5月18日
2008年春の伝道礼拝 第2回
「幻に励まされて」
 
龍口 奈里子
                     (イザヤ書43:1-7)
                     (使徒言行録18:9-11)

<メッセージ>

 今日取り上げるパウロは大伝道者ですが、その歩みにはいくつもの命がけの困難がありました。しかし不思議と彼は、あるものに促され、あるいは禁じられ、また励まされて、多くの困難を乗り越え、福音を述べ伝えました。
そのあるものとは、「信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(ロマ書一・一六)であるとパウロは言います。見えない神の力、それは「聖霊」の働きだと言ってもよいでしょう。パウロの伝道には、常にこの聖霊の励ましがありました。
 さて、パウロにとって、コリントでの伝道は大きな問題で、気負って乗り込みました。しかし、もうすでにキリスト者の仲間がこの町にいることを知り、パウロは聖霊が注ぎ込まれていることを知ります。私達も、しばしば気負いを持つことがあります。そのため、うまくいかないと、頑張った分だけ、逆に落ち込んだりしてしまいます。でも実は、「頑張ろう」と私たち自身が思っているより先に、すでに神様からの見えない力が働いているのです。
パウロはこの地にあって、見えない神の力に励まされながら、「希望」を見出すことができ、さらにパウロを励まし続けたのが、幻の中で聞いた次の言葉でした。
『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる』(使徒言行録一八・九〜一〇)。
パウロは自分の言葉に何の迫力もなく、相手を励ます力を持たない、そんな無力感に立たされていました。しかし、幻は相手の心に響くように語れというのではなく、聖霊に委ねなさいというのです。もちろん人に何かを伝えようとする時、努力や才能、経験も必要でしょう。
しかし、どんなにそれが優っていても、自分の力だけならば、もみ殻のようなものです。そこに、実りをもたらす、本当に生きた力である聖霊が吹かなければ、空しいものに過ぎないと、パウロは身をもって示されるのでした。
 パウロほど伝道者として努力した人はいませんし、挫折を味わい、そこから這い上がった人はいませんでした。また、多くの出会いをも経験しましたが、それだから、パウロが強くなれたのではなかったのです。パウロの「生きる力」はそうしたパウロ自身の内側から作られたものではなく、ただ一方的に外から来るものだったのです。それが神の力です。
その力の励ましが、パウロに希望を持たせ、パウロ自身を生き返らせ、そこから新しく出直す力となったのです。
幻の言葉を聞いた時、パウロは『私があなたと共にいる』という言葉に何よりも励まされていったのでした。
 私達の住むこの世界には多くの困難があり、私達は「なぜ私がこんな目に」と思いたくなるような不条理の中に生きています。しかし、この不条理な世界に、神は主イエスを送って下さいました。
イザヤ書四三・四には、『わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする』とあります。
最も不条理なのは、この「身代わりとして」死んでくださった主イエスの十字架です。しかし、神は私達を愛するがゆえに、取るに足らない、弱い、一人だけでは何も出来ない、生きていけない、この私と共にいて下さるために、聖霊を送り、幻を語り、希望を備えて下さるのです。私達は、この聖霊の息吹を受けて、励まされて、押し出されて、この地に遣わされてまいりましょう。