<2015年春の伝道礼拝>第3回(5月24日)説教要旨

「自由」
申命記7:6-8
ヨハネによる福音書18:36-38b

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝は何よりも、北村慈郎牧師をお招きして先生の名誉回復のために共に祈りたかったということがあります。私たちの日本基督教団が主イエス・キリストの語られたように「真理」に基づく「自由」へと立ち帰る対話的な群れを形成できるように、もう一度聖書の言葉に耳を傾けます。 
 主イエス・キリストは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:31)と言われました。「真理」に基づかない偽りの「自由」は本当の「自由」ではありません。行く先の見えない現代社会の中で私たちは、私たちを本当に解放し「自由」にする「真理」に根差そうとしているでしょうか。なんとなく周りに合わせ流されていくのではなく、ひとりの自立した存在として、信念、信仰、ポリシーを貫いて「真理」を求め、生きぬいて行くという生き方にこそ「自由」が宿るのです。聖書の信仰は、いつの時代も「真理」に根差す「自由」への「決断」を求めます。
 新約聖書には「真理」に関連する言葉が全部で109回出てきます。その約85%がパウロの書簡とパウロの名による書簡、ヨハネによる福音書とヨハネの名がつけられた文書に出てきます。
 パウロの真理は「神の真理」、「キリストの真理」、「福音の真理」と属格の付加語が付いていますが、ヨハネ関係文書では圧倒的に「真理」が主格で書かれています。ヨハネのイエス・キリストは「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と、イエス・キリストそのものが神としての真理なのです。ヨハネが「真理」を主イエスそのものとして言いあらわそうとする工夫があります。それが最も明らかなのは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)とユダヤ人に向かって語られた言葉です。
 「自由」ということこそ出エジプトの民ユダヤ人にとって永遠のテーマであり、キーワードです。自分たちは「奴隷の家」エジプトのファラオの家から出て、約束の地の自由の民となったところにイスラエルのイスラエルたる中心があるからです。「真理はあなたたちを自由にする」という言葉はユダヤ人たちとの討論の中で語られた言葉です。
 異邦人ローマ総督ポンテオピラトに「真理とは何か」と問われて、主イエスはお答えになりませんでした。「真理」とは、人間の言葉の中にとどめたり押し込めたりすることが出来ない。主イエス・キリストの「真理」は十字架によって成就されるのです。知識や知恵など人間の内側にあるものとして考えるのではなく、「真理」はイエス・キリストそのもの人格的なものなのだと伝えようとしているのです。

 ボンヘッファーは「真実を語るとは何か」という獄中の文章を書きました。ヒトラー政権下でキリスト者が苦しんでいたのは、十戒の「偽証してはならない」という戒めでした。ボンヘッファーは、一人の少年がアル中の父親のことを教師に問われて父はアル中ではないと自分の家庭の秩序を守ろうとして嘘をついたことに対して、「この嘘はより多くの真実を含んでいる」と述べています。嘘をつくか真実かの単純で教条的な二者択一ではなく、守るべき責任を負っている大切な家庭のためについた少年の嘘にこそより多くの「真実」があるとしたのです。
 私たちの救いのために十字架を負って下さった主という存在こそが「真理」であることを知っているキリスト者は、規範倫理の哲学者カントのように「真理」の教条化も律法主義化も出来ない、自由な神の民なのです。罪赦された罪人として自分の罪は主に委ね、自分の負うべき十字架を負って歩んでいく群れなのです。
(終わり)

<2015年春の伝道礼拝>第2回(5月17日)説教要旨

「真実」
哀歌3:19-24
フィリピの信徒への手紙4:4-8

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 先週の伝道礼拝で北村慈郎牧師は、「真理」という言葉はギリシャ語の「アレセイア」で「覆いを取り除く」という意味があり、私たちの偽りを剥がしていくことによって「真理」に近づくと説明してくださいました。
 今日の題を私は「真実」としましたが、「真理」と「真実」とはどのような違いがあるのでしょうか。聖書のギリシャ語ではどちらも「アレセイア」が用いられています。英語、ヘブライ語では余り厳密な区別がなされていないようですが、ドイツ語では「真実」の語源が「真理」、つまり真理の中に真実が含まれるということが明らかです。
 では反対語はどうでしょうか。「真理」の反対語は「うそ」「偽り」でなく「誤謬」と辞書に書かれています。一方で「真実」の反対語が「うそ」「偽り」。つまり「真理」が普遍的な一致、抽象的な一致を意味するのに対して、「真実」は現実的な私たち人間の主体的な意思から出てくるもので、そうした違いがあるのです。

 さて今日読みましたパウロが述べる「真実」ですが、8節で「……すべて真実なこと」に始まり、「すべて何々のこと」という言葉が次々と出てきます。このような徳目は、いわば当時の定型的な表現であり、パウロのオリジナルの言葉でもなければ聖書固有のものでもありませんでした。パウロがフィリポの教会の人たちに宣べ伝えたい中心点はむしろ「徳目」の前後にあると思われます。4節の「主において喜びなさい……」で始まり、9節の「……そうすれば平和の神があなたがたと共におられます」で終わる部分で徳目の実行を勧めますが、決して自分独りでなく「主にある教会」を建てるために共に実行するよう勧めているのです。
 8節に出てくる複数の徳目でパウロが一番に「真実なこと」を挙げているのは意味あることだと思うのです。パウロにとって「真実」とは単なる人間的誠実さとか生真面目さではなく、「真理」に根ざす「真実な生き方」でした。

 伝道礼拝ですので、「真実な生き方」とはどういうことか、以前私が聞いた二つのお話をしたいと思います。
 一つ目はキリスト教系大学を出て公認会計士になった方でクリスチャンではない方のお話です。ある時ある会社の社長から粉飾決算を見逃してほしいと依頼されました。「真実で正しいこと」を報告書に書くと会社が倒産し社員が路頭に迷う可能性があるため、眠れないほど悩んだ時、大学の正門に創設者・新島襄の「良心碑」があり、そこに書かれていた「人間の目ではなく神の目を意識して初めて人間となる」という意味のことをふと思い出し、「本当のことを書こう、そして銀行や取引先から協力が得られるよう全力を尽くそう」と思い直したという話です。
 二つ目は、ご自分のお父さんの話として聞いた話です。自転車で青信号を渡ろうとした時にタクシーの前方不注意のため自分が大怪我を負ったのですが、謝罪に病院に来たまだ若い運転手を見てこの事故のため彼が仕事を失ってはこれから大変になると感じて警察署に出向いて「自分から車にぶつかった」と「うそ」の証言をしたそうです。
 この話をされた方は哲学が専門の先生で、ヨハネ18章38節でピラトが言う「真理とは何か。」を読む度に自分が幼い時に経験したお父さんの証言を思い出すというお話でした。
 神のまこと、神の真実こそが「真理」です。その「真理」とはまさにイエス・キリストの生き方の中にあります。主イエスに学び、従い、主イエスからの「真実」を受け止め「真実」に歩んでいきたいと思います。
(終わり)

<2015年春の伝道礼拝>第1回(5月10日)説教要旨

「真理による自由」
エレミヤ書28:12-17
ヨハネによる福音書8:31-32
               
船越教会牧師 北村 慈郎先生

<メッセージ>

 ご存知のように、私は2010年9月15日付で日本基督教団から免職処分を受けて、教師の身分や資格を剥奪(はくだつ)されている者です。そのような私を、敢えて説教者として招いてくださる教会があることは、私には嬉しいことです。

私の信仰歴

 私の名前「慈郎」の「慈」は慈愛の慈であり、慈しみとも読みます。キリスト教信仰とつながりのある言葉といえますが、私の家族の中には誰もクリスチャンはいません。中学校からバプテストの関東学院という学校に入学していましたが、高校3年の10月頃までは、どちらかというとアンチキリスト教だったと思います。ただ高校1年の後半頃から母が筋萎縮症で寝たきりになり、またちょうどその頃父が責任を持っていた薬の仲卸の会社が倒産しました。この二つの出来事が重なったことによって私は悩みを抱えざるを得ませんでした。悩みを抱えてからの私は、ある意味で二つの人間不信に陥っていたと思います。一つは自分に対してです。母は寝たきりでしたから、その世話を家族がしなければなりません。しかし友人に誘われたりすると、私がしなければならない時も、兄や妹に押し付けて出かけていきました。母が自分を必要としている時に、私は自分のことを優先して、母の思いを裏切っているという罪の感覚、自分は間違ったことをしているという思いです。もう一つの人間不信は他人に対してです。父の会社の倒産後、その薬を横流しして自分の懐に入れていた人もいたりして、父親だけが苦しんでいるように思え、人間って信じられないものという人間不信の思いが増幅していました。
 そのような時友人に誘われて、高3の11月初めの日曜日に初めて紅葉坂教会の礼拝に出席しました。そして強引にお願いしてその年のクリスマスに洗礼を授けてもらいました。1959年12月20日です。その時に洗礼を受けようとしたのは、人間は人を裏切るが、イエスは人を裏切らない、だからイエスに従って生きていこうという思い、ただそれだけでした。イエスとの出会いによって、私はこのイエスに最後までついて行こうと思ったのです。

最初の任地での出会い

 もう一つ私の個人史の中で大きな出来事は、神学生時代から最初の任地である足立梅田教会時代の10年間に関わった廃品回収を生業(なりわい)としていた人たちとの出会いです。当時そのような人たちを「バタヤさん」と呼んでいました。
 仕切屋という「バタヤさん」が集めてきた廃品を買い取るところがあり、その仕切屋さんが長屋を持っており、そこに「バタヤさん」が住んでいました。その長屋は、3畳ほどの部屋が並んでいる隙間風が入る劣悪な建物でした。「バタヤさん」の中に数人、洗礼を受けて足立梅田教会のメンバーになっていました。その一人が真冬に心不全で亡くなりました。相当目の不自由だった人ですが、私はその知らせを受けて長屋に行き、亡くなっている状態を見ました。集めたくずの山の中でかろうじてつくられている寝床で冷たくなっていました。猫がいて、布団の周りには猫の糞が散乱していました。
 私は、このような経験を通して、イエスは誰のために死んでくださったのかということを考える時に、「バタヤさん」のようなこの社会の中で最も小さくされている方々のためではないかと思うようになりました。そのようなイエスの生涯と死が、私への問いであり、そういう形で私のためでもあるのではないかと思うようになっていきました。
 「人間は人を裏切るが、イエスは決して裏切らない」ということと、イエスの生涯と死と復活はこの世で最も小さくされている人のためであり、そのことによって、私たちすべてのためのものではないかということとが、私のイエス理解の根幹になりました。

聖書の語る「自由」とは

 先ほどの聖書の箇所に、イエスは「わたしの言葉にとどまっているならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られたと記されています。それを聞いたユダヤ人たちは「今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」と、イエスに言いました。
 このユダヤ人が陥った自己理解に私たちも陥りやすいのではないでしようか。自分たちはキリスト者として「真理と自由」をすでに持っている。それを何とか人に伝える伝道が大事なことであって、すでに自由な者が何故自由にならなければならないのかと。
 しかし現実は、ユダヤ人はイエスを殺そうとする自己絶対化に陥っていますが、それに気づけません。信仰に誠実であると思えば思うほど、信仰から遠ざかってしまうという逆説に気づかなければなりません。「信じます。不信なわたしをお助けください」と言った人の信仰でなければならないと思います。私たちはイエスによって真理と自由に招かれながら、真理を所有する者でも、自由な者でもありません。偽りと囚われの中で生きています。イエスとイエスの言葉にとどまっているならば、偽りと囚われの中にある己に恐怖し、そこから解き放ってくださるイエスに従って生きる希望と喜びに己を投げ出さないわけにはいきません。
 イエスの宣べ伝えた神の国は丸い円盤の上に、みんなが手をつないで一緒にいるというイメージではないでしょうか。権力を持った一部の人が上層にいて、差別抑圧されている人達が底辺にいる、そして圧倒的に多くの人々がその中間層にいる。そのような縦菱形の今の社会が、みんなが対等同等で、それぞれが大切にされる円盤の社会に変わっていくことが、神の国の到来に近づくことではないかと思います。神のみ国がこの世に到来していることを信じ、イエスに招かれ、その招きに応えて生きようとする者は、今ここで、それにふさわしく生きていこうとするのではないでしょうか。「真理はあなたがたを自由にする」とは、そのようなことではないかと思います。偽りの覆いがとりのぞかれた「真理」に立ち、さまざまな囚われから解放された「自由」をもって、イエスの後に従って共に歩んで参りたいと願うものであります。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

若さゆえに軽んじられるな               

サムエル記上16:5b~7
テモテへの手紙Ⅰ 4:11~16

龍口奈里子先生

<メッセージ>
昔から人生のすべてを掛けた決心というのは、ある意味若さの象徴でした。しかし今日の若い世代の人たちから、「決断」という言葉は遠くに離れているとお感じになる方も多いのではないでしょうか。彼らは、自分の実現できる範囲内での夢、安定した就職とか結婚という目先の夢に向かっての人生設計は若いうちからきちんとたてているけれども、逆に冒険はしない、競争もしたくない、無茶はいやだ、と考える人が多いようです。
しかし聖書は、私たちの伝えようとしている信仰の世界は、それとは逆なのです。信仰とは主イエスに招かれて、そこから今まで知ることのなかった新しい歩みへと踏み出すことが求められます。そして踏み出した先には思いもかけない出会いや恵みがあることを、私たちは聖書のみ言葉を通して知らされます。

先々週の修養会で、小林先生から私たちはバルナバについて学びました。バルナバがパウロやマルコを見いだし、そこから自らの賜物を発見していった人物であったということ、若いパウロを受け入れる人など誰もいなかったときに、パウロの才能を見いだしパウロの言葉を聞き、それだけでなく年長者であるバルナバ自身もパウロとの出会いによって自分の賜物を再発見していったというのでした。そのような出会いこそが信仰の恵みだと思います。
テモテという若い伝道者は、パウロによってエフェソの教会の牧会を任されていました。パウロが教会の第一線から退くにあたり、後継者のテモテに引き継ぐためにテモテとエフェソの教会の人たちに向けて語っているのがこの手紙です。若いテモテに述べた言葉は、きっと今日の若い人たちにも響く言葉ではないかと思います。

今日の説教題に挙げた「若さを軽んじられるな」という言葉は、一つにはエフェソの教会の人たち、特に年長者たちに向けた言葉でもあります。若いという理由で、経験が足りないというただそれだけの理由で、若者たちを軽んじるなというのです。それと共に、若いテモテに対しても「あなたは軽んじられてはならない」と語るのです。
今の若い人たちは若さゆえに役に立たないと言われないように、資格や学歴で保険をかけることに一生懸命です。しかしパウロはそのように若さを軽んじるなというのです。資格や学歴ではなく、若さゆえの言葉や行動、そして信仰の賜物を生かして、自分自身を軽んじたりしないでそれぞれの光を放ちなさい、というのです。年齢や外見にとらわれず、その人が神の目から見たら一人の役立つ人間としてあるということ。そこから互いに励まし合い、支え合う関係へと変えられていく、それが信仰の交わりです。パウロはそうやってテモテを見ました。
フィリピの手紙の中でテモテについて述べているパウロの言葉からは、若いテモテを一人の同労者として支え、励ましあう同士としてとらえていることが伝わってきます。お互いに、年齢や立場を越えて認め合い、主にある兄弟としてみる。そこに新しい出会いや恵みの発見があるのだ、それが信仰の交わりなのだと訴えているのです。

若い人も老いた人も、主イエス・キリストを自分たちの心に受け入れ、主を信じる信仰によって私たちの人生を軽んじたりしないで謙虚に生きなさい、とパウロは勧めるのです。神から与えられている目に見えない言葉や愛や信仰を伝えていくこと。それが私たちの信仰の出発点です。私たちもパウロの言葉から、神様のみ前でなすべきことをこの世へと繋げていくことを使命としていきたいと思います。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

青春の日々にこそ創造主に心を留めよ

コヘレトの言葉 第12章1~2節
ヨハネの手紙Ⅰ 第2章12~14節

小海 基先生

<メッセージ>
聖書の信仰は、いつの時代も自由の中で「決断」を求めます。人生すべてを賭けた決断です。今回の秋の伝道礼拝のテーマは、次の世代に志、信仰をどのように伝えて行くかです。
「青春の日々にこそ創造主に心を留めよ」は、コヘレトが若者である信仰者に送った励ましの言葉です。何歳までが聖書的に「若さ」なのか定義することはできません。聖書の真実に出会うことにより、自分の生涯が全く変わることが出来る年齢を「若い」とすべきかもしれません。
私たち人間は地上の歩みの中で、いつの間にか価値観も生き方も固まっています。「四十にして惑わず」それは良い意味でもありますが、真実な出会いが巡ってきても、生き方を転換し生まれ変わることが出来ない、固まってしまっているという人間の姿には「若さ」はありません。
コヘレトは辛辣に「年を重ねることに喜びはない」長寿に対して、心のときめきがないと冷めて書いています。「若さ」とは、真実な出会いによって、自分の生涯が変わることが出来ることです。
確かに信仰の決断のような人生全部をかけた決断は、人生経験をした年を取った人よりは若い人の方がしやすいのかもしれません。何歳でも、本当のものに触れた時に人生を掛けた決断が出来る人が聖書の言う「青春」「若さ」なのでしょう。

10月15日の深夜に向坊恭子姉が93歳の生涯を閉じられました。まさに今回のテーマにある青春の日々に創造主に心を留められた方でした。姉は長い間、恵泉女学園で英語の教師をされていました。荻窪教会に転会されて、91年の「つのぶえ」に「イエスに従おうと決心したのは、恵泉を卒業する直前の修養会の時、河井道先生の励ましの祈りに支えられて心が決まった。夜も明けぬ真暗な早天祈祷会の冬の朝でした」と書かれています。
また学生時代のクリスマスの思い出として、緊迫した戦争中にもかかわらず、河井道の名を通して、アメリカ人夫妻との出会いに真の神さまが御子イエスを下し給うたと感じられたことも書かれていました。

河井道は学校を作ろうとYWCAを48歳で辞め、52歳の時に恵泉女学園を創立し、その発展のために最後まで尽力しました。
河井について、桑田秀延先生もキリスト教新聞に書かれています。桑田先生は、荻窪教会の初代牧師である日下一(くさか・はじめ)牧師が出征された留守の間の荻窪教会を支えて頂いた先生です。
「河井道は女子青年また女子学生に対して魅力ある指導者であった。河井の人格的感化をうけ、彼女を崇拝している女性は、今日の日本にもなお相当数あるだろう。河井には女子学生をひきつける不思議な賜物が与えられていた。私の長女(畠山悦子姉)も恵泉の卒業の際に河井に導かれて信仰に入ることを決意した」。
河井は76歳で亡くなる最晩年まで学生を励まし導き、その志はまさに青年だったと言えます。

ヨハネの手紙Ⅰは若者たちに書かれた励ましの手紙です。青春の日々に出会った創造主に心を留め、あなたはどう生きるのか決断を促されているのです。
私たちのキリスト教は決断の信仰です。どんな時代でも自由の中で決断して、それに応えて行くのです。私たちもこの信仰とこの志を伝えて行きたいと思います。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

魂を揺さぶる主の言葉

エレミヤ書  1:4-10
ヨハネによる福音書
15:16

日本聖書神学校校長
小林 誠治先生

<メッセージ>
日本聖書神学校に、縣(あがた)洋一さん、星野香さんの二人の神学生を送り出して下さっている荻窪教会の小海先生から、秋の伝道礼拝と、同じ日の午後の修養会の講演依頼を受け、説教では「自伝的説教を」との要望でありました。
私も81歳となり、牧師生活も今年で60年目となります。礼拝説教の限られた時間でどの程度お話できるか戸惑っています。

「神の摂理」ということ

私たちの人生は、生まれた時から今日まで、各人が固有の環境や条件のなかで束縛され、逃れられないことがあります。まず親を選ぶことは出来ません。親の選択を誤った、とは言えません。こうしたことを、「運命」と呼ぶことがあります。
運命は人間の意志に関係なく、身の上に巡りくる幸いや不幸、善や悪に関わることです。それでは私たちは運命に対してどうすることも出来ないのでしょうか。自分は悪い星のもとに生まれたのだからといって、諦めるほかはないのでしょうか。
このような考え方に対してキリスト教の信仰は全てのことは運命だと諦めてしまうのではなく、「摂理信仰」ということが出来ます。摂理信仰とはこの世の全ての出来事、私たちの人生において出会うすべてのことに、神のご意志が働き、その御手の中で配慮されて導かれているのだという信仰です。
「神の摂理」という言葉の源を聖書にたどれば、旧約聖書創世記22章に見ることが出来ます。アブラハムが独り子イサクを犠牲の小羊として献げなさい、と神の命令を受けてモリヤの山へ行きますが、目的地に着いたイサクが「火と薪(たきぎ)はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(創世記22章7節)とアブラハムに問われた時、彼は「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(同8節)と答えています。
この「神が備えてくださる」という言葉が「摂理」の語源となったのです。「備える」とは「見る」という意味から「あらかじめ見る」「あらかじめ知っている」ということと、そのために、「良き意志を持って配慮し世話をする」という意味を持っています。
神はこの世と、一人の人の人生のために将来起こるべきことをあらかじめ見つめ、知り、御手を差し伸べて必要なものを配慮してくださるのであり、それが「摂理」ということです。
この神の摂理ということに心を留めてお話をしたいと思います。

伝道者になるまでの歩み

私は生まれも育ちも神奈川県川崎市の南部、工場街の連なる近郊で過ごしました。
私の家庭は栃木県から上京して昭和の初期、産業の近代化、ファシズムの台頭により工業都市として軍需産業により発展しつつあった工場に就職したブルーカラーの父と専業主婦の母の家庭で育ちました。貧乏生活で母はいつも和裁の内職に追われていました。母は女学校時代に洗礼を受けたクリスチャンでしたので、戦前の川崎境町教会(旧福音教会)に所属していました。
私は6人兄弟の2番目で、不思議なことに、私だけが戦前に教会付属幼稚園に公共バスで通園しました。私以外の兄弟は近くの幼稚園に通っていました。
私は幼稚園を戦前に卒園後、学童疎開や戦災による中断時期がありましたが、戦後も教会学校中高科に通いました。
学校は旧制の川崎工業学校機械科に入学し、学制改革により、川崎工業高校電気通信科を卒業しました。
中学、高校時代には野球に熱中し、選手として高校1年の時、神奈川県予選の準決勝まで勝ち進んだり、その年の秋には神奈川県で優勝し、関東大会に行ったほどでした。
昭和24年高校2年の時、将来の進路を考えました。父の期待に応えて技術者になるか、学校が奨める体育教師になるか、実業団の野球を目指すかでした。その当時、伝道者になることは全く考えていませんでした。
その年の夏に、自分の魂が揺さぶられる経験をしたのです。それは教会の夏期修養会に参加した時のことです。その直前に高校野球の神奈川県予選で敗れて落胆していたのですが、今にして思えば、敗れたからこそ教会の修養会に参加できたのです。
夕べの集会で神学校を半年後に卒業する神学生から「わたしに注がれた神の愛―選びと召し―」(エレミヤ書とヨハネ福音書から)という証しを聞き、主の言葉が私の魂に入り、大きく揺り動かされました。そこで神学校へ行き、伝道者となる決心をして洗礼を受けました。
さて神学校に行く決心をしましたが、未信者の父親をどう説得するかが問題でした。
生活上、昼間に学ぶのは無理でしたので、自分の専門技術を生かし、好きな野球も出来、夜間に神学校で学べることから日本電電公社(現在のNTT)に就職し、日本聖書神学校で4年間学び、22歳の時に卒業し、同時に電電公社を退職しました。

人間の計画や思いを越える神の思い

若さと健康と伝道の情熱では誰にも負けないと自認していた私は、卒業後は北海道の小さな炭鉱町の開拓伝道が最初の任地として決まりかけていました。しかし学校から示された任地はこの世的な思いから、たとえ自分が招聘されても行きたくないと思っていた教会の伝道師でした。
まさにエレミヤが「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎません」(エレミヤ1・6)の思いでした。
私はエレミヤに語られた言葉に魂が強く揺さぶられて指示された教会に赴任し、この教会で牧会者としての基礎的な信仰の養いと力、教会形成、伝道牧会、奉仕、教会教育等の諸活動の方向と方法を決定的なものとされ、神の恩寵を深く思わしめられています。
その後、二番目には「健康で明朗で結婚していること」という招聘条件の北海道の教会に赴任したところ、現地到着3日後に盲腸で入院することになりました。結果的には入院のお蔭で見舞いに来られた教会員の方々と親しく交わりが出来たことがきっかけとなり、その後教勢も伸び、会堂建設、幼稚園設置も果たしたのでした。
その後、子どもの病気、手術でその教会を辞任することになりましたが、この2教会を含め、これまで10教会60年の牧会生活を経験いたしました。
各教会での歩みがすべて順調ではなく、困難や挫折の時もありましたが、神の思いは、人間の計画や行為を越えたものであり、自分の計画通りに運ばない反面、何かそうならざるを得ないように強いられていること、そうであるならば、そこに神のご意志を読み取って積極的に神のみ心として組み込んでいく。
神の言葉に従っていくとはそういう道なのだと信じています。
(終わり)

8月3日(日)の平和聖日に行われた、牧師の説教を掲載いたします。

平和聖日説教「正義と平和」        
2014年8月3日      
小海 基
「そのとき、主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。『直ちに下って行き、サマリアに住むイスラエルの王アハブに会え。彼はナボトのぶどう畑を自分のものにしようと下って来て、そこにいる。彼に告げよ。』」(列王記上第21章17~18節)

 今年の平和聖日を取り巻くこの国の情況はまことに緊張しています。何も悪いことをしていないのに、恨みも何も無いのに殺されてしまう。実質的クーデターのような「解釈改憲」が押し通され「平和憲法」がなし崩しにされる。青少年や実の親による身震いするような殺害事件が続く。ガザで、ウクライナで戦火が上がり、幼い魂が失われる…。
 北イスラエルのアハブ王が、ならず者を使ってイズレエルの農民ナボトを、身に覚えのない「神と王を呪った」という冤罪で石打ち刑に処してしまい、彼のぶどう畑を奪った事件も、ただ単に「別荘の隣にあるぶどう畑が欲しかった」というだけの実にくだらない理由で起こりました。何も殺さなくてもと思うような不条理の殺人事件です。
 さすがに総てがうまく行き過ぎて、ここまでやって良かったのだろうかとアハブ王にも良心の呵責にとらわれたのか、迷いひるむ気持ちがあったと見えます。
 しかし、悪妻イゼベル王妃は間髪入れずアハブ王をたきつけます。「あのぶどう畑を、直ちに自分のものにしてください。ナボトはもう生きていません。死んだのです」(21・15)。一国の王、国の頂点なのだから、当然なのだ。相応の銀を支払うと申し出ているのに、それを拒んだナボトの方が自業自得なのだというわけです。
 ここでしたり顔で、「世の中というのはこのぐらいの不条理がまかり通るところなのだ」と、当時の北イスラエルの民のように殻に引きこもってしまったなら、「山上の説教」で「幸いである」とイエス・キリストから称えられる「平和を実現する人」、「義のために迫害される人」(マタイ5・9~10)ではありません。預言者エリヤはこういう時、いつもたったひとりで神様から遣わされます。カルメル山でバアルとアシェラの預言者たちと勝負をした時もたったひとりでした。こちらはたったひとりで、850人と勝負したのでした。今回もたったひとりで、北イスラエルの絶対君主アハブに立ち向かうことが求められるのです。
 キリスト者の「地の塩」の働きというのは、たったひとりで遣わされるところに担われるのです。
 最近「福音と世界」誌に書評を書くように求められて、D・ボンヘッファーの『共に生きる生活』を読み返しました。そしてこんな風に書きました。
「『共に生きる』とか『交わり』という魅力的なタイトルに魅かれて本書を開く者は、誰もが冒頭から冷や水を浴びせられる。『イエス・キリストは敵のただ中で生活された。…イエスは十字架の上で、…ただひとりであった。彼は神の敵たちに平和をもたらすために来られたのである。だからキリスト者も、修道院的な生活へと隠遁することなく、敵のただ中にあって生活する。そこにキリスト者は、その課題、その働きの場を持つのである。…「〔その現実に耐えようとせず、友人たち、敬虔な人たちとだけ共にいようとする者〕、ああ、汝ら神を冒涜し、キリストを裏切る者たちよ!もしキリストがそのようになさったとしたら、いったい誰が救われたであろうか」(ルター)』(10~11頁)。『ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい』(109頁)と、中ほどでもだめ押しされる。時代の圧倒的な流れに抗して少数者として戦う中で生まれた記録なのである。キリスト教国で生まれた書であるが、日本のようなキリスト者そのものが社会の少数者であるようなところで、励ましと自覚をいつも与える書である。
『非暴力不服従』をインドのガンジーから学ぶことを断念し就任した、フィンケンヴァルデの告白教会の牧師研修所と兄弟の家(ブルーダ―ハウス)における二年半の共同生活を元に本書は書かれている。生前に出版されたボンヘッファーのわずかの著作の一つである。描かれているのは少数者であろうとも『外的奉仕』という使命を担うための『内的集中』する群れの実践記録。強制収容所で非業の最期を迎えた著者の生涯を支え続けた者が見えてくる。日本の今の憂うべき政治情況の中でこそ本書の響きを改めて聴くべき内容だ」。
アハブ王は最初こそ「わたしの敵、わたしを見つけたのか」と、北イスラエルの王の前で虫けらのようなエリアごときがどれほどの存在と、見下しています。しかしたったひとりで王の前に立つエリアは、人間としては力は無いのかもしれないけれど、全能の神の言葉を担っています。アハブ王は見る間に神の人場の前に力なく打ち砕かれてしまいます。ヨナの預言に思いかけず悔い改めたニネベの人々のようです。聖書を読んでいる私たちにも不思議に見えるほどです。
「アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって断食した。彼は粗布の上に横たわり、打ちひしがれて歩いた」(21・27)。
わたしたちもひとりのエリヤです。どんな時代の荒波であろうと、キリスト者が「平和を実現する」ひとり、「義のために迫害される」ひとりとして立つところから、神の国は始まっていくのです。神はその空の鳥のような、野の花のような「ひとり」の働きを決してないがしろにはされません。
(終わり)

2014年5月25日 春の伝道礼拝「わたしは道である」(龍口奈里子・荻窪教会副牧師)の説教を掲載いたします。

<2014年春の伝道礼拝>第3回(5月25日)「わたしは道である」
荻窪教会副牧師 龍口 奈里子 先生
詩編 86: 11
ヨハネによる福音書 14:1 ~ 7

<メッセージ>

今回の伝道礼拝のテーマは「道」です。
人生の道の途上において、「自分はどこから来て、今、どこにいて、これからどこへ行けばよいのかわからなくなる」迷子のような状態に陥ったとき、私たちには「帰る場所」である「故郷」があると主イエスは述べられています。
14章から始まる主イエスの最後の説教は、弟子たちへの遺言の言葉がちりばめられています。その冒頭に、「帰る故郷」もなく不安や動揺でいっぱいであった弟子たちに主イエスは、「心を騒がせるな」と言われたのです。そして次に語られたのが、まさに「道」についてでした。「あなたがたのために場所を用意しに行く」とは、主イエスが十字架にかけられ、復活され、昇天されることです。これは、主イエスが私たちと神様との間をつなぐ「道」を整え、準備してくださることです。
しかし、十二弟子のひとりのトマスは主イエスの言葉に反論します。ヨハネ福音書には、トマスは三度登場しますが、いずれの言動もどこか懐疑的で、場違いな発言をします。しかし、このトマスの発言を通して、主イエスの大切な言葉が述べられています。

一度目は、11章16節、ベタニアの村で、すでに死んだとされている「ラザロのところに行こう」と主イエスが言われたとき、トマスは「我々も行って、一緒に死のうではないか」と場違いな答えをします。しかし、主イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる……このことを信じるか」という大切な言葉を述べられるのです。
そして、二度目が今回のところです。「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」という主イエスの言葉を受けて、トマスが「主よ、どこへ行かれるのか私たちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と言うのです。このトマスの懐疑的な言葉を受けて、主イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
 
「道」という言葉は、ヘブライ語で「デレク」といいます。この言葉の語源は「踏みつける」という意味の動詞です。主イエスが「私が道」だと言われるとき、私は、大勢の人から踏みつけられ、十字架にかけられるために、この世に来た。そのことによって、さまようあなたたちが、帰るべき「故郷」、永遠の命に至る「道」が用意されていると言われるのでした。主イエスの言葉に、弟子たちはどう理解したのか、ヨハネ福音書は、トマスに焦点をあてて、イエスの復活後に、三度目の登場をさせるのです。20章以下です。自分以外の弟子たちは、復活された主イエスに会って喜んでいるのを見て、トマスは、釘のあとに指を入れてみるまで主イエスの復活を信じないと言うのでした。突然目の前に復活の主が現れ、「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」と言われた時、ようやくトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と信仰の告白をするのでした。このあと「わたしを見たから信じたのか、見ないのに信じる人は、幸いである」と主イエスの最も大切な言葉が語られます。

私たちも、どこに向かっているのか分からなくなる時があります。不安になり、動揺し、心を騒がせるのです。そしてトマスのように見える物だけを頼ろうとするのです。しかし、主は、ご自分を通って父のところに行かれたように、私たちも、主イエスを通って、主のもとへ、そして、父のもとに帰る、その「道」があることを信じて歩んでいきたいと思います。

2014年5月18日 春の伝道礼拝「いのちの道を歩く」(佐原繁子・日本基督教団教師)の説教を掲載いたします。

<2014年春の伝道礼拝>第2回(5月18日)「いのちの道を歩く」               
日本キリスト教団牧師 佐原繁子先生

詩編    16:1~11
使徒言行録 2:29~31

<メッセージ>

復活の証人が裏付けとして引用した詩編16編

イエス・キリストは十字架につけられた後、3日目によみがえられました。初代教会の証人達はこのキリストの勝利を目撃しました。その事実を裏付けるために、彼らは今日読んで頂いた詩編16編を引用して、この中にイエス・キリストの復活の事実が既に予告されていることを主張したのです。
10節にこう歌われています。「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」と。イエス・キリストの復活の事実を証明するために引用されたこの詩編16編とは、どのような詩なのでしょうか。
「陰府」とは死んで行く場所であり、地下の暗い場所であり行ったら最後、決して戻ることのない場所だとこの時代の人々は考えていました。死とは私たち現代人が考えているような「肉体の働きが停止する」というような単純な意味ではなかったのです。
聖書が言う「いのち」とは、たとえ人生にいろいろな苦難や悲哀があろうとも、やがて年老いて肉体の死がやってくることがあっても、決して終わることのない「いのち」です。その「いのち」はどこまでも続く、永遠に至るところの「道」でなければなりません。一本の道が自分の前を通っている。そしてどんな嵐が襲って来ようが、決してその道はなくならない。
命に至る道は穴だらけのでこぼこ道かもしれません。しかし一見ぬかるみの泥道であっても、キリストが示す道の終着点には、絶対確実な神の支配する国が待っているのです。それが天国です。示される道は、キリストご自身です。それこそが聖書の言っている「いのちの道」であり、その道を歩く人は生きていくのです。
ルターは言っています。「私はどんなことがあってもキリストについて行く。たとえそこが地獄のような場所であっても、そこにキリストがおられるなら、私にとってそこが天国なのだ」と。

教会に導かれ、「地獄からの脱出」をして以来の私の歩み

私たちの人生という道では必ずどこかで分かれ道に遭遇します。幅の広い道と狭い道。そこで私たちは踏み誤ってしまいます。狭い道は誰も選びたくない道です。ある時には困難に耐え、ある時には孤独をこらえて歩かなければなりません。しかし歩き通す人のみが「安息・平安」に到達すると約束されているのです。
ところが私たちクリスチャンといえども、広い安楽な道を選びがちです。私も若かりし頃、道に迷い続け、まるで「精神の安楽死」状態だったと言えるかも知れません。見るに見かねた神様は18歳の私を教会に招いて下さいました。兄が行っていた近所の教会に通うようになりました。それが私にとって「地獄からの脱出」だったのかも知れません。それ以来約50年、キリスト者としての道を歩み続けております。
ルーテル学院大学神学科に入学したのは50代後半でした。その後ルーテル神学校で、牧師となるべく4年間勉強に明け暮れました。日本キリスト教団に在籍したまま、ルーテルに転籍しないで、ルーテルでの学びを続け通しました。その間、私はまるで異邦人のようでした。教団教師試験を受けたのは65歳の頃でした。
なぜか私はルーテルの牧師にはなりませんでした。日本基督教団のどこに魅力を感じていたのかは分かりません。この道は決してなだらかな道とは言えませんでした。息切れし、呼吸困難に陥り、いつ落下するかも知れない危機にしばしば遭遇しました。それが伝道者に向けての歩み始めでした。
今でも寄せては返す荒波のように危機が襲って参ります。牧師を志願した頃と同様に、「明日はどうなるか分からない」感覚が私の心の中に暗雲のように立ちこめております。それはどうしてなのか、自己理解の及ばないところです。
しかし私に今言えることは「今日、私は、伝道者としてこの世にある」ということだけです。明日もその一歩を神が支えて下さり、変わらず私でいることを願っていますが、それは神のみ手の内にあることだと思っています。

イエスご自身が「その道」

人はいつ病気になるか分かりません。いつしか老いがしのび寄り、だんだん孤独になっていきます。このような不安定な人生において、どうしたら揺るがない神の平安に守られ、御許に至れるのか、しみじみと思うことです。
しかし今日与えられた御言葉から素晴らしい慰めが与えられます。イエスご自身が「その道」であると言われるのです。主イエスは、この道を「あちらだ、こちらだ」と示すのではなく、「私がその道」なのだと言われるのです。そこを歩く私たちに同伴し、間違いなく目的地へ連れて行って下さるのです。この世は私たち人間を暗闇と飢え、偽りと死の中に放り出したままです。しかしイエスはこの暗闇の中へ一条(ひとすじ)の光のように入って来られ、彼を信じる者の手を取って、確実に永遠の命へと導いて下さるのです。
初代教会の信者達は、周りの人々から「この道に従う者」と呼ばれました。キリスト教という言葉はなく、ただ「道」と呼ばれたのです。
この詩編16編の詩人がどのような危機にあったのか、その詳細は一切書かれていません。しかし彼は、人生の危機か、危険か、病か、何かしらの不幸から「いのちの道」に入ることが出来たと、はっきり書いています。つまりこの詩人は、神との交わりを与えられたのです。そして出会ったその時、神さまが「いのちの道」を示してくださったと告白しているのです。
「あなたは私の主。あなたのほかに私の幸いはありません」(2節)。「主はわたしに与えられた分、私の杯。主は私の運命を支える方」(5節)。 
人生の重荷は昔も今も何ら変わらないと思います。労苦、老い、死、どんな試練に対しても、主は大きな突破口を開けてくださいます。それが主の復活です。神は、イエス・キリストを私たちに遣わし、彼を信じる者にとこしえのいのちを約束されました。そして私たちを決してお見捨てにならないと約束してくださいました。私の前に、あなたがたの右に、主は付き添い、私たちと共に歩んでくださるのです。

2014年5月11日、春の伝道礼拝「荒れ野に道を備えよ」(小海基・荻窪教会牧師)の説教を掲載いたします。

<2014年春の伝道礼拝>第1回(5月11日)「荒れ野に道を備えよ」
荻窪教会牧師 小海 基 先生

イザヤ書40:3〜8
マタイによる福音書 7:13~14
<メッセージ>

聖書の信仰で「道」は大きな意味を持っています。道が定まっていない砂漠地帯で生まれた旧約聖書、道が整備されて「すべての道はローマに通ず」と言われた新約聖書においても道は特別の意味を持つキーワードです。
聖書の語る歴史は循環的なものでなく、単なる地上の一本道でもなく救いの道、救い主を迎える道、真理へ至る道、永遠の命に至る道だと語るのです。マタイ7章の言う命への細い道です。
今日読んだイザヤ書40章は預言者イザヤのお弟子さんの預言の第一声、それも70年間のバビロニア捕囚で奴隷であった日々が終わる時に響いた第一声です。「荒れ野に道を備えよ」の個所はアドヴェントの季節によく読まれる個所ですが、今日は春の伝道礼拝のテーマ「道」に即して読みたいと思うのです。

この部分の解釈で、私が最も深い解釈と思うのは、D・ボンヘッファーがベルリンのテーゲル刑務所の獄中で書いた未完の『倫理』という最後の書物に出て来る解釈です。死が近い時にあって倫理についてどんなことを書くのかだけでも非常に興味深いところですが、彼はここで、〈究極のもの〉と〈究極以前のもの〉という非常に厳しい問いを考察するのです。
ボンヘッファーが生きていたような全体主義の中で真実のために殉教も決断しなければならない時代では何を捨てても〈究極のもの〉を追求するという急進的な考えと、命のために〈究極以前のもの〉に留まるかという妥協的生き方がまるで二者選択のように迫ってくる大きな問題であったわけです。
ボンヘッファーは「急進主義者は時間を憎み、妥協主義者は永遠を憎む。……急進主義は中庸を嫌い、妥協主義は測り知れないものを嫌う。急進主義は現実にあるものを嫌い、妥協主義は御言葉を嫌う」と言い、さらに「この対立から明らかになることは、両者の態度・生き方がいずれもキリストに反するものであり、対立的に考えられていることはキリストにおいては一つとなっているからである。あらゆる急進主義と妥協主義の彼方にある出会いをこのイザヤ書40章は語っている」と言うのです。またボンヘッファーは、道備えとは悔い改めなのだ。神様は私たちを人間的であるように造られたのに、私たちはなぜ逸れているのか。もう一度主を迎えるにふさわしい悔い改めを必要としていると言っています。
ボンヘッファーはこういうことをテーゲルの獄中でいつ死が襲いかかるか分からない30代の時にずっと考え、差し入れられたクッキーや葉巻の包み紙の裏にひたすら書き綴っていたのです。
〈究極的なもの〉が達成される日が必ず来ると思い願っているからこそ、〈究極以前のもの〉に責任を持っていく、それが私たちの道備えです。

子どもの説教で、谷川俊太郎の最新刊の絵本『かないくん』を読みました。
どんな人も自分がやがて一人で死を背負わなければならないと知っています。普段は考えなくとも死の問題はバトンタッチのようにリレーされてその問いは引き継がれています。この問題に実は聖書の語る救いが関わっているのです。死という別れが最後の言葉でなく命なのだと聖書は意外なことを語るのです。
人は皆、クリスチャンであろうとなかろうと狭い命に至る道を歩んでいます。だからこそ私たちは、教会の外にいる人たちと共に助け合いつつ、主を知っている私たちが〈究極以前のもの〉に責任を持って歩んでいかなければなりません。それが道を備えることになるのです。