<メッセージ>
「…御言葉を行なう人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。…」(ヤコブの手紙第1章19〜27節より)
信徒講座T 「標語学ぶ」
2008年4月27日及び5月4日「子どもの礼拝」説教より
今年度から新標語「御言葉を行なう人になりなさい」を掲げることになりました。
新約聖書の「公同書簡」の一つである「ヤコブの手紙」はなかなか正典に入らなかった文書です。最古の正典のリストである二世紀末の「ムラトリ断片」にも含まれていないし、初期の教父たちも言及していません。三世紀以降になってようやく「ヤコブの手紙」について諸文書が言及するようになります。「ヤコブの手紙」の「ヤコブ」は主イエス・キリストの弟の「ヤコブ」だということでは一致していますが、もちろんヤコブ本人が書いたものでなくヤコブの名を使って書かれた手紙だということも古くから指摘されています。
こんなにも正典に入ることが遅かったのは、まさに今回の年間標語のテーマである「信仰と行い」の関係についてパウロの「信仰義認」と矛盾してしまうのでは、と疑義が出されたからです。そもそも現在そうであるように新約聖書27巻、旧約聖書39巻を正典とするようになったのは、AD144年に異端とされたマルキオン(85〜160頃)が正典をルカによる福音書とパウロ書簡(ガラテア、T・Uコリント、ローマ、T・Uテサロニケ、エフェソ、コロサイ、フィリピ、フィレモン)のみを正典とし、残りの新約聖書と旧約聖書全ては「ユダヤ教的」であるから捨てよと主張したためでした。この時マルキオンが勝っていたら聖書のどれだけ大切な文書が失われたことかと思います。しかしそうはなりませんでした。教会はマルキオンを退けたのです。しかしマルキオン的な「パウロ主義」、「反律法主義」は正典制定においてかなり後代まで影響を与えることになります。それが「ヤコブの手紙」がなかなか正典に入らなかった理由です。
正典が確定した所で今度はどう位置づけるかが問題となります。西方教会のアウグスチヌス(354〜430)も東方正教会のクリュソストモス(347頃〜407)も<パウロは信仰に先立つ行いを問題にして「信仰義認」を強調し、ヤコブは信仰の後に続く行いを強調しているのだから矛盾するものではない>というような説明をしています。東西両教会の大神学者たちの見解が一致するのです。
やがて宗教改革の時代になって再び「信仰と行い」の緊張関係、「信仰義認」か「人間の功」かといった問題が大きな論争点になります。当時宗教改革者マルチン・ルターはヤコブ書に対して「何ら福音的なものを含んでいない」とか「藁の書簡」(『新約聖書の中でどれが正しく尊い書物か』)、「ヤコブとパウロを一致させることは不可能」(『卓上語録』)といった乱暴な決め付けをするようになりました。もっともこの時はマルキオンのように正典から外せとはなりませんでした。
この手紙が「試練」の時代に書かれたことは冒頭からうかがうことができます。試練の時代のつらさにプツンと切れてしまわないように、「聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅い」(19節)ことの大切さ、「舌を制する」(26節、3章前半、4章11節以下)ことの大切さ、弱く小さいものに手を差し伸べ「世の汚れに染まらない」(27節、2章、5章)ことの大切さが繰り返し語られる手紙です。初代教会が第二世代になって、しかも内外の試練にさらされながら、教会を背負っていこうとした時に改めてその大切さを確認したテーマです。これはきわめて現代的な(特に特にヤコブの手紙が厳しく語る「富んでいる者たち」と重なり合う境遇の私たちにとってはなおさら)信仰のあり方を示していると思います。
世に対して責任を持つ信仰、教会という群れに対して責任を持つ信仰、重荷を負い合う信仰の大切さをこの手紙は私たちに教えてくれます。
4日読売新聞朝刊に二面を使って「エコアクションプロジェクト」の大きな広告が掲載されました。「あなたの行動=エコアクションでCO2を減らそう!」と昨今話題になっている環境に配慮した行動を喚起する広告です。この広告の標語は「”知っている”エコから”行動する”エコへ」です。うまいことを言うものだと思います。
信仰も同じです。信仰は知識量ではありません。”知っている”御言葉から”行動する”御言葉へ転換することが私たちには求められています。現代もまたある意味試練の時代です。世代交代期を迎え、創立八十周年まであと五年というこの時期に私たちに求められている信仰の構えです。 |