<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

青春の日々にこそ創造主に心を留めよ

コヘレトの言葉 第12章1~2節
ヨハネの手紙Ⅰ 第2章12~14節

小海 基先生

<メッセージ>
聖書の信仰は、いつの時代も自由の中で「決断」を求めます。人生すべてを賭けた決断です。今回の秋の伝道礼拝のテーマは、次の世代に志、信仰をどのように伝えて行くかです。
「青春の日々にこそ創造主に心を留めよ」は、コヘレトが若者である信仰者に送った励ましの言葉です。何歳までが聖書的に「若さ」なのか定義することはできません。聖書の真実に出会うことにより、自分の生涯が全く変わることが出来る年齢を「若い」とすべきかもしれません。
私たち人間は地上の歩みの中で、いつの間にか価値観も生き方も固まっています。「四十にして惑わず」それは良い意味でもありますが、真実な出会いが巡ってきても、生き方を転換し生まれ変わることが出来ない、固まってしまっているという人間の姿には「若さ」はありません。
コヘレトは辛辣に「年を重ねることに喜びはない」長寿に対して、心のときめきがないと冷めて書いています。「若さ」とは、真実な出会いによって、自分の生涯が変わることが出来ることです。
確かに信仰の決断のような人生全部をかけた決断は、人生経験をした年を取った人よりは若い人の方がしやすいのかもしれません。何歳でも、本当のものに触れた時に人生を掛けた決断が出来る人が聖書の言う「青春」「若さ」なのでしょう。

10月15日の深夜に向坊恭子姉が93歳の生涯を閉じられました。まさに今回のテーマにある青春の日々に創造主に心を留められた方でした。姉は長い間、恵泉女学園で英語の教師をされていました。荻窪教会に転会されて、91年の「つのぶえ」に「イエスに従おうと決心したのは、恵泉を卒業する直前の修養会の時、河井道先生の励ましの祈りに支えられて心が決まった。夜も明けぬ真暗な早天祈祷会の冬の朝でした」と書かれています。
また学生時代のクリスマスの思い出として、緊迫した戦争中にもかかわらず、河井道の名を通して、アメリカ人夫妻との出会いに真の神さまが御子イエスを下し給うたと感じられたことも書かれていました。

河井道は学校を作ろうとYWCAを48歳で辞め、52歳の時に恵泉女学園を創立し、その発展のために最後まで尽力しました。
河井について、桑田秀延先生もキリスト教新聞に書かれています。桑田先生は、荻窪教会の初代牧師である日下一(くさか・はじめ)牧師が出征された留守の間の荻窪教会を支えて頂いた先生です。
「河井道は女子青年また女子学生に対して魅力ある指導者であった。河井の人格的感化をうけ、彼女を崇拝している女性は、今日の日本にもなお相当数あるだろう。河井には女子学生をひきつける不思議な賜物が与えられていた。私の長女(畠山悦子姉)も恵泉の卒業の際に河井に導かれて信仰に入ることを決意した」。
河井は76歳で亡くなる最晩年まで学生を励まし導き、その志はまさに青年だったと言えます。

ヨハネの手紙Ⅰは若者たちに書かれた励ましの手紙です。青春の日々に出会った創造主に心を留め、あなたはどう生きるのか決断を促されているのです。
私たちのキリスト教は決断の信仰です。どんな時代でも自由の中で決断して、それに応えて行くのです。私たちもこの信仰とこの志を伝えて行きたいと思います。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

魂を揺さぶる主の言葉

エレミヤ書  1:4-10
ヨハネによる福音書
15:16

日本聖書神学校校長
小林 誠治先生

<メッセージ>
日本聖書神学校に、縣(あがた)洋一さん、星野香さんの二人の神学生を送り出して下さっている荻窪教会の小海先生から、秋の伝道礼拝と、同じ日の午後の修養会の講演依頼を受け、説教では「自伝的説教を」との要望でありました。
私も81歳となり、牧師生活も今年で60年目となります。礼拝説教の限られた時間でどの程度お話できるか戸惑っています。

「神の摂理」ということ

私たちの人生は、生まれた時から今日まで、各人が固有の環境や条件のなかで束縛され、逃れられないことがあります。まず親を選ぶことは出来ません。親の選択を誤った、とは言えません。こうしたことを、「運命」と呼ぶことがあります。
運命は人間の意志に関係なく、身の上に巡りくる幸いや不幸、善や悪に関わることです。それでは私たちは運命に対してどうすることも出来ないのでしょうか。自分は悪い星のもとに生まれたのだからといって、諦めるほかはないのでしょうか。
このような考え方に対してキリスト教の信仰は全てのことは運命だと諦めてしまうのではなく、「摂理信仰」ということが出来ます。摂理信仰とはこの世の全ての出来事、私たちの人生において出会うすべてのことに、神のご意志が働き、その御手の中で配慮されて導かれているのだという信仰です。
「神の摂理」という言葉の源を聖書にたどれば、旧約聖書創世記22章に見ることが出来ます。アブラハムが独り子イサクを犠牲の小羊として献げなさい、と神の命令を受けてモリヤの山へ行きますが、目的地に着いたイサクが「火と薪(たきぎ)はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(創世記22章7節)とアブラハムに問われた時、彼は「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(同8節)と答えています。
この「神が備えてくださる」という言葉が「摂理」の語源となったのです。「備える」とは「見る」という意味から「あらかじめ見る」「あらかじめ知っている」ということと、そのために、「良き意志を持って配慮し世話をする」という意味を持っています。
神はこの世と、一人の人の人生のために将来起こるべきことをあらかじめ見つめ、知り、御手を差し伸べて必要なものを配慮してくださるのであり、それが「摂理」ということです。
この神の摂理ということに心を留めてお話をしたいと思います。

伝道者になるまでの歩み

私は生まれも育ちも神奈川県川崎市の南部、工場街の連なる近郊で過ごしました。
私の家庭は栃木県から上京して昭和の初期、産業の近代化、ファシズムの台頭により工業都市として軍需産業により発展しつつあった工場に就職したブルーカラーの父と専業主婦の母の家庭で育ちました。貧乏生活で母はいつも和裁の内職に追われていました。母は女学校時代に洗礼を受けたクリスチャンでしたので、戦前の川崎境町教会(旧福音教会)に所属していました。
私は6人兄弟の2番目で、不思議なことに、私だけが戦前に教会付属幼稚園に公共バスで通園しました。私以外の兄弟は近くの幼稚園に通っていました。
私は幼稚園を戦前に卒園後、学童疎開や戦災による中断時期がありましたが、戦後も教会学校中高科に通いました。
学校は旧制の川崎工業学校機械科に入学し、学制改革により、川崎工業高校電気通信科を卒業しました。
中学、高校時代には野球に熱中し、選手として高校1年の時、神奈川県予選の準決勝まで勝ち進んだり、その年の秋には神奈川県で優勝し、関東大会に行ったほどでした。
昭和24年高校2年の時、将来の進路を考えました。父の期待に応えて技術者になるか、学校が奨める体育教師になるか、実業団の野球を目指すかでした。その当時、伝道者になることは全く考えていませんでした。
その年の夏に、自分の魂が揺さぶられる経験をしたのです。それは教会の夏期修養会に参加した時のことです。その直前に高校野球の神奈川県予選で敗れて落胆していたのですが、今にして思えば、敗れたからこそ教会の修養会に参加できたのです。
夕べの集会で神学校を半年後に卒業する神学生から「わたしに注がれた神の愛―選びと召し―」(エレミヤ書とヨハネ福音書から)という証しを聞き、主の言葉が私の魂に入り、大きく揺り動かされました。そこで神学校へ行き、伝道者となる決心をして洗礼を受けました。
さて神学校に行く決心をしましたが、未信者の父親をどう説得するかが問題でした。
生活上、昼間に学ぶのは無理でしたので、自分の専門技術を生かし、好きな野球も出来、夜間に神学校で学べることから日本電電公社(現在のNTT)に就職し、日本聖書神学校で4年間学び、22歳の時に卒業し、同時に電電公社を退職しました。

人間の計画や思いを越える神の思い

若さと健康と伝道の情熱では誰にも負けないと自認していた私は、卒業後は北海道の小さな炭鉱町の開拓伝道が最初の任地として決まりかけていました。しかし学校から示された任地はこの世的な思いから、たとえ自分が招聘されても行きたくないと思っていた教会の伝道師でした。
まさにエレミヤが「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎません」(エレミヤ1・6)の思いでした。
私はエレミヤに語られた言葉に魂が強く揺さぶられて指示された教会に赴任し、この教会で牧会者としての基礎的な信仰の養いと力、教会形成、伝道牧会、奉仕、教会教育等の諸活動の方向と方法を決定的なものとされ、神の恩寵を深く思わしめられています。
その後、二番目には「健康で明朗で結婚していること」という招聘条件の北海道の教会に赴任したところ、現地到着3日後に盲腸で入院することになりました。結果的には入院のお蔭で見舞いに来られた教会員の方々と親しく交わりが出来たことがきっかけとなり、その後教勢も伸び、会堂建設、幼稚園設置も果たしたのでした。
その後、子どもの病気、手術でその教会を辞任することになりましたが、この2教会を含め、これまで10教会60年の牧会生活を経験いたしました。
各教会での歩みがすべて順調ではなく、困難や挫折の時もありましたが、神の思いは、人間の計画や行為を越えたものであり、自分の計画通りに運ばない反面、何かそうならざるを得ないように強いられていること、そうであるならば、そこに神のご意志を読み取って積極的に神のみ心として組み込んでいく。
神の言葉に従っていくとはそういう道なのだと信じています。
(終わり)

無料コンサート:バッハのクリスマス音楽の花束

下記の要領でコンサートが開かれます。どなたでもお越しください。

題目:バッハのクリスマス音楽の花束
日時:2014年12月20日(土) 15時開演(14時30分開場、17時終了予定)
場所:荻窪教会
入場料:無料

J.S.BACH(日本語演奏)
≪マニフィカト≫4つの挿入曲
カンタータ第97番≪わがすべてのわざ 主に導かる≫
カンタータ第62番≪いざ来たりませ 世の救い主≫

出演:
坂田和泉(ヴァイオリン)
橋本しのぶ(チェロ)
石川優歌(オルガン)
東京バッハ合唱団
大村恵美子(指揮/訳詞)

無料コンサート:BACH オルガン演奏による

下記の要領でコンサートを開催いたします。

題目:BACH オルガン演奏による 平均律クラヴィーア曲集Ⅱ(全曲、繰り返しなし)
日時:2014年12月23日(火) 13時30分会場 14時開演
入場料:無料
会場:荻窪教会

演奏:小沢さち
桐朋学園大学演奏学科ピアノ専攻卒業、弦学科伴奏研究員修了。
故江戸弘子氏、ラントシュ・イシュトヴァン氏に師事。
全日本学生音楽コンクール東日本大会3位入賞、NHKフレッシュコンサート出演。
府中市民講座にてオルガンを学び、その後、数々の学習会に参加。
東京ジングフェライエン専属ピアニストとして、主に宗教曲の合唱伴奏。
またバッハ平均律全曲演奏Ⅰ、リストの祈りシリーズ等の宗教曲分野でも好評を得ている。
桐朋学園大学付属音楽教室諏訪教室講師。

秋の午後のひとときを 男声アンサンブルとともに楽しみませんか?(無料)

アンサンブル・ハイブリッジ
第5回ミニコンサート
入場無料

2014年11月24日 14時30分会場 15時開演
場所:荻窪教会

第1部 男声合唱愛唱曲 (希望の島、お爺さんの古時計、三羽の烏他)
第2部 ロシア民謡など世界の民謡から (ともしび、モスクワ郊外の夕べ、ステンカラージン他)
第3部 古楽の響き (バード作曲「3声のミサ」より Kyrie Agnus Dei 他)
第4部 バロックでスイングします (Swing the ‘Prelude’, Swinging’, Anne Magdalene, 他)

合唱指導・指揮:高橋康人

ふれあいコンサートの開催(2014年11月8日(土)、荻窪音楽祭の一環として)

2014年の荻窪音楽祭の一環として、以下の要領でコンサートを開催します。入場無料です。どなたでもお気軽にお出でください。

会場:当教会
タイトル:ふれあいコンサート
時間:13時30分~16時(13時開場)
演奏者と曲目:
第1部(13時30分~)
 兼氏規雄(Cl)、西内真紀(Vl)、柴貴子(Vl)、大柴里枝(Vla)、穴田貴也(Vc) 曲目=モーツァルト「クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
第2部(14時30分~)
 宮崎真哉(Fl)、島崎英也(Ob)、松岡将法(Cl)、柴山千秋(Hrn)、石川恭世(Fg) 曲目=F.ダンツィ「木管五重奏曲op.67-3」
 山口恵三子(Vl)、鈴木道子(Vl)、高橋何奈(Vla) 曲目=A.ドヴォルザーク「テルツェットop.74,B.148より」他
 相原雅美(Cl)、古角圭和(Fl)、和田紗季(Fg) 曲目=D.ミヨー「パストラールop.147」他
 中島麻紀子(Msop)、長野充(Vl)、岡野雅一(Guit) 曲目=C.グノー「アヴェ・マリア」他

東北学院大学グリークラブ東京OB合唱団による無料コンサートの開催(2014年10月26日12時30分開演)

以下の要領でコンサートが開催されます。
参加費無料です。どなたでもどうぞ。

日時:2014年10月26日(日)12:30開演
タイトル:東北学院大学グリークラブ東京OB合唱団 演奏会 ~恩師ビクター C.セアル先生を偲んで~
演目:宗教曲(Requiem Aeternam 他)愛唱歌(箱根八里 他)黒人霊歌(Balm in Gilead 他)
指揮:竹花秀昭

特別集会のご案内

10月19日(日)礼拝後(12時ごろから)、以下の要領で特別集会を開催いたします。
参加費無料です。どなたでもどうぞ。

ミリアムの会 特別集会
タイトル:「お口の健康を通してQOLの維持を」 
講師:当教会会員 歯科医師 佐藤和正先生 ・ 佐藤恵子先生

《2014年・秋の伝道礼拝へのお招き》

 2014年10月の伝道月間のテーマは〈若い魂への志の継承〉です。
ひとりの自立した存在として、他の人はどうであろうと、信念、信仰、ポリシーを貫いて生きぬくという在り方が、私たち日本人にはどうしても弱い所があります。島国で、なんとなく周りに合わせ、流されていく…。聖書の信仰は、いつの時代も自由の中で「決断」を求めます。人生を賭けた「決断」です。
今回の伝道礼拝は、日本聖書神学校校長の小林誠治牧師による若き預言者エレミヤの召命の記事を始めとして、旧約と新約聖書から若い日々に志、信念、信仰、ポリシーに出会い、生涯を賭けてそれを貫いて行った人生を学びます。これからの世代に何を伝えていくかという大きな問題です。
合わせて12日の礼拝後には教会修養会を持ち、二人の牧師への献身者を抱える私たちの教会のあり方を、使徒パウロの高弟バルナバと重ねながら、「バルナバの人格に学ぶ」と題して小林校長から聴くひと時を持ちます。
行く先が見えず、混迷し、見定まらないこの時代のただ中で、聖書の語る言葉に目を留め、立ちどまって考えてみませんか。
 10月12日「魂を揺さぶる主の言葉」小林誠治牧師 (日本聖書神学校校長)
 10月19日「青春の日々にこそ創造主に心を留めよ」小海 基牧師(荻窪教会牧師)
 10月26日「若さゆえに軽んじられるな」龍口奈里子副牧師(荻窪教会副牧師)
※その他イベントがあります。本ウェブサイトに掲載いたします。

8月3日(日)の平和聖日に行われた、牧師の説教を掲載いたします。

平和聖日説教「正義と平和」        
2014年8月3日      
小海 基
「そのとき、主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。『直ちに下って行き、サマリアに住むイスラエルの王アハブに会え。彼はナボトのぶどう畑を自分のものにしようと下って来て、そこにいる。彼に告げよ。』」(列王記上第21章17~18節)

 今年の平和聖日を取り巻くこの国の情況はまことに緊張しています。何も悪いことをしていないのに、恨みも何も無いのに殺されてしまう。実質的クーデターのような「解釈改憲」が押し通され「平和憲法」がなし崩しにされる。青少年や実の親による身震いするような殺害事件が続く。ガザで、ウクライナで戦火が上がり、幼い魂が失われる…。
 北イスラエルのアハブ王が、ならず者を使ってイズレエルの農民ナボトを、身に覚えのない「神と王を呪った」という冤罪で石打ち刑に処してしまい、彼のぶどう畑を奪った事件も、ただ単に「別荘の隣にあるぶどう畑が欲しかった」というだけの実にくだらない理由で起こりました。何も殺さなくてもと思うような不条理の殺人事件です。
 さすがに総てがうまく行き過ぎて、ここまでやって良かったのだろうかとアハブ王にも良心の呵責にとらわれたのか、迷いひるむ気持ちがあったと見えます。
 しかし、悪妻イゼベル王妃は間髪入れずアハブ王をたきつけます。「あのぶどう畑を、直ちに自分のものにしてください。ナボトはもう生きていません。死んだのです」(21・15)。一国の王、国の頂点なのだから、当然なのだ。相応の銀を支払うと申し出ているのに、それを拒んだナボトの方が自業自得なのだというわけです。
 ここでしたり顔で、「世の中というのはこのぐらいの不条理がまかり通るところなのだ」と、当時の北イスラエルの民のように殻に引きこもってしまったなら、「山上の説教」で「幸いである」とイエス・キリストから称えられる「平和を実現する人」、「義のために迫害される人」(マタイ5・9~10)ではありません。預言者エリヤはこういう時、いつもたったひとりで神様から遣わされます。カルメル山でバアルとアシェラの預言者たちと勝負をした時もたったひとりでした。こちらはたったひとりで、850人と勝負したのでした。今回もたったひとりで、北イスラエルの絶対君主アハブに立ち向かうことが求められるのです。
 キリスト者の「地の塩」の働きというのは、たったひとりで遣わされるところに担われるのです。
 最近「福音と世界」誌に書評を書くように求められて、D・ボンヘッファーの『共に生きる生活』を読み返しました。そしてこんな風に書きました。
「『共に生きる』とか『交わり』という魅力的なタイトルに魅かれて本書を開く者は、誰もが冒頭から冷や水を浴びせられる。『イエス・キリストは敵のただ中で生活された。…イエスは十字架の上で、…ただひとりであった。彼は神の敵たちに平和をもたらすために来られたのである。だからキリスト者も、修道院的な生活へと隠遁することなく、敵のただ中にあって生活する。そこにキリスト者は、その課題、その働きの場を持つのである。…「〔その現実に耐えようとせず、友人たち、敬虔な人たちとだけ共にいようとする者〕、ああ、汝ら神を冒涜し、キリストを裏切る者たちよ!もしキリストがそのようになさったとしたら、いったい誰が救われたであろうか」(ルター)』(10~11頁)。『ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい』(109頁)と、中ほどでもだめ押しされる。時代の圧倒的な流れに抗して少数者として戦う中で生まれた記録なのである。キリスト教国で生まれた書であるが、日本のようなキリスト者そのものが社会の少数者であるようなところで、励ましと自覚をいつも与える書である。
『非暴力不服従』をインドのガンジーから学ぶことを断念し就任した、フィンケンヴァルデの告白教会の牧師研修所と兄弟の家(ブルーダ―ハウス)における二年半の共同生活を元に本書は書かれている。生前に出版されたボンヘッファーのわずかの著作の一つである。描かれているのは少数者であろうとも『外的奉仕』という使命を担うための『内的集中』する群れの実践記録。強制収容所で非業の最期を迎えた著者の生涯を支え続けた者が見えてくる。日本の今の憂うべき政治情況の中でこそ本書の響きを改めて聴くべき内容だ」。
アハブ王は最初こそ「わたしの敵、わたしを見つけたのか」と、北イスラエルの王の前で虫けらのようなエリアごときがどれほどの存在と、見下しています。しかしたったひとりで王の前に立つエリアは、人間としては力は無いのかもしれないけれど、全能の神の言葉を担っています。アハブ王は見る間に神の人場の前に力なく打ち砕かれてしまいます。ヨナの預言に思いかけず悔い改めたニネベの人々のようです。聖書を読んでいる私たちにも不思議に見えるほどです。
「アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって断食した。彼は粗布の上に横たわり、打ちひしがれて歩いた」(21・27)。
わたしたちもひとりのエリヤです。どんな時代の荒波であろうと、キリスト者が「平和を実現する」ひとり、「義のために迫害される」ひとりとして立つところから、神の国は始まっていくのです。神はその空の鳥のような、野の花のような「ひとり」の働きを決してないがしろにはされません。
(終わり)