<2013年秋の伝道礼拝>第2回(10月20日)説教要旨を掲載いたします。

ヒズ ストーリー<2013年秋の伝道礼拝>第2回(10月20日)説教要旨

荻窪教会副牧師
龍口奈里子

イザヤ書43:16~21
ヨハネによる福音書5:31~40

<メッセージ>

 私が「歴史」という言葉を聞いて思い出すのは、神学部時代の教会史の講義での出来事です。「宗教改革って何?」という質問から始まった講義の中で「ヒストリエ」と「ゲシヒテ」のいう2つのドイツ語が板書されました。両方とも「歴史」という意味ですが、「ヒストリエ」は単に出来事を指し、「ゲシヒテ」は意味が加わったものを指します。講義のまとめに先生は、単なる出来事だけで歴史になるわけではなく、そこに意味が加わって初めて歴史と言えると述べ、さらにその歴史は、私たちの時間(クロノス)に、神の時間(カイロス)が介入することによって、意味のある歴史となるのだと締めくくられました。

 今日の説教題は「ヒズ・ストーリー」です。英語のHISTORY(ヒストリー)は、His(彼の)+Story(物語)が合わさってできた言葉だという通説があります。キリスト者にとって信仰とは、His(神の)Story(歴史)が私たちの時間の中に入ってくることによってMy story(私の歴史)が豊かにされることを証することである、と聖書は言います。今日の旧約聖書には「私の栄誉を語らねばならない」(イザヤ43:21)とあり、神の歴史に巻き込まれた自分の歴史を、次の世代に語っていくことが「神の民」となるのだと教えています。私たちと共にある神の物語は、「荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ」(イザヤ43:20)と記されている通り、希望の物語です。私たちの物語に介入してくる神とは、私たちの過去にも現在にも、未来にも介入してくる方なのだから、過去の恵みだけを物語るのでなく、今も将来も、神と共にある希望を語ることが「神の民」となるのだ、とイザヤの預言は語るのです。

 この夏訪ねたドイツのライプツィヒにあるニコライ教会は、東西ドイツ統合の象徴として世界的に有名な教会のひとつです。東ドイツに属していた1982年ごろから、毎週月曜日に「平和の祈り」の集会が持たれ始めました。若い人たちを中心に、平和について語り、祈りあっていたそうです。この小さい集まりが徐々に大きくなり、1989年10月には7万人が平和の行進を行うまでに規模が拡大。あっという間にドイツ全国に波及し、1ヶ月後の1989年11月9日のベルリンの壁崩壊へとつながるのです。これは、偶然の重なりではありません。ニコライ教会の若者たちが、平和を求め必死に祈り、神の歴史の介入を信じ、祈ったからこそ、まるで「砂漠に大河を造るような」希望のある未来が歴史的に起こったのではないか、と私は考えました。今でも、ニコライ教会では毎週月曜日に祈りの集会を続けています。

 今日の新約聖書(ヨハネ5:31-47)ではイエスご自身が、自分を証しするとはどういうことかについて、「神ご自身が、自分について証してくださることだ」と語っています。イエスご自身のMy storyは、His Story 神の物語なのだと。つまり私たちは、神に向かった自分の人生を語り継いでいけばよいのだ、とイエスは述べているのです。
 私達の時間に限りがあっても、現実の壁に押しつぶされそうになっても、His Storyが今もこの先も働き続けることを信じて待つこと、自分の力を超えた神を信じ、自分の人生を作ることが、私たちの歴史・My storyとなるのです。そのために、祈り、私たちの人生を豊かなものとしてくださる神の物語・His Storyを語ってゆきたいと思うのです。

(終)