2021年クリスマス・メッセージ
静かな夜、きよい夜
荻窪教会牧師 小海 基
<聖書>
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、……」(ルカによる福音書第2章13~14節a)
<メッセージ>
有名な「きよしこの夜」という賛美歌264番の由木康の訳については、かねがねヨーゼフ・モールの原詞と強調点が違うのではないかと思ってきました。あれは「静かな夜、きよい夜」と、まず「静けさ」が歌われるからです。
「新型コロナ禍」の感染者数が治まりつつあるものの、今年のクリスマス・イヴの「キャンドルサーヴィス」は歌うことはせずに楽器演奏で持つことにしました。
一番初めのクリスマスの晩にならって、「静かに」守ろうというわけです。最初の「静けさ」を再体験しようというわけです。
そうです。最初のクリスマスは「静かな夜」に特徴があったのです。
「夜通し羊の群れの番をしていた」羊飼いたちは天使の知らせと、天の大軍の賛美にさぞかし圧倒されたことでしょうが、「いと高きところに……」とグロリアを歌ったのは天使たちだけでした。
そもそもルカの伝えるクリスマス物語は、神の救いの出来事が、神のひとり子が肉をとった真の人間として誕生するという「受肉の神秘」の前に私たちはおそれて沈黙せざるを得ないことを強調しています。幼子イエスの誕生に先立つ洗礼者ヨハネの誕生の時には、父ザカリヤの口をきけないように天使がしたことを報告しますし(1章20節)、イエスの誕生後も母マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らし」(2章19節)たと記しています。神の出来事に人間の側はただただ圧倒されて口をつぐむほかなかった、そうした「沈黙」、「静けさ」に特徴があったのです。
ですから古代の「聖ヤコブ典礼」に由来するクリスマスの賛美歌255番「生けるものすべて」の歌詞も、「生けるものすべて おそれて静まり、世の思い捨てて みめぐみを思え。神のみ子は 生まれたもう、ひとの姿にて」と歌うのです。
今年は最初の「沈黙」に立ち返ってみましょう。神であられた方が救いのためにその座を捨て、「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられ」、更には「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順」となられた(フィリピの信徒への手紙2章6~8節「キリスト賛歌」)という「受肉の神秘」の前に、「おそれて静まる」クリスマスです。