6月17日
死と埋葬(ヨシュア記講解説教最終回)  
小海 基
「これらのことの後、主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・セラに葬られた。それはガアシュ山の北にある。…イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一角に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった」

                               (ヨシュア記242930
<メッセージ>

 ヨシュア記の結びはまさに「六書」と呼ばれる出エジプトの物語の結びでもありますが、象徴的な二人の人物の葬りの話で結ばれます。それはヨシュアとヨセフです。

 ヨシュアは出エジプトの旅路の最後を締めくくった人です。ヨシュアは自分の子どもを自分の後継者、イスラエルの指導者とはしませんでした。大社会学者のマックス・ウェーバーが「カリスマ的指導者の典型」と驚嘆したように、ただ一代限り、血筋によらず、神によって立てられ、その死と共に誰にも引き継がれないという働きに徹し、殉じた生涯でした。こうして「ヨシュア記」と言う書物を丹念に講解説教で扱ってきますと、「六書」の他の書物の中とは大きく違って、この書物にはヨシュアという人の人となり、苦悩、うめき、喜び、息遣い…、といったものが不思議なほど記録されていません。個人的な魅力、才能がヨシュアのカリスマを支えていたのではないのです。神様が彼を立てられたというまさにその一点だけなのです。おそらくヨシュア自身がそうした記録を残す事を嫌ったのでしょう。見事なものです。

 私は今バッハの「平均律クラ―ヴィア曲集第一巻、第二巻」のCDを何種類か車に積んで運転しながら聴き比べをしています。コンサートでその時一回限りの演奏を聴衆の前で勝負する時代と違って、録音を出す現代の演奏者の不幸と言う事を感じます。バッハはこの曲を息子の練習用に書いたというのですから、おそらく演奏会さえも想定していなかったに違いありません。しかし本当にすごい曲です。こちらは演奏会用に書かれたベートーヴェンの32曲のピアノソナタを「新約聖書」、バッハのこの曲を「旧約聖書」と呼ぶ人がいるというのもうなづける名曲です。最後はおそらく精神的にもバランスを崩すまでに取り憑かれたように演奏するG・グールド、知的で現代のピアノという楽器を限界まで使ってチェンバロやオルガンの響きも暗示させるF・グルダ、しっとりとした品格のあるA・シェフ、盲目のH・ヴァルヒャ…といった具合に、現代の演奏家たちは録音で何度も聴かれることを想定して個性を前面に出します。元のバッハより個性的です。そのことが本当に不幸なのだと思います。その中でリヒテルの演奏はバッハをまるでタペストリーでも織り込んでいくような演奏で、これが一番聞きごたえがある深い演奏でした。もはや演奏家が誰と言う事はどうでも良いのだという演奏に凄みを感じました。

 ヨシュアの生涯は、実はそれと同じで、神様の出エジプトの出来事の最後を織り上げる生涯だと言えるのではないでしょうか。ヨシュアの生涯は百十歳、偶然にも出エジプトの出来事の始まりを担ったヨセフの生涯と同じです(創世記502226)。ヨセフの葬りもここに記録されるのです。

 ヨセフがいなければイスラエルの民も、いやエジプトも中東の全域も、七年続いた飢饉に餓死していた事でしょう。ヨセフが自分を売り渡した他の兄弟たちを恨んで、復讐に徹していたら、そもそもイスラエルの民は奴隷の家エジプトを出て約束の地に帰るという出エジプトの出来事も有り得なかったでしょう。ヨセフが自分を抑え、恨みを棄て、兄弟とと和解して、死の床でいつか約束の地に12部族揃って戻る時には自分のミイラになった遺体を必ず持ち帰るようにと遺言したからこそ、430年間たとえ奴隷の境遇に落ちた民ではありましたけれど、忍耐強く志は受け継がれていったのです。

 ヨシュアとヨセフの二人の葬りと墓がここに記録されているのは、出エジプトの始まりと終わりを職人のようにして、自分の個性とか、キャラクターとか、思い…といったものを無にして、締めくくっていった人の記録なのです。

 約束の地は自由の民の地です。一人のリーダー、ヒーローがカリスマを発揮する場所ではありません。どんなに混乱があっても12部族が対等に協力し合って共生していく地なのです。肝心なのは人間の家柄、血筋の歴史ではない。神の救いの歴史なのだ。私たちはそこに用いられていくだけなのだ。二人の死と埋葬の記事は、今もそのことを私たちに語ります。