<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第2回(10月21日)説教要旨

「私の羊を飼いなさい」
鶴川教会牧師 瀬戸 英治

ヨナ書4:1~10
ヨハネによる福音書21:16~18

<メッセージ>

はじめに

 私は北海道の釧路で生まれ育ち、高校卒業まで釧路におりました。高卒後、飛行機のパイロットを目指して海上自衛隊の養成学校に入隊したものの気質が合わず1年で除隊し、札幌で予備校に入りました。キリスト教と出会ったのはこの頃で、米国の宣教師が経営する伝道喫茶でキリスト教の網にかかり、洗礼を受けました。
 その後、紆余曲折がありましたが、召命を受けて農村伝道神学校(以下、農伝と略)に入学し、教団の補教師になり、当時まだ西支区時代、東中野教会に伝道師として赴任し、小海先生とはその時以来のお付き合いとなります。
今日の説教題は「私の羊を飼いなさい」とし、私自身の牧会への考え方、教会論をお話します。

農伝在学中の様々な出会いによる課題を抱えて牧会現場へ

 私は牧師の他に、いくつかの団体の責任を持っております。主なものは横浜市中区で精神障がい者の地域での生活を支援するNPO団体「ろばと野草の会」理事長、同じ地域で身体・知的・精神の三つの障がい者を一括して支援する地域活動拠点「みはらしポンテ」を運営する社会福祉法人理事長、在日外国人の子どもたちへの教育相談・支援を行っているNPO法人「信愛塾」副理事長、町田市にある「朝鮮学校を支える町田市民の会」代表などです。
 教会関係では、市民ボランティアによる傾聴を中心とする電話相談を立ち上げたり、5年前からは教会集会室を利用して毎月第一・第三水曜日に「水曜カフェ倶楽部」と称して私の手作りのケーキを出したりしています。
 これらは一つとして自分がやろうとして始めたものではなく、ほとんどが出会いから必然として関わらざるを得なくなったものばかりです。農伝の会報「後援会だより」第113号(今年6月発行)に神学生時代に出会った事柄について書かせて頂きました。在日朝鮮韓国人差別問題、沖縄問題、女性差別や性差別、部落差別、アイヌ差別などは習ったのではなく、すべて学生の当事者から問題を指摘され問われ知らされた問題ばかりです。農伝は学生自らが課題を持って解放を求めてやってくる場所だと思います。全てが未解決のまま卒業し、現場に放り出されるという表現が適切かもしれません。私も放り出された一人です。
 幸い私は東中野教会で伝道師として2年の猶予を頂くことができ、その間に小海先生をはじめ多くの同年代の牧師たちと知り合い、多くを学ぶ機会を与えられ、神様の恵みであったと感じています。

Aさんとの出会いが牧師としての自分の姿勢に決定的影響

 東中野教会、まぶね教会でそれぞれ2年を過ごし、その次に赴任したのが川和教会です。ここで私はその後の自分の牧師としての姿勢に決定的に影響をもたらした人に出会いました。その人を仮にAさんとします。Aさんは中程度の脳性麻痺を持つ高齢女性でした。手と足に麻痺があり、そばから見ればかなり危ない状態ですが歩行は可能。手は硬直していて自由に動きませんが判読が困難ながら字も書くことが出来ます。言語にも若干障がいがあり、時々聞き取れなくなる状態でした。私と出会った時には同じく脳性麻痺の男性と結婚し、教会近くの公団のアパートに住んでおられ、熱心に教会に通われていました。お連れ合いの生存中Aさんを詳しくは知りませんでしたが、お一人になられてから様々なことを知らされました。
 Aさんは生まれた時から麻痺があり、私立の養護学校に行くまで寝かされて育ったこと。埼玉の整形外科医師と出会い、幾度かの手術によって歩行が可能となり、勤務に出ることも出来たことなど。
 Aさんはその医師がおられなければ自分は、寝たきりの生活だったが、先生のお蔭で普通の女性のように買物、恋愛も出来るようになったと言われています。
 彼女は一般男性と結婚し先妻の子どもたちを育てて幸せに暮らしていたそうです。最初のお連れ合いとは死に別れとなり、次に障がい者と再婚されました。お連れ合いを亡くされてから一人で生活しておられましたが、高齢で次第に筋力が落ちて家の中でも転ぶことが多くなり、度々救急車を呼ぶ状態になりました。緊急連絡先が私になっていたため、その度に私は夜中に呼び出されることも度々でした。
 その後、入居された老人ホームでは自分が出来ることも、させてくれない状況になり、私に抗議してこられたり、別のホームに移ってからは、自分は認知症ではないのに、強制的に睡眠導入剤らしき薬を飲まされそうになり服薬を拒否するなどしてその抗議をし、私が施設に掛け合って了解を取り付けたこともありました。
 ある時、Aさんが一度経験したいことがあると言われました。それはお寿司屋さんのカウンターに座って好きなお寿司を食べたいというのです。親しい寿司屋に依頼して店の休憩時間に出向きました。Aさんは震える手でお寿司を掴み、頬張りました。ほとんどは口からごぼれてしまいましたが、それでもおいしい、おいしいと心から喜んでくれたことが忘れられません。人は人との出会いによって変えられて行くのだと思います。それに法則はありません。一人の人に向き合うこと、一人ひとり違うようにそれぞれの出会いも多様です。

「あなたはあなたのままでいい」と伝えるのが本当の福音

 今日の新約の聖書個所でイエスはペトロに三回も「私を愛しているか?」と聞きます。ペトロはこのイエスの質問に対し、しつこいと感じて三度目には「私が愛しているのは、あなたがよく知っているでしょう」と返すくらいでした。しかしイエスは単に三回繰り返したのではありません。
 最初の2回の「愛している」はギリシャ語では「アガペー」つまり無償の愛、神の愛です。それに対するペトロの返答は、「フィレー」すなわち「人間の愛、友情」です。この個所がイエスに遡るのかどうかは分かりません。ヨハネ福音書の著者が人間であるペトロにあえて「アガペー」を使わなかったのかも知れません。しかし、3度目にイエスは「フィレー」で私を愛するか?と聞かれています。私はこれによってイエスは現実を理解されて、人間つまりペトロの現実にまで降りてきて下さった結果の言葉と思っています。

 人には完璧な愛などありません。私たちはそれぞれの現実と限界の中で人と関わってゆく以外にないのです。それだからこそ、一期一会の人との出会いを大切にしなければならないし、十人いたら十通りの関わり方があるのが当然なのです。教会もまた、一人ひとりに寄り添おうとするならば様々な顔を持って当然と思います。
 出会い、寄り添い、共に変えられていく。まさにこれこそがイエスが示される「福音」ではないでしょうか。
 教会も個人も、もっと個性的であって良いと思います。そのように個性的になる時、Aさんのように、私は皆とは違うと引いている人に、「あなたはあなたのままでいいよ」と伝えることが出来るように思うのです。神様はそのままで受け入れて下さるのです。

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

<2018年秋の伝道礼拝>第1回(10月14日)説教要旨

「羊の毛のしるし」

荻窪教会牧師  小海 基

士師記6:33~40
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29

<メッセージ>

 「士師」というのは、英語ではジャッジ、ヘブライ語ではシェフェート。つまり「裁き人」「治める人」という意味です。出エジプト後の約束の地カナンで、12部族の中から1代限りの長である「士師」が神により立てられ、困難に打ち勝ち他民族の攻撃から身を守っていったイスラエルの民の歴史が「士師記」に記録されています。
 イスラエルの民を悩ませていた他民族には王がいて、王制が敷かれていました。「士師記」17章6節と最後の結び21章25節に「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と記されています。つまり、王がいないから、皆が自分勝手に正しいと思うことを行い、他民族に攻め込まれるのだという思いが満ちていた時代でした。しかし神は、約束の地で王を立てるより、皆が羊飼いのように自分たちの羊を守っていく形で、国が導かれていくことを理想とされていたようです。
 ギデオンは士師の中でも多くの功績を残した一人です。神から遣わされた天使に、「士師になるように」と言われ最初は断りますが、それならば「しるし」を見せて欲しいと求めます。最初の「しるし」は、子山羊の肉とパンを岩の上に置くと、岩から火が燃え上がって全て焼きつくすというものでした。
 今日の旧約箇所は2番目と3番目の「しるし」です。2番目のしるしは、「羊1匹分の毛だけを濡らし、土は乾いているようにする」3番目は逆に「羊の毛だけが乾いていて、土は濡らしておく」というものでした。
これほどの臆病者は聖書の中でも他におりませんが、3回の「しるし」を見て、ようやくギデオンは兵を集めて士師として立つのです。
 
 1933年2月初めに荻窪教会は誕生しましたが、この年を世界史的に見ると、第2次世界大戦に大きく舵を切った年でした。3月末のドイツの選挙でナチスが43.9%の議席を獲得し、全体主義へと一気に進み、5月にはベルリン大学の前で焚書が行われます。11月の総選挙はナチスの信任投票となり、民主主義はドイツから姿を消すのです。
 当時27歳の若きボンヘッファー牧師は、この時代に危機感を覚え、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム記念教会での説教で、「あなたたちはギデオンなのですよ」と「士師記」のギデオンの物語を選び、大聴衆の前で以下のように説教するのでした。
 ギデオンはヒトラーの好きなワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の主人公ジークフリートではない。つまり、英雄の物語ではなく、私たち臆病者の物語なのだ。ギデオンは1933年、この時代のプロテスタントのキリスト者、あなたそのものなのだ。ギデオンは他の多くの人々と同じような人間である。しかし神はギデオンを選び、神に仕えるように召し出し、行動するように召された。どうして、まさに彼を、どうして、他ならぬあなたや私を、神は召し出したのか。神の召しの声の前では、どうして、という問いは消え失せざるを得ない。神があなたを召した。神はあなたと共にある。それで十分である。備えて待っているがよい。そう呼びかけたのです。

 新約箇所Ⅰコリ1:26以下のように、神は能力があるとか、家柄が良いとか、知恵があるということで私たちを選ばれたのではなく、むしろ、そうでない一人のギデオンである私たちを、この世界を良くするために立たせました。私たちにはこの世において、一人の士師として担うべき課題があります。主に従う羊の群れとして、主の委託に答えることができるように共に祈り、共に励まし合って、大変な時代を乗り切っていきましょう。

教会バザーのご案内 2019年1月27日(日)12時30分~14時30分

日本キリスト教団荻窪教会 教会バザー
2019年1月27日(日) 12時30分~14時30分

食堂(ランチセット ほか)
手作り食品(ケーキ、菓子、惣菜など)・衣類 ほか

良いもの たくさん ご来場をお待ちしています!

※ 駐車場はありません。お車でのご来場はご遠慮ください。
※ エコバックをご持参ください。

2018年秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2018年 秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 10月の伝道月間のテーマは、「羊」です。聖書の民は遊牧民でしたので、聖書の中で「羊」がとても重要なシンボルとなります。神様や、イエス・キリストを「羊飼い」、従う群れを「羊の群れ」、教会の指導者を「牧師」、その働きを「牧会」と呼ぶ…といった具合です。
 荻窪教会では昨年4人目の出身「牧者」を「牧会現場」に送り出しました。「羊の群れ」というだけでなく「羊飼い」を生み出す教会として、私たちは何を心に刻むべきか、それを聖書から聴く伝道礼拝です。
 今回説教者としてお呼びする瀬戸英治先生は、私たちの荻窪教会の「ひとつぶ献金」で支援している農村伝道神学校の出身で、現在鶴川教会牧師をしておられます。東中野教会で伝道師・副牧師をされていた時代に、小海牧師と共に按手礼を受けられました。現在は様々な働きを担いながら母校での教鞭をとり、常務理事として活躍されています。大変な苦労を強いられている地方教会に牧者を送り出す働きを、私たちも祈りをもってこれからも積極的に支援していこうと思っています。
 3回目の伝道礼拝の後には教会修養会として「伝道者を送り出した教会としての心構え」を学ぶ予定です。この修養会もどなたでも参加できます。「牧者」としての献身した教師を4名生み出してきた教会として、学びと祈りを深めたいと思っています。
 混迷するこの時代のただ中で、少しずつでも「牧者」を生み出し続けた群れとして、もう一度原点に立ち戻って聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

10月14日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「羊の毛のしるし」   荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい)
東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
当荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イエ  
スのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』(日
本キリスト教団出版局 共著)などがある。

10月21日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「私の羊を飼いなさい」   鶴川教会牧師 瀬戸(せと) 英(えい)治(じ)
1956年生まれ。21才の時、札幌にあった伝道喫茶「Good Hour」でキリスト教と出会い洗礼を受ける。キリスト教書店に勤務し、北海道中の教会を巡る。東京の本社と意見が対立し解雇され、農村伝道神学校入学。1990年卒業する。東中野教会の伝道師のとき、小海先生と出会い、以後、まぶね教会、川和教会の牧師を経て、2004年より鶴川教会牧師。
農村伝道神学校では、「日本キリスト教団史」を担当、常務理事の責任を負う。教団ジャーナル風の創設に関わり、「北村慈郎牧師を支援する会」の副代表、横浜市中区において、精神障がい者を支援するNPO人「ろばと野草の会」と知的障がいと身体障がいの生活支援する社会福祉法人「見晴」の理事長を兼ねる。町田市にある朝鮮学校を支援する町田市民の会の代表。

                                                                                                          10月28日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「羊を右に」        荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
1993年~ 当荻窪教会副牧師。

日本キリスト教団荻窪教会 
〒167-0051杉並区荻窪4丁目2-10 
Tel.03-3398-2104 fax.03-3398-1200 
荻窪駅東改札南口より徒歩8分。駐車場無し。
コインパーキングをご利用ください。

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨
「御国が来ますように」

富坂キリスト教センター総主事
岡田   仁(ひとし)先生

出エジプト記    19:1~6
マタイによる福音書  6:10

<メッセージ>

主イエスとの出会い

 私は大阪で生まれ育ち、高校生の時にアシュラムという修養会への参加をきっかけに高2のクリスマスに洗礼を受けました。アシュラムは「退修」という意味で、「イエスは主なり」を合言葉に沈黙のうちに御言葉に聴くのです。今仕えている富坂キリスト教センターでは、霊性と社会倫理を柱に活動しています。まさに主イエスがそうであったように、喧噪から退いて聖書の御言葉に静かに聴いて祈ることは、この世で証を立てる上で大切なことです。神様が愛されたこの世に仕え、その課題を責任をもって担うことです。ハレスビーの「みことばの糧」という本を通して献身の志を与えられ、関西学院大学で神学を学びました。

水俣での実習体験

 神学部の実習の一つとして、初めて沖縄、筑豊、大牟田、水俣を訪ねました。その頃(1988年)水俣では、未認定患者の聞き取り調査が行われていました。二度目の訪問の際、田上義春さんという認定患者と出会いました。26歳の時に水俣病を発症して相当苦労された方です。「わしは水俣病になって良かった。裁判を通じて多くの人に出会い、チッソの本質、人間の欲望、業がはっきりわかった。人間は裏切るが自然は裏切らない。お金で換算できないものがこの世にある」。水俣病になったお蔭で視野が広がったという内容で、その言葉に私は全身を烈しく撃たれました。水俣病被害者は、日本の近代化、高度経済成長期の陰で、直接その恩恵を受けることなく、裏側で繁栄を支え、犠牲になった人たちと言えます。
 私は当時教団の教会が水俣に無かったので開拓伝道をするつもりで宣教の対象として水俣の人たちを見ていました。しかし、私が行く前にすでに神はそこに居られ、苦しんで亡くなる人と共に涙を流し、公害被害者と苦しみを共にされている神様と、水俣で出会わされ、もう一度牧師として立つように促されました。水俣での5年半の間、2トントラックを運転して、患者とその家族のミカン出荷の手伝いや、廃食油をリサイクルして石鹸を作る工場で働きました。田上さんたち患者と支援者でせっけん運動を始めました。
 また、胎児性患者との出会いも忘れることが出来ません。妊婦の場合、母親が食べた汚染魚の毒を、母親ではなく胎児が引き受け、重い障がいを負って生まれます。一人一人与えられた生命を生き、自立を目指す彼らに接するうちに、神の国は抽象的ではなく、もっと具体的で最も悲惨で闇と思われる荒れ野のような場所に、神の国の福音はダイナミックに前進し、人間の限界を突き破って既に動き始めていました。
 
根っこは「貪(むさぼ)りの罪」

 戦争は最大の公害、環境破壊と言われますが、その根っこにあるのは「貪りの罪」です。チッソ工場の製品は、プラスチックやビニールの原料、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料などいずれも私たちが日常生活で快適で便利だと言って使うものです。いわば日本の近代化を陰で支えてきたのが水俣を含む公害被害者です。十戒の第一の戒め「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」と、十番目の戒め「隣人の……を欲してはならない」(貪ってはならない)が最初と最後におかれているのは意味があります。神ならぬものを神とする一方で、我々の中にある「むさぼりの罪」「自己絶対化の罪」などの毒素が「チッソ」を生み、大規模な環境破壊と大量殺戮を引き起こしました。
最近亡くなられた石牟礼道子さんは「1908年(チッソ水俣工場創業)から日本人の道徳や美徳の崩壊が始まり、今や日本人自体が世界の毒素になってしまっている。日本人の倫理観が厳しく問われている」と言われました。水俣病は、60年以上経過した今もその事件の全容の殆どが分からず、複雑な問題が絡み合っています。石牟礼さんのメッセージを我々は今一度心に刻み付けるべきでしょう。
 過去に学び、今と将来に向けて人間としてどう生きるか。もはや加害者か被害者か二項対立ではなく、一人ひとりが突きつけられている問題であって、水俣病事件には第三者的な立場はないと思います。水俣病が問うているのはこのことです。  
 
井上良雄先生から学んだこと

 主イエスが弟子たちに主の祈りを教えました。「御名が崇められますように」のあと「御国が来ますように」との祈りが続きます。井上良雄先生から学んだことは、キリスト者とは「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ生きる存在であり、この終末論的信仰に生きるからこそ、この世の問題に仕える(ロマ12―13章、Ⅰコリント7章)のであって、そこで求められるのは「人間の参与」(応答)であるということです。「神の国の到来と人間の参与は密接に結び合っている」がゆえに「『御国を来たらせたまえ』と祈る者は地上の現実から一歩も退かず、人間の悲惨の総体を背負うようにして神の前に立ち、神に助けを祈り続け、終わりの日を待ち望みつつ生きるゆえに、私たちは現在の課題を回避しない」と井上先生は言われます。神の国の成就のために、苦しんでいる全人類のため、全被造物が新しくされるために聖霊が注がれるよう神に求めることが重要です。神の国の到来を待ち望むゆえに、いま小さくされている存在とその命に焦点を合わせるのです。 
 出エジプト記19章には、世界中に神の国の福音を証しする責任が民に委ねられているとあります。そして次章で「貪るな」との戒めが続くのです。選びとは有責性を意味します。神が創られ愛されるこの世と、他者に仕えるために私たちは神から選ばれているのです。「あなたの御国が来ますように」神の国はすでに近づいて動いているのです。同時に今この時を精一杯生き、共に生きよということです。
伝道とは、苦しんでいる人に寄り添い、苦しむその声に耳を傾けて共にいること。私という土の器を通して、神様が必要な時に必要な言葉を語りかけて下さる。私たちはこれからも、神の国の証人・主の証人として「御国が来ますように」と祈りつつ、神が創られた世界、被造物が悲鳴を上げている現実に対して常に目を覚ますのです。神の国の徴(しるし)とその生き生きとした動きを見極め、神の愛の働きに喜んで参与するものでありたいと願います。

2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 この2018年2月10日に90歳で『苦海浄土 わが水俣病』(講談社1969年)の著者石牟礼道子さんが亡くなられました。新日本窒素肥料(後のチッソ)の有機水銀が美しい不知火海の魚を汚染し、「水俣病」を発症させたことが公式に確認されたのが1956年、裁判が始まったのが69年、困難な裁判でしたが、73年の判決でチッソ側の過失が認定されました。同書や写真家ユージン・スミス氏の写真によって、「水俣病」をはじめとする「公害」問題、命や生態系をないがしろにしてきた近代文明は根底から問い直され、社会に大きな衝撃を与えました。しかしそれは問題の始まりのひとつに過ぎず、その後の2011年3月11日の東日本大震災と津波、福島第1原発事故による放射能汚染へと続いていきます。

 この春の伝道礼拝は、富坂キリスト教センター総主事の岡田仁牧師をお招きして、現代社会が抱えているこの問題について聖書から聴くシリーズです。岡田先生は関西学院大学大学院在学中、水俣で現地研修をされたことを大きなきっかけとし、卒業後、佐世保比良町教会、駒場エデン教会、ドイツ留学を経ながらも、課題を担い続けてこられた方です。現在総主事として働いておられる富坂キリスト教センターは、戦前にドイツの教会によって建てられた施設です。岡田先生をお迎えする伝道礼拝を皮切りに、主イエス・キリストが教えて下さった「主の祈り」を中心に、旧約聖書と新約聖書から私たちが真に心を合わせて祈り続けなければならない課題を見つめる3週続きの伝道礼拝となります。

 はじめて教会をくぐるという方、どなたでも参加できます。聖書から促される私たちの祈りの課題へ耳を傾け、祈りの輪に加わってみませんか。

5月13日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御国が来ますように」  富坂キリスト教センター主事 岡田(おかだ) 仁(ひとし)
略歴 1967年生まれ。1989年関西学院大学神学部卒業。   
同大学院在学中、水俣で現地研修。                  
佐世保比良町教会牧師、駒場エデン教会副牧師を経て、2006年EKD奨学生としてドイツ・ホフガイスマール牧師研修所に留学。2009年より(公財)基督教イースト・エイジャ・ミッション富坂キリスト教センター総主事                                                                                                         共著 『低きに立つ神』(コイノニア社、2009年)、『キリスト教平和学事典』(教文館、2009 年)、『行き詰まりの先にあるもの―ディアコニアの現場から』(いのちのことば社、2014年)など。

5月20日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御心が天にも地にも」   荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい)
東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
当荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イエ  
スのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』(日
本キリスト教団出版局 共著)などがある。

5月27日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「日毎の糧を今日も」   荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
1993年~ 当荻窪教会副牧師。

2017年12月24日(日)18時から キャンドルサービス 

キャンドルサービス
2017年12月24日(日)18時から
於:荻窪教会

※ クリスマス礼拝:12月24日(日)午前10時30分
※ 教会学校の祝会:12月17日(日)午後2時~4時
                   (献金をご用意ください)

※東京バッハ合唱団クリスマス特別演奏会:12月16日(土)午後14時より
≪ロ短調ミサ曲≫より抜粋  カンタータ≪待ちのぞむ みななれを≫
 入場無料

どなたでもご自由におこしください。 

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。