<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

若さゆえに軽んじられるな               

サムエル記上16:5b~7
テモテへの手紙Ⅰ 4:11~16

龍口奈里子先生

<メッセージ>
昔から人生のすべてを掛けた決心というのは、ある意味若さの象徴でした。しかし今日の若い世代の人たちから、「決断」という言葉は遠くに離れているとお感じになる方も多いのではないでしょうか。彼らは、自分の実現できる範囲内での夢、安定した就職とか結婚という目先の夢に向かっての人生設計は若いうちからきちんとたてているけれども、逆に冒険はしない、競争もしたくない、無茶はいやだ、と考える人が多いようです。
しかし聖書は、私たちの伝えようとしている信仰の世界は、それとは逆なのです。信仰とは主イエスに招かれて、そこから今まで知ることのなかった新しい歩みへと踏み出すことが求められます。そして踏み出した先には思いもかけない出会いや恵みがあることを、私たちは聖書のみ言葉を通して知らされます。

先々週の修養会で、小林先生から私たちはバルナバについて学びました。バルナバがパウロやマルコを見いだし、そこから自らの賜物を発見していった人物であったということ、若いパウロを受け入れる人など誰もいなかったときに、パウロの才能を見いだしパウロの言葉を聞き、それだけでなく年長者であるバルナバ自身もパウロとの出会いによって自分の賜物を再発見していったというのでした。そのような出会いこそが信仰の恵みだと思います。
テモテという若い伝道者は、パウロによってエフェソの教会の牧会を任されていました。パウロが教会の第一線から退くにあたり、後継者のテモテに引き継ぐためにテモテとエフェソの教会の人たちに向けて語っているのがこの手紙です。若いテモテに述べた言葉は、きっと今日の若い人たちにも響く言葉ではないかと思います。

今日の説教題に挙げた「若さを軽んじられるな」という言葉は、一つにはエフェソの教会の人たち、特に年長者たちに向けた言葉でもあります。若いという理由で、経験が足りないというただそれだけの理由で、若者たちを軽んじるなというのです。それと共に、若いテモテに対しても「あなたは軽んじられてはならない」と語るのです。
今の若い人たちは若さゆえに役に立たないと言われないように、資格や学歴で保険をかけることに一生懸命です。しかしパウロはそのように若さを軽んじるなというのです。資格や学歴ではなく、若さゆえの言葉や行動、そして信仰の賜物を生かして、自分自身を軽んじたりしないでそれぞれの光を放ちなさい、というのです。年齢や外見にとらわれず、その人が神の目から見たら一人の役立つ人間としてあるということ。そこから互いに励まし合い、支え合う関係へと変えられていく、それが信仰の交わりです。パウロはそうやってテモテを見ました。
フィリピの手紙の中でテモテについて述べているパウロの言葉からは、若いテモテを一人の同労者として支え、励ましあう同士としてとらえていることが伝わってきます。お互いに、年齢や立場を越えて認め合い、主にある兄弟としてみる。そこに新しい出会いや恵みの発見があるのだ、それが信仰の交わりなのだと訴えているのです。

若い人も老いた人も、主イエス・キリストを自分たちの心に受け入れ、主を信じる信仰によって私たちの人生を軽んじたりしないで謙虚に生きなさい、とパウロは勧めるのです。神から与えられている目に見えない言葉や愛や信仰を伝えていくこと。それが私たちの信仰の出発点です。私たちもパウロの言葉から、神様のみ前でなすべきことをこの世へと繋げていくことを使命としていきたいと思います。
(終わり)