荻窪教会でクリスマス演奏会(入場無料)が開かれます。

荻窪教会 クリスマス演奏会

バッハのクリスマス・オラトリオ
BWV248/Ⅳ・Ⅴ・Ⅵより抜粋

日時2013年12月23日(月・祝日)13時30分開演(13時開場、14時30分終了予定)
料金:無料
場所:荻窪教会
出演:東京バッハ合唱団、金澤亜希子(オルガン)、大村恵美子(指揮/訳詞)

<2013年秋の伝道礼拝>第3回(10月27日)説教要旨を掲載いたします。

歴史を導く神<2013年秋の伝道礼拝>第3回(10月27日)説教要旨

荻窪教会牧師
小海基

歴代誌下36:21~23
コリントの信徒への手紙Ⅰ 15:58

<メッセージ>

 聖書の信仰は歴史を土台に生まれています。神様は私たちを意味あるものとして創造し、私たちが滅びないように私たちの歴史のただ中に出来事を介入し、救いの出来事を成就させたと聖書は語ります。神様のひとり子は神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられ、人間の姿で現れてくださって、十字架についてくださったのです。それを私たちは「受肉」(じゅにく)と呼びますが、その救いの出来事は2000年前の、日本から遠く離れた中東イスラエルの出来事というのではなく、私たちそれぞれの歴史のただ中でも具体的に起こっていることなのです。私たちの人生に神様は介入されて、私たちを救いへと導いて下さったということを聖書は伝えようとしているのです。

 今日読んだのは歴代誌の終わりの部分です。ユダヤ人の聖書では、旧約聖書の一番終わりに歴代誌が置かれています。ですから今日の部分は、聖書の一番最後におかれている言葉であり、旧約聖書の結論のような所です。
 旧約聖書には色々なことが書いてあります。神様が天地を造られ人間が造られたという話から始まり、エジプトで奴隷であったイスラエルの民をモーセが40年の旅路の後、約束の地に導き約束の地を立てていったのだけれど、度重なる罪の結果、せっかく与えられた約束の地を失ってしまい、バビロニアで奴隷生活を余儀なくされる…。そのバビロン捕囚が70年続きました。そういう流れで来たその最後に、預言者エレミヤの口を通して告げられた神様の約束は実現した。70年のバビロン捕囚後、キュロス王がおこされ、キュロスによって解放され奇跡的に再び約束の地に帰る日があったのだ、と旧約聖書は終わりにまとめるのです。

 バビロニアでの奴隷時代に主なる神を忘れ、ヘブライ語も忘れて名前もバビロニア風に変えられ、聖書の言葉も聖書の信仰も忘れかけているかもしれない。70年間は約束の民が不在で、約束の地は砂漠となってしまった。しかしその全期間を通じて地は安息を得て、そして神様の約束は年月が満ちて成就したのだと語るのです。そのために神様が用いたのは、異邦人のペルシャ王キュロスでした。歴史を導く神様は、ご自身の意思の中で捕囚の荒廃や異邦人さえも用いて歴史を進められるのです。
聖書の語る歴史は循環的な物ではなく、始めがあり終わりがあるという一直線の歴史です。その歴史の中で確実なことは、歴史を導いているのが神様である以上、神様の約束の言葉は実現するということです。歴史の中で刻まれた色々な不幸なこと、嫌なことは沢山あるかもしれない。その場に直面している私たちは理解できない、神様は一体どこにいるのだろうかと思うようなこともあるかもしれない。しかし最後から振り返って見るとそれさえも意味あることであると思わざるを得ない。そのような一直線の歩みが聖書の語る歴史なのです。そういう信仰を「摂理」といいます。その摂理の信仰が旧約聖書の一番最後に記されているのです。

 新約聖書でその成就が書かれている神様の救いの出来事は、天地創造のように神様の一声で成就したかもしれないけれど、そうではなく神様は非常に丁寧に手をかけて私たちの救いに自ら介入し、十字架と復活の出来事を起こされました。私たちはそういう歴史を導く神様に委ねて、主の技を励み伝える群れであっていきたいと思います。

(終)

<2013年秋の伝道礼拝>第2回(10月20日)説教要旨を掲載いたします。

ヒズ ストーリー<2013年秋の伝道礼拝>第2回(10月20日)説教要旨

荻窪教会副牧師
龍口奈里子

イザヤ書43:16~21
ヨハネによる福音書5:31~40

<メッセージ>

 私が「歴史」という言葉を聞いて思い出すのは、神学部時代の教会史の講義での出来事です。「宗教改革って何?」という質問から始まった講義の中で「ヒストリエ」と「ゲシヒテ」のいう2つのドイツ語が板書されました。両方とも「歴史」という意味ですが、「ヒストリエ」は単に出来事を指し、「ゲシヒテ」は意味が加わったものを指します。講義のまとめに先生は、単なる出来事だけで歴史になるわけではなく、そこに意味が加わって初めて歴史と言えると述べ、さらにその歴史は、私たちの時間(クロノス)に、神の時間(カイロス)が介入することによって、意味のある歴史となるのだと締めくくられました。

 今日の説教題は「ヒズ・ストーリー」です。英語のHISTORY(ヒストリー)は、His(彼の)+Story(物語)が合わさってできた言葉だという通説があります。キリスト者にとって信仰とは、His(神の)Story(歴史)が私たちの時間の中に入ってくることによってMy story(私の歴史)が豊かにされることを証することである、と聖書は言います。今日の旧約聖書には「私の栄誉を語らねばならない」(イザヤ43:21)とあり、神の歴史に巻き込まれた自分の歴史を、次の世代に語っていくことが「神の民」となるのだと教えています。私たちと共にある神の物語は、「荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ」(イザヤ43:20)と記されている通り、希望の物語です。私たちの物語に介入してくる神とは、私たちの過去にも現在にも、未来にも介入してくる方なのだから、過去の恵みだけを物語るのでなく、今も将来も、神と共にある希望を語ることが「神の民」となるのだ、とイザヤの預言は語るのです。

 この夏訪ねたドイツのライプツィヒにあるニコライ教会は、東西ドイツ統合の象徴として世界的に有名な教会のひとつです。東ドイツに属していた1982年ごろから、毎週月曜日に「平和の祈り」の集会が持たれ始めました。若い人たちを中心に、平和について語り、祈りあっていたそうです。この小さい集まりが徐々に大きくなり、1989年10月には7万人が平和の行進を行うまでに規模が拡大。あっという間にドイツ全国に波及し、1ヶ月後の1989年11月9日のベルリンの壁崩壊へとつながるのです。これは、偶然の重なりではありません。ニコライ教会の若者たちが、平和を求め必死に祈り、神の歴史の介入を信じ、祈ったからこそ、まるで「砂漠に大河を造るような」希望のある未来が歴史的に起こったのではないか、と私は考えました。今でも、ニコライ教会では毎週月曜日に祈りの集会を続けています。

 今日の新約聖書(ヨハネ5:31-47)ではイエスご自身が、自分を証しするとはどういうことかについて、「神ご自身が、自分について証してくださることだ」と語っています。イエスご自身のMy storyは、His Story 神の物語なのだと。つまり私たちは、神に向かった自分の人生を語り継いでいけばよいのだ、とイエスは述べているのです。
 私達の時間に限りがあっても、現実の壁に押しつぶされそうになっても、His Storyが今もこの先も働き続けることを信じて待つこと、自分の力を超えた神を信じ、自分の人生を作ることが、私たちの歴史・My storyとなるのです。そのために、祈り、私たちの人生を豊かなものとしてくださる神の物語・His Storyを語ってゆきたいと思うのです。

(終)

<2013年秋の伝道礼拝>第1回(10月13日)説教要旨を掲載いたします。

マイ ストーリー<2013年秋の伝道礼拝>第1回(10月13日)説教要旨

東中野教会牧師
鈴木 重正

詩編  121: 1~8
ヨハネによる福音書
21:15~19

<メッセージ>

 「自伝的な説教を」との依頼を受けました。40年近くの牧師生活で初めてです。まだ自伝を語るほどの歳ではありませんが、皆様との出会いとして与えられたテーマと受け止めて「マイ ストーリー」と題してお話いたします。

キリスト教との最初の出会いは宝塚の土曜学校

 父は敗戦まで、満鉄(南満州鉄道)に勤務しており、敗戦後引き揚げて阪神間で転居を重ねました。私が生まれたのは宝塚に住んでいた時で1948年(昭和23)です。
 キリスト教との最初の出会いは母方の祖母の家に住んでいた幼稚園児の頃、近所の家の「土曜学校」です。たぶん母が私を行かせたのだと思います。カトリックのシスターが見えてペープサート、紙の掲示板に着脱式の人物画を貼って聖書物語を話して下さった場面が記憶に残っています。楽しいクリスマスに心躍らせたのもこの頃でざっと60年前、聖書は文語訳でした。祖母は学生時代に東京の聖公会で受洗、母は若い頃、倉敷で受洗していたと聞きました。
 小学2年の時、大阪の中心部の心斎橋近くに引っ越しました。高学年になったある時、理由は分かりませんが、父が映画「ベンハー」を見につれて行ってくれました。また地域の子ども会で「十戒」を見ました。両方ともとても好きになりました。

16歳のクリスマスに受洗、中高生礼拝の週報づくりを担当

 教会に通い始めたのは高1からで教会は荻窪教会と同じ程度の規模でした。伝道師の先生の熱心なお導きで高1のクリスマス、16歳の時に受洗しました。教会では朝9時から中高生会の礼拝を守り、大人の礼拝にも出ました。
さらに土曜日には教会の掃除、中高生礼拝の週報づくりも担当しました。当時はガリ版で、私はこの仕事がとても好きでした。
 先生から、週報に詩編の暗唱聖句を選んで掲載していく課題が与えられました。詩編を読んで気づいたことは怒りや嘆きが強く表現されていて赦しや愛が少ないということでした。これでも聖書なのかと子ども心に疑問を持ちました。しかし週報づくりに際して詩編を学んだこの経験は後の私の信仰生活に大いに意味あることとなりました。
 母が教会の執事となり、しばしば教会の裏話を聞かされて、教会のあり方に疑問を抱いた反抗期の時期もありましたが、その後キリスト教系の大学に進みました。
 ちょうど70年代の大学紛争の時期であり、若者らしい正義感に燃えて大学批判、ストライキやバリケードも経験し、また幾つかの挫折を経つつも、その後、神学部に編入学しました。それは聖書を学ぶことの恵みと喜びを知らされたからでした。

神学部への進学を決定づけた詩編121編の学び

 夏の聖書セミナーで詩編の121編を学んだ時の感動を忘れることが出来ません。私にとって山のイメージは私がハイキングなどで親しんでいた緑豊かな六甲山でした。しかし聖書の山は岩陰に獣や盗賊が潜む危険な山で、そこを通らないとエルサレム神殿に行けませんでした。そうした恐れや不安の中での信仰を歌うのがこの121編でした。聖書理解の自分の浅はかさ、愚かさを悟り、思い込みでなく聖書の事実に即して聖書を読むことの意義を知らされました。この経験があったからこそ、神学部に編入学したと言えます。実は当時別の進路を予定しており内定までしていましたが、取り消しのお願いをしたのでした。

牧師への道を選択する決心は祈祷会の体験を通して

 大学紛争を経た当時の神学部は教授と学生の間に不信感があったようでギクシャクしていました。私が祈祷会を提案して開始しましたが、4、5人集まれば良い方で自分一人の時もありました。しかし一人で声を出して祈る経験を通して、祈ること、悔い改めることを自分自身に問い直す良い機会となり、言葉巧みに祈っても、喜びがなければそれは空しいことと気づかされました。これは私にとって一つの回心体験でした。神学部を卒業して別の道に進む人もいますが、私はこの回心体験を通して、牧師への道を選択しました。
 神学部卒業後に遣わされた初任地は神戸の教会で、ここでは着任13年目に会堂建築を経験しました。そのほぼ1年後の1995年1月17日に阪神・淡路大震災に遭遇しました。新築していたお蔭で建物も私も無事でしたが、もし旧会堂のままなら確実に倒壊して死んでいました。

スイスでバランスのとれた成熟した信仰生活を学ぶ

 大震災以前から私のスイス行きは決まっていたため予定通り教会を辞任させて頂き、1995年4月末にドイツに旅立ち、9月からスイスでの宣教活動に入りました。午後の修養会でスイスの体験についてお話しますので礼拝では簡単に触れさせて頂きます。
 スイスでは国内宣教チームの一員として任務を与えられ、私を含む6名の外国人宣教師が集まってスイス国内の教会や学校をあちこち回りました。ここはドイツ語圏でしたが、スイスドイツ語が主流であり、礼拝説教は殆ど聞き取れませんでした。また私に話しかけられる時はドイツ語ですが、皆さん同士で話される時はスイスドイツ語なのです。
そうした事情から礼拝で歌うドイツ語の讃美歌の時は言葉を噛みしめて大声で歌いました。またスイス滞在中に日本の合唱団の演奏旅行の仲介もしました。こうした経験を通して「歌う喜び」「音楽の力」を改めて強く感じました。日本の合唱団が歌う日本の歌には大抵「ふるさと」(うさぎ追いしかの山)があり、この曲を聞くと私はいつも涙が出てきました。好きな讃美歌の一つが54年版の529番(ああうれし、わが身も)です。これは英語の歌詞が素晴らしくて、特に折り返しの「This is my story, this is my song」が大好きで今日の説教題もここから採りました。
 宗教改革について本を通じてではなく、現地の生の歴史を体験して学べたことも大きな貴重な経験でした。
 あるスイスの友人が私の誕生日に木製の「ワインボトルホルダー」をプレゼントして下さいました。これは微妙なバランスでワインボトルを水平に保つ不思議な道具です。その時に教えられたのは信仰にとって大事なことは罪の意識、赦しの恵み、信仰に生きる喜びをバランス良く保って歩むということでした。そこに成熟したキリスト教の姿があるのです。
 スイスで所属した教会は会員12,000人で礼拝出席は300人という状態ですが、生活に根づいている信仰者の姿を学びました。生活の中に信じる喜びが空気のように広がっているのです。
 キリスト教は実践を伴う信仰です。私たちも、心と思いと行いのバランスが取れた信仰生活を心豊かに送れるようでありたいと願います。

(終)