<メッセージ>
私は教会牧師、宣教師、教団幹事などを歴任し、最後は教会の牧師で終わりたいと思って横浜の教会に赴任しましたが、四年で神学校の校長に転任しました。幻に無理やり、神学校に連れられてきたような感じです。
私は教会の牧師であり続けたいと思っているのに、その多くは教会外の仕事でした。教会で生きたいと思っていても思い通りにはならないものです。聖霊に引きずり回されてきたように思います。
パウロ、都市をめざす
パウロはエルサレム会議を終えて、第二回目の伝道旅行に出発し、アジア州で宣教しようと計画しました。エフェソを中心とした大都市、しかもユダヤ人の多いところで開拓伝道をしようとしたのです。都市に宣教の拠点をつくり、周辺への宣教を同労者にゆだねていくというやり方です。都市の同胞の多いところで教会の形や財力を整い、そこから周辺に向かっていくというのです。
ガラテヤ地方に行き、そして病気になる
パウロはこの方針をもってアジア州に行こうとしましたが、聖霊によってこれを禁じられました。大都市に行って拠点をつくり、それから農村に行くという方針は聖霊によって拒否されたのです。
そして、フリギア・ガラテヤ地方に行かざるを得ませんでした。そこは小アジア内陸部でユダヤ人も少なく、ヘレニズム化が遅れ、人口も少ない「地方」でした。パウロにとって宣教の拠点にはなりえなかった所です。
具体的に何があったのかわかりませんが、パウロは都市に行くことができませんでした。体調がすぐれなかったのか、だれかに邪魔されたのか、それは聖霊によって禁じられたとしか言いようがありませんでした。
彼は将来への不安を感じ、悩みました。行く道を塞がれ、行きたくない別の地に向かいますが、その途中、病気になってしまいました。倒れそうになってガラテヤに着きました。そこで待っていたのは、中心から置き去りにされて周縁で生きる人々と豊かな自然でした。
彼には思いも及ばなかったことですが、この人々の世話を受け、やさしさに触れ、自然との交わりのなかで癒されていったと思われます。ここでパウロは多くを学び、人生の方向を転換させられていきました。自分の力で何でもできるという生き方にストップをかけられ、人のやさしさや助けを受けながら、伝道者として生きていく、そういう道に連れて行かれたのです。
弱い時に福音が広がる
「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」(ガラテヤ四・一三〜一四)と聖書にあります。
今パウロは強い伝道者ではなく、弱い伝道者であり、人の世話を受け、やさしさに触れ、体も心もいやされていきました。そのなかで、福音が浸透していった。その福音とは、弱さになかにある強さです。
「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリントU一二・七〜一〇)
多民族共生教会の誕生
そして、この出会いから教会が生まれたのです。多民族共生の「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もない」共同体です。耐えがたい変化を求められ、身も心もぼろぼろになった時、新しい共同体が誕生したのです。
パウロは元気になって、伝道と旅にまた、出ました。ビティニア洲に入ろうとしました。ここは古い都です。あのような経験をしたのにまた、パウロは効率を目指すような歩みをする。
聖霊は再び、道を塞ぎ、北方のミシア地方に連れて行く。ここも寒村でした。周縁の人々に出会い、弱さ、困窮、行き詰まりを経験しました。この弱さのなかで、パウロは力を得ていきました。聖霊によって徹底的にあなたは誰と一緒に生きていくのかと問われ、かれは弱り、行き詰まりました。そこで人々に助けられながら神の力を与えられていきました。
パウロ、幻を見る
パウロはさらに旅を続けてトロアスに着いたとき、幻を見ます。神の使いであるマケドニア人が夢の中でパウロに語ります、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と。共に生きることを求めている人が待っている。「あなたと一緒に行きたい」と招く人がいる。周辺に来てほしい。パウロはこのような幻を見るのです。
パウロは今までの生き方を訂正させられていきました。周辺に追いやられて病になるほどの苦闘のなかで自らが変化し、周辺に目を向けるようになっていきました。聖霊はパウロを周辺に追いやります。そこで幻を見ます。幻は弱さのなかで与えられる、行き詰まりのなかで与えられる。
幻は周縁の人々と共に生きるようにわたしたちを招いています。
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