<メッセージ>
イエス様の最期を看取った「ベタニアの無名の女性」
今日の説教題は「看取りの愛」と付けさせて頂きました。私は今日の聖書の個所に登場する「ベタニアの無名の女性」がイエス様の最期を看取った女性だと思います。
イエス様は十字架上で死ぬのですから、最後の瞬間まで一緒にそばにいたという意味ではありませんが、十字架での死を間近にしている時に、愛情を持ってそばにいてくれた、同じ気持ちになってくれた。そういう働きを1人の「ベタニアの無名の女性」がしたのです。
私の夫は癌を患って今から15年前に天に召されました。死ぬ3、4日前に夫はこう語りました。「あなたを牧師にしたことが自分にとって最大の仕事だったと思っている。幸せだった。自分の人生は終わった」と。
今、振り返ると遺言的な内容だったのですが、家族は生かすということしか考えていませんでしたから、「生きるのも死ぬのも神様の御心がなりますように」という夫の祈りを深く受け止めることができませんでした。もっときちっと受け止められていたら、深い心の交流ができたのに、と反省しております。それはイエス様の弟子たちの無理解さと似通っています。
逃げ出した弟子たちと対照的な香油を施した女性
弟子たちは十字架の場面でイエス様の所を逃げ出してしまいます。彼らは何度も何度も十字架に架かるとイエス様から聞いています。ゲッセマネの園では「私のそばにいて共に祈って欲しい」とまで言われるのですが、彼らにとって十字架の死はあってはならないことでした。自分の都合のいいように解釈して現実を直視出来ず、土壇場になって逃げ出してしまうのです。イエス様は最後の最後まで孤独でした。
しかしそういう状況の中で、1人の女性がナルドの香油をイエス・キリストの頭に注ぎかけたのです。それに対して弟子たちは、でしゃばりだ、傲慢だ、貧しい人に施せばいいのになどと言うのです。この時は実は二度と繰り返すことのないとても大事な時なのです。
ところが弟子たちは、また明日も繰り返す日常的な時と思っていますから、もったいないことをするなどと無神経に言ったのです。するとイエス様は言われます。「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と。
この「ベタニアの無名の女性」はイエス・キリストの死を受容し、深く理解しました。十字架の死に向かっていくイエス・キリストに応答したのが彼女の信仰でした。そして、行動したのです。
ここでは最も小さくされているのは、死に向かうイエス・キリストのことです。最も小さくされたものに対して何をしたか。宣教はこの視点を見失ってはいけないということを、指し示していると思います。
強い叫びを受け入れ、教会がホスピス役を果たす
私たちの教会にNさんという方がおられました。9年前に53歳で天に召されました。Nさんは重度の脳性麻痺で、言葉も話せない。立てない、手も使えない。着替えも歯を磨くこともできなければ、食べることも自分だけではできない、そういう方です。生い立ちにおいても障がいの程度においても、私たちの教会で最も小さくされた一人でした。
19歳でお母さんが亡くなり、お父さんと一緒に暮らしていましたが、33歳の時、お父さんが病気になり、施設に入れられました。障がい者国際年を迎える時で、彼女も積極的に障がい者運動に身を置いて、仲間たちとも出会っていきました。
彼女は乳ガンにかかり手術を受けましたが、1年半後に再発しました。すると彼女は、「教会で死にたい」と叫んだのです。施設にいるのはいやだ、教会で天に召されたい、と叫んだのです。
「教会に住みたい」という彼女の叫びがあまりにも大きく、その叫びを聞こうという声が、教会の中から起きてきました。
教会には「虹の会」という会があって、「駆け込み教会の働きをしよう」、「地域に生きる障がい者、高齢者、長期療養者を支えていく働きを担おう」と取り決めていました。そこに彼女の問題が入ってきて話し合いを何度もしました。「この姉妹の声を聞かないで、どうして教会と言えるのか」「神の時が動いたのではないか」「あまり心配せずに神に委ねていこう」「最も小さいものを大切にするという事が教会の宣教だ、そこにどう私たちが関わるかが大切ではないか」との熱い発言が続きました。
Nさんは一度障がい者施設を出ると二度とそこには帰れなくなりますから、無責任に引き受けることはできない。私も2週間あれこれ考えました。そんな時に出会う聖書の言葉や人々の言葉は、全部前に向かって押し出すような言葉として入ってきます。後ろからぽんと背中を押されるような思いで決断し、受け入れました。そして実際に彼女は8ヶ月牧師館で生活しました。
教会の人たちは介護表を作り、可能な時間帯に来て、彼女と話したり、音楽を聴いたり、聖書を読んだり、また食べさせたり、着替えさせたりしました。奉仕というのはできる時もあれば、できない時もあります。それぞれの自由な、主体的な決断でいいのです。
ここでは何が一番大事かというと、健常者の価値観、多数の価値観・論理に巻き込まれないということです。そのためには彼女自身が発信者にならなくてはいけません。お世話する人が強い立場になりがちですから、決してそうならないように対等な関係を形成していこう、誰かが彼女の代弁者になるのではなくて、本人から何度でも聞こう、と絶えず委員会を開き、話し合いました。
そして結果的に教会がホスピス役を果たしました。ホスピスというのは、本人が平安に死を迎えられるように支えていく。ひとりぼっちにさせない、本人が希望するように、希望するところで最期の時を過ごせるように支援していく、そういう環境を作っていくことです。
最期の2週間くらいは、水も水差しからしか飲めなくなり、そのうち飲んでは吐くという状態になりました。一喜一憂している時に「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」というヨハネ4章14節のみ言葉が飛び込んできて、委ねる信仰へと思いを変えられました。
Nさんの最期の時は静かにきました。讃美歌、聖書、祈り、主の祈りを終えてから、静かに天に召されました。
私にはこの出来事と「ベタニアの無名の女性」がイエス・キリストを看取った場面とが、どうしても一つに結び付くのです。
教会の宣教というのは、このように最も小さくされたものの一人を見失わないでいくことではないか。私たちも「ベタニアの無名の女性」のように、最も小さくされたもののありようを見失わないで、宣教の業に用いられたいと願います。 |