<メッセージ>
私たちの生きているこの現実は生きにくい時代です。光が見えないそんな時代でもあります。ヨハネによる福音書第15章は、主イエスがご自身の十字架を前にして、弟子たちに告別の説教をした言葉が記録されております。主イエスはこの時、今後弟子たちがイエスの弟子だということで、人々の憎しみや敵意の中で孤立したり苦しんだり悲しんだりするということを知っており、この告別の言葉を語るのです。
今日の箇所から私たちもぜひ心に留めておきたい大事なポイント二つを見ていきたいと思います。その一つは11節の「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」という言葉です。あなたたちはこれから苦しんだり孤独になるかもしれないけれど、そんな時もわたしに繋がり喜びのうちにいなさいとイエスは言われています。
その理由が今日の二つ目のポイントである15節にある言葉「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」にあるのではないかと思います。イエス様はご自分の命をかけて私たちを選び、私たちの友となって下さり、悲しい時も苦しい時も私たちと一緒に歩んで下さるから、私たちは喜びの内にあるということを知るのです。
今日の伝道礼拝の説教題は讃美歌493番の3節の詞です。この讃美歌の作詞者ジョセフ・スクライヴィンは二度も婚約者が亡くなるという悲劇にあい、深い闇に落され光が見えないような状態の中でこの詞を書きました。私たちの苦悩も悲しみも弱さもそのすべてを主がご存じなんだ、と彼は信じてこの詞を書いたのだと思います。
人は人間同士の横と横の関係だけに固執するのではなく、そこに神様と繋がる縦軸がしっかりと支えられていなければ生きていけません。主イエスというぶどうの木にしっかりと結ばれ、イエス様という友が共にいて下さるからこそ、私たちは喜びや希望をもって生きることができるのだと思います。
今年の世界の重大ニュースの一つは何といってもチリの落盤事故でしょう。リーダーのウルスアさんが地上へ引き上げられた時の第一声は「われわれは33人ではなく34人であった」という言葉だったと聞きました。絶望の中でも友なるイエス様が共にいると信じていたからこそ、そのように呟いたのでしょう。ウルスアさんにとって希望の光は友なるイエスの支えであったに違いありません。
1964年ノーベル平和賞を受賞したマーチン・ルーサー・キング牧師は暗殺される前日の説教で「私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、一つの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜私は幸せです。心配も恐れも何もない。」と語りました。
キング牧師が見た約束の地とは、全ての民が友なるイエスに繋がってお互いに豊かな実を結ぶことでした。そしてそれこそがキング牧師にとっての希望の光だったのです。キング牧師は自分の行く手にいつも困難があることを知っていました。
でも最後には「今夜私は幸せだ。心配も恐れもない」と言いました。それは行く手にいつも友なる主イエスが一緒にいて下さり、悩み、苦しみを主イエスに隠さず述べて、その重荷のすべてを主イエスに委ねていたからでしょう。
私たちも私たちの弱さをすべて負って下さる主に自分たちの悲しみも苦しみも隠さず述べて、祈って、豊かな実を互いに結びあって歩んでいきましょう。
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