5月20日

<2012年春の伝道礼拝>第2回
イエスと共に走る

荻窪教会副牧師
龍口奈里子先生
                  

              ヨシュア記1章:5節

              フィリピの信徒への手紙 3章:12〜16節

<メッセージ>

 パウロという伝道者は「フィリピの信徒への手紙」の中で次のように述べています。「なすべきことはただ一つ、後ろの物を忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」「前に向かって」「賞を得るため」「目標を目指して」「ひたすら走ること」、ここに出てくる言葉は、一見、競争意識をあおるようなことばのようです。私たちはこのような価値観の中で生きてきたし、今も生きています。
パウロもそうです。彼の歩んで来た人生は、競争で勝ち残ってきた人生、生き方でした。エリート中のエリートであり、多くの誇れる物を持っていました。ファリサイ派の中のファリサイ人、プライドは誰よりも強く、完璧主義者でもあったと述べます。しかし、キリストと出会った自分は、イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさゆえに、それらは損失となったというのです。そしてそれはキリストの復活の力を知り、キリストの十字架の苦しみを知ったからだというのです。
救いを得るための才能を人より多く持ち合わせ、救いを得たいと懸命に生きてきたパウロですが、本当の救いを得るためには、本当のゴールに達するには、神の力に頼らなければならないということを知ったのです。自分が何を持っているとか、何が出来るかではなくて、ただキリストにとらえられているかどうかだということを知ったのでした。今のパウロは、自分の破れや弱さ、中途半端さ、不完全さを知っておられるキリストにそのままでとらえられているというのでした。
そして続いて、先ほどの冒頭のように述べるのです。パウロが信仰の道、いわばひとりひとりの人生の道を語るとき、ここから4つのキーワードが見えてきます。それは「前へ」「賞を得る」「目標を目指して」「走る」の4つです。
「前へ」というと人生の成功を得るために「もっと前へ」、競争に勝って「もっと前へ」といっているようにも思えます。しかしそもそもパウロが「前へ」というのは、その先に「目標」があるからです。その「ゴール」を目指して前へ進み、賞を得なさいと言います。賞とは神様がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞です。イエスを見て、イエスに向かっていく、つまり賞とはイエスご自身なのです。
しかし賞を得ようといくら努力して走っても、私たちの力で得ることはできません。パウロの表現でいうならば、「なんとかとらえようと努めていた」けれども、むしろ「自分がキリスト・イエスにとらえられているのだ」ということでしょう。人生のゴールに向って前へ、とは、いわば目標である終わりの時から、私たちの今の人生の走り方を見よということでもあるのです。
パウロは言います。このレースは自分一人で頑張って走っているのではない。すでに「キリスト・イエスにとらえられているのです」と。だから後ろのものを忘れて、前のものに全身を向けて、最後まで走ることができるのだと。主イエスは、私たちの先頭に立って、いつも後ろを振り向きながら、私たちが後ろをついていくことができるように導いて下さり、私たちと共に走って下さるのです。私たちもこのイエスのまなざしを見つめながら、自分が走っている道が、ちゃんとイエスが共に走っているかどうかを確かめながら、イエスの大きな両手の中にゴール出来るように、地上の日々を走っていきたいと思います