20年の果てに

2013年4月14日
荻窪教会牧師 小海 基

列王記上第9章10~28 節

「ソロモンは、20年を費やして二つの建物、主の神殿と王の宮殿を建て終わった…」

ソロモン王の性根を見ることのできる箇所です。イスラエルに好景気をもたらし、最大の領土をもたらし、どの王よりも成功者、「知恵の王」ソロモンの影の部分がこの細部に宿っています。

3万人の労働者が徴用され、1万人ずつ1ヶ月交替で、1ヶ月はレバノン、2ヶ月は自宅というローテーションで一年の1/4が実に20年間にわたって労働に捧げる生活が続いたわけです(列王上5・27~8)。想像できますか。20年と言えば人生の半分です。しかもその20年と言ってもエルサレム神殿建設は7年半だけ、残りの倍近い年月は自分の宮殿建設です(列王記上6・27, 7・1)。今日読んだ9章15節以下では更にエジプトから迎えた自分の正妻のためにゲゼルという町を丸ごと造成し住まわせることまでしたのです。いかにも異教的というかエジプト風の大盤振る舞いです。

イエス・キリストと同時代に生きたユダヤ人歴史家のフラビウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』でソロモンをかばって次のように弁明しますが、皆さんは納得できますか。「王は既述のように7年の歳月を要した神殿を落成させた後、王宮の建設にとりかかり、13年目にようやくそれを完成させた。(これほどの期間を要したのは)神殿建設と違って、王が(仕事に)本腰を入れなかったからである。神殿の建設のときは、それが大事業であり、並一通りでない感嘆すべき職人の腕が要求されたが、神もご自身のために建てられるこの神殿の作業に力を貸されたため、上述の年月で完成したのであった。しかし、王宮は、建築資材が長期間かけて集められたものではなく、また、同じ(多額の)費用が投じられたわけでもなかった。さらに、それが神ではなく王の居住まいであったので、神殿とくらべると荘厳さははるかに劣り、完成にも時間がかかったのである」(秦剛平訳)。これじゃ贔屓の引き倒し、褒め殺しです。どう考えてもソロモンは自分の宮殿のために神殿の倍の勢力を注ぎ込んだのです。

さてここで旧約聖書で初めてガリラヤが登場します。世話になったティルスの王ヒラムへのプレゼントとして登場します。しかしヒラムは気に入らず、「カブル(値打ち無い)」と呼ばれた(13)というのです。そもそもガリラヤというヘブライ語も「周辺」という意味です。私たちの主イエスもガリラヤから出て「ナザレのイエス」と呼ばれました。「緑の革命」が行われた今でこそ穀倉地帯ですが、「ナザレから何の良いものが出るだろうか」(ヨハネ1・46)とか「メシアがガリラヤから出るだろうか」(ヨハネ7・41)と千年後の主イエスの時代まで言われ続けるわけです。建前上はゼプルン、アシェル、ナフタリ、イッサカルの嗣業地でしたが、ガリラヤ(周辺)だけあってこの地域は士師記1章終わりの段階でもまだ先住民の住む場所でした。ソロモンはそこを先住民から取り上げ、開発し、ヒラム王にプレゼントしたものの気に入られなかったというのです。あれだけお世話になったヒラム王にこんな町で済ませ、自分の制裁にはもっと素敵な街を作り上げる。ソロモンの暗闇の素顔はこうした細部に垣間見ることができるのです。

神様はむしろこうした周辺、辺境に救い主を備えられました。ソロモンとは正反対です。この前のイースター説教「再びガリラヤへ」で述べたように、ガリラヤで救い主の第一声を挙げさせ、ガリラヤで復活の主との再会を備えられる方です。私たちの「ガリラヤ」はどこなのでしょう。

<2012年秋の伝道礼拝>第3回 「行く先を知らないで」

荻窪教会牧師 小海 基 先生

創世記12:1~4
ヘブライ人への手紙11:8

 今年の秋の伝道月間のテーマは「私たちの行く先」です。ヘブライ人への手紙11章は小見出しに「信仰」とあるように信仰の系譜を語る個所ですが、最初の人間アダムでなくアダムの息子アベルから語り始めています。
さらに言えば新約聖書冒頭のマタイによる福音書のイエスに至るまでの系譜の最初がアブラハムです。ということは信仰、信念、ポリシーを持つことは生まれながらの行為ではなく闘いであり、冒険なのです。聖書の信仰の出発点はアブラハムであり、彼が信仰の世界に出発したのは実に75歳の高齢で、「行く先を知らないで」神様にすべてを委ねて出発したのです。

この会堂の建築工事中に建築設計者から聞いてとても意外だった話があります。設計者が最も夢を持って力を入れて取り組む対象が、昔は宗教建築だったが、近年は美術館だというのです。
つまり人間が折々に深い何かと対話をしたり瞑想する場所が、教会など宗教施設でなく、美術館になっているということです。キリスト教のライバルが他宗教でなく美術館ということで、牧師としてはショッキングな話でした。

ところで2006年9月17日に、とても印象的な大事件とも言うべきことが起きていました。石田徹也という2005年5月23日に町田市の小田急線踏切事故のため31歳の若さでこの世を去った画家のことが、当時のNHK教育テレビ「新日曜美術館」で放映されたのです。当時は朝夜の2回放映されていました。朝の放映が終るや否やその番組史上なかったほどの反響が寄せられ、さらにネットのオンライン書店アマゾンで画集『石田徹也遺作集』が売上総合1位になりました。特別の仕掛け人がいたわけでもなく、口コミで広がったわけです。

私がその番組を見たのは同じ年の12月24日つまりクリスマスイヴの夜の再々放送でした。その時の放映は世間一般の浮わついたクリスマスイヴを吹き飛ばすほどの強いインパクトを与えました。番組内容は亡くなった石田徹也という無名画家がアパートに残していた作品を三つの画廊で遺作展として開き、大きな反響を呼んだというドキュメンタリーでした。

石田の絵は大抵、四角い枠に取り囲まれ、その中に自分の姿が描き込まれ、その視線はうつろです。絵を見た者は自分の姿を突きつけられているように受け止めるのでしょう。画廊に置かれたノートには通常では考えられないほど、若者ばかりか高齢者の感想も書き込まれていました。

「石田さん一人で背負い過ぎた大きな運命を思うと悲しくなってしまう」。「いつも作品集を見て夜泣いています。私がたくさんいると思うから」。「60歳の私にとっては気持ちのおき場所にこまりました。今の世の中のせつなさがそのまま描かれているように思いました」。「ルーヴル美術館級の作品より彼の作品の方がどんなに感動したか」といった具合です。

石田の絵が「行く先が分からない」現代の孤独を叫ぶ深みを持っているとするなら、聖書は「行く先を知らないで」と「で」の一文字が加わっています。これは非常に大きな意味を持っています。行く先を知らないけれども、委ねる先があって出発するという希望を示す「で」だからです。

創世記では神様が備えたエデンの園から追われて離れたあと、再び神様から示される「約束の地」へ高齢のアブラハムが出発したことを伝えています。神様に委ねて信仰の冒険へと向かうべきところがあることを聖書は私たちに語っているのです。