10月9日

<2011年秋の伝道礼拝> 第1
名もなき知恵の重さ

荻窪教会牧師
小海 基先生
                  

              コヘレトの言葉9:11〜18

              使徒言行録7:54〜8:1

<メッセージ>

 秋の伝道月間のテーマは「聖書の語る知恵」です。今年は3月の大震災、津波、原発事故、9月の大雨による洪水、山崩れなど大規模な災害が相次いで、人間の無力さに呆然と立ち尽さざるを得ない年となりました。このことを単なる東洋的「無常観」や「永遠回帰」などに委ねてしまうのでなく、こういう時こそ、「聖書の語る知恵」に耳を傾けようという趣旨です。
 今日読んだ「コヘレトの言葉」も知恵文学の一つです。口語訳では「伝道の書」と訳されていました。『氷点』や『塩狩峠』などの小説の作家である三浦綾子が書いていますが、これを読めば信仰に入れる賢徳的な言葉と思って読むと、「空の空、一切は空である」などと、ほかのどんな聖書の言葉よりも虚無的な言葉ばかりで、信仰に入るどころか、つまずきかねない「懐疑家の語録」「虚無・厭世思想家の語録」と言ってもよいくらいの内容です。
 しかし、否定しようとしても否定しきれないこの世の不合理と空しさを説いているけれども、そのうしろに神様が支配しておられることを承認しているという、大変辛口ながら魅力のある書です。本当に悩んだ時に人生を支えてくれる確かな魅力があります。
 この書は格言のような言葉が大半ですが、2個所だけ物語のような部分があり、その1つが4章13節から16節の部分で、これは創世記37章以降のヨセフ物語のことであろうと言われています。
 もう1個所がこの9章11節以下の部分です。13節でコヘレト自身が「強い印象を受けた」と言っていますが、こういう表現を使っているのはコヘレトの言葉のなかではここだけであり、とても気になる部分です。
 ここでは歴史にも残らない小さな町が大国との戦に知恵によって勝ったことが語られています。具体的にどんな知恵を出したかについては触れておらず、コヘレトがここで強調しているのは、賢者の言葉が聞かれないことです。
 ここで語られている物語はギリシャのポリスの一つであるシラクサで大変な変人で哲学者のアルキメデスが知恵を出したこととの説が有力です。ローマ海軍が攻めてきた時、アルキメデスは女性に鏡を持ってこさせて太陽光線を集めて船に焦点を当て大国の船を焼いたという話です。「知恵は力にまさるというがこの貧しい人の知恵は侮られその言葉は聞かれない」とコヘレトは語るのです。
 教会は、救いの言葉を伝えるために建てられています。しかし世の中では大音響の叫びに耳を傾けがちです。その傍らで語られている静かな言葉に耳を傾けなさいとコヘレトは語っています。
 これはあたかも、かつて東北地方を襲った津波がここまで来たという小さな石碑が多くあっても最近は見向きもされなくなっていたのと似ています。伝える声は小さくなっているのです。
 今日、併せて使徒言行録のステファノの殉教の部分を読みました。興奮状態にあったサウロたちには、その時、ステファノの「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」との祈りの対象が誰に向けてなのか分からないでいました。しかしその時のステファノの祈りはサウロの頭にしっかりと残って次第に響いていき、救いの言葉がのちにサウロによって広く伝えられていくという風に成長していくのです。
 コヘレトの言う知恵とは決してハウツーではありません。聞くべき言葉に静かに耳を傾けなさい、ということなのです。知恵の重さを感じて歩んでまいりたいと願います。