説教「7年目の喜び」(創立記念日礼拝 2016年2月7日) 小海基牧師

〈創立記念日礼拝〉
(2016年2月7日)

七年目の喜び

小海 基

列王記下第11章1〜20節
コリントの信徒への手紙Ⅰ第3章10〜11節

<メッセージ>

1933年2月5日、私たちの荻窪教会は「荻窪伝道所」として最初の礼拝を捧げました。この礼拝は初代の日下一(くさか・はじめ)牧師の当時の自宅で持たれましたが、幸い3ケ月後の5月7日にヴォーリス設計の最初の礼拝堂(17坪)が建てられ、献堂式を持つことが許され、また伝道所から独立教会となるまでは5年足らずという実に順調な道のりを最初期歩みだすことができました。
それから3代の牧師により80数年の歴史を刻んできましたが、簡単な歴史を送ってきたわけではありません。戦争によって教会の中心を担っていた若者たちが戦死していく日々がありました。牧師交替のつまずきや会計問題もありました。
歴史を刻むというのは今にも切れそうになる神様の祝福の約束が、それにも拘わらず切れずにつながれていくという歩みを確認することでもあります。
そういう意味で、今日この創立記念日礼拝で、講解説教の一環として列王記下11章のダビデ王朝の大木がオムリの孫のアハブの娘である太后アタルヤによって切り倒されかかったけれども、守られたという記事を読むことが許された恵みは大きいと思います。

国の栄光を計る物差しが経済や軍事力であるなら、オムリ12年、アハブ22年、アハズヤ2年、ヨラム12年の4代計48年続いたオムリ王朝北イスラエルは大繁栄した国です。特に後半2代の王はアハブの娘アタルヤが南ユダ王国の王の妻に嫁いだために南北2つの国に分断されてきたイスラエルが血縁で結ばれ、ダビデ、ソロモンの時代のように統一王朝が生まれるかもしれないというところまで行ったのでした。
ただしこの統一構想は、全く神様抜きのものでした。国は北イスラエル王国も南ユダ王国も偶像バアル崇拝がはびこり、不正義に満ちあふれた有様となってしまったのです。神様抜き、人間の罪に満ちた力まかせの南北統一、経済繁栄を神様はお許しになりませんでした。繁栄のピークで神様はもう一度ダビデ王との祝福の約束を全うされるのです。そのあとを担ったのが預言者エリヤとエリシャであり、エリシャによって油注がれたアラム王ハザエルであり、エリシャによって油を注がれて北イスラエルの王として立てられたイエフだったのです。

列王記下13章14節以下で預言者エリシャは死にますが、エリヤ、エリシャと2代にわたって巨大な南北イスラエルを手中に収めたオムリ王朝と真正面から向かい合い、戦い続けたのがこの預言者たちであったと列王記は3000年後の現在の私たちに伝えるのです。国家権力に比べれば余りに小さい、それこそ食べるにも苦労する貧しい預言者たちが巨大な国家権力に勝利するのです。
オムリ王朝の最後は、アハブの娘であり南ユダ王国のアハズヤ王の母アタルヤの最後の悪あがきによって、もう少しでダビデ王朝の大木が切り倒される寸前までいったと列王記は伝えています。
太后アタルヤはダビデ王朝の王位継承者をすべて殺そうとします。しかしその時神様は不思議なルートを使ってダビデ王朝が倒されるのを防がれたのです。そのルートとして用いられたのは、ダビデ王朝を倒そうとやっきになっているアタルヤの姉妹ヨシェバでした。アタルヤのすぐ傍らにいる姉妹の力によってダビデ王朝は切り倒されずに救われることになるのです。どうして姉妹が対立したのでしょうか。その理由は旧約学者によっていろいろな説がとなえられています。
一つは、アタルヤとヨシェバは姉妹と言っても異母姉妹だという説です。これは女の人の略歴は旧約聖書には殆ど記録がないため仮説でしかないのですが、当時はよくある話です。太后アタルヤはオムリ王朝アハブ王の娘であったけれど、ヨシェバの母親は別の人でヨシェバにはオムリ王朝の血は流れていなかったという説です。
もう一つは、来週読む歴代誌下の並行記事、22章11節に、ヨシェバは祭司ヨヤダの妻であったという記録が残っているからというものです。
私はこれだけ預言者が孤軍奮闘しているのに、同じ宗教界の代表であるエルサレム神殿の祭司たちの中から一人でもバアル崇拝を増長させている北イスラエルのオムリ政権に立ち向かう人が出ないのは余りにもおかしいと思いますから、祭司ヨヤダが立ち上がったことは当然のこと、自然なことであると思います。
しかしその妻だからといってヨシェバがオムリ王朝の利権に反することまでするか、ちょっと不自然な気もします。そう考える旧約学者はもちろんいて、歴代誌下のヨシェバが祭司ヨヤダの妻というのは、あとからの歴史改ざんなのではないか、と考える学者もいるようです。
とにかく、神様はダビデ王朝最大の危機を、その危機をもたらしたアタルヤのすぐ傍らにいたヨシェバを用いて救われるのです。彼女は乳母と共に乳児ヨアシュを寝具の部屋、要するに物置にかくまいます。そして6年間、エルサレム神殿の中で育てさせるのです。そしてヨアシュ12章にあるように即位の時、わずか7歳でした。
6年間、南ユダ王国の全国民は、ダビデ王朝は切り倒され、根だやしにされたものと思い、太后アタルヤの暴政に耐えていました。
しかし7年目にエルサレム神殿の祭司ヨヤダが声を挙げるのです。ここにダビデの血を引く7歳の王子が一人生きており、王座を取り戻すのです。最初に声を挙げたのが「カリ人と近衛兵」とあるのはダビデ王の時代からダビデ王朝の近衛兵は外国人傭兵が務める慣わしになっていたからです。エルサレム神殿が警備兵で固められ、革命が始まりました。
祭司ヨヤダは7歳の王子ヨアシュに冠をかぶらせ、掟の書、契約の書(聖書)を渡して即位の油を注ぎ、拍手して「王万歳」と叫びます。

南ユダ王国の民は王子が生き残っていたことにびっくりします。楽隊はラッパを吹き鳴らします。アタルヤ太后はびっくりして「謀反、謀反」と叫びますが、祭司ヨヤダの命令で彼女はエルサレム神殿の外で殺害されます。
そこから祭司ヨヤダの立ち会う中で、主なる神はヨアシュ王と南ユダ王国の民の間で、さらにはヨアシュ王と国民の間でも契約が結ばれます。6年間忍耐し続け、7年目の喜びが与えられたのです。

2月10日の灰の水曜日からレントに入ります。主イエスの荒野の試みは40日間でした。信仰には待ち続ける、忍耐の時期があるのです。忍耐の先に希望につながっていることを覚えてレントの時期を過ごしてまいりたいと願います。

(終わり)

<2015年秋の伝道礼拝>第3回(10月25日)説教要旨

「たちかえる生」               

列王記上     19:11~18
マタイによる福音書18:18~20

荻窪教会牧師  小海  基

<メッセージ>
信仰には、全力疾走で駆け抜ける信仰だけでなく、立ち止まったり、たち返ったりしてみえてくるあり方の両面があるのではないでしょうか。私たちは不安の中で一生懸命人生を駆け抜けていくのだけれども、一体何人いれば確かにされるのかという話が、旧約聖書でも新約聖書でもでてきます。今日読んだ列王記上19章もそのような箇所です。
預言者エリヤは850人の偶像の祭司や預言者たちとの大勝負に勝った後、孤立感とむなしさの中逃げて行ったホレブ山で、神様から問われます。「あなたは孤独だ、というけれど、では何人いたら確かにされるのか」と。神様はしばしば登場する非常に激しい嵐や、地震・火の中でエリヤに現れるのではなく、むしろ日常的であたり前の光景の中、静かにささやくような声で問いかけます。エリヤは一生懸命答えます。「この世界は悪い人ばかりです。私一人だけが残る。彼らはこのたった一人残されている私の命をも、奪おうとしているんです」。
私たちは、このエリヤの孤立感・孤独感がよくわかります。一つの信仰、一つの信念、一つのポリシーを通して日本のような社会で生きようとする者は、エリヤのように追いつめられる経験をしたことがあるでしょう。そういう時、「あなたは一人ではない、委ねる相手があるんだ」という言葉が聖書で与えられます。 

同じことを語っていますが、旧約と新約では語り方が少し違います。今日の新約の箇所で、二人または三人で主の名のもとに祈る時、その祈りの中に主はおられる、と述べるところから始まって、主イエスには12人のお弟子さんがいたとか、5,000人になった、何万人になったとか、新約聖書では、1から出発して段々増えていく感じです。イエスキリストはたった一人で十字架を負われて救いを成し遂げられたと語られ、主イエスの孤独と私の孤立感とが一つにされて、「ああ、そうだったのか」と気づかされることは素晴らしいことです。
しかし旧約では全く逆のアプローチをします。孤独だと感じているのは沢山いるから、持ちすぎているからではないか、ちょっと減らしてみなさい、と迫ってくるのです。アブラハムはソドムに何人正しい人がいれば、神様は滅ぼさないのか、50人から始まって10人までカウントダウンしてとりなします。ミディアン人との戦いで神様は、ギデオンに3万2千人では多すぎる、1万人にまで減らしなさいと言われ、まだ多すぎるから水を手ですくって飲んだ300人で戦いなさいとおっしゃるのです。
たった10人、たった300人でいいというカウントダウンのアプローチが意味することは、不安でない確かなものを自分と同じ人間に求めようとしているから、いつまでたっても不安の種はつきないのだ、最小限に絞ってみなさい、ということです。そこまで絞ってみた時に、神様が私たちと共におられるということは確かなことなんだ、と私たちはもう一度聞くことができるのです。
孤独の中にいる時に、最低2人または3人いればいいんですよ、というのは解決にならないかもしれない。むしろ旧約聖書のように、少し持ちすぎているから、削ってみなさい、という風にアプローチするのが案外大事なのかもしれません。
創造の一番最初に私たちに命を与えた方がいるということが確かなことで、今この時も私たちを守り導いておられるということに気づけばいいのだと聖書は語ります。私たちもいつもそこに立ちかえって、与えられた人生を駆け抜けていきましょう。

<2015年秋の伝道礼拝>第2回(10月18日)説教要旨

「たちどまる生」

詩編       126:5-6
ルカによる福音書第17:11〜19

荻窪教会副牧師  龍口 奈里子

<メッセージ>

 私たちは長い人生の中で、走るだけではなく、たちどまることも度々あるのではないでしょうか。頑張って走りすぎて、疲れて、立ち止まって休む時も、自分を省みようとする時もあります。立ち止まることは、長い人生の中の「休息」であり、「休止」であり、止まっている時間と言ってよいかもしれません。しかし、キリスト者にとっては、立ち止まることは単なる「休み」ではありません。なぜなら、そこで主イエスと出会い、信仰の歩みが始まるからです。

 今日の詩編で、捕囚時代のイスラエルの民が、先が見えずに、前に向かって走ることも歩くこともできないけれど、いつかは解放されるという一縷の望みをもって、少ない種を蒔き続ける状況であったことが書かれていると思います。それは、まるでただ生きている、「立ちどまっている」状態と言ってよいかもしれません。しかし、主は、その涙や失望を知っておられ、喜びの収穫へと導いてくださるのです。信仰者の旅路がここにあります。
 聖書はその生、「たちどまる生」を信仰と呼びます。人生の歩みの中で「たちどまった」人たちは、自分の意志で「休もう」と思ったというよりも、やむを得ない、何らかの状況や理由があって、「立ち止まった」人たちです。けれども「立ち止まる」ことによって、将来が見えないで閉じ込められていた心が、外に向かって解き放たれるように、新しい喜び、新しい希望へと導かれていくのだと聖書はいいます。それは信仰が呼び覚まされるときであり、そこにはいつも主イエスが共におられるからです。

新約聖書にも「たちどまる」という言葉が出てきました。重い皮膚病を患った10人が、遠くの方に立ち止まったまま、「先生、どうかわたしたちを憐れんでください」と叫ぶのです。叫ぶためには、祈るためには、走り続けていた足を一旦止めて「たちどまる」ことが大切なのです。それは、単なる後戻りとか、何の望みもなく死んでしまったかのような状態でもなく、叫び、祈ることができる。そのための「たちどまる」なのです。

 主イエスご自身も「たちどまられ」ます。どうか救ってくださいと叫ぶ祈りを聞き、その人のところに来られ、たちどまって、声をかけ、体に触れられ、そして癒されるのです。主イエスだけが、叫ぶ祈りを聞き、一緒になって「たちどまって」くださる方なのです。私たちは、この方が一緒にいてくださるから、安心して行き詰った時にその場に座り込むことも、老いることもできるのです。なぜなら、私たちが「たちどまる」よりも前から、主イエスはいつも共にいて寄り添っていてくださったからなのです。

 「たちどまる」ことは空しいことでも、死に向かうことでもありません。それは、壁の前に立ちふさがって、閉じ込められていたものが、まるで外に向かって解き放たれるための「生」、いわば「たちどまる生」なのです。
私たちの信仰も同じです。たとえ「たちどまって」も、私たちは、私たちの一番根っこの、奥の奥にある信仰が呼び覚まされるとき、喜びへと変えられるのです。重い皮膚病の10人は、みな清くされましたが、主イエスの元に来て感謝したのは1人だけでした。主はこの人に、こう言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
 私たちも自分たちが救われた信仰の原点に立ち返り、喜びが家族へ、友人へとつながっていくように、ここから「立ち上がって」信仰の旅路へと出かけていきたいと思います。

<2015年秋の伝道礼拝>第1回(10月11日)説教要旨

「駆け抜ける生」

イザヤ書        40:27〜31
フィリピの信徒への手紙 3:12〜16

千代田教会牧師 戒能(かいのう)信生(のぶお)先生

<メッセージ>

初代教会時代、パウロが取り組んでいた二つの闘い

今回選んだフィリピ書の個所は比較的短い個所ですが、パウロが興味深い比喩を用いて私たちの信仰のありようを説明しています。
紀元一世紀半ばの初代教会時代、パウロは単純化すれば二つの局面における闘いに取り組んでいました。一方には、イエス・キリストの福音をあくまでユダヤ民族宗教の枠の中で捉える人々がいました。彼らに対してパウロは、「もはやユダヤ人もギリシア人もない」と民族宗教の枠組みを超えて、ただイエス・キリストの信仰によって救われるという信仰理解を力強く打ち出しています。
もう一方は、地中海世界に広がっていたヘレニズム的密儀宗教の影響を受けたグノーシス的熱狂主義のクリスチャンたちでした。同じイエス・キリストの福音を信じていながらも霊的熱狂を重視し、この世の秩序や倫理をも徹底して相対化する立場の人たちです。実はパウロもこの陣営の一人と見做されていたようです。この人々は自分たちがイエス・キリストの福音において、自分たちは「既に救われている」、「既に完全な者となっている」という信仰理解を主張していたようです。パウロはまさにこの個所において二正面の論敵と対峙する中で独自な信仰理解を突き出していったのです。
パウロは後者の人々に対して敢えて「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません」と言います。これは決して謙遜からではありません。イエス・キリストの福音の本質的な理解において、自分はまだそれを得たわけではない、と主張しているのです。

短距離走のフォームの比喩を用いたパウロの言葉

そしてパウロは信仰理解の説明として、一つの比喩的表現を用います。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞(ギリシャ語ではbrabeion)を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(3章13b〜14節)。つまり「前のめりの前傾姿勢で目標をめざしてひたすら走る」という表現を用いているのです。これはまさにランニング、特に短距離走の際のフォームを指しています。
ここで私は突飛な連想をします。パウロが古代オリンピックの徒競走を見物していたのではないかという仮説です。競技種目には、いろいろあったでしょうが、一番の花形は徒競走でした。その徒競走を目にしたパウロが前傾姿勢で走るフォームについて触れたのではないか、と私は想像するのです。
さらに注目したいのは「目標を目指してひたすら走る」(14節)という表現です。短距離走の場合、ランナーは目標をゴール地点ではなく、ゴールのさらに向こう側を目指して走るのです。ゴール地点は通過点であり、最高スピードで駆け抜けなければなりません。そのため、ランナーの目はゴールのさらに先、向こう側に向けられていなければなりません。
私たちの人生は、一人一人がこの世に生を受けてから、それぞれが死と言うゴールに向かって懸命に走り続けるのです。しかし私たちは死のさらに先をめざして、駆け抜けて行かねばならないのです。
私は、死というゴールの向こう側を目標として走る姿勢こそが、終末信仰とか復活信仰と深く結びついていると考えています。多くの人は、人生のゴールを死と考えています。歳を取って、終点である死が近づいて来れば来るほど、体力が衰え、気力も集中力も徐々に低下して行きます。いわば放物線を描くように次第に走るスピードが落ちてきてヨタヨタ、ギクシャク、ノロノロと走り続けて、ついに足が止まったところ、それがゴール、人生の終着点、死と考えてしまってはいないでしょうか。
パウロは、自分の持てる最高スピードでゴール、死を駆け抜ける生き方を強調しているのです。

自分の不信仰に気づき、不信仰に耐えよう

私たちは自分の不信仰に気づかされています。だから、熱心に信仰深くありたいと願っています。しかし、私は敢えて、私たちは自分の不信仰に耐えるとともに、信仰深くありたいという誘惑と闘わねばならないのではないか、と思います。
三鷹の深大寺の奥に、カトリックの女子修道会があります。高い壁で覆われており、戒律が非常に厳しい修道会です。そこでは15分に一度、鐘が鳴ります。イエス・キリストを忘れないため、と伺いました。この修道会では一日6回の礼拝の合間に、畑仕事やミサに用いる聖餅というパンを全国の教会のために作る仕事もありますし、聖書や信仰書を読む読書の時間もあります。しかし、そうしたことに熱中してしまって、ついキリストを忘れてしまうため、15分に一度鐘を鳴らし、鳴った時、それぞれの場所で祈るのだそうです。
私は、自分の日々の生活を振り返って一日の内、どれくらいキリストのことを覚えて祈っているか計算してみましたら、何と合計17分でした。それ以外は神なき時間を過ごしているわけです。それくらい私たちは不信仰な者です。
しかしパウロは「既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません」と言い切ります。そして加えて、「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、目標を目指してひたすら走ることです」と言うのです。

一人娘の死を経て信仰の飛躍を得た内村鑑三

無教会の指導者・内村鑑三は、1911年(明治44年)、19歳であった一人娘のルツ子を病気で失います。彼は「この病ひは死に至る病ひにあらず、必ず神、癒し給ふ」という信仰に立ち、それを公言していました。そのため実際に亡くなった時、周囲の者は内村が「神も仏もあるものか」とその信仰を放り投げるのではないかと怖れていました。
しかし内村は葬儀で「ルツ子は天国でキリストの花嫁になった」と宣言し、埋葬の際には、「ルツ子さん、万歳」と叫びます。
その姿を見て、当時第一高等学校の学生であった矢内原忠雄は衝撃を受け、それが彼の内村への傾倒と信仰の始まりであったと言われています。
内村の信仰は、もう絶対安心だというような境地とは無縁だったのです。一人娘を失うという悲劇と悲しみの中でその信仰を飛躍させ、「イエス・キリストの復活ということが、ようやく自分にも明確になった」と語るのです。
パウロが、前のめりの前傾姿勢で懸命に目標を目指して走り続けていると言う時、それは例えば内村鑑三のような信仰理解とつながっていると私は理解しています。その意味で死の向こう側をめざして前傾姿勢で、前のめりに懸命に駆け抜ける信仰に、私たちも生きたいと思います。
自分の不信仰に耐え、主なるイエス・キリストを見上げつつ、ご一緒に歩んで行きたいと心から願っています。

教会バザーの開催:2016年1月24日(日)12時30分~

荻窪教会で、下記の通りバザーを開催します。
どなたでもお気軽にお越しください。

日時:2016年1月24日(日) 12時30分~14時30分
場所:荻窪教会

売り物:
食堂(ランチセット・ケーキセット)
手作り食品・衣類 など 
良いもの、たくさん     

エコバックをご持参ください。
駐車場はありません。お車でのご来場はご遠慮ください。

以上

2015年 秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2015年 秋 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 10月の伝道月間のテーマは、「軸足をしっかりと定めた生」です。敗戦後70年目を迎えたこの年、私たちの社会は原点を見失い、一種の漂流現象に陥っていないでしょうか。なんとなく周りに合わせ、流されていくのではなく、ひとりの自立した存在として、他の人はどうであろうと、信念、信仰、ポリシーを貫いて、生きぬいていくという生き方、聖書の信仰は、いつの時代も「真理」に根差す「自由」への「決断」を求めます。人生全てを賭けた「決断」です。
 今回の伝道礼拝は、四谷にある千代田教会の戒能信生牧師です。先生は東京神学大学の神学生であった当時、学生自治会の副委員長であったこともあり、1970年3月の東神大機動隊導入の際に逮捕され、懲役6か月、執行猶予2年という判決を受けることになります。東神大中退後、立教大学キリスト教学科を卒業後、「信徒伝道者」として板橋大山伝道所、深川教会、教師検定試験により牧師となり、東駒形教会牧師を経て、この4月から千代田教会で牧会される方です。神学生時代に歴史神学の大御所石原謙博士(元東京女子大学長)の書生をしていたこともあり、独学で日本キリスト教史研究をきわめ、元日本基督教団宣教研究所教団資料編集室長として5巻にも及ぶ画期的な『日本基督教団資料集』の編纂に当たり、現在では日本聖書神学校、農村伝道神学校、東京バプテスト神学校等でも教えておられる専門家でもあります。午後の教会全体修養会では「敗戦後70年の教団の宣教と課題」と題して講演していただきます。私たちの日本基督教団が、主イエス・キリストのからだなる教会として、ぶれない軸足で、対話的な群れを形成できるように、もう一度聖書の言葉に耳を傾けます。
 混迷するこの時代のただ中だからこそ、聖書の語る言葉に目を留め、立ちどまって考えてみませんか。

10月11日(日) 午前10時30分~
「駆け抜ける生」
千代田教会牧師 戒(かい)能(のう) 信生(のぶお)
 1947、愛媛県生まれ。深川教会、東駒形教会を経て、2015年4月から北支区千代田教会牧師。元・日本基督教団宣教研究所教団史料編纂室室長、日本聖書神学校、農村伝道神学校、東京バプテスト神学校講師、『時の徴』編集同人。著・編書『日本基督教団史資料集』第1‐5巻(教団出版局、1997‐2001年)、『ラクーア その資料と研究』(共著、キリスト新聞社、2007年)、『戦時下のキリスト教』(共著、教文館、2015年)

10月18日(日) 午前10時30分~
「たちどまる生」
荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
 関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
 1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事として勤務。
 1993年~ 当荻窪教会副牧師。

10月25日(日) 午前10時30分~ 
「たちかえる生」 
荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい) 
 東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、当荻窪教会牧師に就任」。
 1989年~1991年イーデン神学校留学。農村伝道神学校講師。小諸いずみ会理事長。「こどもさんびか」の作曲、「讃美歌21」編集、著書に「聖餐 イエスのいのちを生きる」(新教出版社 共著)、「牧師とは何か」(日本キリスト教団出版局 共著)などがある。

≪ミリアムの会 特別集会≫
10月18日(日) 午後1時~ 
「HIV/AIDSについて話したことがありますか ~HIV/AIDSの現状~」
講師 カトリック中央協議会HIV/AIDSデスクより
河野小夜子(2010年9月よりデスク委員、看護師、助産師)
伊藤和子(2003年4月より事務局)

東京バッハ合唱団コンサート「バッハの合唱音楽」を開催します。

東京バッハ合唱団<3.11 被災地訪問演奏=福島県・南相馬公演>
報告コンサート@すぎなみ
バッハの合唱音楽
[南相馬公演(第112回定期演奏会)の演目による。 日本語演奏・大村恵美子訳詞]

第1部:南相馬ツアー 報告ビデオ上映
第2部:Johan Sebastian Bachの合唱音楽

日時:2015年9月26日(土) 14時開演(13時30分会場、16時終了)
入場料:無料(被災地への献金を受け付けます)
場所:荻窪教会

主催・問い合わせ 東京バッハ合唱団
http://bachchor-tokyo.jp

<2015年春の伝道礼拝>第3回(5月24日)説教要旨

「自由」
申命記7:6-8
ヨハネによる福音書18:36-38b

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 今回の伝道礼拝は何よりも、北村慈郎牧師をお招きして先生の名誉回復のために共に祈りたかったということがあります。私たちの日本基督教団が主イエス・キリストの語られたように「真理」に基づく「自由」へと立ち帰る対話的な群れを形成できるように、もう一度聖書の言葉に耳を傾けます。 
 主イエス・キリストは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:31)と言われました。「真理」に基づかない偽りの「自由」は本当の「自由」ではありません。行く先の見えない現代社会の中で私たちは、私たちを本当に解放し「自由」にする「真理」に根差そうとしているでしょうか。なんとなく周りに合わせ流されていくのではなく、ひとりの自立した存在として、信念、信仰、ポリシーを貫いて「真理」を求め、生きぬいて行くという生き方にこそ「自由」が宿るのです。聖書の信仰は、いつの時代も「真理」に根差す「自由」への「決断」を求めます。
 新約聖書には「真理」に関連する言葉が全部で109回出てきます。その約85%がパウロの書簡とパウロの名による書簡、ヨハネによる福音書とヨハネの名がつけられた文書に出てきます。
 パウロの真理は「神の真理」、「キリストの真理」、「福音の真理」と属格の付加語が付いていますが、ヨハネ関係文書では圧倒的に「真理」が主格で書かれています。ヨハネのイエス・キリストは「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と、イエス・キリストそのものが神としての真理なのです。ヨハネが「真理」を主イエスそのものとして言いあらわそうとする工夫があります。それが最も明らかなのは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)とユダヤ人に向かって語られた言葉です。
 「自由」ということこそ出エジプトの民ユダヤ人にとって永遠のテーマであり、キーワードです。自分たちは「奴隷の家」エジプトのファラオの家から出て、約束の地の自由の民となったところにイスラエルのイスラエルたる中心があるからです。「真理はあなたたちを自由にする」という言葉はユダヤ人たちとの討論の中で語られた言葉です。
 異邦人ローマ総督ポンテオピラトに「真理とは何か」と問われて、主イエスはお答えになりませんでした。「真理」とは、人間の言葉の中にとどめたり押し込めたりすることが出来ない。主イエス・キリストの「真理」は十字架によって成就されるのです。知識や知恵など人間の内側にあるものとして考えるのではなく、「真理」はイエス・キリストそのもの人格的なものなのだと伝えようとしているのです。

 ボンヘッファーは「真実を語るとは何か」という獄中の文章を書きました。ヒトラー政権下でキリスト者が苦しんでいたのは、十戒の「偽証してはならない」という戒めでした。ボンヘッファーは、一人の少年がアル中の父親のことを教師に問われて父はアル中ではないと自分の家庭の秩序を守ろうとして嘘をついたことに対して、「この嘘はより多くの真実を含んでいる」と述べています。嘘をつくか真実かの単純で教条的な二者択一ではなく、守るべき責任を負っている大切な家庭のためについた少年の嘘にこそより多くの「真実」があるとしたのです。
 私たちの救いのために十字架を負って下さった主という存在こそが「真理」であることを知っているキリスト者は、規範倫理の哲学者カントのように「真理」の教条化も律法主義化も出来ない、自由な神の民なのです。罪赦された罪人として自分の罪は主に委ね、自分の負うべき十字架を負って歩んでいく群れなのです。
(終わり)

<2015年春の伝道礼拝>第2回(5月17日)説教要旨

「真実」
哀歌3:19-24
フィリピの信徒への手紙4:4-8

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 先週の伝道礼拝で北村慈郎牧師は、「真理」という言葉はギリシャ語の「アレセイア」で「覆いを取り除く」という意味があり、私たちの偽りを剥がしていくことによって「真理」に近づくと説明してくださいました。
 今日の題を私は「真実」としましたが、「真理」と「真実」とはどのような違いがあるのでしょうか。聖書のギリシャ語ではどちらも「アレセイア」が用いられています。英語、ヘブライ語では余り厳密な区別がなされていないようですが、ドイツ語では「真実」の語源が「真理」、つまり真理の中に真実が含まれるということが明らかです。
 では反対語はどうでしょうか。「真理」の反対語は「うそ」「偽り」でなく「誤謬」と辞書に書かれています。一方で「真実」の反対語が「うそ」「偽り」。つまり「真理」が普遍的な一致、抽象的な一致を意味するのに対して、「真実」は現実的な私たち人間の主体的な意思から出てくるもので、そうした違いがあるのです。

 さて今日読みましたパウロが述べる「真実」ですが、8節で「……すべて真実なこと」に始まり、「すべて何々のこと」という言葉が次々と出てきます。このような徳目は、いわば当時の定型的な表現であり、パウロのオリジナルの言葉でもなければ聖書固有のものでもありませんでした。パウロがフィリポの教会の人たちに宣べ伝えたい中心点はむしろ「徳目」の前後にあると思われます。4節の「主において喜びなさい……」で始まり、9節の「……そうすれば平和の神があなたがたと共におられます」で終わる部分で徳目の実行を勧めますが、決して自分独りでなく「主にある教会」を建てるために共に実行するよう勧めているのです。
 8節に出てくる複数の徳目でパウロが一番に「真実なこと」を挙げているのは意味あることだと思うのです。パウロにとって「真実」とは単なる人間的誠実さとか生真面目さではなく、「真理」に根ざす「真実な生き方」でした。

 伝道礼拝ですので、「真実な生き方」とはどういうことか、以前私が聞いた二つのお話をしたいと思います。
 一つ目はキリスト教系大学を出て公認会計士になった方でクリスチャンではない方のお話です。ある時ある会社の社長から粉飾決算を見逃してほしいと依頼されました。「真実で正しいこと」を報告書に書くと会社が倒産し社員が路頭に迷う可能性があるため、眠れないほど悩んだ時、大学の正門に創設者・新島襄の「良心碑」があり、そこに書かれていた「人間の目ではなく神の目を意識して初めて人間となる」という意味のことをふと思い出し、「本当のことを書こう、そして銀行や取引先から協力が得られるよう全力を尽くそう」と思い直したという話です。
 二つ目は、ご自分のお父さんの話として聞いた話です。自転車で青信号を渡ろうとした時にタクシーの前方不注意のため自分が大怪我を負ったのですが、謝罪に病院に来たまだ若い運転手を見てこの事故のため彼が仕事を失ってはこれから大変になると感じて警察署に出向いて「自分から車にぶつかった」と「うそ」の証言をしたそうです。
 この話をされた方は哲学が専門の先生で、ヨハネ18章38節でピラトが言う「真理とは何か。」を読む度に自分が幼い時に経験したお父さんの証言を思い出すというお話でした。
 神のまこと、神の真実こそが「真理」です。その「真理」とはまさにイエス・キリストの生き方の中にあります。主イエスに学び、従い、主イエスからの「真実」を受け止め「真実」に歩んでいきたいと思います。
(終わり)

<2015年春の伝道礼拝>第1回(5月10日)説教要旨

「真理による自由」
エレミヤ書28:12-17
ヨハネによる福音書8:31-32
               
船越教会牧師 北村 慈郎先生

<メッセージ>

 ご存知のように、私は2010年9月15日付で日本基督教団から免職処分を受けて、教師の身分や資格を剥奪(はくだつ)されている者です。そのような私を、敢えて説教者として招いてくださる教会があることは、私には嬉しいことです。

私の信仰歴

 私の名前「慈郎」の「慈」は慈愛の慈であり、慈しみとも読みます。キリスト教信仰とつながりのある言葉といえますが、私の家族の中には誰もクリスチャンはいません。中学校からバプテストの関東学院という学校に入学していましたが、高校3年の10月頃までは、どちらかというとアンチキリスト教だったと思います。ただ高校1年の後半頃から母が筋萎縮症で寝たきりになり、またちょうどその頃父が責任を持っていた薬の仲卸の会社が倒産しました。この二つの出来事が重なったことによって私は悩みを抱えざるを得ませんでした。悩みを抱えてからの私は、ある意味で二つの人間不信に陥っていたと思います。一つは自分に対してです。母は寝たきりでしたから、その世話を家族がしなければなりません。しかし友人に誘われたりすると、私がしなければならない時も、兄や妹に押し付けて出かけていきました。母が自分を必要としている時に、私は自分のことを優先して、母の思いを裏切っているという罪の感覚、自分は間違ったことをしているという思いです。もう一つの人間不信は他人に対してです。父の会社の倒産後、その薬を横流しして自分の懐に入れていた人もいたりして、父親だけが苦しんでいるように思え、人間って信じられないものという人間不信の思いが増幅していました。
 そのような時友人に誘われて、高3の11月初めの日曜日に初めて紅葉坂教会の礼拝に出席しました。そして強引にお願いしてその年のクリスマスに洗礼を授けてもらいました。1959年12月20日です。その時に洗礼を受けようとしたのは、人間は人を裏切るが、イエスは人を裏切らない、だからイエスに従って生きていこうという思い、ただそれだけでした。イエスとの出会いによって、私はこのイエスに最後までついて行こうと思ったのです。

最初の任地での出会い

 もう一つ私の個人史の中で大きな出来事は、神学生時代から最初の任地である足立梅田教会時代の10年間に関わった廃品回収を生業(なりわい)としていた人たちとの出会いです。当時そのような人たちを「バタヤさん」と呼んでいました。
 仕切屋という「バタヤさん」が集めてきた廃品を買い取るところがあり、その仕切屋さんが長屋を持っており、そこに「バタヤさん」が住んでいました。その長屋は、3畳ほどの部屋が並んでいる隙間風が入る劣悪な建物でした。「バタヤさん」の中に数人、洗礼を受けて足立梅田教会のメンバーになっていました。その一人が真冬に心不全で亡くなりました。相当目の不自由だった人ですが、私はその知らせを受けて長屋に行き、亡くなっている状態を見ました。集めたくずの山の中でかろうじてつくられている寝床で冷たくなっていました。猫がいて、布団の周りには猫の糞が散乱していました。
 私は、このような経験を通して、イエスは誰のために死んでくださったのかということを考える時に、「バタヤさん」のようなこの社会の中で最も小さくされている方々のためではないかと思うようになりました。そのようなイエスの生涯と死が、私への問いであり、そういう形で私のためでもあるのではないかと思うようになっていきました。
 「人間は人を裏切るが、イエスは決して裏切らない」ということと、イエスの生涯と死と復活はこの世で最も小さくされている人のためであり、そのことによって、私たちすべてのためのものではないかということとが、私のイエス理解の根幹になりました。

聖書の語る「自由」とは

 先ほどの聖書の箇所に、イエスは「わたしの言葉にとどまっているならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られたと記されています。それを聞いたユダヤ人たちは「今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」と、イエスに言いました。
 このユダヤ人が陥った自己理解に私たちも陥りやすいのではないでしようか。自分たちはキリスト者として「真理と自由」をすでに持っている。それを何とか人に伝える伝道が大事なことであって、すでに自由な者が何故自由にならなければならないのかと。
 しかし現実は、ユダヤ人はイエスを殺そうとする自己絶対化に陥っていますが、それに気づけません。信仰に誠実であると思えば思うほど、信仰から遠ざかってしまうという逆説に気づかなければなりません。「信じます。不信なわたしをお助けください」と言った人の信仰でなければならないと思います。私たちはイエスによって真理と自由に招かれながら、真理を所有する者でも、自由な者でもありません。偽りと囚われの中で生きています。イエスとイエスの言葉にとどまっているならば、偽りと囚われの中にある己に恐怖し、そこから解き放ってくださるイエスに従って生きる希望と喜びに己を投げ出さないわけにはいきません。
 イエスの宣べ伝えた神の国は丸い円盤の上に、みんなが手をつないで一緒にいるというイメージではないでしょうか。権力を持った一部の人が上層にいて、差別抑圧されている人達が底辺にいる、そして圧倒的に多くの人々がその中間層にいる。そのような縦菱形の今の社会が、みんなが対等同等で、それぞれが大切にされる円盤の社会に変わっていくことが、神の国の到来に近づくことではないかと思います。神のみ国がこの世に到来していることを信じ、イエスに招かれ、その招きに応えて生きようとする者は、今ここで、それにふさわしく生きていこうとするのではないでしょうか。「真理はあなたがたを自由にする」とは、そのようなことではないかと思います。偽りの覆いがとりのぞかれた「真理」に立ち、さまざまな囚われから解放された「自由」をもって、イエスの後に従って共に歩んで参りたいと願うものであります。
(終わり)