主義へと一気に進み、5月にはベルリン大学の前で焚書が行われます。11月の総選挙はナチスの信任投票となり、民主主義はドイツから姿を消すのです。
 当時27歳の若きボンヘッファー牧師は、この時代に危機感を覚え、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム記念教会での説教で、「あなたたちはギデオンなのですよ」と「士師記」のギデオンの物語を選び、大聴衆の前で以下のように説教するのでした。
 ギデオンはヒトラーの好きなワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の主人公ジークフリートではない。つまり、英雄の物語ではなく、私たち臆病者の物語なのだ。ギデオンは1933年、この時代のプロテスタントのキリスト者、あなたそのものなのだ。ギデオンは他の多くの人々と同じような人間である。しかし神はギデオンを選び、神に仕えるように召し出し、行動するように召された。どうして、まさに彼を、どうして、他ならぬあなたや私を、神は召し出したのか。神の召しの声の前では、どうして、という問いは消え失せざるを得ない。神があなたを召した。神はあなたと共にある。それで十分である。備えて待っているがよい。そう呼びかけたのです。

 新約箇所Ⅰコリ1:26以下のように、神は能力があるとか、家柄が良いとか、知恵があるということで私たちを選ばれたのではなく、むしろ、そうでない一人のギデオンである私たちを、この世界を良くするために立たせました。私たちにはこの世において、一人の士師として担うべき課題があります。主に従う羊の群れとして、主の委託に答えることができるように共に祈り、共に励まし合って、大変な時代を乗り切っていきましょう。

教会バザーのご案内 2019年1月27日(日)12時30分~14時30分

日本キリスト教団荻窪教会 教会バザー
2019年1月27日(日) 12時30分~14時30分

食堂(ランチセット ほか)
手作り食品(ケーキ、菓子、惣菜など)・衣類 ほか

良いもの たくさん ご来場をお待ちしています!

※ 駐車場はありません。お車でのご来場はご遠慮ください。
※ エコバックをご持参ください。

2018年秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2018年 秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 10月の伝道月間のテーマは、「羊」です。聖書の民は遊牧民でしたので、聖書の中で「羊」がとても重要なシンボルとなります。神様や、イエス・キリストを「羊飼い」、従う群れを「羊の群れ」、教会の指導者を「牧師」、その働きを「牧会」と呼ぶ…といった具合です。
 荻窪教会では昨年4人目の出身「牧者」を「牧会現場」に送り出しました。「羊の群れ」というだけでなく「羊飼い」を生み出す教会として、私たちは何を心に刻むべきか、それを聖書から聴く伝道礼拝です。
 今回説教者としてお呼びする瀬戸英治先生は、私たちの荻窪教会の「ひとつぶ献金」で支援している農村伝道神学校の出身で、現在鶴川教会牧師をしておられます。東中野教会で伝道師・副牧師をされていた時代に、小海牧師と共に按手礼を受けられました。現在は様々な働きを担いながら母校での教鞭をとり、常務理事として活躍されています。大変な苦労を強いられている地方教会に牧者を送り出す働きを、私たちも祈りをもってこれからも積極的に支援していこうと思っています。
 3回目の伝道礼拝の後には教会修養会として「伝道者を送り出した教会としての心構え」を学ぶ予定です。この修養会もどなたでも参加できます。「牧者」としての献身した教師を4名生み出してきた教会として、学びと祈りを深めたいと思っています。
 混迷するこの時代のただ中で、少しずつでも「牧者」を生み出し続けた群れとして、もう一度原点に立ち戻って聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

10月14日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「羊の毛のしるし」   荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい)
東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
当荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イエ  
スのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』(日
本キリスト教団出版局 共著)などがある。

10月21日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「私の羊を飼いなさい」   鶴川教会牧師 瀬戸(せと) 英(えい)治(じ)
1956年生まれ。21才の時、札幌にあった伝道喫茶「Good Hour」でキリスト教と出会い洗礼を受ける。キリスト教書店に勤務し、北海道中の教会を巡る。東京の本社と意見が対立し解雇され、農村伝道神学校入学。1990年卒業する。東中野教会の伝道師のとき、小海先生と出会い、以後、まぶね教会、川和教会の牧師を経て、2004年より鶴川教会牧師。
農村伝道神学校では、「日本キリスト教団史」を担当、常務理事の責任を負う。教団ジャーナル風の創設に関わり、「北村慈郎牧師を支援する会」の副代表、横浜市中区において、精神障がい者を支援するNPO人「ろばと野草の会」と知的障がいと身体障がいの生活支援する社会福祉法人「見晴」の理事長を兼ねる。町田市にある朝鮮学校を支援する町田市民の会の代表。

                                                                                                          10月28日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「羊を右に」        荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
1993年~ 当荻窪教会副牧師。

日本キリスト教団荻窪教会 
〒167-0051杉並区荻窪4丁目2-10 
Tel.03-3398-2104 fax.03-3398-1200 
荻窪駅東改札南口より徒歩8分。駐車場無し。
コインパーキングをご利用ください。

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。