<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨
魂を揺さぶる主の言葉
エレミヤ書 1:4-10
ヨハネによる福音書
15:16
日本聖書神学校校長
小林 誠治先生
<メッセージ>
日本聖書神学校に、縣(あがた)洋一さん、星野香さんの二人の神学生を送り出して下さっている荻窪教会の小海先生から、秋の伝道礼拝と、同じ日の午後の修養会の講演依頼を受け、説教では「自伝的説教を」との要望でありました。
私も81歳となり、牧師生活も今年で60年目となります。礼拝説教の限られた時間でどの程度お話できるか戸惑っています。
「神の摂理」ということ
私たちの人生は、生まれた時から今日まで、各人が固有の環境や条件のなかで束縛され、逃れられないことがあります。まず親を選ぶことは出来ません。親の選択を誤った、とは言えません。こうしたことを、「運命」と呼ぶことがあります。
運命は人間の意志に関係なく、身の上に巡りくる幸いや不幸、善や悪に関わることです。それでは私たちは運命に対してどうすることも出来ないのでしょうか。自分は悪い星のもとに生まれたのだからといって、諦めるほかはないのでしょうか。
このような考え方に対してキリスト教の信仰は全てのことは運命だと諦めてしまうのではなく、「摂理信仰」ということが出来ます。摂理信仰とはこの世の全ての出来事、私たちの人生において出会うすべてのことに、神のご意志が働き、その御手の中で配慮されて導かれているのだという信仰です。
「神の摂理」という言葉の源を聖書にたどれば、旧約聖書創世記22章に見ることが出来ます。アブラハムが独り子イサクを犠牲の小羊として献げなさい、と神の命令を受けてモリヤの山へ行きますが、目的地に着いたイサクが「火と薪(たきぎ)はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(創世記22章7節)とアブラハムに問われた時、彼は「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(同8節)と答えています。
この「神が備えてくださる」という言葉が「摂理」の語源となったのです。「備える」とは「見る」という意味から「あらかじめ見る」「あらかじめ知っている」ということと、そのために、「良き意志を持って配慮し世話をする」という意味を持っています。
神はこの世と、一人の人の人生のために将来起こるべきことをあらかじめ見つめ、知り、御手を差し伸べて必要なものを配慮してくださるのであり、それが「摂理」ということです。
この神の摂理ということに心を留めてお話をしたいと思います。
伝道者になるまでの歩み
私は生まれも育ちも神奈川県川崎市の南部、工場街の連なる近郊で過ごしました。
私の家庭は栃木県から上京して昭和の初期、産業の近代化、ファシズムの台頭により工業都市として軍需産業により発展しつつあった工場に就職したブルーカラーの父と専業主婦の母の家庭で育ちました。貧乏生活で母はいつも和裁の内職に追われていました。母は女学校時代に洗礼を受けたクリスチャンでしたので、戦前の川崎境町教会(旧福音教会)に所属していました。
私は6人兄弟の2番目で、不思議なことに、私だけが戦前に教会付属幼稚園に公共バスで通園しました。私以外の兄弟は近くの幼稚園に通っていました。
私は幼稚園を戦前に卒園後、学童疎開や戦災による中断時期がありましたが、戦後も教会学校中高科に通いました。
学校は旧制の川崎工業学校機械科に入学し、学制改革により、川崎工業高校電気通信科を卒業しました。
中学、高校時代には野球に熱中し、選手として高校1年の時、神奈川県予選の準決勝まで勝ち進んだり、その年の秋には神奈川県で優勝し、関東大会に行ったほどでした。
昭和24年高校2年の時、将来の進路を考えました。父の期待に応えて技術者になるか、学校が奨める体育教師になるか、実業団の野球を目指すかでした。その当時、伝道者になることは全く考えていませんでした。
その年の夏に、自分の魂が揺さぶられる経験をしたのです。それは教会の夏期修養会に参加した時のことです。その直前に高校野球の神奈川県予選で敗れて落胆していたのですが、今にして思えば、敗れたからこそ教会の修養会に参加できたのです。
夕べの集会で神学校を半年後に卒業する神学生から「わたしに注がれた神の愛―選びと召し―」(エレミヤ書とヨハネ福音書から)という証しを聞き、主の言葉が私の魂に入り、大きく揺り動かされました。そこで神学校へ行き、伝道者となる決心をして洗礼を受けました。
さて神学校に行く決心をしましたが、未信者の父親をどう説得するかが問題でした。
生活上、昼間に学ぶのは無理でしたので、自分の専門技術を生かし、好きな野球も出来、夜間に神学校で学べることから日本電電公社(現在のNTT)に就職し、日本聖書神学校で4年間学び、22歳の時に卒業し、同時に電電公社を退職しました。
人間の計画や思いを越える神の思い
若さと健康と伝道の情熱では誰にも負けないと自認していた私は、卒業後は北海道の小さな炭鉱町の開拓伝道が最初の任地として決まりかけていました。しかし学校から示された任地はこの世的な思いから、たとえ自分が招聘されても行きたくないと思っていた教会の伝道師でした。
まさにエレミヤが「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎません」(エレミヤ1・6)の思いでした。
私はエレミヤに語られた言葉に魂が強く揺さぶられて指示された教会に赴任し、この教会で牧会者としての基礎的な信仰の養いと力、教会形成、伝道牧会、奉仕、教会教育等の諸活動の方向と方法を決定的なものとされ、神の恩寵を深く思わしめられています。
その後、二番目には「健康で明朗で結婚していること」という招聘条件の北海道の教会に赴任したところ、現地到着3日後に盲腸で入院することになりました。結果的には入院のお蔭で見舞いに来られた教会員の方々と親しく交わりが出来たことがきっかけとなり、その後教勢も伸び、会堂建設、幼稚園設置も果たしたのでした。
その後、子どもの病気、手術でその教会を辞任することになりましたが、この2教会を含め、これまで10教会60年の牧会生活を経験いたしました。
各教会での歩みがすべて順調ではなく、困難や挫折の時もありましたが、神の思いは、人間の計画や行為を越えたものであり、自分の計画通りに運ばない反面、何かそうならざるを得ないように強いられていること、そうであるならば、そこに神のご意志を読み取って積極的に神のみ心として組み込んでいく。
神の言葉に従っていくとはそういう道なのだと信じています。
(終わり)