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10月12日 |
「礼拝を喜ぶ」 |
小海 基牧師 |
詩編84:1〜13
ペトロの手紙U3:8
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<メッセージ>
キリスト教は、ユダヤ教、イスラム教と同じく試練迫害の時代にあっても毎週礼拝を守り続けて来た宗教です。1年に数回ではなく、1週間を礼拝から始め、人生を礼拝と共に築いていく信仰です。日ごとに祈りの時を守り、生活すべてが礼拝であるという信仰です。
礼拝というと堅苦しい儀式的なイメージがありますが、実は喜ばしい祝祭的な神との出会いの場なのです。キリスト教の礼拝を彩ってきた讃美歌も礼拝から生まれました。礼拝は喜びの場、祝いの場、癒しの場であることを、今日は礼拝に深く関係する詩編八四編を読みながら、確認していきたいと思います。
この詩編84編はエルサレム神殿への巡礼の詩です。とうとうここまで来たという喜びに溢れた詩です。
「万軍の主よ、あなたのいますところはどれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます」
20世紀最大のプロテスタント神学者はスイスのカール・バルトです。2人の息子のうち、次男のクリストフ・バルトはアジアの教会と深く関係のある旧約学者です。彼は人生の前半をインドネシアで働きました。
アジアの讃美歌をリードするのは韓国や日本、インドではなく、実は、台湾、フィリピン、インドネシアなのです。その国の文化を前面に打ち出して讃美歌を生み出し、その讃美歌が世界中の教会で採用されているのです。
また、これらの国々の礼拝は喜びに溢れています。椰子の葉で出来た、台風で飛んでしまうような礼拝堂の中に溢れるほどの人々が集まってくる。東南アジアの讃美歌や礼拝が注目を集めるのは、礼拝に対して地元の文化を活かした大改革がなされ、その根底にインドネシアなどの神学校や教会にドイツから実力ある宣教師が遣わされ、優れた教育をしたからです。その一人がクリストフ・バルトです。
この詩編84編を作った人は、エルサレムから遠く離れた、異邦人の多い場所に住み、旧約聖書の信仰と日常礼拝を守ってきて、一生に一度の大決断でエルサレムへ巡礼に行った人でしょう。命がけで巡礼の旅をした時代だっただけに、その熱い想いはエルサレム神殿のお膝元に居る人より遥か遠くに住んでいる人ほど強かったのです。
この詩が作られた時期はおそらく9月〜10月頃のことです。7月〜9月はイスラム、パレスチナは厳しい乾期で、いたるところが乾いた死の世界になります。ようやく乾いた死の世界に雨が降って、花が一斉に咲き、種まきもはじまる9月〜10月を新年の月として、新たに生まれ変わる想いで新年に巡礼したのです。
現代のユダヤ教徒はシナゴーグで、私たちキリスト教徒は近くの教会で礼拝するのが普通になって、日曜日に礼拝を守ることの喜びが薄らいでいます。それだけに私たちは、礼拝は巡礼者の喜びを持って神様に出会う場であるということを、もう一度、この84編から教えられるのです。
人生は旅路です。人生の巡礼の中で、もう一度この礼拝の中で復活の主に再会する、人生の死の影の谷、死の砂漠を越えて、主の庭で過ごす一日は千日にもまさる恵み、いかに幸なことでしょう。私たちもそういう喜びの礼拝を守る群れとなっていきたいと思います。
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