ウエスレー財団ディレクター 小海 光
創世記12:1~4
ヘブライ人への手紙11:1~3
<メッセージ>
私たちの人生は、思いもよらないことが多くあるものです。誰も自分の計画通りの人生を歩む人はありません。私は日本で神学校を卒業後、アメリカのボストンに渡り25年を過ごしました。始めは2年の学びの後帰るつもりでした。しかし、卒業証書に、夫もついて来て、アメリカに暮らし始めることになりました。夫は韓国人で、合同メソジスト教会の牧師になるところでした。夫の招聘先の4つの教会で子育てをしました。どこも片田舎の教会で、町に白人でないのは私たち家族だけでしたから、いつも興味津々にみられました。後に私自身も牧師となり、5教会併せて14年牧会をしました。
メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーはこんなことを言っています。「メソジストの牧師がいつも準備しておかなければならない事に2つある。いつでもどこでも説教できる事と、そして、どこへでも行く事です。」私たちも10回引っ越しをしました。正直家族をもっていると連れ合いのこと、子どもの学校のことで不安もあります。新しい教会と環境に慣れるのだろうかと、毎回不安で一杯でした。
そんな時いつも思い出されたのが、アブラハムとサラの旅立ちです。アブラハムはある日主より、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。」と言われ、主の言葉に従って旅立った。75歳であった。
よく決断したと思います。地理が今のようにわかっている状況ではないのですから、何がおこるかわからないのです。不安を持つのは当然です。でも、ヘブライ人への手紙の著者によれば、「信仰によってアブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(11章8節)。人生は旅です。そしてその歩みの途中には予想もしなかった喜びもあり悲しみもあります。
1番目の娘が生まれたとき初孫を父と母はどんなに喜ぶだろうかと思いました。しかし母が子宮がんにおかされていることを知らされたのです。待ちに待っていた孫がやっと与えられたのに、いったいどうしてと悲しみました。闘病中の母を少しでも元気づけるために、娘の写真をたくさん送りました。その娘が3歳になった時白血病と診断されました。それからの3年間は、抗がん剤治療で入退院を繰り返し、心も体もくたくたになる毎日でした。幼い娘の苦闘する姿を見るのは、母親として本当につらいことです。それにもまして悲しかったことは、治療中同士の母と娘がまた会える時があるだろうかと思うことでした。娘の治療中は日本を訪ねることができなかったのです。しかし、もう母がかなり弱って来ているのを知った時、神様は祈りを聞いてくださり、母と娘は1ヶ月を共に過ごしました。その間、母が命を孫に与えるかのように弱くなっていくかたわらで、娘は元気を取り戻していきました。母が天に召されたのは、私たちがアメリカに帰ってから3週間後でした。
私たちの人生は私たちの計画通りにはいかないのです。災害だって、人災だって起こります。だから明日の事を思うと不安になります。でも、私たちは主の与えられた約束を知っています。「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」主イエスキリストの愛はいつまでも私たちとともにいるという約束です。私たちと共にいます、という方が、私たちの人生の旅の終わりの一歩まで共に歩んでくださり、さらに死を超えて永遠の命の旅へと導いてくださるということを信じて、どこに行くかわからない旅に出るのです。それが信仰です。
それはいつも順調な歩みではないのです。時に深い悲しみのうちに、エマオへの道を旅した弟子達のように、主が傍らにいてくださる事が見えない事があります。時に主の御心がわからなくて、疑いと迷いと不満をいう荒野を旅するイスラエルの人々のようになる時もあります。主の声に従って水の上を歩き始めたけれども、急に風と波に怖くなって溺れかけるペテロのようになる時もあります。でも忘れてならない大切なことは、私たちには見えなくとも、神様は共に歩いておられます。私たちは行き先を知らずとも、神様は知っておられます。私たちはその方を知っており、信頼することができます。そこに喜びがあります。
ちょうど1年前、メソジスト教会のビショップから、日本に宣教師として行ってほしいという電話を貰いました。最初に口から出た言葉は、「それは無理です」でした。家族のことや、もうアメリカに25年もいて、今日本に帰っても私に何ができるだろうかという不安からでした。でもビショップは、日本に新しく建てられたウェスレーファウンデーションでミッション活動を通して、アメリカと日本をつなぐ働きをする人がぜひ必要なのだと言われました。1週間悩みのうちに祈りました。そして示された事は、25年目の召命という事でした。私が初めてアメリカに行ったのは25歳の時でした。それから25年経った時この召しを受けました。今では日本もアメリカも私のホームです。日本の教会もアメリカの教会も私の信仰の家族です。この時に主は私の名を呼んで、住み慣れた家を離れ、神様が示す新しい道を歩き出しなさいと言われていると確信しました。
神様が私たちに促す新しい旅の歩みとは、何も大きな人生の転機をさすだけではないのです。私たちは毎日主と共に歩き出す決心を促されています。自分の計画と知恵に頼って歩むのか、主のご計画と知恵に頼るのか、この世の富と人の評価を信頼するのか、主の約束の言葉を信頼して主の示される旅を歩み出す生き方が出来るのか。信仰による決断です。
最後にアメリカで愛されているゴスペル賛美歌を一つ紹介しましょう。
明日の事は私にはわからない/ただ1日1日を生きていく/太陽にもたよれない、雨になるかもしれないから/でも明日の事は心配しない/イエス様の言葉を知っているから/主に寄り添って歩いていこう/主がすべてをご存じだから/明日の事は私にはわからない/でもこの事だけは知っている/明日を握っているのは誰かと言うことを/そして私の手を握って下さる方が誰かということを。
主は今日もあなたと共に歩いておられます。感謝と共にその旅路が豊かな祝福のうちにありますようにと共に祈りましょう。