<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教要旨

<荻窪教会創立記念日礼拝>(2017年2月5日)説教
イザヤの励ましとヒゼキヤの祈り

列王記下19:1〜19
ペトロの手紙Ⅱ3:8〜13

小海  基

<メッセージ>
 北イスラエル19人、南ユダ王国のダビデ王朝24人、計43人の王の中で、本当によく祈った王はダビデ王とヒゼキヤ王です。ダビデ王の祈りは現在、詩編という形で残されており、いくつかは賛美歌として歌われています。美しい文学的な祈りです。
 一方ヒゼキヤ王の祈りはダビデより立派なものではなく荒っぽく本当に苦難の中でボロボロになっての祈りで決して整えられた理想的な祈りではありません。それだからこそ、現代の私たちの胸を打つ祈りです。却ってこのヒゼキヤ王は本当に預言者イザヤを通して神様を頼みとしていたのだなあ、超大国に揺さぶられる一人の無力な人間として、ただただ神様に委ねて祈ってきた人間なのだなあということがうかがえます。

 今日の礼拝は荻窪教会の創立記念日礼拝として捧げていますが、講解説教でこのヒゼキヤ王の祈りを、この日に読むことは大変意義深いことと思います。八十年を越えるこの教会の歴史の中で試練の時が何度もありました。
 先日、京都の洛陽教会を訪ねました。同教会は1890年(明治23年)の創立で、『一一〇年史』『一二五年史』の二冊の教会史を頂戴しましたが、歴史を担った人々が祈りを合わせてきたことがよく分かります。
 荻窪教会では、会堂建築の会計のことで大きな試練の時があり、マイナスからの再建に取り組んでいたその当時、全教会員が平日の同じ時間に祈りを合わせていたことが記録されています。私たち人間は無力だけれど、無力だからこそ神様に委ねて祈る、それが最も尊い祈りの本質です。

 ヒゼキヤはアッシリア軍のラブ・シャケの言葉を聞かされて衣を裂いてあられもない嘆きの言葉を預言者イザヤに伝えます。実は列王記に預言者イザヤの名前が登場するのはこの19章が初めてです。イザヤが預言者に召しだされて立ったのはウジヤ王の亡くなった時でした。それから南ユダ王国の王様で言えばヨタム、アハブといった2代が続きますが、イザヤに頼ろうとはしませんでした。
 しかしここに来てヒゼキヤ王はあられもないほど取り乱してイザヤに執り成しを求めるのです(19章3〜4節)。イザヤは励まします(同章6〜7節)。実際この通りに歴史は進みますが、この時点では誰もそんなことが起こるとは夢にも思っていないわけです。ラブ・シャケはアッシリアのセンナケリブ王と落ち合い、アッシリアのセンナケリブ王はクシュつまりエチオピアがエジプトと手を組んでアッシリアに歯向かおうとしていることに促され、早く南ユダを落として全面戦争をするのだとラブ・シャケを急かします。ラブ・シャケはここで再び激しく挑発します(10〜13節)。
 ヒゼキヤ王は自ら祈らざるを得なくなり、エルサレム神殿に出向き、手紙を主の前に広げ、ケルビムの前で祈ります。その祈りが15節から19節に記されています。
 「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」(19節)。主はイザヤを通して祈られたその祈りに応えて下さったのです。
ペトロの手紙Ⅱでは、一人も滅びないで皆が悔い改めるように神様が忍耐しておられることが記されています。主がつくっておられる歴史に私たちも立ち会っていることを改めて思います。(終)