<2017年春の伝道礼拝>第1回(5月14日)説教要旨
「迷走船の行方」
ヨナ書第1章1~16節
マタイによる福音書第12章38~41節
荻窪教会牧師
小海 基
<メッセージ>
5月の伝道月間のテーマは、「航海」です。
人生を航海に例えたり、教会のシンボルが船になったりするのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたキリスト教にとってかなり後の時代となりますが(この砂漠の民はよほど海が恐ろしかったらしく、世界の終末を語るヨハネの黙示録第20章の終わりで早々と海は消えます。「パラダイス」というと南太平洋の島のようなイメージを抱きがちな私たちには意外なことですが…)、それでも旧約にも新約にもわずかながら「航海」の物語が残されています。
その代表的なものとして伝道礼拝一回目で旧約聖書の預言書「ヨナ書」を読みましょう。
預言者ヨナが神さまから「さあ、大いなる都ニネベに行って……呼びかけよ」と命令をうけたニネベは大きな都です。ここがアッシリア帝国の最後の首都となったのがセンナケリブ王の時代、紀元前700年前後で帝国の全盛の頃でした。
預言者は神のことばをとりつぐ人です。宗教社会学者のマックス・ウエーバーは至福預言には人間は喜んでお金を払うが不吉なことを語っているとお金はとれないし、場合によっては石が飛んでくることもある。神さまから禍の預言を託されて語る預言者こそ本当のプロであると書いています。
預言者ヨナは実在した人です(列王記下14章25節)。アミタイの子ヨナは神さまから世界超大国のアッシリア帝国の首都ニネベへ行って、ニネベは悪のゆえに滅びると禍の預言を語れと命じられます。
しかし権力の絶頂期のアッシリア帝国にこの言葉を伝えて何になろう、お金を貰うどころか逮捕され、殺されてしまうかもしれないと、ヨナは正反対に西へ地中海を船で渡って、スペインの南西タルシュシュ(現在のタルステ)へ逃げて行こうとしたのです。ヨナ書のテーマは、神のあわれみはヘブライ民族のみではなく、悔い改める全世界の異邦人にも及ぶということです。
ヨナ書は寓話です。神さまの命令から人間は逃げられない。ヨナが主から逃れようと乗り込んだ船は迷走しはじめ、沈没しかねない時にヨナは船底で眠りこけています。船長はヨナを起こしてあなたの神に祈れと頼みます。ヨナも祈ったが何も変わらなかった。犯人探しのためにくじ引きをするとヨナに当たり、しぶしぶ告白します。私はヘブライ人で海と陸を創造された神をおそれる者です(よくも言えたものです!)が、主の命令に逆らって逃げています。私を捕らえて海にほうり込みなさい。彼らが主に祈りながらヨナの手足を捕らえて海にほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。プロの預言者ヨナより異邦人の船員たちの方がよほど信仰的です。
ヨナは三日三晩大きな魚に飲み込まれ、陸地に吐き出されます(このヨナの物語は後のピノキオ物語となる)。
ニネベは悔い改め救われます。
迷走船は私たちの世界そのものではないでしょうか。ヘイトスピーチが世界中ではびこり、自国優先主義が流行して、アメリカや日本が迷走に加担している世界は今自分を見失って迷走船のようになっています。私たち自身もヨナそのものかもしれません。
本当に神の言葉を聞いて共に生きていくことはどういうことでしょうか。迷走船の行方は神さまが示して導いて下さっていることをしっかりと心に受け止めて歩んでいきましょう。