<2019年秋の伝道礼拝>
第1回(11月10日)説教要旨
生まれ出づる悩み
ヨブ記 2:3~10 3:1~4 ヤコブの手紙 5:11
荻窪教会牧師 小海 基
<メッセージ)
11月の伝道月間のテーマは、「誕生」です。キリストの誕生を祝うクリスマスを目前にし、1年前に出版された新しい翻訳の「聖書協会共同訳」誕生をめぐっても検討が始まっています。新しい命への「誕生」とは何なのかについて聖書から聞くべき時であるでしょう。
聖書、讃美歌の翻訳が「宿命的」に抱えてしまう問題、課題に〈差別語〉、〈問題用語〉があります。最初に使われた時は「差別」性、「問題」性を持っていなくても、時代の経過とともに増幅、強調されて「母語」となって用いられ、より深刻な影響力をもってしまいます。
ドイツのプロテスタント教会の讃美歌が1993年に40年ぶりに改訂を行った際に、ユダヤ人差別の観点から、ルターをはじめとする従来のコラールの歌詞をそのまま継承して良いのかという問題提起がなされました。
アブラハムの「子孫」(ドイツ語で「ザーメン」)等がユダヤ人に対するあからさまな「卑猥なはやし言葉」として用いられた歴史から、「改訂」訳の併記という形で出版されました。20世紀以降聖書翻訳の是正もなされていますが、社会の「差別」にメスを入れる課題は今も残されています。こうした一つに医学的にはすでに解決されているにもかかわらず今日まで差別されているのが〈らい〉の問題です。
医学的にはどのような疾患であるかも明確でない「ツァラアト」(旧約ヘブライ語)、「レプラ」(新約ギリシャ語)を、「らい病・ハンセン氏病」と翻訳してしまったことで、旧キリスト教社会から始まって全世界で、患者があたかもレビ記に記された「汚れた病」を負う者、社会的に「隔離されるべき」、「不治の病」、「遺伝」するという偏見を持たれ、家族、親族にまで人権侵害が広まってしまいました。これが明らかに聖書翻訳によって人工的に生み出された「差別」であることが分かるのは、キリスト教国のハンセン病施設の多くが「隔離型」であったからです。
このあたりの歴史を詳しく報告した名著が、荒井英子著『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店1996年)。同書の中で「『小島の春』現象」と名づけた被害は深刻です。1932~1938年に岡山県長島愛生園に医官として在職した小川正子医師の映画で、小川自身を神話的存在にまで持ち上げられた現象です。「救う側」の小川医師たちが「天使」、「聖女」として賞賛される一方で、「救われるべき側」の患者や家族が追い詰められ、「生まれてきた意味は何のためだったのか」とヨブのように悩み、絶望に放って置かれました。2019年7月にようやく元患者と家族への賠償を国に命じましたが、「法的責任」は言及しないままです。
ヨブ記は、最後に主がどのようにして下さったかに目を注ぐように語っています。ヨブ記のすさまじい世界を正面から見なければなりません。ヨブは全財産を奪われ、重い皮膚病を患い、最愛の妻からも、「あなたは神を呪って死んだ方がましだ」と言われ、共に泣いてくれた友人からも、「あなたの気づかない罪があるのだ」と言われました。ヨブは無垢で神さまを信じ、罰を受けるような罪は犯していないのにもかかわらず、自分の生まれた日を呪うまで絶望しました。しかし神さまを呪いませんでした。生ける神さまの答えをずっと待ち続けました。神さまから、あなたの病は因果応報のためでは無いと語られてヨブは満足します。
イザヤ書53章では自分の生まれた日を呪うまで追い詰められた人のために、神さまは苦難の僕として重い皮膚病になり、差別、偏見の姿をとって救いをもたらせてくださったのだと語られています。旧約聖書の救いを心に刻み、クリスマスを待ちましょう。