<荻窪教会創立記念日礼拝> 2019年2月3日説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>
2019年2月3日説教要旨

策   略

エステル記 3章1~15節
使徒言行録 5章27~29節

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 1月27日の午後に開かれた「部落解放祈りの日集会」に出席し、上映された狭山事件のドキュメンタリー映画を見ました。狭山事件とは被差別部落出身の石川一雄さんが女子高生の殺人犯に仕立て上げられ、一時は死刑判決まで出たのですが、石川さんは無実を主張し続け、冤罪を晴らすには至っておらず、長い戦いが続いています。
 この事件の最大の背景であり発端は警察が犯人を逮捕できないのが恥と考え、民意の感情に忖度してマイノリティの石川さんを犯人に仕立てた点です。映画では様々な手口で自白を迫る場面も再現されていました。
 また最近、映画の魔術師と言われるヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ」を見ました。ストーリーが進むうちに被害者と加害者の区別がはっきりしなくなり、観客はいつの間にか加害者を心の中で応援する立場になってしまいます。つまり価値観が分からなくなり、ヒッチコックの魔術にかかってマインドコントロールされたかのようになります。

 今日読みましたエステル記の第3章は、エステルが命がけでユダヤ人を守ることになる前の段階の非常に重要な場面です。独裁国家であるペルシャ王国のクセルクセス王は感情的な王で、その周りは王に忖度するばかり。王の感情が爆発すると何が起こるか分からない不安定な状態でした。エステルは王妃になるとともに、王の暗殺を防いだモルデカイも出世しましたが、二人ともこの時点では出自がユダヤ人であることを伏せていました。
 そうした中、同僚の誰よりも出世したハマンが、自分に敬礼しないモルデカイを快く思わないことを発端としてプルというくじの結果、アダルの月の13日に国家予算の3分の2を使ってでもユダヤ人を全滅させ財産を没収する企てを立て、それを王の勅書として巧みに仕上げ、全部族に届けられます。国は大混乱に陥るのですが、そのような時に、王とハマンは酒を酌み交わしていたというのです。
 エステル記は旧約の中で、ヘロドトスの書いた文書に当時のペルシャ王国の事が書かれていることから、異教徒に内容が裏打ちされている内容とされています。

 ヒトラーの時代に、強制収容所で毒ガスの使用に関わるヴァンゼー会議が開かれました。ここは保養地として知られる美しい場所です。当時の議事録は回収されたはずですが、一部持ち出された記録から大まかな内容が明らかにされています。それによれば議論の発端は収容所の大臣が法律の命令がないと職員の士気が衰えると言ったことでした。その結果、法律による命令が作られ、職員が直接手を下すのでなく、毒ガスを使うことで職員の良心的ストレスが減るという結論になったのです。
 これを読んだ時、私は日本の日の丸、君が代問題を思い起こしました。当初は首相も文科相も国民の内面にまでは立ち入らないと言っていたのですが、広島で校長が自殺したことを発端に国旗の掲揚と君が代斉唱が法律化され、従わない職員の資格が失われることが横行するようになりました。
 エステル記のユダヤ人虐殺計画の発端はモルデカイがハマンに頭を下げないことへの不満でした。
 私たちも、ちょっと気を許すと、いま現在の日本でも、このようなことが起こりかねない時代になっています。たとえ少数でも聖書に基づくポリシーを持って生きている人たちが、おかしいことには異議申し立ての声を上げ、世界がおかしくなることを防ぎたいと願います。
 創立記念日に当たる今日、エステル記のこの部分を読んだことを通じて、このことを改めて心に刻みたいと思います。