5月16日
2010年春の伝道礼拝>第2回
ヨセフの旅
三鷹教会牧師
平池 芳樹
                  

                創世記45:1〜8

                コリントの信徒への手紙U 4:7〜10

<メッセージ>

ヨセフとて、全き人ではなく欠点があった

司式者にお読み頂いた2個所に加えて聖書を1個所追加します。創世記37章1節から4節です。2節に「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した」とあります。教会に通い始めた頃、「全き人ヨセフ」という本を読んだことがありますが、ヨセフにも欠点があったことがここでわかります。
先日、小海牧師から私の自分史を通して証ししてほしいとのお話を頂きました。38歳で牧師になった私ですが、生まれて32年間はキリスト教とは無関係の人生を過ごしておりました。今日は普段の説教とは趣が異なりますが、「ヨセフの旅」と題してお話させて頂きます。

トラウマから粗暴になり、父と口論の上、19歳で家を出る

私は北海道の炭鉱町・夕張生まれです。5歳の時、精神科医の父が自分の考えに基づいて開放病棟を持つ病院を開業し、そこで育ちました。「先生の息子さんなの?」と親しく声をかけてくれた入院患者さんの斎藤さんという青年とは親以上に親しくなり、一緒に卓球を楽しむようなこともありました。
彼は父親を落盤事故で亡くしたあと炭鉱夫として、母と二人の弟達のために働く家族思いの青年でしたが、病を得て私の父の病院で入退院を繰り返していたのでした。
私が中2の時のことです。容態が良くなって退院できることになり、自宅に連絡を取ろうとしたところ自宅はもぬけの殻で連絡先も不明と判明しました。彼は家族から見捨てられた絶望の果てに病院を抜け出して行方不明となり、約1週間後に死体で発見されました。父の指示で葬儀に出ましたが、痩せこけた状態でした。あんなに家族のために尽くしていたのにと、彼を見捨てた家族を私は心から憎みました。
また同じころ、炭鉱で70人もの作業員が事故死するほどの大きなガス爆発があり、その事故で父親と兄を亡くした私の親友が失語症になってしまいました。
斎藤さんの自殺、父と兄を事故で失った親友の姿を目の当たりにして、それまで比較的真面目な性格でしたが18歳の頃から真面目に物事に取り組む事に嫌悪感を持ち始め、自暴自棄になり非常に粗暴になりました。今にして思えばトラウマ(心の傷)が原因であったと思います。
19歳の時に父と口論の末、暴力をふるってしまい、このまま自宅にいては自分がますますダメになると考えて家を出ました。母が反対してくれると思っていたのに、反対しなかったことが大きなショックでした。当時大学生の兄が家を出ていく私を追いかけてきて2万5,000円入りの封筒を渡してくれながら、「戦災孤児になったつもりで生きろ」と言ってくれたことを覚えています。

牧場勤務、船乗り、障がい者施設勤務などを経験

家を出たものの、時代は第一次オイルショックの不景気でアルバイトも簡単に見つからず、複数の友人に電話した結果、紹介されたのが日高地方にある牧場でした。そこでは朝3時半に起床し、一日中仕事に追われて夜10時に寝るという生活が約1年続きました。
実は私はその頃、船乗りを経験したあと小説家になるという夢を持っていました。そのため小樽の海運局に何度も足を運んでいるうちに、そこで偶然出会ったある海運会社の親切な支店長さんが千円札を10円玉に両替して公衆電話であちこちの船会社に電話をかけまくってくださり、幸いある船会社に就職できました。外国航路の船員として約5年間勤務しましたが、作家になる夢は、才能がないことを既に自覚しており、あきらめていました。船を降りた後は、障がい者施設に勤務しつつ、心理学を独学で勉強する日々を続けていました。 キリスト教との出会いは32歳の時でした。ある日曜の朝、書店にでかけたところ、行き過ぎて戻ろうとした時、教会のそばにいる事に気がつきました。誘われるように礼拝に参加しました。讃美歌を歌いながら、生きてこられたのは神様のお導きであることを感じ涙が止まりませんでした。

昔のことに知らぬ顔をしてくれた父と心が通じ合う

牧師になり、仙台の教会に赴任したのは38歳の時でした。説教準備に大変な土曜日のある夜、自殺体験を持つ青年の訪問を受けて約2時間、話の聴き役を務めたことがありました。彼の名前を聞くことさえ忘れた新米牧師でした。彼はその後、京都で仕事を一人前にこなし、奥さんと子どもさんを連れて会いに来てくれたことがあります。そのようなことを経験しながら、私を通して神様が働かれたのだと強く感じました。
牧師になって2年目の40歳の時、両親は札幌在住でしたが、母から父の命があと僅かであることを知らされ、水曜日の祈祷会を終えて札幌に行き、土曜日には説教準備のため仙台に戻るという事が続きました。ベッドのそばで父と2人だけの時、私が19歳の時に父を殴ったことを詫びたところ、父は「そんなことあったかね」と知らぬ顔をしてくれたのでした。父とは親鸞とパウロの共通性などについて話すこともあり、40歳になって初めて父から褒められ、心が通じ合う思いがしました。ある土曜日の朝、父は息を引き取りましたが、母から教会の説教は予定通りにと強く言われ、父の葬儀には欠席せざるを得ませんでした。
19歳のときに家を出ましたが、あの時、家を出ないでぐずぐずしていたら自分の人生はどのような歩みをしていたことかと思わされます。

ヨセフのエジプト行きも、神様のなせる業

ヨセフは兄たちの怒りからエジプトに売られたのでしたが、実はのちに起こる飢饉に備えて神様によって、あらかじめエジプトに遣わされていたのです。私の父が牧師になった私に「神様はおられるのだな」と言ったことを思い出します。神様は私のような土の器をも通して働いて業をなさっているのです。
旧約聖書のヨセフの旅も、現代に生きている私達の旅も神様のなせる業であることを改めて思い、主を讃美したいと思います。