5月13日

<2012年春の伝道礼拝>第1回
伴走者主イエスと苦難の代行

名古屋大学名誉教授、元・安城教会牧師
武岡 洋治先生
                  

              イザヤ書53章:4〜5節

              ペトロの手紙T 2章:22〜24節

<メッセージ>

はじめに
 私が入院中、訪ねてきたある新聞記者から、「あなたはひどい病気なのに、どうしてそのように明るくしていられるのか」と問われました。その時とっさに口をついて出たのが「私には主イエスという伴走者がついておられるから」という返事でした。
私の身に起こった実際の出来事を通して、主が伴走者としてどのように救いの業を示され、癒してくださったかをお話しします。

スーダンの現地調査のさ中に発症し生死をさまよう
 1992年の夏、アフリカのスーダンのサハラ砂漠の南縁地域のサヘルの砂漠化調査に私が携わっていた時のこと。調査の三分の一を残していた時に体調が急変し、入院となりました。
診断の結果、日本出発前に服用した抗マラリア剤ファンシダールに対する強いアレルギーと判明。病名はスティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)でした。初めて耳にした病名です。大半の患者はのどの粘膜が膨張して、のどを詰まらせて窒息死することや、その薬は世界で使用中止となっているのに、日本では使用されていたことなどがあとで分かりました。
激しいまぶしさとだるさ、下痢、下血、全身の皮膚粘膜・角膜のただれ潰瘍、失明同然の視力低下などの症状に愕然となりました。点滴治療が始まってから3日間、意識不明の昏睡状態に陥り、昏睡から覚めて朦朧とした意識の中に稲妻のように走ったのが「罪の裁きは死である」との御言葉でした。
この地で命が果ててしまうのか、死んだら家族は遺体を引き取りに来てくれるのかなどと思い巡らせて、眠れない状態が続きました。
また、東西南北地平線の砂漢地帯に延びる一本の道路、行く手には真っ黒な暗雲が垂れ込めて、時折稲妻が光り、その中へ突き進む一行の車。やがて稲妻と雷鳴が真上に迫り、もの凄い土砂降り雨が容赦なく車に叩き付ける。そのようなイメージも頭を去来しました。

スーダンベイビーの産声を聞いて回復に向かう
ある真夜中に激しく泣く赤ん坊の声を耳にしました。全身が震えるほどにこみ上げてくるものを覚え、「自分の命はあの命に宿るかも」と思いました。朝、検温に来た看護師から二人の赤ん坊が誕生したと聞きました。その産声を聞いて以来、全身の症状が徐々に回復の兆しを見せ始めました。
賛美歌の「主われを愛す」を歌っていたら若い看護師から、それは「ジャパニーズソングか」と聞かれたので、「いやチャーチソングだ」と答えました。私は日本語で、看護師の彼女は母国語で一緒に歌ってくれました。別の時にイスラム教徒の若いドクターは「君の神様は君の命を救ってくれるよ」と言って私に握手を求め、励ましてくれたのでした。
深夜の目薬差しと下着のアイロンがけなどの奉仕の業
 深夜に目薬を差してくれる黒人看護師の背後に主イエスの面影を見ました。さらに、深く感銘したことは、ドクターとその妻が下痢と下血で汚れた私の下着を洗濯してくれた上に、アイロンをかけて病室まで届けてくれたのです。アイロンをかけるのは消毒の意味合いがあったことをあとで知らされましたが、この業には大変な驚きを覚えたことでした。泣きたいほど嬉しい自分でしたが、涙腺がやられていたため、その時は涙がでませんでした。さらに、ボンヘッファーが「信仰とはイエスの眼差しに捉えられること」と言っていることも思い出しておりました。
失明危機のなかで周囲の方々から受けた、国籍、宗教、文化の違いを越えて、具体的に働く神の真実。さらに人間の生に介入して働く神の救済、身近な人間を用いて啓示される神の業を、私は見たのです。神の救いの業は人間が身につけた宗教の衣を超越して現れるのだ、ということを強く感じたのでした。
人生に絶対の暗黒はない
 最後に、私がキリスト新聞社から発行した『打たれた傷によって 環境失明超克の地平』の帯に、編集者が「人生に絶対の暗黒はない」と書いてくれましたが、その本の中に載せた詩を、小海先生に朗読して頂いて終わります。

「遥かなる旅路の果てに今立ちて」

遥かなる旅路、それはサへル三千キロ、砂漠化調査の旅
病に倒れ、現地で入院闘病に追い込まれた旅
不治と言われ、失明に追い込まれた帰国後闘病の旅
視死回生を求め、角膜移植を受けた今日までの旅。

それはまた暑く乾いた旅、蚊帳をかぶって野宿した旅でもあった。
副作用薬害、死と隣り合わせた旅。
視死への道のりを辿る厳しい旅でもあった。

凝縮された時間、不安と恐怖にさいなまれた日々。
自殺だけはしないでと言った看護師の言葉が頭をよぎる。
それは同時にまた、
命を救われ、支えられて生きた確かな足取りの旅であった。

生きてあれ。眼はたとえ見え難くとも、
人の愛この眼に宿るを知ればこそ。

これからも続く闘病の旅。
果てなき道のりの彼方に望み見るものは何か。
視死回生へのあくなき希望
副作用薬害の再発防止
視覚情報学への参与。

われは見るにあらず、
主の愛この眼にありて見えるなり。

失明、それは暗黒、
されど愛はそれを癒す。
恵みの光はわが行き悩む闇路を照らす。
見える喜び空を舞い、眼を病む人の苦しみを想う。

神は愛なり。
人はパンだけで生きるのではない。
人生に絶対の暗黒はない。