<2019年春の伝道礼拝>第1回5月12日説教要旨
愛するとき……光の中に留まり続ける
詩編 139:11~12 ヨハネの手紙Ⅰ 2:7~11
小海 基
<メッセージ>
現在のように世界情勢が不安定になっている中、国境や文化や民族を超えて世界宗教が平和の担い手になることは大変重要です。戦争を起こしてしまえば地球という星が存在し続けることが出来るか否かの決定的危機を抱えています。
かつては宗教やイデオロギーを超えて、人間の理性で何とかできると考えていた時もありました。哲学の時代といっても良いでしょう。
宗教というのは、人間の力の限界を認めて人間の外にある創造者、絶対者に耳を傾けさせるものです。どんなに人間の言葉で感情に走り、熱を帯びていても、もう一度冷静にさせ、深く共に考えることに立ち戻らせるものです。
ところが現在では、不幸なことに世界宗教さえも不信感をたきつけ、駆り立てる用い方がされているのです。本来成熟した国境、民族、文化を超えた「キリスト教」「イスラム教」「仏教」……と言った世界宗教こそが一民族一国家のいらだちや国益を超える視点をもたらすものであるはずなのに、昨今起こっている事件は、モスクや礼拝堂、シナゴーグがテロに遭い、報復が繰り返されています。もう一度私たちは神の言葉から聴いて冷静になり、原点に立ち戻らなければならない時にあると思います。
今日はヨハネの手紙Ⅰを読みました。この手紙は紀元110年頃、キリスト教内部で、仮現論(グノーシス)といわれるイエス・キリストは肉を持たないという異端の考えが蔓延し、教会分裂をしかねない危機にあった時代に書かれた手紙です。
分裂の危機を迎えると人間というのは実に愚かなものです。仮想の敵をでっちあげて敵対し、憎しみを向け一致しようとし始めるのです。この動きに対してヨハネの手紙Ⅰでは、イエス・キリストが私たちのもとに来られて、私たちの罪のために十字架にかかり、復活し、救いをもたらせてくださったという原点に立ち返れとすすめるのです。それが光の中を歩むということなのだと語るのです。
光と闇と二つの対立概念で語られていますが等価値ではありません。光は圧倒的に闇にまさっているのです。兄弟姉妹を愛する中に光があると繰り返し語るヨハネの手紙Ⅰでは、「神は光」「神は愛」だと言い切っています。私たちを救うために来て下さったのは、憎しみ合うためではなく、私たちを兄弟姉妹として愛し合うために来てくださったのです。愛し合わなければ光の中に留まっていることにならないのです。創世記によれば、最初に神が創造されたのも光でした(創世記1章1~5節)。
物理学者アイザック・ニュートンは早熟の天才でした。22歳で「万有引力の法則」をとなえ、微分積分を発明し、「ニュートン力学」は今でも自然科学の基本です。26歳でケンブリッジ大学の教授になりました。その後は初期の神の秩序の発見からそれて、錬金術、オカルティズムへと変わっていき、データを捏造して信用を失い、最後は精神的に異常をきたし、85歳で妹に看取られて寂しく亡くなりました。ウエストミンスター寺院に葬られたニュートンの墓碑銘は「自然と自然の法則は闇に留まっていた。神は言われた。『ニュートン出でよ』すべては光の中に現れた」。
これは、イギリスの有名な詩人A・ホープの詩から引用された墓碑銘だと言われています。ニュートンの85年の後半生と、キリスト教のヨハネの手紙Ⅰの時代は、今日の日本のキリスト教の陥りかねない姿です。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す」(詩編139篇11~12節)神さまは夜の闇の中にも光を放っておられるのです。愛することは意志、決意を伴うことです。
神のことばの原点に立ち返って、私たちは互いに愛し合う時に光の中に留まり続けることができるのです。ヨハネのことばを胸に刻み歩み続けましょう。