<メッセージ>
新約聖書にたくさんある主イエス・キリストの復活についての証言の中で、最もショッキングであり、だからこそある意味で生々しささえ感じてしまうのが今日読んだマルコによる福音書第16章1〜8節ではないでしょうか。マルコによる福音書は「恐ろしかったからである」という言葉で突然終わるのです。原文はこの新共同訳よりもっとぶっきらぼうです。「恐ろしかった。なぜなら」のたった二文字、しかも普通なら文頭に付けられて二つの文を結ぶ接続詞「なぜなら(ガル)」で終わるのです。9節以下は括弧「〔 〕」で括られている事からも分かるように後世の付加です。
「福音書」という書物の結びとしてこれはあまりにも不自然ではないか、ということでこの先に何か伝えてはまずい事が記されているので破られたのだとか、原文が失われたのだという仮説もありましたが、現在の多くの新約学者はそもそもこの通りに終わっていたという立場です。世界中のマルコによる福音書の写本を年代の古いほうへと辿っていくと8節で終わっているということがはっきりしてきますし、なによりこの福音書が書かれてそんなに経っていない、紀元三世紀に活躍したカイサリヤ司教のエウセビオスという人がマリノスというお弟子さんに宛てた手紙が残っているからです。エウセビオスたちもマルコによる福音書のこういう終わり方に納得できなかったのですね。いろいろと四方八方手を尽くして写本を調べてみたけれど、当時のマルコの写本のほとんど大多数が8節で終わっており、続きが付けられているのは僅かであり、どう見ても続きのある物は後で付けられた余分な加筆だということをマルコによる福音書が書かれて百年もしない段階で確認しているのです。
21世紀に生きる私たちの目から見れば、古代文献というのは放っておけばどんどん尾ひれが付いて膨らんでいくものです。主イエスの復活の話しもどんどん膨らんで胡散臭い聖者伝説化したものがたくさんあります。主の遺体を包んでいた布に主の顔が写し出されている(偽物と発表されたトリノの聖骸布)、主イエスの十字架の地を受けた聖杯伝説、十字架の主のわき腹を刺したロンギヌスの槍…。そんな話は古代から中世の十字軍にかけて過熱化した聖遺物崇拝と伴っておびただしく伝えられています。21世紀の私たちから見れば、それは聖なる敬虔情熱なのかもしれないけれど、かえって復活の信憑性を貶めているとしかいえない代物です。
そういうところからもう一度マルコによる福音書の結びである8節を読み直してみると、実に控え目、理性的、客観的で、古代の書物としてはほとんど奇跡的なほどです。マルコを見ながら独自資料を用いて福音書を書いていったマタイとルカはこの終わり方ではまずいと思ったのでしょう。弟子たちに女たちが伝えたと変え、「恐れ」に加えて「大きな喜び」に襲われたことにします。ヨハネはわざわざペトロと愛弟子を空虚な墓に走らせて確認さえさせています。それらの変更も後世の聖者伝説に比べれば控え目ではありますが、二千年を経て21世紀の私たちが圧倒的に生々しく思うのはマルコの方です。ぶっきらぼうであればあるほど復活と言う出来事に遭遇した最初の衝撃が伝わってきます。
墓は空虚であった。確かに予告されていて気にも留めなかったけれど、復活というのはこういうことだったのだ。想像を絶する、人知経験を総動員しても収まらない出来事を目の当たりにした。そこに「恐れ」たけれど「喜び」が沸き起こるとか、何かの解説を加えることが出来るなんてありえないほどの事が起こっているのです。
おそらく天使と思われる若者は「ガリラヤへ行け」という主イエスの言葉を伝えます。辺境であり周辺のガリラヤ、しかしそこは主イエスとの出会いと歩みの原点であり、自分たちの日常生活の場であったガリラヤへ行けというのです。私たちが新しい命を先取りして生かされる場はガリラヤです。復活、新しい命に生かされるというのは、カルト宗教の言うように全然違う者に変身したり、彼岸に生きたりすることではありません。地に足を着けた生活の現場です。そこで復活の主は私たちに出会われるのです。
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