9月12日
ドイツから
ベルトールト・クラッパート先生を
お迎えして
説教/ベルトールト・クラッパート先生
(元ドイツ・ブッパータール神学大学教授)

説教訳/岡田 仁牧師
(富坂キリスト教センター主事) 
                  

「これがヨハネの証しである。『見よ、神の小羊』」

              (ヨハネ福音書1章19−34節)

<メッセージ>

ヨハネによる福音書1章19−34節を拝読致します。これが同時に説教テキストでもあります。
以下、テキスト本文(ヨハネ福音書1章19−34節)。省略

説教のなかで解き明かされ、そして私たちを正しい考えや促し(想起)へと導くこの聖書テキストから、私はいま一度、ヨハネ福音書1章29節をとりあげます。すなわち、「見よ、世の罪を代理して担う神の小羊。見よ、世のすべての罪をとり除く過ぎ越しの神の小羊」。

愛する教会の皆さん。
ザッヘ(事柄)そのものは、はかり知れないほど深く、また完全に汲みつくすことの出来ないものです。しかしこのザッヘそれ自体は、私たちのすべてに関わるものなのです。それゆえに私たちは、このザッヘによって(と共に)始めなければなりません!ザッヘは、宗教改革者たちの心を深く捕らえ、20世紀における神学の新しい出発にも関わり、さらにいうまでもなく、教会闘争期の告白教会をも捕らえたものです。私は、私たちのテキストの中心に、キリスト者たちの証言と世のための教会への問いがあると考えます。より単純明快に言えば、私たちがそもそも何のために立ち、何ゆえにここに存在するのか(という問いです)。エルサレムから派遣された代表団一行の祭司、レビ人、ファリサイ派たちを中傷したくなかった人は、ほかでもないカルヴァンその人でした。彼によると、神の教会の指導者として相応しいのは、信望のある男性だったのです。そしてその点から洗礼者ヨハネはそのような宣教を行う資格があったのかどうか、と問われなければなりませんでした。

1.キリスト教会の証し(証言)の中心と目的は何でしょうか?私たちのテキストは、全体を支え、現在形で書かれている表題をかかげています。つまり、「これがヨハネの証しである」と。そして、もし私たちが、ヨハネの証しが何であるかをまず問うとするならば、最初に私たちは非常に明白(単純)な答え、つまり明らかに否定的な答えを受け取ります。ヨハネは言います、「わたしはそれではない。また私は彼を知らない。私はただの声である」。キリスト教の証しをするとは、「距離を保ち、隔たりを保持し、度を過ごさない」ことです。ヨハネは問われます。「あなたはイスラエルのキリスト、約束のメシアですか?」そして彼は答えます。「私はそれではない」。ルターは感動的な言葉でもってこのシーンを描写しました。「私たちキリスト者は、すべてキリストそのものでありたいと願います。私たちにとって、すべての人がキリストでありたいと願い、私たちが助けられ、自由にされるより以上に、自らを助け救いたいと願うことは、本来生れ付きのものなのです」。「あなた自身を助けよ、そうすれば、あなたを神が助ける!」。これは、私たちキリスト者もまた従うべき(人生の)原則です。自己を過大評価しないこと、過大要求しないことのみを、私たちのテキストは述べています。しかしヨハネは誘惑に抵抗し、そして人生の原則に反対するのです。「私はキリストではない、私はそれではない」。問う者たちは、更にもっともらしい疑問をヨハネに投げかけます。「それでは少なくとも救いを導くエリヤなのですか?」。そしてヨハネは、毅然とした態度のまま告白します。「わたしはそれではない」。「そうだ。しかしあなたは、たしかにモーセの最後の書で約束されている預言者、つまり、神の教え、神の律法(トーラー)を究極的に(決定的に)解釈し、断固として行う預言者です」。そこでヨハネは告白するのです。「わたしはそれではない」。わたしは、この認識(知識)から逃れることができるキリスト者ではないし、またこの認識と関係の深いハイデルベルグ信仰問答の問い1も回避できない。その問1は、「生においても死においてもあなたの唯一の慰めは何ですか」でありました。その答はこう言っています。「私のからだも魂も、生も死もわたし自身のものではない」と。

ヨハネは続けて答えています。「私はその人(彼)を知らない。しかし神が私を(イエスの)洗礼へと遣わしたとき」、神は、私に言いました。「その人の上に、聖霊が下り、その方の所に留まる人、それが、その人です」。キリスト者になることは、この始まりを繰返し起点とするのです。私もまた彼を知らなかった。
そしてキリスト教の証言は、変わることなく、この始まりを知り、それを、忘れることはないでしょう。その結果ヨハネがのちに、マケルスの要塞の牢獄から「あなたは来るべき方ですか、それとも、私たちは他の方を待つべきですか」と質問したとき、彼もまたこの始まりの中に留まったのです。この地上における監禁、苦悩、死、罪に対して、「あなたは来るべき方なのですか?」というこの問いを繰り返さないキリスト者共同体はないとわたしは言いたいので す。

ヨハネは最後に、私たちがキリスト者であることを測ることのでき、また赦されることの出来る、返答をするのです。「私はただ呼ぶ者の声である」。もし「来るべき方のために」道を備えるのならば、神の道備えは完成するのです。ヨハネは、第二イザヤと共に新しい出発、つまり、すべての監禁、すべての罪からの出発を、そして赦しと解放の賜物を告知します。そこで私は申し上げたい。キリスト教の世界において、新しい出発(覚醒)をしたところではいつも、また、共同体としてその委託を新しく自覚したところでは、これらの証言が記憶されているのです。その声だけが!画家のマティアス・グリューネバルトの描いたキリストの磔刑の絵にそのようにはっきり示されたものが再び発見されたのです。つまり、洗礼者ヨハネが、その前代未聞のやり方で自らを離れ十字架につけられた方を指し示す手でもって。キリスト教共同体の特徴は、すなわち「私はそれではない。私も彼を知らない。私はただの声である。ただ神の到来のための道備えである」と。

この意味において、1934年1月、クリンゲルホール教会の教会会館において、のカール・インマー牧師によって組織された、改革派の告白教会会議が、この過ちをドイツキリスト者に対してだけでなく、告白教会自らに対して警告した、つまり神の言葉を超えて自ら立とうとする人間の独断という過ちを警告したのです。この大会議は当時次のように述べています。「神の言葉に対して人間は服従するのであって、逆に人間が神の言葉の上位に立つのではありません」。それゆえに神の意志と私たちの願いは一致して等しいわけではないのです。カール・バルトが次の日にゲマルク教会(ブッパタール)で解説したように。キリスト者であることは、度を過ごすことを意味するのではありません。それは、距離と隔たりを保持するということです。キリスト者であることは、もっと単純なことを意味します。すなわち、ヨハネの側に立つということです。ここまでが第一点です。真実の証し、それは「私はそれではない」という意味です。

2.さて2点目ですが、ヨハネが「私は彼を知らなかった」と告白したあと、彼は31節後半で続けて言います。「私の課題は、私がイスラエルのゆえに神の名に明らかにする事のなかにのみある」。別の表現で言えば(26節)、「あなた方の中には、あなた方の知らない方が隠れておられる」。来るべきメシアは既にここにおられる、しかし隠れていて知られていない、それゆえに探されなければならないということこそが、イエスの時代のユダヤ教、そしてその後のユダヤ教にとっての深い知識であったのです。したがってこのことは、エルサレムから派遣された一行の問いついて言えることであり、同時に、人々がここで非常に用心深く、行動し、質問していることにも言えるのです。−メシアは見出されねばなりません。メシアは簡単に目の前に見出されるものではありません。メシアは、はっきりつかめるものではありませんし、衆人環視における事実のように簡単に置かれているわけでもないのです。彼を認識するためには、特別な目と耳、特別なセンスと期待のもてる感受性が必要なのです。−  私はそのために、洗礼者ヨハネの当時の時代に由来する一つのユダヤ教の単純な物語をお話しします。ラビ・イエホシュアは、ある時洞窟の入り口でエリヤと出会い、彼にこう言いました。「メシアはいつ来られるのですか?」。この人は答えました。「行って彼自身に尋ねなさい」。イエホシュアは尋ねた。「それでは、彼はどこにいるのですか?彼を認識するしるしは一体何ですか?」。そこでエリヤは答えます。「ローマの町の門の入り口で、病いを負っている貧しい人々のもとに彼は座っている」。彼等すべてはいっせいに、自分たちの傷に包帯を当て、また解(ほど)いている。彼だけが、一人一人の傷に包帯を当て、それを解いている。それから彼は自ら言う。「おそらく神は、イスラエルと世界に救いをもたらすために私を呼んでおられる」。その時には、遅延が起ってはならない。イエホシュアはメシアの所へ立ち去り、そして彼に言った。「あなたに平安があるように!そしてメシアは述べた。「レビの息子よ、平和があなたと共にあるように」。この人は彼に問いました。「メシアよ、あなたはいつ来られるのですか?」そしてこの人は言った。「今日だ」。
この物語は、古くから知られ、今日もなお現実的です。このメシアの秘密の知識が、究極的に世界の審判のたとえ話を示すのではありません、これはもともと、病人や飢えている人、渇いている人、裸の人、野宿している人たちのなかのメシアの秘密のたとえ話なのです。無名のメシアは、病人たちや異邦人たちの姿において私たちと出会い、これらの人々の間に、またその中に彼(メシア)を見出すために神の霊の感受性が必要なのです。

これが、洗礼者ヨハネの課題なのです。私は派遣された、そのことで、彼、つまり隠されているメシアはイスラエルの民に明らかにされるでしょう。

そして、彼の証言の内容はいったい何なのでしょうか。キリスト者であることは、ただ証し人であることを望むのであって、無理をすることを意味するのではありません。なぜなら人は既に無理を強いられているからです。見よ、神の小羊。私は、イゼンハイムの祭壇のマティアス・グリューネヴァルトが描いた洗礼者ヨハネの巨大な指について既に述べました。しかし今や私は一つのこと、つまり私がかつてコルマーの祭壇の前で見聞きしたことを付け加えなければなりません。中世の時代、人々は、祭壇の所に、病人たちや長患いの人たちを運び、彼らを十字架につけられた方の像の前に置きました。そのことによって彼らが、十字架につけられた方の面前で癒しと赦しを経験するためでした。それで当時私は、どうしてマタイ福音書のなかでイエスがなされた最初の癒しのあとすぐに、「彼は、私たちの欠けを自ら引き受け、私たちの病いを代理で担われた」との節が引用されているかをようやく理解したのです。

3.洗礼者ヨハネは次のように語りました。「見よ、世の全ての罪を担い(取り除く)神の小羊」。しかしこの証言をどのように理解することができ、また、どうすれば私たちはこの証言を誤解しなくて済むでしょうか?例えば、この問題に関して、教会内部と外部でしばしば次のような問が出されました。つまり、どのようにして神は、あまりにもサディスチック(加虐的)に、ご自分の子(息子)を虐殺し得たのか?いかにして神は、ご自分の子(息子)を殺人者たちの手に渡され、ないしは彼がローマ式拷問の十字架によって処刑されることを許可するほどまでに残酷であり得たでしょうか?

もし私たちがこの問いに答えようとするなら、私たちは聖書のどこかから引用文を自由自在に選び出すことはできませんし、その聖書の引用文を私たちの神学的関心にしたがって選択することもできないでしょう。それで教会的伝統のなかでたとえばイエス・キリストの代理の罪の特色は分離され、一面的に強調されたのです。
もし私たちが、古い正典、ないしはより古い、第一聖書に端を発するなら、洗礼者ヨハネと共に次の3つの分野を強調しなければなりません。すなわち、ヨハネがメシア・イエスを証言するのは、
a)イサクの小羊として
b)過ぎ越しの小羊として
c)神の僕の小羊として
この3つです。
私は、ほんのわずかな点に絞ってこの3つを描写し、少しく内容的な説明を試みたいと思います。

a)イエス・キリスト―イサクの小羊/殉教者の小羊

ヘレニズムのセレウコス王朝(古代シリアの王朝、前312−前63年)とローマ(前200年から紀元後200年)の間のユダヤ教迫害の時代に、アブラハムの試練の物語(創世記22章)のなかのイサクの苦難の物語とその試練がますますその中心に現れました。「イサクはしかし、いま生け贄とされている」(W.Ziudema)。マルコ1:11で、イエスは洗礼の際の天からの声「あなたは私の子(息子)、愛する者」(創世記22:2を参照)によってイサクの道を繰り返すよう呼びかけられています。イエスはそれによって、彼に対してローマ人とサドカイ派の祭司階級が強制した殉教の苦難の道を歩み、第一の戒めを守り、イスラエルの神の御名を崇める殉教者の小羊になるのです。それゆえにパウロは、ローマ書8:32で、神はその独り子を惜しむことができなかったのではなく、私たち全てのために犠牲にされたのだと述べています。したがってヨハネ3:16はこう告げております。神は、「世を愛されたので、その独り子である彼の子を犠牲にしなければならなかったゆえに捧げたのだと」。この聖書のメッセージがどのように理解され得るか。このことについて私に示しましたのが、殺害されたマーチン・ルーサー・キングの墓におけるマーチン・ルーサー・キングの父君とラビのアルバート・フリードランナーとの対話でした。そこでマーチン・ルーサー・キングの父はフリードランナーに言いました。「私はアブラハムであり、ここに横たわっているのは私のイサクである」と。
『ユダヤ教の本質』という著書のなかでのL.ベックの大きな苦しみの予告は、ここで明白に語りかけます。イサクは、その苦しみと殉教(犠牲、つまり権力による犠牲者)においてもまた主体(自己犠牲、つまり自己献身のなかで)として、神の御名を崇め、第一の戒めを守り、心を尽くし、魂を尽し、あらゆる力をもって神を愛する、―そしてラビたちが付け加えたように、―「たとえ彼(神)がその生命を取られるとしても」これを行う、殉教者の小羊なのです。

b)イエス・キリスト―過ぎ越しの小羊/解放の小羊

もし私たちが、旧約聖書ないし、より古い/第一聖書の正典(基準)に従うなら、創世記22章のあと出エジプト記のなかで奴隷からの解放物語に、つまり、過ぎ越しの/解放の/赦しの小羊(出エジプト11−15章)の伝統に出会います。この過ぎ越しの小羊はここで非常に深く奴隷状態からの解放と関わっています。奴隷たちはエジプトから解放され、戸口の側柱にその血が塗られたという赦しの小羊は奴隷状態から解放される人々の救済保護のしるしなのです。
ヨハネ福音書はこの過ぎ越しの伝承を受け取り、共観福音書史家たちよりももっと強くこれを際立たせました。その結果、共観福音書史家たちと違って、イエスは三度、エルサレムの過ぎ越し祭へとやって来ます。イエスは過ぎ越しの小羊がエルサレムの寺院で堵殺される(ヨハネ18:28)その時に、十字架につけられます。そのことによってイエスは真の過ぎ越しの小羊と特徴付けられるのです(ヨハネ1:29)。イエスは十字架上でその骨を折られてはいません。それは、過ぎ越しの小羊の場合も、骨が折られてはならないからです(ヨハネ19:33)。イエスの墓が空で発見され、復活された方が男女の弟子たちに現われたその日が過ぎ越しの三日目です。イエスの復活は、過ぎ越しの週のうちに起こります(ヨハネ20)。そうしてイエスはヨハネ福音書によれば、ユダヤ教の過ぎ越しの夜の過ぎ越しの古い言葉「この夜に私たちは救済/解放された、この夜に私たちは救済/解放される」というこの言葉との関連で理解される確実な解放の/赦しの/そして復活の小羊なのです。
中世の画家たちが神の小羊を復活の勝利の旗と共に描いた時、キリスト教の伝承はこのことを知っていたのです。わたしは、ベンツ(Usedom-Ostvorpommern) にある教会の復活の解放の小羊/勝利の小羊の絵をありありと思い浮かべます。つまり、その羊は、死、そして腐敗や破壊の全ての権力を超えた勝利の旗を振っているのです。もっと厳密に見るならば、その羊は傷と負傷を負っているのです。この傷は、中世の絵画自身に由来するものではありまん。中世の時代には、主の晩餐の杯のなかに小羊の傷から血が流れる絵が描かれていました。そうではなく、この傷は、外側から銃で教会の窓をその小羊と一緒に撃つヒトラーの兵士に由来しています。なぜならば、その教会では、言葉と行為において、教会員と共に、ナチスのイデオロギーに抵抗した告白教会の牧師が、説教したからなのです。その牧師はまもなく兵役に招集され、他の多くの告白教会の牧師たちと共に、軍部のヒトラーの戦略家たちによって意図的に破壊戦争の最前線へと送られたのです。そうしてやがて彼は戦死しました。
この物語は、この羊が、腐敗と破壊に満ちた権力に勝利したこと、しかし同時に、自ら傷ついた解放の羊であることを具体的に説明しています。

c)イエス・キリスト― 神の僕の/罪責の小羊

メシア・イエスは、洗礼者ヨハネの証言によれば、最終的に世の全ての罪を(取り除く)担う、また代理して担う罪責の小羊です。イザヤ書53章の神の僕は、不当に訴えられ、その後処刑されました。彼は犯罪人のもとに自分の墓を見出しました。つまり、私たちは神によって彼は打たれ、神によって虐殺されたのだと思っていたのです(イザヤ53:3)。しかし彼は私たちの罪のゆえに(不慮の)(取る)死を遂げた(イザヤ53:6)のです。そこでヨセフ物語の中で計り知れぬほど深く言及されているように、神は人間の悪を善に変えられたのです。「あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変えました」(創世記50:20)。全体の罪(Gesamtschuld)は、聖書において共同の罪(Kollektivschuld)ではありません。なぜなら共同の罪は、つねに不幸な運命なのであって、全体の罪はしかしそうではありません。全体の罪はしかしまた個人の罪以上のものです。全体の罪は、若い世代が彼等の父や母たちの過去の罪の歴史への責任を引き受けようとはしないところでもまた行われます。私は、過去の罪の歴史をある民族の個人的な生活、しかしまた全体の社会的な生活において承認することへの拒絶のあらゆる形式を視野に入れてこのことを述べています。私はそのために特別に、エルサレムのダビッド・フルッサーが私に話してくれたことに皆様の注意を向けたいと思います。つまり、フッサールは、イエスが次世代の人々にも、過去の世代である父母たちの罪の歴史の責任を負わせるという、そして彼等もまた罪責の中へ置かれていると言うのです。マタイ23:30以下のイエスの言葉がそうです。イエスは言います。「あなた方は言う、もし自分たちが父や母たちの時代に生きていたら、預言者たちの殺害に責任があったろうに、と。しかしあなた方はそう語ることによって、あなたがたは、自らの意志に反して、あなたがたが預言者を殺害した息子や娘たちであることを自ら証明している」。
過去の罪の歴史から、自分の教会と自分の民族の罪の歴史から距離をおき、父や母たちの罪の歴史に個人的に、社会全体として、また、政治的に引き受けようとしない者は、そのことによって新たに罪を犯すのです。このことを視野に入れて、ジャーナリストのラルフ・ジョルダノは第二の罪について語りました。

罪責の小羊、神の僕の小羊であるイエスは、私たちの病を負い、彼は代理で自分の民の罪を担っただけでなく、世界全体の罪を担うのです。彼がその罪を担う、そのことで私たちは自由であり得るのです。彼が罪を負うことで、私たちはすべての病人、あらゆる個々の罪、罪全体そのものを、彼のもとに連れて(取る)持ってくることが出来るのです。これは、あなたと私、そして、私たちが生きて関わって(取る)いる現実と何の関係をもたない空しい理論でしょうか?。

とくにディートリッヒ・ボンヘッファーは、世のすべての罪を担う神の小羊の代理の現実を、年々より明らかに認識していきました。1940年10月、西部でのヒトラーの勝利の最高潮のときに、ボンヘッファーは代理について書いています。「神の愛は、その現実から世俗を離れた魂に退くのではなく、神の愛は、最も激しく世の現実を経験し、苦しむ。この人を見よ」。
それから一年半後の1942年に、ボンヘッファーは「倫理」の章のなかに書いています。― ボンヘッファーはその時すでに政治的抵抗へ向かっていました。「イエスは私たちのために代理で生きられたので、彼によってすべての命の代理となられた」。そしてまたもやその二年後、ヒトラー暗殺失敗の二日前、1944年7月16日にボンヘッファーは書いています。「これは回心です。つまり、まず自分の問題や困窮、不安を考えるのではなく、イエス・キリストの道に、つまりイザヤ書53章がいまや成就するであろうメシアの出来事の中に自ら巻き込まれるのです」と。

そして、カール・インマー牧師が1937年秋に逮捕され、ベルリンのゲシュタポ拘置所に連行され、そこで二度の尋問のあと卒中発作に見舞われたとき、イザヤ書53章の言葉が目の前にあったのです。彼、つまりイエスは犯罪人の一人と数えられたと。― 国家の指導者が、神の真理の証人を犯罪人とみなすことは、カール・インマーが当時言ったように、困難なことであったのです。

告白教会の時代において、そして今日、キリスト者であるということは、服従の中に立つことを意味します。しかし、服従において立つということは、代理の生を生き、代理の生を苦しむということなのです。あらゆる人間の生が、洗礼を受けられて十字架につけられたキリストによって本質的に代理の生へと決定付けられているからです。しかり、服従とは、その上さらに罪責を引き受けるということです。十字架につけられた方に従うということにおいて罪責を引き受ける。つまり、私自身が行わなかった罪の歴史を引き受けるということでもあるのです!私自身がその罪のゆえにすべての罪を引き受けるのです、というのも私は行為者(実行者)ではなく、法律的に拘束され得ないのですが、私は私の民のすべての罪から自分を解放することが出来ないのですから、全ての罪を引き受けなければならないのです。過ぎ去ることを願わない過去への嘆きなどありません。むしろ引き受けられることを願う過去について知っているのです。罪責の割り振りによる損害の清算はありません。他者の罪、つまりヒトラーはスターリンへの答え、アウシュビッツはArchipel Gulagへの反動、しかり、当時の正当な共産主義への恐れを公認するものとしてのみの反ユダヤ主義!そうではなくキリストは、すべての罪を代理で担う神の小羊であるのですから、われわれもまた罪責と損害を共に引き受けるのです。

私たちはこれらすべてを簡単な文で要約する事が出来ます。すなわち、キリスト者であることは、十字架につけられた方の所に自らをおき、また― 今日、世界のさまざまな地域、南アフリカも含めて実証されているように、― 犯罪者の一人に数えられることが出来るのです。キリストの教会とは、キリストへの服従において自分自身の歴史の苦難と罪を共に引き受けることです。彼のようにではなく、彼と共にこの罪を担うことを意味します。見よ、これが世のすべての罪を代理で担う神の小羊。それゆえ(われわれ)すべての生は、服従において代理の生へと決定付けられているのです。

さて終わりに、なお決定的なもの、キリスト者である私たちが一般に忘れている重要なものが,教会の中に、また、神学の中にもあります。私たちは要するに、キリストの十字架を出立と分けていたのです。私たちは赦しを解放から分けていたのです。私たちは洗礼者ヨハネの証言に対して、せいぜいただの一歩の距離でしか考えず、しかし完全に服従することはなかったのです。ここに教会の根本的な罪(原罪)を見ることが出来ます。

キリストの代理は、解放の開始(はじまり)です。赦しは、自分自身のために享受することを願わない賜物であり、解放への途上にある賜物です。エジプトから脱出する際の、過ぎ越しの小羊、赦しの小羊と同じように、キリストは世のすべての罪を担う解放の復活の小羊であり、この小羊によって私たち、世界は、罪の奴隷から、権利を剥奪された奴隷から自由の身とされ得るのです。キリスト者であるということは、この三番目の意味において、再び何か単純なものですが、しかし非常に重要なものを意味致します。つまり、キリスト者であるということは、神の復活の小羊であるイエス・キリストのこの解放の歴史のなかへ自ら身を置くことであり、その歴史に参与する事を意味するのです。

それゆえヨハネの証言は私たちにとって明白な指針です。
1.これこそがヨハネの証言です。
2.この方が世のすべての罪を担うのです。
3.この方が神の復活の小羊です。キリスト者であることはそれゆえに全く単純に、ヨハネの側にその身を置くこと、十字架につけられたキリストに身を置くこと、ここに成就される神の解放の歴史のなかへ身を置くことを意味します。

私は最初に、隠されたメシアを探すラビの物語を皆様にお話しました。この物語を私は、この説教の最後にお話し致します。

私たちの歴史はどのようにして終わりに向かうのでしょうか?ラビ・イエホシュアは、彼が隠されているメシアをローマ人の貧しい人々のあいだに見つけたあと、この人に質問しました。「いつあなたは来られるのですか?」 彼は答えた。「今日だ」。その後、ラビ・イエホシュアはローマからエリアの所に帰って、彼に質問した。「メシアはあなたに何と言われたのですか?」。ラビ・イエホシュアは言った。「彼は私に嘘を言って騙したのです」。彼は私に言いました。「今日、私は来ます」!そうして彼はしかし来なかった。エリアは彼に言った。「このことを彼はあなたに言いたかったのです。『今日、もしあなたがたが彼の声を聞くならば』」。

ヨハネの証言が、私たちにとって、父と母たちの記憶において、確信が持て、生き生きとしたものとなるように、生きておられる神が、私たちに今日も、明日も、いつまでも、そのことを可能として下さるように。
アーメン