数え方によっても違うでしょうが聖書には約25近く系図が載っています。多くは何歳まで生きた、何の直系、何の氏族…といった私たちもよく使いがちな人間の栄光・業績を示す系図です。しかし旧約に2つ、新約に2つだけ例外の系図があります。人間の側は混乱の只中でもうこの系図の連続性を放棄して切ろうとさえしているのに、無から有を創られる神様が介入されつなぎとめ、当時の関係者が誰も予想もしなかった形で救済の歴史をつないだ系図です。旧約ならルツ記のこの系図と歴代誌上の1〜9章の系図、新約ならマタイによる福音書のこの系図とルカによる福音書3章の系図です。長男(家督継承者)の系図ではありません。人間の側は何度も系図の連続を断念し放棄したにもかかわらず、神様の介入によってダビでの系図となり、やがては主イエス・キリストへとつながる、また元はアダムにつながり全人類の救済に深く関わるという系図です。
ルツ記の結びに置かれたこの系図は「タマルとユダの子であるペレツの系図」(12節)とあるように、系図の切れかける度に女性の名を記したマタイによる福音書と同じくらい解説的な系図です。この話は創世記38章に記録された家族から無視された嫁タマルが遊女に化けて舅ユダと「レビラト婚」(申命25:5〜10)を成立させたという姦淫の罪ぎりぎりのエピソードです。そしてこの系図はどうしてボアズが遠い親戚であったのにあえて火中の栗を拾うようにルツとの「レビラト婚」を引き受けたのかという公には語られなかった秘密を解き明かす系図でもあります。ボアズの父は「サルマ」(マタイなら「サルモン」)であったと記されています。つまり出エジプトの民が約束の地に入って全く指一本触れることもなく城壁が崩れ去り勝利を収めたというエリコの戦いで偵察したのが父サルマ(サルモン)、彼をかくまった遊女ラハブがお母さんであったということです。きめ細かく解説を加えているマタイの系図を見れば一目瞭然、ボアズの周辺にとりわけこうした事例が集まっています。一度は故郷を捨て、ユダ族の嗣業を放棄してモアブの地で異邦人の嫁を貰い、結局失敗してホームレスになって帰ってきた老いたナオミと異邦人の嫁ルツをボアズは食い物にして捨ててしまう事だって出来たでしょう。士師記の終わりはそんな風に「ソドムとゴモラ」化してしまった約束の地の不祥事が記録されている中で、ボアズが最大級の信義を尽くして「レビラト婚」の責任を果たしたのは、タマルとユダの間にペレツが与えられた出来事を記憶しているからでしょうし、異邦人のルツに何の偏見を持たなかったのは父サルマ(サルモン)と異邦人で遊女であった母ラハブの間に自分という存在があったからでしょう。
切れかかっている系図の結び目を生きた当事者たちはつらい思いをしたでしょうが、そこに神の恵みが最大限に注がれ、さらにはその系図がやがて最大の恵みの出来事へと繋がれていった事をこの系図は語るのです。