<メッセージ>
サムエル記は歌に溢れています。冒頭にハンナの歌があり、末尾に詩18編(下22章)とダビデの遺言の歌(23章)があり、また真ん中にこの弓の歌があるのです。それは詩編の詞書を追っていくと、さすがに150の詩編の半数近くに当たる73編がダビデにちなんだ物になるという詩人ダビデの生涯を記録した書物にふさわしいと言えるでしょう。
一方で、サムエル記が選んでいる3つのダビデの詩は、いずれも私たちの馴染みの無い物ばかりということに驚かされます。いずれも私たちの愛唱詩編などでありません。詩編に収められているダビデにちなんだ詩は73もあり、その中には第23編のように暗誦するくらい、古今東西の作曲家が賛美歌として、あるいは歌曲として無数の曲を付けてきた詩もたくさんあります。よりによってなぜこんな面白くもない3つをサムエル記は選ぶのだろうと、不思議に思うくらいです。
この「弓の歌」は「キーナー」と呼ばれる哀悼の歌です。「キーナー」には本来3音・2音の韻律で歌われるという習いがあり、哀歌も、エレミヤ9章20節以下もエゼキエル19章もその習いに従って歌われているのに、この「弓の歌」だけはそのリズムが無く、全くの自由詩、破格です。「ああ勇士らは倒れた」という詞が、冒頭、真ん中、末尾と3回繰り返されています。それは印象的なサウル王とヨナタンを悼む歌なのですが、困ったことにこの歌には「神」という言葉が一言も出てきません。徹頭徹尾人間の嘆きの歌なのです。それが詩編に収められず、「ヤシュルの歌」(未発見の書・ヨシュア記10章13節も収められているとされている)に収められた理由かもしれません
歌っているダビデはサウルよりヨナタンの方に主入れが強いのが伝わってきて、その点は面白いのですが、この「弓の歌」をどの欧米の注解書も持て余し、黙想集(メディタチオン)や聖句日課では取り上げられることさえしていません。
ところがこの「弓の歌」が突出的に例外的に重んじられ、熱く語られる世界があるのです。それは無教会です。無教会は有名な指導者が亡くなるたびに葬儀で「弓の歌」を説教する習いのようです。内村鑑三の葬儀、藤井武の葬儀、戦争で自分の愛弟子を次々と送った矢内原忠雄…、といった具合です。
矢内原はこれは「哀歌たると共に戦闘歌たるの実を有つ」と語ります。「之は信仰を基底とした友情歌にして愛国歌である。…信仰の戦士の倒れた度毎に、割礼を受けざる者の喜び楽しむことなからん為めに、我らはこの弓の歌を歌って、「ああ勇士は仆れたるかな」と叫び、而して彼らの剣を取り上げて自らの奮起を誓うたのである。…」。今日は平和聖実ですが、「平和を作り出す者」とは「平和の為に闘う者」であることを、あの時代東大を追われ、「弓の歌」を日本軍国主義に対する「戦闘歌」として歌った矢内原から知らされます。
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