<2015年春の伝道礼拝>第2回(5月17日)説教要旨

「真実」
哀歌3:19-24
フィリピの信徒への手紙4:4-8

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 先週の伝道礼拝で北村慈郎牧師は、「真理」という言葉はギリシャ語の「アレセイア」で「覆いを取り除く」という意味があり、私たちの偽りを剥がしていくことによって「真理」に近づくと説明してくださいました。
 今日の題を私は「真実」としましたが、「真理」と「真実」とはどのような違いがあるのでしょうか。聖書のギリシャ語ではどちらも「アレセイア」が用いられています。英語、ヘブライ語では余り厳密な区別がなされていないようですが、ドイツ語では「真実」の語源が「真理」、つまり真理の中に真実が含まれるということが明らかです。
 では反対語はどうでしょうか。「真理」の反対語は「うそ」「偽り」でなく「誤謬」と辞書に書かれています。一方で「真実」の反対語が「うそ」「偽り」。つまり「真理」が普遍的な一致、抽象的な一致を意味するのに対して、「真実」は現実的な私たち人間の主体的な意思から出てくるもので、そうした違いがあるのです。

 さて今日読みましたパウロが述べる「真実」ですが、8節で「……すべて真実なこと」に始まり、「すべて何々のこと」という言葉が次々と出てきます。このような徳目は、いわば当時の定型的な表現であり、パウロのオリジナルの言葉でもなければ聖書固有のものでもありませんでした。パウロがフィリポの教会の人たちに宣べ伝えたい中心点はむしろ「徳目」の前後にあると思われます。4節の「主において喜びなさい……」で始まり、9節の「……そうすれば平和の神があなたがたと共におられます」で終わる部分で徳目の実行を勧めますが、決して自分独りでなく「主にある教会」を建てるために共に実行するよう勧めているのです。
 8節に出てくる複数の徳目でパウロが一番に「真実なこと」を挙げているのは意味あることだと思うのです。パウロにとって「真実」とは単なる人間的誠実さとか生真面目さではなく、「真理」に根ざす「真実な生き方」でした。

 伝道礼拝ですので、「真実な生き方」とはどういうことか、以前私が聞いた二つのお話をしたいと思います。
 一つ目はキリスト教系大学を出て公認会計士になった方でクリスチャンではない方のお話です。ある時ある会社の社長から粉飾決算を見逃してほしいと依頼されました。「真実で正しいこと」を報告書に書くと会社が倒産し社員が路頭に迷う可能性があるため、眠れないほど悩んだ時、大学の正門に創設者・新島襄の「良心碑」があり、そこに書かれていた「人間の目ではなく神の目を意識して初めて人間となる」という意味のことをふと思い出し、「本当のことを書こう、そして銀行や取引先から協力が得られるよう全力を尽くそう」と思い直したという話です。
 二つ目は、ご自分のお父さんの話として聞いた話です。自転車で青信号を渡ろうとした時にタクシーの前方不注意のため自分が大怪我を負ったのですが、謝罪に病院に来たまだ若い運転手を見てこの事故のため彼が仕事を失ってはこれから大変になると感じて警察署に出向いて「自分から車にぶつかった」と「うそ」の証言をしたそうです。
 この話をされた方は哲学が専門の先生で、ヨハネ18章38節でピラトが言う「真理とは何か。」を読む度に自分が幼い時に経験したお父さんの証言を思い出すというお話でした。
 神のまこと、神の真実こそが「真理」です。その「真理」とはまさにイエス・キリストの生き方の中にあります。主イエスに学び、従い、主イエスからの「真実」を受け止め「真実」に歩んでいきたいと思います。
(終わり)

<2015年春の伝道礼拝>第1回(5月10日)説教要旨

「真理による自由」
エレミヤ書28:12-17
ヨハネによる福音書8:31-32
               
船越教会牧師 北村 慈郎先生

<メッセージ>

 ご存知のように、私は2010年9月15日付で日本基督教団から免職処分を受けて、教師の身分や資格を剥奪(はくだつ)されている者です。そのような私を、敢えて説教者として招いてくださる教会があることは、私には嬉しいことです。

私の信仰歴

 私の名前「慈郎」の「慈」は慈愛の慈であり、慈しみとも読みます。キリスト教信仰とつながりのある言葉といえますが、私の家族の中には誰もクリスチャンはいません。中学校からバプテストの関東学院という学校に入学していましたが、高校3年の10月頃までは、どちらかというとアンチキリスト教だったと思います。ただ高校1年の後半頃から母が筋萎縮症で寝たきりになり、またちょうどその頃父が責任を持っていた薬の仲卸の会社が倒産しました。この二つの出来事が重なったことによって私は悩みを抱えざるを得ませんでした。悩みを抱えてからの私は、ある意味で二つの人間不信に陥っていたと思います。一つは自分に対してです。母は寝たきりでしたから、その世話を家族がしなければなりません。しかし友人に誘われたりすると、私がしなければならない時も、兄や妹に押し付けて出かけていきました。母が自分を必要としている時に、私は自分のことを優先して、母の思いを裏切っているという罪の感覚、自分は間違ったことをしているという思いです。もう一つの人間不信は他人に対してです。父の会社の倒産後、その薬を横流しして自分の懐に入れていた人もいたりして、父親だけが苦しんでいるように思え、人間って信じられないものという人間不信の思いが増幅していました。
 そのような時友人に誘われて、高3の11月初めの日曜日に初めて紅葉坂教会の礼拝に出席しました。そして強引にお願いしてその年のクリスマスに洗礼を授けてもらいました。1959年12月20日です。その時に洗礼を受けようとしたのは、人間は人を裏切るが、イエスは人を裏切らない、だからイエスに従って生きていこうという思い、ただそれだけでした。イエスとの出会いによって、私はこのイエスに最後までついて行こうと思ったのです。

最初の任地での出会い

 もう一つ私の個人史の中で大きな出来事は、神学生時代から最初の任地である足立梅田教会時代の10年間に関わった廃品回収を生業(なりわい)としていた人たちとの出会いです。当時そのような人たちを「バタヤさん」と呼んでいました。
 仕切屋という「バタヤさん」が集めてきた廃品を買い取るところがあり、その仕切屋さんが長屋を持っており、そこに「バタヤさん」が住んでいました。その長屋は、3畳ほどの部屋が並んでいる隙間風が入る劣悪な建物でした。「バタヤさん」の中に数人、洗礼を受けて足立梅田教会のメンバーになっていました。その一人が真冬に心不全で亡くなりました。相当目の不自由だった人ですが、私はその知らせを受けて長屋に行き、亡くなっている状態を見ました。集めたくずの山の中でかろうじてつくられている寝床で冷たくなっていました。猫がいて、布団の周りには猫の糞が散乱していました。
 私は、このような経験を通して、イエスは誰のために死んでくださったのかということを考える時に、「バタヤさん」のようなこの社会の中で最も小さくされている方々のためではないかと思うようになりました。そのようなイエスの生涯と死が、私への問いであり、そういう形で私のためでもあるのではないかと思うようになっていきました。
 「人間は人を裏切るが、イエスは決して裏切らない」ということと、イエスの生涯と死と復活はこの世で最も小さくされている人のためであり、そのことによって、私たちすべてのためのものではないかということとが、私のイエス理解の根幹になりました。

聖書の語る「自由」とは

 先ほどの聖書の箇所に、イエスは「わたしの言葉にとどまっているならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られたと記されています。それを聞いたユダヤ人たちは「今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」と、イエスに言いました。
 このユダヤ人が陥った自己理解に私たちも陥りやすいのではないでしようか。自分たちはキリスト者として「真理と自由」をすでに持っている。それを何とか人に伝える伝道が大事なことであって、すでに自由な者が何故自由にならなければならないのかと。
 しかし現実は、ユダヤ人はイエスを殺そうとする自己絶対化に陥っていますが、それに気づけません。信仰に誠実であると思えば思うほど、信仰から遠ざかってしまうという逆説に気づかなければなりません。「信じます。不信なわたしをお助けください」と言った人の信仰でなければならないと思います。私たちはイエスによって真理と自由に招かれながら、真理を所有する者でも、自由な者でもありません。偽りと囚われの中で生きています。イエスとイエスの言葉にとどまっているならば、偽りと囚われの中にある己に恐怖し、そこから解き放ってくださるイエスに従って生きる希望と喜びに己を投げ出さないわけにはいきません。
 イエスの宣べ伝えた神の国は丸い円盤の上に、みんなが手をつないで一緒にいるというイメージではないでしょうか。権力を持った一部の人が上層にいて、差別抑圧されている人達が底辺にいる、そして圧倒的に多くの人々がその中間層にいる。そのような縦菱形の今の社会が、みんなが対等同等で、それぞれが大切にされる円盤の社会に変わっていくことが、神の国の到来に近づくことではないかと思います。神のみ国がこの世に到来していることを信じ、イエスに招かれ、その招きに応えて生きようとする者は、今ここで、それにふさわしく生きていこうとするのではないでしょうか。「真理はあなたがたを自由にする」とは、そのようなことではないかと思います。偽りの覆いがとりのぞかれた「真理」に立ち、さまざまな囚われから解放された「自由」をもって、イエスの後に従って共に歩んで参りたいと願うものであります。
(終わり)

2015年・春 伝道礼拝へのお招き

5月の伝道月間のテーマは〈真理と自由〉です。主イエス・キリストは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:31)と言われました。「真理」に基づかない偽りの「自由」は本当の「自由」ではありません。聖書の信仰は、いつの時代も「真理」に根差す「自由」への「決断」を求めます。  
今回の伝道礼拝には、横須賀にある船越教会の北村慈郎牧師をお招きします。先生は横浜の紅葉坂教会で牧師をされ日本基督教団常議員をしていた最中であった2010年1月26日の公告で、日本基督教団議長により一方的に「牧師免職」処分を受けます。先生の「処分撤回」と「名誉回復」を求める声が絶えることはありません。
主イエス・キリストの語られたように「真理」に基づく「自由」へと立ち帰る聖書の言葉に耳を傾けます。混迷するこの時代のただ中だからこそ、深く原点から語る聖書の言葉に目を留め、立ちどまって考えてみませんか。初めて教会を訪ねるという方、どなたでも参加できます。

◆ 5月10日(日)午前10時30分~
「真理による自由」 北村慈郎先生(船越教会牧師)
◆ 5月17日(日)午前10時30分~
「真実」      龍口奈里子先生(荻窪教会副牧師)
◆ 5月24日(日)午前10時30分~
「自由」 小海 基先生(荻窪教会牧師)

恒例の小沢さちさんによる無料コンサートを開催いたします。

荻窪教会で、下記の要領で入場料無料のコンサートが開催されます。
どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

題目:リスト 十字架の道行き(Via Crucis)
日時:2015年3月29日(日) 午後4時30分開場、午後5時開演
場所:荻窪教会
入場料:無料
出演:小沢さち
出演者プロフィール:桐朋学園大学演奏学科ピアノ専攻卒業、弦学科伴奏研究員修了。
故江戸弘子氏、ラントシュ・イシュトヴァン氏に師事。
全日本学生音楽コンクール東日本大会3位入賞、NHKフレッシュコンサート出演。
府中市民講座にてオルガンを学び、その後、数々の学習会に参加。
東京ジングフェライエン専属ピアニストとして、主に宗教曲の合唱伴奏。
またバッハ平均律全曲演奏Ⅰ、リストの祈りシリーズ等の宗教曲分野でも好評を得ている。
桐朋学園大学付属音楽教室諏訪教室講師。

無料コンサート:声楽アンサンブル ラポール 第14回演奏会

下記の要領で、荻窪教会にて無料のコンサートが開催されます。
どなたでもご自由にご参加ください。

日時:2015年3月15日(日) 18時開場、18時30分開演
場所:荻窪教会
入場料:無料
曲目:
 H.L.ハスラー
  ミサ曲Ⅱ
  言葉は肉となりて
 G.P.テレマン
  モテット 神よ、私たちの主、イエス・キリスト
       幸いなるかな死す者は
  カンタータ 神よ私の内に清い心を創り
 J.S.バッハ
  カンタータ第61番 「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」
出演:声楽アンサンブル ラポール
 指揮:高橋節子
 ヴァイオリン:大鹿由希・本郷幸子
 ヴィオラ:廣海史帆・後藤俊太郎
 ヴィオラ・ダ・ガンバ:櫻井茂
 オルガン:桒形亜樹子

バザーのご案内(2015年1月25日、12時30分~14時30分)

恒例の教会バザーを、下記の通り、開催いたします。
どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

日時:2015年1月25日(日) 12時30分~14時30分
場所:荻窪教会

※好評のランチセットや手作り食品、衣類・雑貨などを販売いたします。
※エコバックをご持参ください。

<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第3回(10月26日)説教要旨

若さゆえに軽んじられるな               

サムエル記上16:5b~7
テモテへの手紙Ⅰ 4:11~16

龍口奈里子先生

<メッセージ>
昔から人生のすべてを掛けた決心というのは、ある意味若さの象徴でした。しかし今日の若い世代の人たちから、「決断」という言葉は遠くに離れているとお感じになる方も多いのではないでしょうか。彼らは、自分の実現できる範囲内での夢、安定した就職とか結婚という目先の夢に向かっての人生設計は若いうちからきちんとたてているけれども、逆に冒険はしない、競争もしたくない、無茶はいやだ、と考える人が多いようです。
しかし聖書は、私たちの伝えようとしている信仰の世界は、それとは逆なのです。信仰とは主イエスに招かれて、そこから今まで知ることのなかった新しい歩みへと踏み出すことが求められます。そして踏み出した先には思いもかけない出会いや恵みがあることを、私たちは聖書のみ言葉を通して知らされます。

先々週の修養会で、小林先生から私たちはバルナバについて学びました。バルナバがパウロやマルコを見いだし、そこから自らの賜物を発見していった人物であったということ、若いパウロを受け入れる人など誰もいなかったときに、パウロの才能を見いだしパウロの言葉を聞き、それだけでなく年長者であるバルナバ自身もパウロとの出会いによって自分の賜物を再発見していったというのでした。そのような出会いこそが信仰の恵みだと思います。
テモテという若い伝道者は、パウロによってエフェソの教会の牧会を任されていました。パウロが教会の第一線から退くにあたり、後継者のテモテに引き継ぐためにテモテとエフェソの教会の人たちに向けて語っているのがこの手紙です。若いテモテに述べた言葉は、きっと今日の若い人たちにも響く言葉ではないかと思います。

今日の説教題に挙げた「若さを軽んじられるな」という言葉は、一つにはエフェソの教会の人たち、特に年長者たちに向けた言葉でもあります。若いという理由で、経験が足りないというただそれだけの理由で、若者たちを軽んじるなというのです。それと共に、若いテモテに対しても「あなたは軽んじられてはならない」と語るのです。
今の若い人たちは若さゆえに役に立たないと言われないように、資格や学歴で保険をかけることに一生懸命です。しかしパウロはそのように若さを軽んじるなというのです。資格や学歴ではなく、若さゆえの言葉や行動、そして信仰の賜物を生かして、自分自身を軽んじたりしないでそれぞれの光を放ちなさい、というのです。年齢や外見にとらわれず、その人が神の目から見たら一人の役立つ人間としてあるということ。そこから互いに励まし合い、支え合う関係へと変えられていく、それが信仰の交わりです。パウロはそうやってテモテを見ました。
フィリピの手紙の中でテモテについて述べているパウロの言葉からは、若いテモテを一人の同労者として支え、励ましあう同士としてとらえていることが伝わってきます。お互いに、年齢や立場を越えて認め合い、主にある兄弟としてみる。そこに新しい出会いや恵みの発見があるのだ、それが信仰の交わりなのだと訴えているのです。

若い人も老いた人も、主イエス・キリストを自分たちの心に受け入れ、主を信じる信仰によって私たちの人生を軽んじたりしないで謙虚に生きなさい、とパウロは勧めるのです。神から与えられている目に見えない言葉や愛や信仰を伝えていくこと。それが私たちの信仰の出発点です。私たちもパウロの言葉から、神様のみ前でなすべきことをこの世へと繋げていくことを使命としていきたいと思います。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第2回(10月19日)説教要旨

青春の日々にこそ創造主に心を留めよ

コヘレトの言葉 第12章1~2節
ヨハネの手紙Ⅰ 第2章12~14節

小海 基先生

<メッセージ>
聖書の信仰は、いつの時代も自由の中で「決断」を求めます。人生すべてを賭けた決断です。今回の秋の伝道礼拝のテーマは、次の世代に志、信仰をどのように伝えて行くかです。
「青春の日々にこそ創造主に心を留めよ」は、コヘレトが若者である信仰者に送った励ましの言葉です。何歳までが聖書的に「若さ」なのか定義することはできません。聖書の真実に出会うことにより、自分の生涯が全く変わることが出来る年齢を「若い」とすべきかもしれません。
私たち人間は地上の歩みの中で、いつの間にか価値観も生き方も固まっています。「四十にして惑わず」それは良い意味でもありますが、真実な出会いが巡ってきても、生き方を転換し生まれ変わることが出来ない、固まってしまっているという人間の姿には「若さ」はありません。
コヘレトは辛辣に「年を重ねることに喜びはない」長寿に対して、心のときめきがないと冷めて書いています。「若さ」とは、真実な出会いによって、自分の生涯が変わることが出来ることです。
確かに信仰の決断のような人生全部をかけた決断は、人生経験をした年を取った人よりは若い人の方がしやすいのかもしれません。何歳でも、本当のものに触れた時に人生を掛けた決断が出来る人が聖書の言う「青春」「若さ」なのでしょう。

10月15日の深夜に向坊恭子姉が93歳の生涯を閉じられました。まさに今回のテーマにある青春の日々に創造主に心を留められた方でした。姉は長い間、恵泉女学園で英語の教師をされていました。荻窪教会に転会されて、91年の「つのぶえ」に「イエスに従おうと決心したのは、恵泉を卒業する直前の修養会の時、河井道先生の励ましの祈りに支えられて心が決まった。夜も明けぬ真暗な早天祈祷会の冬の朝でした」と書かれています。
また学生時代のクリスマスの思い出として、緊迫した戦争中にもかかわらず、河井道の名を通して、アメリカ人夫妻との出会いに真の神さまが御子イエスを下し給うたと感じられたことも書かれていました。

河井道は学校を作ろうとYWCAを48歳で辞め、52歳の時に恵泉女学園を創立し、その発展のために最後まで尽力しました。
河井について、桑田秀延先生もキリスト教新聞に書かれています。桑田先生は、荻窪教会の初代牧師である日下一(くさか・はじめ)牧師が出征された留守の間の荻窪教会を支えて頂いた先生です。
「河井道は女子青年また女子学生に対して魅力ある指導者であった。河井の人格的感化をうけ、彼女を崇拝している女性は、今日の日本にもなお相当数あるだろう。河井には女子学生をひきつける不思議な賜物が与えられていた。私の長女(畠山悦子姉)も恵泉の卒業の際に河井に導かれて信仰に入ることを決意した」。
河井は76歳で亡くなる最晩年まで学生を励まし導き、その志はまさに青年だったと言えます。

ヨハネの手紙Ⅰは若者たちに書かれた励ましの手紙です。青春の日々に出会った創造主に心を留め、あなたはどう生きるのか決断を促されているのです。
私たちのキリスト教は決断の信仰です。どんな時代でも自由の中で決断して、それに応えて行くのです。私たちもこの信仰とこの志を伝えて行きたいと思います。
(終わり)

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

<2014年秋の伝道礼拝>第1回(10月12日)説教要旨

魂を揺さぶる主の言葉

エレミヤ書  1:4-10
ヨハネによる福音書
15:16

日本聖書神学校校長
小林 誠治先生

<メッセージ>
日本聖書神学校に、縣(あがた)洋一さん、星野香さんの二人の神学生を送り出して下さっている荻窪教会の小海先生から、秋の伝道礼拝と、同じ日の午後の修養会の講演依頼を受け、説教では「自伝的説教を」との要望でありました。
私も81歳となり、牧師生活も今年で60年目となります。礼拝説教の限られた時間でどの程度お話できるか戸惑っています。

「神の摂理」ということ

私たちの人生は、生まれた時から今日まで、各人が固有の環境や条件のなかで束縛され、逃れられないことがあります。まず親を選ぶことは出来ません。親の選択を誤った、とは言えません。こうしたことを、「運命」と呼ぶことがあります。
運命は人間の意志に関係なく、身の上に巡りくる幸いや不幸、善や悪に関わることです。それでは私たちは運命に対してどうすることも出来ないのでしょうか。自分は悪い星のもとに生まれたのだからといって、諦めるほかはないのでしょうか。
このような考え方に対してキリスト教の信仰は全てのことは運命だと諦めてしまうのではなく、「摂理信仰」ということが出来ます。摂理信仰とはこの世の全ての出来事、私たちの人生において出会うすべてのことに、神のご意志が働き、その御手の中で配慮されて導かれているのだという信仰です。
「神の摂理」という言葉の源を聖書にたどれば、旧約聖書創世記22章に見ることが出来ます。アブラハムが独り子イサクを犠牲の小羊として献げなさい、と神の命令を受けてモリヤの山へ行きますが、目的地に着いたイサクが「火と薪(たきぎ)はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(創世記22章7節)とアブラハムに問われた時、彼は「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(同8節)と答えています。
この「神が備えてくださる」という言葉が「摂理」の語源となったのです。「備える」とは「見る」という意味から「あらかじめ見る」「あらかじめ知っている」ということと、そのために、「良き意志を持って配慮し世話をする」という意味を持っています。
神はこの世と、一人の人の人生のために将来起こるべきことをあらかじめ見つめ、知り、御手を差し伸べて必要なものを配慮してくださるのであり、それが「摂理」ということです。
この神の摂理ということに心を留めてお話をしたいと思います。

伝道者になるまでの歩み

私は生まれも育ちも神奈川県川崎市の南部、工場街の連なる近郊で過ごしました。
私の家庭は栃木県から上京して昭和の初期、産業の近代化、ファシズムの台頭により工業都市として軍需産業により発展しつつあった工場に就職したブルーカラーの父と専業主婦の母の家庭で育ちました。貧乏生活で母はいつも和裁の内職に追われていました。母は女学校時代に洗礼を受けたクリスチャンでしたので、戦前の川崎境町教会(旧福音教会)に所属していました。
私は6人兄弟の2番目で、不思議なことに、私だけが戦前に教会付属幼稚園に公共バスで通園しました。私以外の兄弟は近くの幼稚園に通っていました。
私は幼稚園を戦前に卒園後、学童疎開や戦災による中断時期がありましたが、戦後も教会学校中高科に通いました。
学校は旧制の川崎工業学校機械科に入学し、学制改革により、川崎工業高校電気通信科を卒業しました。
中学、高校時代には野球に熱中し、選手として高校1年の時、神奈川県予選の準決勝まで勝ち進んだり、その年の秋には神奈川県で優勝し、関東大会に行ったほどでした。
昭和24年高校2年の時、将来の進路を考えました。父の期待に応えて技術者になるか、学校が奨める体育教師になるか、実業団の野球を目指すかでした。その当時、伝道者になることは全く考えていませんでした。
その年の夏に、自分の魂が揺さぶられる経験をしたのです。それは教会の夏期修養会に参加した時のことです。その直前に高校野球の神奈川県予選で敗れて落胆していたのですが、今にして思えば、敗れたからこそ教会の修養会に参加できたのです。
夕べの集会で神学校を半年後に卒業する神学生から「わたしに注がれた神の愛―選びと召し―」(エレミヤ書とヨハネ福音書から)という証しを聞き、主の言葉が私の魂に入り、大きく揺り動かされました。そこで神学校へ行き、伝道者となる決心をして洗礼を受けました。
さて神学校に行く決心をしましたが、未信者の父親をどう説得するかが問題でした。
生活上、昼間に学ぶのは無理でしたので、自分の専門技術を生かし、好きな野球も出来、夜間に神学校で学べることから日本電電公社(現在のNTT)に就職し、日本聖書神学校で4年間学び、22歳の時に卒業し、同時に電電公社を退職しました。

人間の計画や思いを越える神の思い

若さと健康と伝道の情熱では誰にも負けないと自認していた私は、卒業後は北海道の小さな炭鉱町の開拓伝道が最初の任地として決まりかけていました。しかし学校から示された任地はこの世的な思いから、たとえ自分が招聘されても行きたくないと思っていた教会の伝道師でした。
まさにエレミヤが「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎません」(エレミヤ1・6)の思いでした。
私はエレミヤに語られた言葉に魂が強く揺さぶられて指示された教会に赴任し、この教会で牧会者としての基礎的な信仰の養いと力、教会形成、伝道牧会、奉仕、教会教育等の諸活動の方向と方法を決定的なものとされ、神の恩寵を深く思わしめられています。
その後、二番目には「健康で明朗で結婚していること」という招聘条件の北海道の教会に赴任したところ、現地到着3日後に盲腸で入院することになりました。結果的には入院のお蔭で見舞いに来られた教会員の方々と親しく交わりが出来たことがきっかけとなり、その後教勢も伸び、会堂建設、幼稚園設置も果たしたのでした。
その後、子どもの病気、手術でその教会を辞任することになりましたが、この2教会を含め、これまで10教会60年の牧会生活を経験いたしました。
各教会での歩みがすべて順調ではなく、困難や挫折の時もありましたが、神の思いは、人間の計画や行為を越えたものであり、自分の計画通りに運ばない反面、何かそうならざるを得ないように強いられていること、そうであるならば、そこに神のご意志を読み取って積極的に神のみ心として組み込んでいく。
神の言葉に従っていくとはそういう道なのだと信じています。
(終わり)

無料コンサート:バッハのクリスマス音楽の花束

下記の要領でコンサートが開かれます。どなたでもお越しください。

題目:バッハのクリスマス音楽の花束
日時:2014年12月20日(土) 15時開演(14時30分開場、17時終了予定)
場所:荻窪教会
入場料:無料

J.S.BACH(日本語演奏)
≪マニフィカト≫4つの挿入曲
カンタータ第97番≪わがすべてのわざ 主に導かる≫
カンタータ第62番≪いざ来たりませ 世の救い主≫

出演:
坂田和泉(ヴァイオリン)
橋本しのぶ(チェロ)
石川優歌(オルガン)
東京バッハ合唱団
大村恵美子(指揮/訳詞)