13年7月14、21日
荻窪教会牧師 小海 基
列王記上 第13章
使徒言行録 第5章29節
「あの人が、主の言葉に従ってべテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての聖なる高台の神殿に向かって呼びかけた言葉は、必ず成就するからだ」(列王記上13:32)。
列王記上第13章に描かれている物語は、それだけを読む限り大変奇妙な内容です。
南北にイスラエルが分断した直後、北イスラエルのヤロブアム王がかつて自分が労務監督として北イスラエルの民衆が重労働でさんざん苦しめられ続けたのを目の当たりにしたソロモン王のエルサレム神殿に対抗して、古い聖地であるダンとベテルに神殿を設けます。南ユダ王国の温室育ちのソロモンの息子レハブアム王とは比較にならないほど信仰的であり、民の苦しみにも傾ける耳を持つヤロブアム王です。まさに理想的な政教一致政策が始まったのです。ヤロブアム自身もサウル王、ダビデ王と並んで神様自身が立てた王です。世襲のダビデ王朝と違って士師時代のような一代ごとのカリスマ的指導者です。ソロモンやレハブアムとは格が違います。今日の聖書学者たちが口をそろえて指摘しますが、ヤロブアムの居た金の子牛像は聖書が悪意を込めて「ヤロブアムの罪」と語るような偶像などではなく神様の足台に過ぎず、もしそれを「罪」と告発するならソロモンの神殿の12頭の雄牛像が支える「青銅の海」の方がよほど異教的であり、偶像崇拝的というものです。王政と癒着して堕落するばかりの南ユダの職業的祭司やレビ人を廃して、信仰深く民の声にも耳を傾けるヤロブアム王自身が率先してべテルの祭壇で功を炊き、執成し祈っているのです。そこへ南から預言者がやって来ます。なるほどこの南ユダ王国の預言者は王宮付きの預言者とは全く縁のない、昔ながらの、つい昨日まで農民か羊飼いをしていてある日突然神の召命を受けて遣わされたような人で、見かけは実にみすぼらしく、知的でもない人です。語っている自分でも、聞かされているヤロブアム王も、預言内容が何を意味しているか理解できなかったことでしょう。実に300年後のヨシア王の時に成就する預言です…。
このほとんどの註解書でも、説教集でもほとんど取り上げられることなく、無視され通り過ごされてしまうことの多いたった34節の奇妙な話を、カール・バルトがわざわざ取り上げて、『教会教義学』「神論」の「35節個人の選び」の章のクライマックスのところで、中で実にドイツ語で10頁、邦訳なら29頁も費やして述べているのには驚かされます。
今日7月24日は参議院選挙であり、結果的には与党が「ねじれ」を解消して、これで平和憲法改正も、増税も、原発再稼働も何もかもスムーズに、思うがまま行える形になってしまう結果となりました。実はバルトがこの部分を書いて出版した1942年も、大変よく似た政治状況(もちろん今の日本よりももっと深刻でしたが)であったことを私たちは知っています。第二次大戦の莫大な賠償金にあえぎ、当時ヨーロッパで最も先進的なワイマール憲法下の共和政のねじれ現象の中で有効な政策を打ち出せないままハイパーインフレさえ生じていたドイツの「危機」の中で、「ねじれ現象」を解消し、憲法を改正したのはヒトラーでした。1933年に政権をとるや否や、ハイスピードで「全権委任法」を成立させ憲法を形骸化させ、自ら総統となり全権力を掌握し、ユダヤ人を強制絶滅収容所に送りその財産を取り上げ、庶民にフォルクスワーゲンが行き渡り、全戦全勝の快進撃を繰り広げたわけです。あの時代の預言者の働きをなすべき思想界は、ドイツの大学を哲学者ハイデガーの下に統合整備し、神学界・教会はミユラー監督とドイツキリスト者の下に統合再編し手なづけてしまいます。実に見事なものです。思想界、神学界のほとんど全てをヒトラー政権の職業的御用偽預言者としてしまったわけです。この29日には調子に乗った我が国の麻生太郎副総理が「あの手口に学んだらどうかね」と本音を漏らしています(4日後に発言撤回)。
ねじれ現象も解消し、一見すべてがうまく進むかに見えた中で、ちょうど南からの本物の神の人、昔ながらのみすぼらしい神の人が登場するように、まさにこの列王記上13章の註解が入ったバルトの『教会教義学』「神論」Ⅱ/2が表紙を付け替えられ、イギリス聖書協会経由で『カルヴァン研究』(なるほど「予定論」について言及されているのでこの題名は見当違いでもありませんが…)という偽の題名を付けられてドイツに密輸されたのです。
この部分が書かれる前年41年に、スイスにいたバルトを「国防軍の秘密使節」としてボンヘッファーが訪ねます。ヒトラー政権を倒して臨時軍事政権が誕生したらどのように連合国と停戦交渉できるかという相談に行ったのです。おそらく44年に起こったボンヘッファー自身も関係者として処刑された「7月20日事件」(「ヴァルキューレ作戦」とも呼ばれた爆弾によるヒトラー暗殺未遂事件)までも踏まえていたのかどうか今日となっては分かりませんが、きなくさい具体案をバルトに示したようです。バルトは話を聴いた上で「連合国がそれに応ずることは考えられない」と悲観的に語り、ボンヘッファーは大変当惑悲嘆の表情を浮かべて別れたということがありました。イスラエルは南北に分断されてはならないと南の神の人も北の老預言者も考えたように、バルトもボンヘッファーも気持ちの上ではヨーロッパの分断、破局を何とか回避できないかと願っています。その会談を踏まえて列王記上第13章の註解が書かれたと思われます。問題は人の願いでなく神の御心がどうなのかということではないのか?そして『カルヴァン研究』という表紙を付け、可能な限りのあらゆるルートを使ってドイツにいるボンヘッファーたちに届けられたのです。ですから『教会教義学』のこの部分はバルトが自分とボンヘッファーたちを列王記の預言者たちと重ねながら悲壮に語っていることが良く伝わってきます。
この列王記上13章では、逮捕を命じようと振り上げたヤロブアム王の手が萎え、しかし南からの神の人の執成し祈りによって癒されたとあります。見るからに空腹で喉も乾ききっている神の人を王が感謝の食事に誘うと、自分は食べることも飲むことも神から禁じられているとこの神の人は答えるのでした。しかしべテルの老預言者(王室の職業預言者)は善意からであったでしょうが神様は自分にはお許しになったと嘘をついてもてなしてしまうのです。その結果神の人はユダ族の旗印にもなっている獅子に殺されてしまったというのです。獅子は神の人を殺しただけで、亡骸にも乗っていたロバにも手を書けませんでした。
バルトは言うのです。本来預言者というのは、南から来た神の人であろうと、北の職業的預言者であろうと、神の言葉があって初めて預言者なのだというのです。見てくれとか、雄弁さとか、しっかりとした考えを持っているということは本質と何ら関係ないのです。南から来た神の人が北の老預言者の嘘にまんまと乗せられてしまい、食卓にあずかってしまったのは、おそらくは北のヤロブアム王たちの祭儀や祈りに南以上に真実なものを感じ、南北分裂はあってはならない事だと思う思いがあったからでしょう。だから神様は自分の目の前でヤロブアム王の手を癒されたのだという思いがあったのでしょう。しかし食物と水を口にした途端に、北の偽預言者に神様の本当の預言、滅びの預言が下ります。ついさっきまで偽預言者であったものであったとしても神の言葉が下れば真実の預言者の役割を果たさざるを得ないのです。「あなたは主の命令に逆らった…」(21節)。聖書は300年後に南の神の人の預言が成就したことを列王記下第23章16~18節で記録しています。300年後の人々はその時、南から来た神の人の骨も嘘をついてしまった北の老預言者の骨も、敬意を払って大切にし、決して手を書けなかったことが報告されています。
バルトは言います。「神の言葉が事実沈黙せず、共通的な咎が事実、否定されていないということによってまた彼もすくわれているのである」。「イスラエルのひとりのまことの神は、たとえイスラエルがどんなに神を見損ない、神を全くいつわりの、不当な仕方で拝んだとしても、またその神であることをやめ給わなかったということ…その約束は、またイスラエルに対しても保たれ続けるということである。…ユダとエルサレムが今やこの抜擢に対してふさわしくないものとなり、まさにこの抜擢に対する不忠実さの故に、まず第一に死んで、滅び失せなければならなかった時、結局このこと―神の業が事実引き続いて進行していたということ―によってまたその生も、死のただ中にあって確認され、救われたのである」。これは分断されたヨーロッパの中でスイスにいるバルトがドイツにいるボンヘッファーたちと確認し合いたかったことではなかったでしょうか。
参院選を経て、私たちの国もかつての戦争の時代のような抜き差しない段階に入ったのかもしれません。私たちの求めるのは「ねじれ解消」や安易な偽の希望の預言でなく神のみこころ、「神の言葉の前進」です。