シェバの女王

13年4月21日
荻窪教会牧師 小海 基

列王記上第10章1~13節
マタイによる福音書第12章42節

「シェバの女王は主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼をためそうとしてやってきた。…」 

たった13節しか記されていないシェバの女王のエピソードが実は大変な謎に満ちており、後世どんどん膨らんでしまう話であったということを皆さんはご存知でしょうか。シェバという国がそもそもどこにあるか、この女王なる人物も正体不明であるのに、現在日本語で読める書物が、ニコラス・クラップ著『シバの女王―砂漠に埋もれた古代王国の謎』(紀伊国屋書店2003)と蔀勇造『シェバの女王―伝説の変容と歴史の交叉』(山川出版局2006) と二冊も出ているのです。

ユダヤ教の「タルグム・シェーニー」やイスラム教の「コーラン」27章「蟻」では魔女のような悪い存在、キリスト教世界では中世の「黄金伝説」でどんどん話が膨らんでソロモンに「聖盃」をプレゼントしたとか、女王が踏みつけなかった「善悪を知る木」が後に十字架になったといった善い存在、聖人伝説の源になります。評価は全く正反対なのです。新約のマタイ12章42節に出てくる「南の国の女王」も主イエスに「ソロモンにまさるもの」とされているのですから善い存在です。

更にエチオピアのコプト正教会の「ケブラ・ナガスト(王たちの栄光)」という書物では、ソロモンと女王はロマンティックです。この出会いの時に2人は性的に結ばれ、息子をもうけ、エルサレム神殿に会った契約の箱はエチオピアに移され、それがきっかけでソロモンの死後国は南北に分裂、やがては滅亡を迎え、私たちの世代には東京オリンピックのアベベというマラソンランナーと共によく知られたエチオピア最後のハイレ・シェライエ皇帝がダビデ王家の直系のとなるのです。更に更に、そのエチオピア皇帝ダビデ王朝直系伝説を膨らませた1970 ~80年代に中南米の黒人の人たちの間大流行したキリスト教系カルト宗教の1つ「ラスタフェリアン」というのがあります。マリファナを吸い、レゲエ音楽に酔いしれ、故郷であるアフリカのエチオピアにアメリカ大陸から出エジプトを夢見るというカルト宗教です。ボブ・マーリーというレゲエの大家が「エクソダス」というヒット曲を書いているほどです。

他にもシェバの女王はオペラになり、ミュージカルになり、ハリウッド映画になり、ポール・モーリアのイージーリスニングのヒット曲になり…と、どんどん話が膨らむのですが元の聖書はたったの13節で、ほとんど謎しか残らない内容です。よくもここまで話が膨らむものだと感心するくらいです。

「彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせたが、ソロモンはそのすべてに回答を与えた。王に分からない事、答えられない事は何一つなかった」(列王上10・2~3)。この「質問」なる物も伝説には出てきますが、有名な「スフィンクスの謎かけ」や「トゥーランドットの謎かけ」ほどの内容も無い他愛ないもので少しがっかりします。

ソロモンの名を使った「箴言」や「コヘレトの言葉」で見る限りソロモンの「知恵」は知識の量とか、判断の的確さのような事でなく、世の空しさを知り、神への畏れを知ることです。それはIQが高いから得られるような「知恵」とは異なるものです。

こうやってみると人間はソロモンも彼の「知恵」も、彼の「栄華」の意味も聖書が書き記したものとは全く違ったものに誤解して膨らませ、伝えてきていることがよく分かります。むしろ醒めて悪い存在のようにシェバの女王伝説を伝えているユダヤ教やイスラム教の方が聖書的かもしれないくらいです。人間はつくづく「偶像」を作り上げ「崇拝」したくなってしまう存在ということでしょう。

20年の果てに

2013年4月14日
荻窪教会牧師 小海 基

列王記上第9章10~28 節

「ソロモンは、20年を費やして二つの建物、主の神殿と王の宮殿を建て終わった…」

ソロモン王の性根を見ることのできる箇所です。イスラエルに好景気をもたらし、最大の領土をもたらし、どの王よりも成功者、「知恵の王」ソロモンの影の部分がこの細部に宿っています。

3万人の労働者が徴用され、1万人ずつ1ヶ月交替で、1ヶ月はレバノン、2ヶ月は自宅というローテーションで一年の1/4が実に20年間にわたって労働に捧げる生活が続いたわけです(列王上5・27~8)。想像できますか。20年と言えば人生の半分です。しかもその20年と言ってもエルサレム神殿建設は7年半だけ、残りの倍近い年月は自分の宮殿建設です(列王記上6・27, 7・1)。今日読んだ9章15節以下では更にエジプトから迎えた自分の正妻のためにゲゼルという町を丸ごと造成し住まわせることまでしたのです。いかにも異教的というかエジプト風の大盤振る舞いです。

イエス・キリストと同時代に生きたユダヤ人歴史家のフラビウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』でソロモンをかばって次のように弁明しますが、皆さんは納得できますか。「王は既述のように7年の歳月を要した神殿を落成させた後、王宮の建設にとりかかり、13年目にようやくそれを完成させた。(これほどの期間を要したのは)神殿建設と違って、王が(仕事に)本腰を入れなかったからである。神殿の建設のときは、それが大事業であり、並一通りでない感嘆すべき職人の腕が要求されたが、神もご自身のために建てられるこの神殿の作業に力を貸されたため、上述の年月で完成したのであった。しかし、王宮は、建築資材が長期間かけて集められたものではなく、また、同じ(多額の)費用が投じられたわけでもなかった。さらに、それが神ではなく王の居住まいであったので、神殿とくらべると荘厳さははるかに劣り、完成にも時間がかかったのである」(秦剛平訳)。これじゃ贔屓の引き倒し、褒め殺しです。どう考えてもソロモンは自分の宮殿のために神殿の倍の勢力を注ぎ込んだのです。

さてここで旧約聖書で初めてガリラヤが登場します。世話になったティルスの王ヒラムへのプレゼントとして登場します。しかしヒラムは気に入らず、「カブル(値打ち無い)」と呼ばれた(13)というのです。そもそもガリラヤというヘブライ語も「周辺」という意味です。私たちの主イエスもガリラヤから出て「ナザレのイエス」と呼ばれました。「緑の革命」が行われた今でこそ穀倉地帯ですが、「ナザレから何の良いものが出るだろうか」(ヨハネ1・46)とか「メシアがガリラヤから出るだろうか」(ヨハネ7・41)と千年後の主イエスの時代まで言われ続けるわけです。建前上はゼプルン、アシェル、ナフタリ、イッサカルの嗣業地でしたが、ガリラヤ(周辺)だけあってこの地域は士師記1章終わりの段階でもまだ先住民の住む場所でした。ソロモンはそこを先住民から取り上げ、開発し、ヒラム王にプレゼントしたものの気に入られなかったというのです。あれだけお世話になったヒラム王にこんな町で済ませ、自分の制裁にはもっと素敵な街を作り上げる。ソロモンの暗闇の素顔はこうした細部に垣間見ることができるのです。

神様はむしろこうした周辺、辺境に救い主を備えられました。ソロモンとは正反対です。この前のイースター説教「再びガリラヤへ」で述べたように、ガリラヤで救い主の第一声を挙げさせ、ガリラヤで復活の主との再会を備えられる方です。私たちの「ガリラヤ」はどこなのでしょう。