〈創立記念日礼拝〉
(2016年2月7日)
七年目の喜び
小海 基
列王記下第11章1〜20節
コリントの信徒への手紙Ⅰ第3章10〜11節
<メッセージ>
1933年2月5日、私たちの荻窪教会は「荻窪伝道所」として最初の礼拝を捧げました。この礼拝は初代の日下一(くさか・はじめ)牧師の当時の自宅で持たれましたが、幸い3ケ月後の5月7日にヴォーリス設計の最初の礼拝堂(17坪)が建てられ、献堂式を持つことが許され、また伝道所から独立教会となるまでは5年足らずという実に順調な道のりを最初期歩みだすことができました。
それから3代の牧師により80数年の歴史を刻んできましたが、簡単な歴史を送ってきたわけではありません。戦争によって教会の中心を担っていた若者たちが戦死していく日々がありました。牧師交替のつまずきや会計問題もありました。
歴史を刻むというのは今にも切れそうになる神様の祝福の約束が、それにも拘わらず切れずにつながれていくという歩みを確認することでもあります。
そういう意味で、今日この創立記念日礼拝で、講解説教の一環として列王記下11章のダビデ王朝の大木がオムリの孫のアハブの娘である太后アタルヤによって切り倒されかかったけれども、守られたという記事を読むことが許された恵みは大きいと思います。
国の栄光を計る物差しが経済や軍事力であるなら、オムリ12年、アハブ22年、アハズヤ2年、ヨラム12年の4代計48年続いたオムリ王朝北イスラエルは大繁栄した国です。特に後半2代の王はアハブの娘アタルヤが南ユダ王国の王の妻に嫁いだために南北2つの国に分断されてきたイスラエルが血縁で結ばれ、ダビデ、ソロモンの時代のように統一王朝が生まれるかもしれないというところまで行ったのでした。
ただしこの統一構想は、全く神様抜きのものでした。国は北イスラエル王国も南ユダ王国も偶像バアル崇拝がはびこり、不正義に満ちあふれた有様となってしまったのです。神様抜き、人間の罪に満ちた力まかせの南北統一、経済繁栄を神様はお許しになりませんでした。繁栄のピークで神様はもう一度ダビデ王との祝福の約束を全うされるのです。そのあとを担ったのが預言者エリヤとエリシャであり、エリシャによって油注がれたアラム王ハザエルであり、エリシャによって油を注がれて北イスラエルの王として立てられたイエフだったのです。
列王記下13章14節以下で預言者エリシャは死にますが、エリヤ、エリシャと2代にわたって巨大な南北イスラエルを手中に収めたオムリ王朝と真正面から向かい合い、戦い続けたのがこの預言者たちであったと列王記は3000年後の現在の私たちに伝えるのです。国家権力に比べれば余りに小さい、それこそ食べるにも苦労する貧しい預言者たちが巨大な国家権力に勝利するのです。
オムリ王朝の最後は、アハブの娘であり南ユダ王国のアハズヤ王の母アタルヤの最後の悪あがきによって、もう少しでダビデ王朝の大木が切り倒される寸前までいったと列王記は伝えています。
太后アタルヤはダビデ王朝の王位継承者をすべて殺そうとします。しかしその時神様は不思議なルートを使ってダビデ王朝が倒されるのを防がれたのです。そのルートとして用いられたのは、ダビデ王朝を倒そうとやっきになっているアタルヤの姉妹ヨシェバでした。アタルヤのすぐ傍らにいる姉妹の力によってダビデ王朝は切り倒されずに救われることになるのです。どうして姉妹が対立したのでしょうか。その理由は旧約学者によっていろいろな説がとなえられています。
一つは、アタルヤとヨシェバは姉妹と言っても異母姉妹だという説です。これは女の人の略歴は旧約聖書には殆ど記録がないため仮説でしかないのですが、当時はよくある話です。太后アタルヤはオムリ王朝アハブ王の娘であったけれど、ヨシェバの母親は別の人でヨシェバにはオムリ王朝の血は流れていなかったという説です。
もう一つは、来週読む歴代誌下の並行記事、22章11節に、ヨシェバは祭司ヨヤダの妻であったという記録が残っているからというものです。
私はこれだけ預言者が孤軍奮闘しているのに、同じ宗教界の代表であるエルサレム神殿の祭司たちの中から一人でもバアル崇拝を増長させている北イスラエルのオムリ政権に立ち向かう人が出ないのは余りにもおかしいと思いますから、祭司ヨヤダが立ち上がったことは当然のこと、自然なことであると思います。
しかしその妻だからといってヨシェバがオムリ王朝の利権に反することまでするか、ちょっと不自然な気もします。そう考える旧約学者はもちろんいて、歴代誌下のヨシェバが祭司ヨヤダの妻というのは、あとからの歴史改ざんなのではないか、と考える学者もいるようです。
とにかく、神様はダビデ王朝最大の危機を、その危機をもたらしたアタルヤのすぐ傍らにいたヨシェバを用いて救われるのです。彼女は乳母と共に乳児ヨアシュを寝具の部屋、要するに物置にかくまいます。そして6年間、エルサレム神殿の中で育てさせるのです。そしてヨアシュ12章にあるように即位の時、わずか7歳でした。
6年間、南ユダ王国の全国民は、ダビデ王朝は切り倒され、根だやしにされたものと思い、太后アタルヤの暴政に耐えていました。
しかし7年目にエルサレム神殿の祭司ヨヤダが声を挙げるのです。ここにダビデの血を引く7歳の王子が一人生きており、王座を取り戻すのです。最初に声を挙げたのが「カリ人と近衛兵」とあるのはダビデ王の時代からダビデ王朝の近衛兵は外国人傭兵が務める慣わしになっていたからです。エルサレム神殿が警備兵で固められ、革命が始まりました。
祭司ヨヤダは7歳の王子ヨアシュに冠をかぶらせ、掟の書、契約の書(聖書)を渡して即位の油を注ぎ、拍手して「王万歳」と叫びます。
南ユダ王国の民は王子が生き残っていたことにびっくりします。楽隊はラッパを吹き鳴らします。アタルヤ太后はびっくりして「謀反、謀反」と叫びますが、祭司ヨヤダの命令で彼女はエルサレム神殿の外で殺害されます。
そこから祭司ヨヤダの立ち会う中で、主なる神はヨアシュ王と南ユダ王国の民の間で、さらにはヨアシュ王と国民の間でも契約が結ばれます。6年間忍耐し続け、7年目の喜びが与えられたのです。
2月10日の灰の水曜日からレントに入ります。主イエスの荒野の試みは40日間でした。信仰には待ち続ける、忍耐の時期があるのです。忍耐の先に希望につながっていることを覚えてレントの時期を過ごしてまいりたいと願います。
(終わり)