主と共に歩む旅路<2013年春の伝道礼拝>第3回(5月26日)説教要旨

ウエスレー財団ディレクター 小海 光
創世記12:1~4
ヘブライ人への手紙11:1~3

<メッセージ>

私たちの人生は、思いもよらないことが多くあるものです。誰も自分の計画通りの人生を歩む人はありません。私は日本で神学校を卒業後、アメリカのボストンに渡り25年を過ごしました。始めは2年の学びの後帰るつもりでした。しかし、卒業証書に、夫もついて来て、アメリカに暮らし始めることになりました。夫は韓国人で、合同メソジスト教会の牧師になるところでした。夫の招聘先の4つの教会で子育てをしました。どこも片田舎の教会で、町に白人でないのは私たち家族だけでしたから、いつも興味津々にみられました。後に私自身も牧師となり、5教会併せて14年牧会をしました。

メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーはこんなことを言っています。「メソジストの牧師がいつも準備しておかなければならない事に2つある。いつでもどこでも説教できる事と、そして、どこへでも行く事です。」私たちも10回引っ越しをしました。正直家族をもっていると連れ合いのこと、子どもの学校のことで不安もあります。新しい教会と環境に慣れるのだろうかと、毎回不安で一杯でした。

そんな時いつも思い出されたのが、アブラハムとサラの旅立ちです。アブラハムはある日主より、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。」と言われ、主の言葉に従って旅立った。75歳であった。

よく決断したと思います。地理が今のようにわかっている状況ではないのですから、何がおこるかわからないのです。不安を持つのは当然です。でも、ヘブライ人への手紙の著者によれば、「信仰によってアブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(11章8節)。人生は旅です。そしてその歩みの途中には予想もしなかった喜びもあり悲しみもあります。

1番目の娘が生まれたとき初孫を父と母はどんなに喜ぶだろうかと思いました。しかし母が子宮がんにおかされていることを知らされたのです。待ちに待っていた孫がやっと与えられたのに、いったいどうしてと悲しみました。闘病中の母を少しでも元気づけるために、娘の写真をたくさん送りました。その娘が3歳になった時白血病と診断されました。それからの3年間は、抗がん剤治療で入退院を繰り返し、心も体もくたくたになる毎日でした。幼い娘の苦闘する姿を見るのは、母親として本当につらいことです。それにもまして悲しかったことは、治療中同士の母と娘がまた会える時があるだろうかと思うことでした。娘の治療中は日本を訪ねることができなかったのです。しかし、もう母がかなり弱って来ているのを知った時、神様は祈りを聞いてくださり、母と娘は1ヶ月を共に過ごしました。その間、母が命を孫に与えるかのように弱くなっていくかたわらで、娘は元気を取り戻していきました。母が天に召されたのは、私たちがアメリカに帰ってから3週間後でした。

私たちの人生は私たちの計画通りにはいかないのです。災害だって、人災だって起こります。だから明日の事を思うと不安になります。でも、私たちは主の与えられた約束を知っています。「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」主イエスキリストの愛はいつまでも私たちとともにいるという約束です。私たちと共にいます、という方が、私たちの人生の旅の終わりの一歩まで共に歩んでくださり、さらに死を超えて永遠の命の旅へと導いてくださるということを信じて、どこに行くかわからない旅に出るのです。それが信仰です。

それはいつも順調な歩みではないのです。時に深い悲しみのうちに、エマオへの道を旅した弟子達のように、主が傍らにいてくださる事が見えない事があります。時に主の御心がわからなくて、疑いと迷いと不満をいう荒野を旅するイスラエルの人々のようになる時もあります。主の声に従って水の上を歩き始めたけれども、急に風と波に怖くなって溺れかけるペテロのようになる時もあります。でも忘れてならない大切なことは、私たちには見えなくとも、神様は共に歩いておられます。私たちは行き先を知らずとも、神様は知っておられます。私たちはその方を知っており、信頼することができます。そこに喜びがあります。

ちょうど1年前、メソジスト教会のビショップから、日本に宣教師として行ってほしいという電話を貰いました。最初に口から出た言葉は、「それは無理です」でした。家族のことや、もうアメリカに25年もいて、今日本に帰っても私に何ができるだろうかという不安からでした。でもビショップは、日本に新しく建てられたウェスレーファウンデーションでミッション活動を通して、アメリカと日本をつなぐ働きをする人がぜひ必要なのだと言われました。1週間悩みのうちに祈りました。そして示された事は、25年目の召命という事でした。私が初めてアメリカに行ったのは25歳の時でした。それから25年経った時この召しを受けました。今では日本もアメリカも私のホームです。日本の教会もアメリカの教会も私の信仰の家族です。この時に主は私の名を呼んで、住み慣れた家を離れ、神様が示す新しい道を歩き出しなさいと言われていると確信しました。

神様が私たちに促す新しい旅の歩みとは、何も大きな人生の転機をさすだけではないのです。私たちは毎日主と共に歩き出す決心を促されています。自分の計画と知恵に頼って歩むのか、主のご計画と知恵に頼るのか、この世の富と人の評価を信頼するのか、主の約束の言葉を信頼して主の示される旅を歩み出す生き方が出来るのか。信仰による決断です。

最後にアメリカで愛されているゴスペル賛美歌を一つ紹介しましょう。

明日の事は私にはわからない/ただ1日1日を生きていく/太陽にもたよれない、雨になるかもしれないから/でも明日の事は心配しない/イエス様の言葉を知っているから/主に寄り添って歩いていこう/主がすべてをご存じだから/明日の事は私にはわからない/でもこの事だけは知っている/明日を握っているのは誰かと言うことを/そして私の手を握って下さる方が誰かということを。

主は今日もあなたと共に歩いておられます。感謝と共にその旅路が豊かな祝福のうちにありますようにと共に祈りましょう。

宿題の旅<2013年春の伝道礼拝>第2回(5月19日)説教要旨

荻窪教会副牧師 龍口奈里子
詩編 121:1~8
ヨハネによる福音書 21:1~14

<メッセージ>

 皆さんは、「さとり世代」と称される世代をご存じでしょうか。この世代は、「ゆとり世代」のあとの世代で、現在10代から20代半ばの人たちを指しています。彼らが生まれた時代というのは不景気の真っ只中で、頑張っても仕方がない、夢や目標を持つのは無駄だと、あきらめ気味に悟る姿から、「さとり世代」と名づけられたようです。

大学で若い世代と接している私が、このさとり世代に特徴的なことに気づいて、それを同僚に話してみると、同様に感じている方が多くて驚きました。一言で言えば、自分で出来る範囲の課題を先回りして無理なく失敗しないように対応するという生き方なのです。例えば今年の新入生はスマートフォン元年世代でもあり、ツイッターやフェイスブックを駆使して入学前から連絡を取り合う友だちが出来ていて入学式前に名前と顔が一致する友だちができている人が少なくありません。

また計画的で目標も持っています。講義に必要な参考書を事前に尋ねて来たり、入学したばかりの4月というのに、はやばやと、ボランティアや留学に関わる問い合わせを多く受けました。

しかし問題は、仮に大学の4年間がうまく過ごせたとしても、もっと長い卒業後の人生はそんな風にはいかないということです。それは人生という旅には「宿題」があるからです。人生の宿題となると、まず自分の宿題を自力で見つけることが出来ず、計画的に終わらせることも出来ません。なぜなら人生を積み重ねていくなかで新しい人や出来事に出会い、そのたびに新しい発見や変化があり、その次にまた新たな宿題が出てくるからです。私たちの人生は、いわば「宿題の旅」なのです。

本日の聖書のヨハネ21章に登場する主イエスの弟子たちは今日読んだ場面の3、4年前に初めて主イエスと強烈な出会いを経験し、第2の人生、旅が始まっていたのでした。不思議な力、オーラを持ったイエスに従っていけば、かつての漁師時代よりも自分の思い描く人生を歩めるかもしれないと思ってイエスとともに旅を続けていたのです。しかしイエスはその後逮捕され、十字架に架けられてしまい、弟子たちにとっては、それ以降の人生がひっくり返ってしまったのでした。

落胆の弟子たちに復活のイエスが3度現れます。弟子たちは3度目にようやく、それがイエスだと気づいたのでした。その時イエスは「何か食べる物があるか」(5節)と問い、元漁師であったペトロに網を打つ場所を教え、網を引き上げることが出来ないほどの魚がとれたのでした。

ペトロに初めて出会った時に、主から「ケファ」「岩」という名前まで与えられたシモン・ペトロでしたが、彼は何度も挫折や失敗を重ねてきていた弟子です。そうしたペトロに復活のイエスは、み言葉を伝え、人を漁ること、そして揺るがない土台の上に教会を建てなさいという命令、宿題を与えたのです。私たちの信仰生活でも似たようなことがあると思います。

私たちの人生も失敗と挫折の繰り返しです。そのたびに主は新しい宿題を与えられるのです。詩編121編の詩人は「主はあなたを見守る方」(5節)と歌っています。

私たちは、私たちに眼差しを向けて下さる方を見上げ、よろめきそうな足を主に向け、耳を主からの問いかけに向けて、託されている「宿題」に応えていけるよう、祈りながら人生の旅路を一歩一歩、歩んでいきたいと願います。

地図の無い旅<2013年春の伝道礼拝>第1回(5月12日)説教要旨

荻窪教会牧師   小海 基

 詩編119:18~19
ルカによる福音書10:30~37

 <メッセージ>

人生は「地図の無い旅」です。出かけないで引きこもっていれば安全で安心ですが、出かければ危険がある一方で素晴らしい恵みに出会うこともあります。ここで最大の問題は自分が人生という旅の正確な地図を持っているという思い込みです。

地図通り予定通りに目的地にたどりつけない時に、私たちは自分の不完全さを棚に上げて絶望し、行き詰まっているのが私たち人間の姿であることを忘れているということです。

人生には地図などあっても無いに等しいと考えて旅を楽しみ、思わぬ出会いを大切にできる旅があります。実は私たちが導かれている真実な旅は、そういうものです。

平時には気づきにくいことかもしれません。第二次世界大戦末期に強制絶滅収容所でピアノ線による絞首刑というむごい方法で処刑された神学者で牧師のディートリッヒ・ボンヘッファー(1906~1945)が残している言葉にハッとさせられます。

彼は神学的には天才であり、もし若い頃に自分が描いた人生の地図通りに歩いていたなら、師である神学者アドルフ・フォン・ハルナック(1851~1930)の愛弟子として国立ベルリン大学で大神学者になっていたことでしょう。しかし神様は彼の人生の地図を、ずたずたにされたのでした。彼は反ヒトラーの牧師の代表的存在として大学から追放され、説教壇から語ることも禁じられます。

米国の友人たちから米国への亡命を勧められますが帰国し、その後逮捕され、最終的にはヒトラー暗殺計画(ワルキューレ作戦)に加わった一人として処刑され、39歳の生涯を閉じるのです。何もかもが予定外の人生でした。

彼が残した黙想に詩編119編に関わるものがあります。119編はヘブライ語のアルファベットに合わせた日本流に言えばいろは歌のような詩で、聖書の中で一章の長さが最も長い詩です。彼はその19節の黙想で彼はアブラハムやヤコブの歩みを引用し、自分は地上で一人の旅人だと言っています。さらに18節について「神が私に示すものを見ようとする時、私は私の感覚の目を閉じなければならない。御言葉を私に見せようとなさる時、神は私の目を見えなくされる。目の見えない人の目を、神は開かれる。(中略)目の不自由な者のみが、開かれた目を求めて叫ぶ」と述べています。私たちはエリコの盲人バルティマイのように「見えるようになりたい」と叫び続けなければならないのです。

ルカによる福音書10章の「サマリア人のたとえ」も読みました。

『キリスト教とホロコースト―教会はいかに加担し、いかに闘ったか』(モルデカイ・パルディール著松宮克昌訳)では、「サマリア人のたとえ」に突き動かされるようにして、あの時代にキリスト者がユダヤ人救済運動にどう関わったかの証言が記録されています。

「サマリア人のたとえ」が責任的応答、服従を促す大きな契機であったことをボンヘッファー自身も繰り返し語っています。

人生は地図の無い旅であり、手さぐり状態で導かれる旅なのです。地図が無くても導いて下さる方がおられ、見えなくても見えるようにして下さる方がおられるのだから、私たちは委ねて旅を進めることができるのです。