2019年イースター・メッセージ

2019年イースター・メッセージ

新しい春が世界にめぐってくる

「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終をしらせた」
ルカによる福音書 24章9節

荻窪教会副牧師 龍口 奈里子

<メッセージ>

 3月1日に、私はソウルにて「3・1独立運動から100周年」の記念すべき礼拝に出席できました。韓国のプロテスタント側の主要教派で構成されるエキュメニカルな礼拝はソウルにある貞洞(ジョンドン)第一教会で開催されました。
 100年前に、日本からの独立を求めて朝鮮全土で200万人の人々が立ち上がったのが3・1独立運動ですが、礼拝の中では、現代を取り巻く様々なテーマに基づいて、とりなしの祈りがささげられ、とくに「朝鮮半島の一致」を願う祈りは、情熱的な祈りの中にも、希望に満ちた祈りでした。
 100年前に読まれた独立宣言の中にこのような一文があります。

「ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人々を押さえつける時代はもう終わりである。……新しい春が世界にめぐってきたのであり、酷く寒い中で、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。……」(外村大氏訳)。
 
 ここには、自分たちの権利を奪った日本への非難、あるいは植民地主義からの脱却と解放の宣言というよりも、100年たってもなお新しさをもつ宣言であり、今を生きる私たちすべての人間が求める平和への希望が表されていると思います。
 「3・1独立宣言」は、初めは東京にいる韓国人留学生から端を発し、やがてソウルへとつなげられていき、そして最後には朝鮮半島全土に波及していきましたが、その中の平壌の崇徳(スンドク)女子学校では、楽隊の音に合わせて讃美歌を歌いながらデモを始め、この希望の宣言を伝えていったそうです。
 
 ルカによる福音書の伝える復活証言もまた、女性たちの証言から始まりました。「輝く衣を着た二人の人」(4節)から「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(6節)と言われた時、すぐに「イエスの言葉を思い出し」(8節)、「墓から帰って」(9節)、他の男性の弟子たちに伝えた女性たち。おそらく、賛美の歌を歌いながら走っていったことでしょう。
 さらにこの証言はペトロへとつなげられ、彼もまた「立ち上がって墓へ」(12節)賛美の声を歌いながら、走ってゆくのでした。
 1000年後の今を生きる私たちも、この復活のメッセージを賛美しながら伝えていき、朝鮮半島と東アジアの和解と平和を祈り求めていきたいと思います。

2019 春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

2019 春 ≪伝道礼拝へのお招き≫

 5月の伝道月間のテーマは、「愛するとき」です。巷では「天皇代替わり」と称して年号を変え、皇室関係者の反対にも耳を貸さず軍国時代以上の予算をつけて宗教儀式を国費で行っている最中ですが、だからこそ静かに私たちが送るべき「とき」について聖書から聞こうと思います。
 今回説教者としてお呼びする宋富子(ソン・プジャ)先生は、在日大韓基督教会川崎教会の信徒・主婦として、長年在日の歴史を「ひとり芝居」で演じてこられ、最近では新宿にある高麗博物館の初代館長としてまた文化センター・アリランの副理事長として、日韓の「懸け橋」の役割を先頭に立って担い続けている方です。私たちの身近なところにたくさんのいわゆる「在日韓国・朝鮮人」の友人たちが暮らしており、しかも最近では心無い「ヘイト・スピーチ」、「ヘイト・デモ」といった歴史根拠も無い民族差別にさらされ、大変な苦しみを負っていることを私たちはニュース等で知らされています。私たちの荻窪教会のメンバーの中にもいます。先生が担ってこられた「ひとり芝居」や高麗博物館、文化センター・アリランでの働きは、友好関係の歴史を掘り起こし、互いに敵対し合うのではなく、愛し合い、平和な未来を築いていこうとする働きです。私たちも祈りをもってこうした働きをこれからも積極的に支援していきたいですし、宋先生からの学びと祈りを深めたいと思っています。
 また5月25日(土)午後3時からは、当教会を練習地として活躍する東京バッハ合唱団によるJ・S・バッハのカンタータ109「われは信ず わが主よ」、166「いずこへ 主よ行きたもう」、188「わが堅き望み」、79「神はわが光 盾」の特別演奏会(入場無料)も行います。今や東京都杉並区の荻窪が、本場ドイツのライプツィヒを抜いて世界一頻繁にバッハのカンタータ上演をしている街になりつつあります。お楽しみください。
 混迷するこの時代のただ中で独りよがりに陥らず、もう一度原点に立ち戻って聖書の語る言葉に耳を傾け、立ちどまって考えてみませんか。

5月12日(日)   伝道礼拝 午前10時30分~
「愛するときー光の中に留まり続けるー」  
 荻窪教会牧師 小海(こかい) 基(もとい) 
  東北学院大学キリスト教学科、東京神学大学大学院修了、
  荻窪会牧師に就任。1989年~1991年イーデン神学校留学。
  農村伝道神学校講師。小諸いずみ会「いのちの家LETS」理事長。
  『こどもさんびか』の作曲、『讃美歌21』編集、著書に『聖餐 イ   
  エスのいのちを生きる』(新教 出版社 共著)、『牧師とは何か』  
  (日本キリスト教団出版局 共著)などがある。

5月19日(日)  伝道礼拝 午前10時30分~ 
「愛するときー民族差別のない平和の奇跡が創られるー」
 文化センター・アリラン副理事長   宋(ソン) 富子(プジャ)
  奈良県に在日朝鮮人二世として出生。
  子どもが通う保育園を通してキリスト教に入信。日本と朝鮮半島の
  真の歴史を学び民族と人間に目覚めて人権活動に携わる。講演、
  「ひとり芝居」などの活動により募金を集め、2001年「高麗博物
  館」開館、初代館長(~2007) 
  現在「文化センター・アリラン」副理事長。
  著書『愛するとき奇跡は創られる』(三一書房)
  『灯を輝かし、闇を照らす』(共著)(いのちのことば社)

5月26日(日) 伝道礼拝 午前10時30分~
「愛するときーひとりよりもふたりが良いー」
 荻窪教会副牧師 龍(りゅう)口(ぐち) 奈(な)里子(りこ)
  関西学院大学大学院修了後、塚口教会担任教師。
  1985年~ 東京女子大学キリスト教センター宗教主事。
  1993年~ 当荻窪教会副牧師。

日本キリスト教団荻窪教会 
〒167-0051杉並区荻窪4丁目2-10 
Tel.03-3398-2104 fax.03-3398-1200 
荻窪駅東改札南口より徒歩8分。
駐車場無し。
コインパーキングをご利用ください。

<荻窪教会創立記念日礼拝> 2019年2月3日説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>
2019年2月3日説教要旨

策   略

エステル記 3章1~15節
使徒言行録 5章27~29節

荻窪教会牧師 小海  基

<メッセージ>

 1月27日の午後に開かれた「部落解放祈りの日集会」に出席し、上映された狭山事件のドキュメンタリー映画を見ました。狭山事件とは被差別部落出身の石川一雄さんが女子高生の殺人犯に仕立て上げられ、一時は死刑判決まで出たのですが、石川さんは無実を主張し続け、冤罪を晴らすには至っておらず、長い戦いが続いています。
 この事件の最大の背景であり発端は警察が犯人を逮捕できないのが恥と考え、民意の感情に忖度してマイノリティの石川さんを犯人に仕立てた点です。映画では様々な手口で自白を迫る場面も再現されていました。
 また最近、映画の魔術師と言われるヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ」を見ました。ストーリーが進むうちに被害者と加害者の区別がはっきりしなくなり、観客はいつの間にか加害者を心の中で応援する立場になってしまいます。つまり価値観が分からなくなり、ヒッチコックの魔術にかかってマインドコントロールされたかのようになります。

 今日読みましたエステル記の第3章は、エステルが命がけでユダヤ人を守ることになる前の段階の非常に重要な場面です。独裁国家であるペルシャ王国のクセルクセス王は感情的な王で、その周りは王に忖度するばかり。王の感情が爆発すると何が起こるか分からない不安定な状態でした。エステルは王妃になるとともに、王の暗殺を防いだモルデカイも出世しましたが、二人ともこの時点では出自がユダヤ人であることを伏せていました。
 そうした中、同僚の誰よりも出世したハマンが、自分に敬礼しないモルデカイを快く思わないことを発端としてプルというくじの結果、アダルの月の13日に国家予算の3分の2を使ってでもユダヤ人を全滅させ財産を没収する企てを立て、それを王の勅書として巧みに仕上げ、全部族に届けられます。国は大混乱に陥るのですが、そのような時に、王とハマンは酒を酌み交わしていたというのです。
 エステル記は旧約の中で、ヘロドトスの書いた文書に当時のペルシャ王国の事が書かれていることから、異教徒に内容が裏打ちされている内容とされています。

 ヒトラーの時代に、強制収容所で毒ガスの使用に関わるヴァンゼー会議が開かれました。ここは保養地として知られる美しい場所です。当時の議事録は回収されたはずですが、一部持ち出された記録から大まかな内容が明らかにされています。それによれば議論の発端は収容所の大臣が法律の命令がないと職員の士気が衰えると言ったことでした。その結果、法律による命令が作られ、職員が直接手を下すのでなく、毒ガスを使うことで職員の良心的ストレスが減るという結論になったのです。
 これを読んだ時、私は日本の日の丸、君が代問題を思い起こしました。当初は首相も文科相も国民の内面にまでは立ち入らないと言っていたのですが、広島で校長が自殺したことを発端に国旗の掲揚と君が代斉唱が法律化され、従わない職員の資格が失われることが横行するようになりました。
 エステル記のユダヤ人虐殺計画の発端はモルデカイがハマンに頭を下げないことへの不満でした。
 私たちも、ちょっと気を許すと、いま現在の日本でも、このようなことが起こりかねない時代になっています。たとえ少数でも聖書に基づくポリシーを持って生きている人たちが、おかしいことには異議申し立ての声を上げ、世界がおかしくなることを防ぎたいと願います。
 創立記念日に当たる今日、エステル記のこの部分を読んだことを通じて、このことを改めて心に刻みたいと思います。