<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第3回(5月27日)説教要旨
「日毎の糧を今日も」               

龍口奈里子

出エジプト記16:4~8
マタイによる福音書6:11~13

<メッセージ>

 今回のテーマである「主の祈り」くらい、私たちにとって不自然で難しい祈りはないのではないでしょうか。主イエスは、「アッバ」と、本当のお父さんに呼びかけるように祈りなさいと教えられましたが、私たちは神様をそんな風に、親しげに、自然に呼びかけることができているでしょうか。子どもがお父さん、お母さんに全幅の信頼を寄せるように、私たちが心から神様を信じて従いますという、確かな信仰の応答でもってこの祈りを始めなければ、とても言えない「アッバ、父よ」であり、「主の祈り」なのです。
 今日の説教題の「日毎の糧」あるいは主の祈りでは「日用の糧」ですが、その「日毎」「日用」とは、「必要な」「無くてはならぬ」「今日一日の」「日々の」という意味です。イエス様からこの祈りを教えられた当時の人たちがこの祈りをするとき、必ず思い起こす場面、出来事がありました。それはエジプトを脱出して約束の地へと向かうイスラエルの民が、荒れ野の旅の中で食べ物がなくなった時、神様から「天からのパン」であるマナによって養われたという出来事です。
 神は彼らに一日分ずつ集めなさいと命じられました。欲を出して明日や明後日の分もと集めておいたものは腐って食べることができませんでした。ただし金曜日だけは翌日の安息日の分も集めることが許されました。マナはたった一日しか持たない食料ではなくて、神様が特別に「今日一日の分」「日毎の糧」としてイスラエルの民に、一日一日与えられたものであり、荒れ野での旅路の中で、民たちはそれによって養われて生きることができたのでした。
 だから人々はいつも先祖たちに与えられた「天からのパン」のことを思い起こし、自分たちも神様によって今日一日を養われていくことを祈り求めたことでしょう。「今日」という一日を生きる、それが「アッバ、父よ」と呼びかけるようにして神様を信じて生きることなのだと、心深くに味わったのだと思います。
 「糧」と訳されたアルトスというギリシャ語は、新約聖書に多く用いられています。イエス様がサタンから「石がパンになるように命じなさい」と言われた「パン」も「2匹の魚と5つのパン」の奇跡物語のパンも、同じアルトスで、「食べるパン」のことです。一方、主イエスが「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない」と言われた「パン」もアルトスですが、これは「ただ口から食べるパン」ではなく、「命のパン」です。同様のことが「主の祈り」の「日用の糧」にも言えます。私たちが神様から与えられる「糧」は空腹を満たすための「口から食べるパン」のことだけではなく、神様によって一日一日を養われている「命のパン」のことでもあるのです。
 私たちはこの「命のパン」を求めて教会の門をたたいているのではないでしょうか。誰もがこの「命のパン」を求めて主イエスのもとへ行き、主イエスに出会っていきます。しかし主イエスによって今日一日の満腹を得たにもかかわらず、主イエスの元から離れようとしない群衆のように、自分たちの明日の飢え渇きを満たすために、誰かを踏みつけてしまうこともあるでしょう。だからこそ主は、「他人の糧を奪いませんから、私たちの今日一日のパンをお与えください」と祈りなさいというのです。私たちは祈るごとに、主のもとへいって「命のパン」をいただきます。さらに心と体を隣人へと向けて、それぞれの「いのち」を互いに分け与えていきます、という思いを持ってこの世へと出かけてゆくのです。

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第2回(5月20日)説教要旨
「御心が天にも地にも」

小海  基

ヨブ記       42: 1~ 6
マタイによる福音書 26:36~46

<メッセージ>

 岡田先生の伝道礼拝の直前に開かれた英語聖書を読む会で、「主の祈り」で一番大切なのはどの部分か、という面白い質問がありました。「主の祈り」が記録されているマタイ6章とルカ11章で主ご自身が解説されていることから推測して、「赦して下さい」「必要な糧を与えて下さい」が該当すると思います。
 困ったことに今日とりあげる「御心が天にも地にも行われますように」はマタイ6章にしか出てきませんし、主ご自身の解説もないのです。余り大切ではないのでしょうか。
 むしろ逆の発想をすべきだと思います。「主の祈り」には含まれていなかったかもしれないけれど、主イエスがいつも口癖のように祈っていたこの「御心が天にも地にも行われますように」が欠ければ「主の祈り」にならないと考えてマタイが6章に書き足したのだ。それは、今日読んだマタイ26章では十字架につけられる直前のゲッセマネでの祈りの中で3度もこの言葉を祈られたと記録されているからです。このことはマルコ14章、ルカ22章にも記録されています。そばにいた三人の弟子たちが眠ってしまったのになぜこの言葉が記録されたかと言えば、それはイエスが本当にいつも祈っていて、弟子たちは、そばで眠りに落ちながらも、先生はまたあの言葉を祈っている、と思っていたに違いないからです。
 考えてみれば、この祈りくらい不思議な言葉はないのかもしれません。ボンヘッファーは牧師研修所で講義がまだ出来た時期に神学生に次のように語りました。
 「イエスの弟子たちは、何よりも先ず神のみ名、神の国、神のみこころを祈らねばならない。神はこの祈りを必要とし給うことはないけれども、弟子たちの方はこの祈りによって、自分たちが乞い求めているみ国の宝にあずからねばならない。彼らはまた、このような祈りによって、約束を一層早く招きよせるのを助けることが許されるのである」。
 この講義はナチス時代に行われ、この講義を聞いた神学生の3分の2以上は戦死しています。ボンヘッファーはやがて逮捕されますが、獄中で、甥にあたるベートゲの息子の幼児洗礼のお祝いに書いた書簡が残されています。それには「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」とあります。
 昨年6回目の来日をされたクラッパート先生が指摘されたことですが、バルトの未完に終わった「教会教義学」の最後の断片の講義原稿では、「御国をきたらせたまえ」という主の祈りの部分の結びに、「義がなされよ」という言葉が書かれているが、これはボンヘッファーのこの書簡の言葉への応答なのだというのです。
 祈りにある「御国」とは天国ではなくイエスご自身であり、「マラナ・タ」(主よ来てください)の祈りであり、その応答が正義のために闘うことだというのです。
 最近、「本のひろば」6月号に翻訳家の小宮由(こみや・ゆう)氏が書いた「北御門二郎とトルストイとの出会い」という文章に引用されている、トルストイが執筆・編集した『文読む月日』の言葉とそれはつながります。
 「一羽の燕が春を呼ぶのではないと言われる。しかし、たとえ一羽の燕では春を呼べないとしても、すでに春を感じた燕としては、飛ばないでじっと待っているわけにゆこうか?」。
 私たち少数派のキリスト者の存在は、春を告げる一羽の燕のような存在でありたいと思うのです。

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨

<2018年春の伝道礼拝>第1回(5月13日)説教要旨
「御国が来ますように」

富坂キリスト教センター総主事
岡田   仁(ひとし)先生

出エジプト記    19:1~6
マタイによる福音書  6:10

<メッセージ>

主イエスとの出会い

 私は大阪で生まれ育ち、高校生の時にアシュラムという修養会への参加をきっかけに高2のクリスマスに洗礼を受けました。アシュラムは「退修」という意味で、「イエスは主なり」を合言葉に沈黙のうちに御言葉に聴くのです。今仕えている富坂キリスト教センターでは、霊性と社会倫理を柱に活動しています。まさに主イエスがそうであったように、喧噪から退いて聖書の御言葉に静かに聴いて祈ることは、この世で証を立てる上で大切なことです。神様が愛されたこの世に仕え、その課題を責任をもって担うことです。ハレスビーの「みことばの糧」という本を通して献身の志を与えられ、関西学院大学で神学を学びました。

水俣での実習体験

 神学部の実習の一つとして、初めて沖縄、筑豊、大牟田、水俣を訪ねました。その頃(1988年)水俣では、未認定患者の聞き取り調査が行われていました。二度目の訪問の際、田上義春さんという認定患者と出会いました。26歳の時に水俣病を発症して相当苦労された方です。「わしは水俣病になって良かった。裁判を通じて多くの人に出会い、チッソの本質、人間の欲望、業がはっきりわかった。人間は裏切るが自然は裏切らない。お金で換算できないものがこの世にある」。水俣病になったお蔭で視野が広がったという内容で、その言葉に私は全身を烈しく撃たれました。水俣病被害者は、日本の近代化、高度経済成長期の陰で、直接その恩恵を受けることなく、裏側で繁栄を支え、犠牲になった人たちと言えます。
 私は当時教団の教会が水俣に無かったので開拓伝道をするつもりで宣教の対象として水俣の人たちを見ていました。しかし、私が行く前にすでに神はそこに居られ、苦しんで亡くなる人と共に涙を流し、公害被害者と苦しみを共にされている神様と、水俣で出会わされ、もう一度牧師として立つように促されました。水俣での5年半の間、2トントラックを運転して、患者とその家族のミカン出荷の手伝いや、廃食油をリサイクルして石鹸を作る工場で働きました。田上さんたち患者と支援者でせっけん運動を始めました。
 また、胎児性患者との出会いも忘れることが出来ません。妊婦の場合、母親が食べた汚染魚の毒を、母親ではなく胎児が引き受け、重い障がいを負って生まれます。一人一人与えられた生命を生き、自立を目指す彼らに接するうちに、神の国は抽象的ではなく、もっと具体的で最も悲惨で闇と思われる荒れ野のような場所に、神の国の福音はダイナミックに前進し、人間の限界を突き破って既に動き始めていました。
 
根っこは「貪(むさぼ)りの罪」

 戦争は最大の公害、環境破壊と言われますが、その根っこにあるのは「貪りの罪」です。チッソ工場の製品は、プラスチックやビニールの原料、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料などいずれも私たちが日常生活で快適で便利だと言って使うものです。いわば日本の近代化を陰で支えてきたのが水俣を含む公害被害者です。十戒の第一の戒め「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」と、十番目の戒め「隣人の……を欲してはならない」(貪ってはならない)が最初と最後におかれているのは意味があります。神ならぬものを神とする一方で、我々の中にある「むさぼりの罪」「自己絶対化の罪」などの毒素が「チッソ」を生み、大規模な環境破壊と大量殺戮を引き起こしました。
最近亡くなられた石牟礼道子さんは「1908年(チッソ水俣工場創業)から日本人の道徳や美徳の崩壊が始まり、今や日本人自体が世界の毒素になってしまっている。日本人の倫理観が厳しく問われている」と言われました。水俣病は、60年以上経過した今もその事件の全容の殆どが分からず、複雑な問題が絡み合っています。石牟礼さんのメッセージを我々は今一度心に刻み付けるべきでしょう。
 過去に学び、今と将来に向けて人間としてどう生きるか。もはや加害者か被害者か二項対立ではなく、一人ひとりが突きつけられている問題であって、水俣病事件には第三者的な立場はないと思います。水俣病が問うているのはこのことです。  
 
井上良雄先生から学んだこと

 主イエスが弟子たちに主の祈りを教えました。「御名が崇められますように」のあと「御国が来ますように」との祈りが続きます。井上良雄先生から学んだことは、キリスト者とは「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ生きる存在であり、この終末論的信仰に生きるからこそ、この世の問題に仕える(ロマ12―13章、Ⅰコリント7章)のであって、そこで求められるのは「人間の参与」(応答)であるということです。「神の国の到来と人間の参与は密接に結び合っている」がゆえに「『御国を来たらせたまえ』と祈る者は地上の現実から一歩も退かず、人間の悲惨の総体を背負うようにして神の前に立ち、神に助けを祈り続け、終わりの日を待ち望みつつ生きるゆえに、私たちは現在の課題を回避しない」と井上先生は言われます。神の国の成就のために、苦しんでいる全人類のため、全被造物が新しくされるために聖霊が注がれるよう神に求めることが重要です。神の国の到来を待ち望むゆえに、いま小さくされている存在とその命に焦点を合わせるのです。 
 出エジプト記19章には、世界中に神の国の福音を証しする責任が民に委ねられているとあります。そして次章で「貪るな」との戒めが続くのです。選びとは有責性を意味します。神が創られ愛されるこの世と、他者に仕えるために私たちは神から選ばれているのです。「あなたの御国が来ますように」神の国はすでに近づいて動いているのです。同時に今この時を精一杯生き、共に生きよということです。
伝道とは、苦しんでいる人に寄り添い、苦しむその声に耳を傾けて共にいること。私という土の器を通して、神様が必要な時に必要な言葉を語りかけて下さる。私たちはこれからも、神の国の証人・主の証人として「御国が来ますように」と祈りつつ、神が創られた世界、被造物が悲鳴を上げている現実に対して常に目を覚ますのです。神の国の徴(しるし)とその生き生きとした動きを見極め、神の愛の働きに喜んで参与するものでありたいと願います。

2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2018年春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 この2018年2月10日に90歳で『苦海浄土 わが水俣病』(講談社1969年)の著者石牟礼道子さんが亡くなられました。新日本窒素肥料(後のチッソ)の有機水銀が美しい不知火海の魚を汚染し、「水俣病」を発症させたことが公式に確認されたのが1956年、裁判が始まったのが69年、困難な裁判でしたが、73年の判決でチッソ側の過失が認定されました。同書や写真家ユージン・スミス氏の写真によって、「水俣病」をはじめとする「公害」問題、命や生態系をないがしろにしてきた近代文明は根底から問い直され、社会に大きな衝撃を与えました。しかしそれは問題の始まりのひとつに過ぎず、その後の2011年3月11日の東日本大震災と津波、福島第1原発事故による放射能汚染へと続いていきます。

 この春の伝道礼拝は、富坂キリスト教センター総主事の岡田仁牧師をお招きして、現代社会が抱えているこの問題について聖書から聴くシリーズです。岡田先生は関西学院大学大学院在学中、水俣で現地研修をされたことを大きなきっかけとし、卒業後、佐世保比良町教会、駒場エデン教会、ドイツ留学を経ながらも、課題を担い続けてこられた方です。現在総主事として働いておられる富坂キリスト教センターは、戦前にドイツの教会によって建てられた施設です。岡田先生をお迎えする伝道礼拝を皮切りに、主イエス・キリストが教えて下さった「主の祈り」を中心に、旧約聖書と新約聖書から私たちが真に心を合わせて祈り続けなければならない課題を見つめる3週続きの伝道礼拝となります。

 はじめて教会をくぐるという方、どなたでも参加できます。聖書から促される私たちの祈りの課題へ耳を傾け、祈りの輪に加わってみませんか。

5月13日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御国が来ますように」  富坂キリスト教センター主事 岡田(おかだ) 仁(ひとし)
略歴 1967年生まれ。1989年関西学院大学神学部卒業。   
同大学院在学中、水俣で現地研修。                  
佐世保比良町教会牧師、駒場エデン教会副牧師を経て、2006年EKD奨学生としてドイツ・ホフガイスマール牧師研修所に留学。2009年より(公財)基督教イースト・エイジャ・ミッション富坂キリスト教センター総主事                                                                                                         共著 『低きに立つ神』(コイノニア社、2009年)、『キリスト教平和学事典』(教文館、2009 年)、『行き詰まりの先にあるもの―ディアコニアの現場から』(いのちのことば社、2014年)など。

5月20日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「御心が天にも地にも」   荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい)
東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
当荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イエ  
スのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』(日
本キリスト教団出版局 共著)などがある。

5月27日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「日毎の糧を今日も」   荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
1993年~ 当荻窪教会副牧師。

2017年12月24日(日)18時から キャンドルサービス 

キャンドルサービス
2017年12月24日(日)18時から
於:荻窪教会

※ クリスマス礼拝:12月24日(日)午前10時30分
※ 教会学校の祝会:12月17日(日)午後2時~4時
                   (献金をご用意ください)

※東京バッハ合唱団クリスマス特別演奏会:12月16日(土)午後14時より
≪ロ短調ミサ曲≫より抜粋  カンタータ≪待ちのぞむ みななれを≫
 入場無料

どなたでもご自由におこしください。 

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第3回(10月22日)説教要旨
 「自分の家に帰りなさい」

申命記  34:1~4
ルカによる福音書 8:32~39

荻窪教会副牧師
龍口 奈里子

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝のテーマは「選択」です。そこで今日は2人の人物の「選択」について考えてみたいと思います。この2人は自分の人生の目標を自分自身で選択することが許されなかった人たちです。
ひとりは、主イエスと一緒に伝道することを願ったけれども、「自分の家に帰りなさい」と言われた男、もう一人は、40年の旅路の最後に、約束の地を見たいと望みながらも、ついに約束の土地に足を踏み入れることが叶わないまま死んだモーセです。
「未完成の人生」を余儀なくされた2人から、それぞれに託された「選択」について考えてみたいと思います。
主イエスたち一行は向こう岸にある「ゲラサ人の地方」に着きました。そこはデカポリス地方と呼ばれる都市でした。豚しかいないような町ではなく、文明の進んだ、異邦人の住む町でした。その地方に主イエスが来るやいなや、悪霊に取りつかれた男がやって来ました。この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとしていて、いわゆる「普通の」人間関係が保てないために、誰も近づけない「墓場」をねぐらにして、人々との交わりを避けて生きていたのかもしれません。しかし、町の人々は、この世の常識や秩序の中に繋ぎ止めようとして、彼に「足枷をはめさせ、監視していた」のでした。主イエスは、この男に取りついた沢山の悪霊に名を尋ねると、「レギオン」と答え、「頼むから苦しめないでくれ」と主に必死に願うのでした。こうやって悪霊たちは、自分の方から主イエスに近づき、主イエスの力によって滅ぼされてゆくのでした。
町の人々がその出来事を見ようとやって来ると、正気を取り戻した男が服を着、主イエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなり、主イエスにゲラサ地方からすぐに出て行ってほしいと願いました。そこで主イエスたちが舟に乗って帰ろうした時、悪霊たちを追い出してもらった男は、自分もお供をしたいと願うのでした。しかし、主イエスの答えは「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」ということでした。彼の「選択」した道は、自分の願いではなく、主イエスの考えに従うことでした。自分の力ではなく、たとえ弱さを抱えながらも、主イエスから託された「選択」を受け入れ、これからの人生を歩み始めるのでした。
出エジプトの指導者として、神に立てられたモーセ。彼は約束の地を目指して荒野の40年の旅路をいよいよ終えようとしていた、そのとき、神様から、約束の地に入ることは出来ないといわれるのでした。それはかつてモーセがカナンの地に入ることを切に望んだのに、主なる神がモーセに告げられた言葉と同様であります。
「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」(申命記3章26節)。新共同訳の前の口語訳聖書では「おまえはもはや足りている……」と記されています。モーセはこの言葉を胸に留めながら、40年の旅路を旅してきたのです。だからこそ、自分の選択する道、自分の選択する時、自分の選択する願いを神から与えられたものとして、その意味を問い、その託された命を燃やし続けて生きることができたのでしょう。
私たちも、託された命を生きる時、「あなたはもはや足りている」という主のみ声を聞く者でありたいと思います。主によって「選ばれ」、主と隣人と共に生きる者とされたいと思います。

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第2回(10月15日)説教要旨
「向こう岸へわたろう」
八王子ベテル伝道所牧師
千原  創(はじめ)
申命記  7:6-8
マルコによる福音書4:35-5:20

<メッセージ>

湖の「向こう岸」とは知らない新しい世界

イエス様は、基本的に湖のこちら側で宣教活動をしておられました。そこでは、いつもおびただしい群衆が集まり、語られる福音に誰しもが耳を傾けていた状況がありました。であるならば、もっとそうした群衆のために語り続けてもよかったでしょうし、湖のこちら側の別の場所で、また別の群衆を集めて神様の愛を語り続けてもよかったのです。
しかし、イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、あちら側へと向かわれたのでした。向こう岸は「ゲラサ人の地方」であり、ユダヤ人の地方ではありません。つまりあちら側は、こちら側のユダヤの人々からすると、生活習慣、文化や価値観も違う人たちが住む、知らない新しい世界なのです。
しかも向こう岸に渡るためには激しい突風の中、船に乗って航海に乗り出さないといけないのです。このあたりの個所は、春の伝道礼拝で語られた部分ですので端折らせていただきます。
さらに、向こう岸に行くには船のチャーターも必要でしょうし、見知らぬ地でどうなるかわからない状況のため、ある程度のお金も必要でしょう。また弟子たちも一緒ですから、なおさら経費が必要なはずです。しかし地元にはイエス様に従う多くの群衆がいましたから費用の調達はカンパや献金などで、すぐにまかなえたのかもしれません。
そうした中で実際に向こう岸に着いてみるとどうでしょうか。穢れた霊に取りつかれた一人をイエス様が救われるという出来事が起こったのです。つまり、まだ宣教されていない、新しい地に自ら赴き、そこで出会う人々にも新規に宣教活動をされておられたということになります。
 
私の伝道所体験を含め、様々な形がある福音宣教の業

 少し私自身のお話をさせていただきます。私は、両親がクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。高校まで山口県で生活をしていました。毎週日曜日には欠かさず教会にも通っていましたが、そこはいわゆる地方の小規模教会です。幼少期に出席していた教会は、記憶もわずかですが、礼拝出席が20名もいかないような教会でした。後に通った別の伝道所は借家で開拓伝道をしているところでした。そうした小規模教会・伝道所には、子どもの礼拝などもありませんから、基本的に大人の礼拝に出る形の教会生活です。そうした教会生活の中で大人になりましたから、私にとっての教会は、そうした地方の小規模教会であって、荻窪教会のような規模の教会は私にとっては落ち着かない場所です。
よく、開拓伝道で大変ですねとか、よく北海道の興部(おこっぺ)に赴任されましたね、とか言われるのですが、私にとっては、そうした教会が当たり前の教会なのです。
 福音宣教の働きというのは、都会の人口の多い場所で、ある程度の規模の教会として活動していくこともあれば、人口が少ない地域にあっても、またキリスト教を受け入れることの難しい土地柄にあって地道に細々と行われていたりと、様々な形で、その場その場で行われていくのです。
 
「向こう岸」での伝道活動の実際は一人が救われただけ

今日の聖書ではどうでしょうか。イエス様は、あえて向こう岸へ渡ろうとおっしゃいました。船をチャーターし、向こう岸での宣教活動がどのくらいの期間になるのかも誰も分からない中で、ある程度の費用をもって出かけたと思われます。しかし実際は、一人の人が救われただけです。湖のこちら側、つまり地元での宣教活動のようにおびただしい群衆がイエス様を求め、神様の話を聞きに来たわけではありません。むしろ町の人々は、イエス様に詰め寄り、5章17節にあるように、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。」というのです。イエス様に対し、ここから出ていってほしいと、地元住民は要求したのです。イエス様は、そうした地元住民の要求になすすべもなく、向こう岸での宣教活動を中止し、撤退を余儀なくされるのです。
 皆さんは、このイエス様の向こう岸への伝道活動をどう総括されるでしょうか。結局、たった一人を救っただけで、すぐに舞い戻ってきたイエス様。向こう岸でも、おびただしい群衆の中で神さまを讃美する人々が起こされるような宣教活動を期待して、支援してきた人たちは、どのような思いだったのでしょう。
 このように目に見える事柄だけに意識がいくと、人間の心には様々な不信な思いが起こるのです。しかし、聖書の神様は、目に見えない私たちの思いに寄り添い、その命を支え守ろうとされるのです。5章19節で救われた人に対して、イエス様が語りかけます。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」主があなたを憐れまれたと、イエス様はおっしゃいました。
イエス様は、この一人の男を憐れまれるために、わざわざ時間と、費用と労力をかけて、しかも嵐の湖で航海するという命を懸けて向こう岸へと渡られたのです。費用対効果の面から考えると無駄の多い業ですし、たった一人を救っただけで、住民の反対運動に遭い、撤退せざるを得なくなるのです。しかし、それでもその一人の男を神様は憐れまれるために必死になって向こう岸へと渡られるのです。そして、これこそが聖書の神様が示す愛の業なのです。
 本日お読みいただいた旧約聖書、申命記7章には、「あなたたちを選ばれたのは……他のどの民よりも数が多かったからではない。……他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、……救い出されたのである」と記されています。
主イエスは、誰よりも貧弱だった向こう岸にいるこの一人の男に心惹かれ、主の愛のゆえに救い出されました。そして、人々が見捨て、墓場に捨て置き、相手にしないこの男を、主イエスは主の聖なる民である、宝の民だと語られるのです。
 神様は、いつも私たち一人一人に目を留めておられます。そして私たちがくじけそうになる時、立ち止まり、うずくまる時、命を懸けて私たちのもとに来られ、励まし力づけ、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたを憐れむとおっしゃられるのです。そして、私たちの事を、主の聖なる民である。宝の民だと宣言してくださるのです。神様は、そのように私たちの命を守り、この命が祝福され、尊ばれ、生かされることを望んでおられるのです。
 この現実の社会の中で生きていくときに、私たちはたくさんの、重荷や弱さを担います。し
かし主イエスは、そうしたレギオンから、私たちを解放し、神様の恵みの中で生かすために導
かれます。そうした神が私たちの味方となって、いつもそばにおられることを信じ、主イエス
を見つめ、神様の愛の中で生きる者でありたいと願います。

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨

<2017年秋の伝道礼拝>第1回(10月8日)説教要旨
「主によって旅立ち、主によってとどまる」
民数記    9:15~23
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:1~13

荻窪教会牧師
小海  基

<メッセージ>

星野香(かおる)神学生が昨年度1年間牧会実習をされたひばりが丘教会は、ご自身も卒業された日本聖書神学校でキリスト教教育を教えておられた山田稔(みのる)牧師が40年以上、プレハブの礼拝堂で開拓伝道を続けていた教会です。教会員も増えて伝道所から第二種教会、第一種教会へと成長しても、昔ながらのプレハブ礼拝堂で礼拝を守り続けていました。
そして私たちの会堂建築より少し前に、荻窪教会と同じ設計者の田淵諭(さとし)先生による礼拝堂が完成したのです。私は献堂式に出席したのですが、山田牧師は説教でまさに今日の民数記を引いて次のように語られました。

「うちのプレハブの礼拝堂は西支区一のボロボロ礼拝堂だった。教会員、近隣牧師からも早く建て直しを、と言われ続けてきた。しかし教会は建物じゃない。この世の荒れ野を旅する群れなのだと自分は語り続けてきた。
建築費用の事情もあるが、神の群れは民数記の民のように、神様の示される昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて旅を続けなければならない。自分たちの目から見て、『今日は旅立ちにふさわしい日だ』と思えても、雲がとどまり続けている限りは、絶対に動いてはならない。そして神様が動け、と命ぜられたので、私たちはこの会堂建築に踏み切って今日を迎えたのだ」。

この10月の伝道月間のテーマは「選択」です。「旅立つ」か「とどまる」か。「渡る」のか「帰る」のか。その「選択」の根拠を何に置くのか。
今日配布された教会報「つのぶえ」234号に、5月の伝道礼拝にお呼びした道家紀一(どうけ・のりかず)牧師が開拓伝道されている立川からしだね伝道所と、来週お呼びする千原創(ちはら・はじめ)牧師が開拓伝道されている八王子ベテル伝道所の写真と記事が掲載されています。
どちらも教区総会で開拓伝道が決議され、一つは教区を挙げての開拓伝道、もう一つは親教会群伝道としての開拓伝道が続けられています。
今日の聖書の個所は初めての過越祭を荒野で祝った直後に神様が語られた言葉です。本来なら1年1カ月ほどで出エジプトの旅は終わって、約束の地での新しい生活が始まるはずだったのです。ところが偵察隊の報告(14章)の結果、出エジプトの荒れ野の旅路は、何と40年間もお預けになってしまうわけです。
神様の雲の柱、火の柱に頼らず、人間の判断で最短距離を行けば1カ月ちょっとの旅路で済むかも知れないのに、それを40年かけることの意味は何なのかということです。
二伝道所とも、必ずしも順調な歩みではありません。
立川では最初、南口のレンタルスペースで始まり、次に北口の1階に楽器屋があるビルの2階で礼拝を守りつつ、新たな礼拝場所を求め続け、このほど立川で伝道しているどの教派よりも駅から最も近くで、しかも文教地区に土地と建物を購入できたのです。
八王子は、八王子教会・金井直治牧師の私設礼拝堂でスタートし、早い一人立ちが可能と思われていましたが、金井牧師が急逝され、相続問題が起こり、現在地に移らざるを得なくなりました。しかし移転以降、受洗者が一人また一人と与えられています。
神の幕屋と共に歩んだイスラエルの民、二つの開拓伝道所の歩みを通して知らされることは、「停滞」や「回り道」の中に、むしろ神の恵みがあるということです。神によって旅立ち、とどまることで、与えられた人生の旅を歩んでまいりたいと思います。

教会バザーのご案内

日本キリスト教団 荻窪教会 教会バザー

とき:2018年1月28日(日)12時30分 ~14時30分
ところ:荻窪教会 
    住所:杉並区荻窪4-2-10
    電話:03-3398-2104

食堂(ランチセット 他)
手作り食品(ケーキ、菓子、惣菜など)・衣類 他
 
良いもの、たくさん 💛 ご来場をお待ちしています

                       
牧師: 小海基・龍口奈里子

2017年 秋 《伝道礼拝へのお招き》

 10月の伝道月間のテーマは、「選択」です。「旅立つ」のか?「とどまる」のか?「渡る」のか?「帰る」のか?私たちは人生の分かれ道で「選択」しなければならない存在です。その「選択」の根拠を何に置くのか?
 単なるあてずっぽうなのか?
 好みに任せてなのか?

 荻窪教会の属する西東京教区は中野から奥多摩に伸びる細長い地域ですが、現在のところ人口は西側が増えており、中野、杉並といった「区」の地域の人口はせいぜいのところ横ばい、場合によっては減り始めています。西高東低なのです。ところが教会数はかつてのままで西側が少なく、西側に新たな教会を「開拓」していかなければと祈り続けてきました。現在、私たちの荻窪教会が祈りに覚え、支援し続けるこうした「開拓教会(伝道所)」は「立川からしだね伝道所」(立川駅北側)と「八王子ベテル伝道所」の2つです。このうち今年度の春の伝道礼拝の方は「立川からしだね伝道所」の道家紀一牧師にお話しいただきました。この秋の伝道礼拝は「八王子ベテル伝道所」の千原創牧師をお招きします。八王子の恩方地区で伝道されている千原牧師は、ご夫妻で保育園をされながら新たな教会を建てようとしておられます。
 混迷するこの時代の旅路の「選択」のただ中で、私たちは「確かな行く手を示してくださる神」に気づいているのでしょうか?聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

10月8日伝道礼拝

 説教題「主によって旅立ち、主によってとどまる」
  荻窪教会 小海(こかい) 基(もとい) 牧師

 講師略歴: 
 東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、当荻窪教会牧師に就任。
 1989年~1991年イーデン神学校留学。農村伝道神学校講師。小諸いずみ会理事長。「こどもさんびか」の作曲、「讃美歌21」編集、著書に「聖餐 イエスのいのちを生きる」(新教出版社 共著)、「牧師とは何か」(日本キリスト教団出版局 共著)などがある。

10月15日伝道礼拝

 説教題「向こう岸へ渡ろう」
  八王子ベテル伝道所 千原(ちはら) 創(はじめ) 牧師

 講師略歴:
 関西学院大学神学部にて学ぶ。
 広島主城教会(広島市)、
 興部伝道所(北海道紋別郡興部町)、
 境南教会(東京都武蔵野市)を経て
 2012年11月より、
 八王子ベテル伝道所牧師。

10月22日伝道礼拝

 説教題「自分の家に帰りなさい」
  荻窪教会 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ) 副牧師

 講師略歴:
 関西学院大学大学院修了後、
 塚口教会担任教師。
 東京女子大学キリスト教センター宗教主事として勤務。1993年より、当荻窪教会副牧師。

≪修養会と特別集会≫
10月15日(日)昼食会後 教会全体修養会1「教団『戦責告白』50年」 小海 基 牧師
10月15日(日)午後2時 ミリアムの会特別集会「夏期伝道実習報告」 星野 香 神学生
10月22日(日)昼食会後 教会全体修養会2「教団『戦責告白』50年」 小海 基 牧師

どなたでも参加できます。