<2016年度信徒講座Ⅱ>(2017年2月26日)メッセージ要旨

2016年度信徒講座Ⅱ(2017年2月26日)
「旧約に聴く」

小海 基

<メッセージ>
〇このたび静岡市で牧会されている神愛教会ジャクソン・ノブ・F先生から、先生が作成された「旧・新約聖書のポイント」と題する一覧表の印刷物をご好意で荻窪教会に寄贈された。本日ご出席の方に贈呈する。これは「あとがき」にあるように、町の広域市街図のように聖書を一目でみることが出来たらとの願いから作成された。聖書を読む時の参考資料として、ぜひとも活用して頂きたい。
〇小海家では私の子ども時代から、毎日朝食前に聖書1章を読み続けている。特に長い詩篇119編の時などは朝食時間が随分遅くなることもあるが、継続している。旧新約聖書を1日1章読み進めると、全部を読み終わるには約3年半かかる。
〇聖書の読み方は人それぞれである。光山良子姉は韓国、中国に住んでおられたが、聖書を大学ノートに書き写すことを通して自国語以外の言葉を覚えられた。松村英津子姉は目を悪くされた時、聖書を朗読して、いつでも聴くことができるように録音された。
〇聖書の読み方という点で印象深く記憶しているのは、ドイツの神学者として著名なブッパータール大学のヘルベルト・クラッパート先生が2010年に来日の際、若手牧師を前に話されたショッキングな内容の講演である。日本人は旧約を知らなすぎる、もっと旧約を読めと言われた。その時、日本側の牧師(同志社出身でいま北海道で牧会)が可能な範囲で入手した国内の教会の教会史に記載されている説教題と聖書個所を調査して統計を取った報告がなされたが、戦後、1年のうち旧約を取り上げたのは僅か5%程度との結果であった。
〇私はイーデン神学校での留学を終えて荻窪教会に戻って以来、旧約の講解説教を始めたので例外的に旧約聖書に基づく説教が多い。
〇クラッパート先生はその講演で日本において旧約が読まれていないとは、とんでもないことと言われた。実はドイツでそのような事態に陥ったのがナチス時代。当時「ルタールネッサンス」とか「ドイツキリスト者」という言葉が叫ばれ、教会はカルト化していった。あの時代、ドイツで起こったことは旧約やヘブライ語を教えていたユダヤ人の血が交る教授たちを大学から追い出し、絶滅収容所に送ったり、アメリカに亡命させるなどであった。戦中から戦後にかけてアメリカで旧約の研究が進んだのはこのような背景による。私が教えを受けた浅見定雄先生や左近淑先生もアメリカで旧約を学ばれた。
〇ヒトラーの時代、旧約は必要ない、新約だけでよいと言われた。紀元1世紀頃そのようなことを言ったのがマルキオンであり、当時それなりに影響力があった。
〇旧約を読まなくなるとヒトラーがメシアであるかのような事態に陥る。ボンヘッファーは処刑され、バルトはスイスに国外追放となる。両者ともこういう時代だからこそ旧約抜きの新約ではおかしなことになると強く主張している。
〇聖公会出版で発行された『《メサイヤ》は何を歌うのかーzその魅力と醍醐味』(家田足穂著)という本を読んだ。家田氏はこの本で、聖書を引用した歌詞は3分の2が旧約と指摘している。ヘンデルはアウグスチヌスの影響を強く受けており、旧約の中に新約が隠されているとの理解に基づいて、メサイヤを含む多くのオラトリオの作曲につながった。
〇2017年は時あたかも宗教改革500年の年。ルターによって聖書が自国語で読めるようになり、そのことは教会に限らず、文学(シェイクスピアなど)、音楽(バッハ、ヘンデルなど)、美術というように非常に幅広く文化面にも影響が及ぶ結果となった。
〇今のような時代だからこそ主イエス・キリストは旧約の預言の成就の上にあることを改めて覚える者でありたい。
〇今年度の標語はイザヤ書最後の66章の13節にある御言葉「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める」であった。旧約があるからこその思いを一層強めていきたい。(終)

<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教
イザヤの励ましとヒゼキヤの祈り

列王記下19:1〜19
ペトロの手紙Ⅱ3:8〜13

小海  基

<メッセージ>
 北イスラエル19人、南ユダ王国のダビデ王朝24人、計43人の王の中で、本当によく祈った王はダビデ王とヒゼキヤ王です。ダビデ王の祈りは現在、詩編という形で残されており、いくつかは賛美歌として歌われています。美しい文学的な祈りです。
 一方ヒゼキヤ王の祈りはダビデより立派なものではなく荒っぽく本当に苦難の中でボロボロになっての祈りで決して整えられた理想的な祈りではありません。それだからこそ、現代の私たちの胸を打つ祈りです。却ってこのヒゼキヤ王は本当に預言者イザヤを通して神様を頼みとしていたのだなあ、超大国に揺さぶられる一人の無力な人間として、ただただ神様に委ねて祈ってきた人間なのだなあということがうかがえます。

 今日の礼拝は荻窪教会の創立記念日礼拝として捧げていますが、講解説教でこのヒゼキヤ王の祈りを、この日に読むことは大変意義深いことと思います。八十年を越えるこの教会の歴史の中で試練の時が何度もありました。
 先日、京都の洛陽教会を訪ねました。同教会は1890年(明治23年)の創立で、『一一〇年史』『一二五年史』の二冊の教会史を頂戴しましたが、歴史を担った人々が祈りを合わせてきたことがよく分かります。
 荻窪教会では、会堂建築の会計のことで大きな試練の時があり、マイナスからの再建に取り組んでいたその当時、全教会員が平日の同じ時間に祈りを合わせていたことが記録されています。私たち人間は無力だけれど、無力だからこそ神様に委ねて祈る、それが最も尊い祈りの本質です。

 ヒゼキヤはアッシリア軍のラブ・シャケの言葉を聞かされて衣を裂いてあられもない嘆きの言葉を預言者イザヤに伝えます。実は列王記に預言者イザヤの名前が登場するのはこの19章が初めてです。イザヤが預言者に召しだされて立ったのはウジヤ王の亡くなった時でした。それから南ユダ王国の王様で言えばヨタム、アハブといった2代が続きますが、イザヤに頼ろうとはしませんでした。
 しかしここに来てヒゼキヤ王はあられもないほど取り乱してイザヤに執り成しを求めるのです(19章3〜4節)。イザヤは励まします(同章6〜7節)。実際この通りに歴史は進みますが、この時点では誰もそんなことが起こるとは夢にも思っていないわけです。ラブ・シャケはアッシリアのセンナケリブ王と落ち合い、アッシリアのセンナケリブ王はクシュつまりエチオピアがエジプトと手を組んでアッシリアに歯向かおうとしていることに促され、早く南ユダを落として全面戦争をするのだとラブ・シャケを急かします。ラブ・シャケはここで再び激しく挑発します(10〜13節)。
 ヒゼキヤ王は自ら祈らざるを得なくなり、エルサレム神殿に出向き、手紙を主の前に広げ、ケルビムの前で祈ります。その祈りが15節から19節に記されています。
 「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」(19節)。主はイザヤを通して祈られたその祈りに応えて下さったのです。
ペトロの手紙Ⅱでは、一人も滅びないで皆が悔い改めるように神様が忍耐しておられることが記されています。主がつくっておられる歴史に私たちも立ち会っていることを改めて思います。(終)