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12月24日礼拝説教 |
「キャンドル・サーヴィス説教
「天を見上げるものたちの賛美」 |
小海 基
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「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
(ルカによる福音書第2:20) |
<メッセージ>
羊飼いたちは「賛美しながら帰って行き」ました。天使の話したとおり、私たちの闇を過ぎ去らせる朝日そのものである主、慰めを与えてくださる主、救いをもたらしてくださる主が、私たちの世に幼子として来てくださったのですから。人間は本当に心からの喜びに満たされていなければこのように「賛美しながら帰って行き」などしません。どこかこわばっていたら声など出ません。徹夜で羊の群れの番をして疲れ果てていたはずの羊飼いたちなのです。
幼子主イエス・キリストに出会った最初の証人たちは、羊飼いも占星術の博士たちもひとつの共通点を持っていた人たちでした。この世的には決して風采の上がる、勝ち組の人たちではありませんでしたが、この人たちは「天を見上げる人」であったのです。ギリシア語の「人間」という言葉「アンスローポス」はまさに「天を見上げるもの」という意味があります。そういう意味では羊飼いや占星術の博士たちは、他のどんな人々、ヘロデ大王やエルサレムの人々、宿屋の客間で熟睡できた人たちにまさって人間らしい人たちでした。「ホワイトクリスマス」にあこがれる人たちがいますが、本当は今夜のように晴れ渡った冬空を見上げるクリスマスが良いものだと私は思います。そこで救い主の誕生を伝える星を私たちは見るのですし、突然の天使の歌声に出会うのです。
私たち人間は気をつけないと「天を見上げる」存在ではなく、「いつもまわりと見比べる存在」、「勝ち組」として「見下げる存在」、「負け組」として「うつむく存在」に成り果てています。でも本当の人間らしさは「天を見上げる」ところで回復される事を、クリスマスの最初の証人たちは私たちに語っています。
2006年という年は振り返ってみて学校でのいじめ、いじめによる自殺が大流行した年でした。この年の言葉として選ばれた字は「命」でした。しかしそれは喜ばしい意味で選ばれたのでは決して有りません。子どもたちばかりか、「命の大切さを知ってほしい」と語っている良い歳をした校長先生まで自殺してしまいました。確かにいじめはどんな時代にもあることでしょうが、こんなにも簡単に、周りの人に真相も告げず、自殺が繰り返されている事に私たち誰もが驚愕した年でした。
この年に実に象徴的なことでしたが1934(和9)年に創刊されあの暗い戦争の時代も生き抜いた『月刊天文』誌が休刊となってしまいました。天文人口の大幅な減少というのが理由です。大気汚染や都市の光害で日本ではもう星があまり見えなくなってしまったということもあるでしょう。パソコンやTVゲームのせいで子どもたちの視力が落ちているという理由もあるでしょう。超高級で超高性能の家庭用プラネタリウムは売れても、生の星は見上げようともしない。びっくりするほど発光ダイオードを使って通りや家々をデコレーションすることは競っても、静かに輝く星を見上げる事はしない。大人も子どもも「天を見上げる」ことを忘れて、まさにそれと並行するかのように「命」に実感がなくなってしまった年。この年に私たちの杉並区の中学生は「つくる会」の歴史教科書が強制され、日本の子どもたちの「教育基本法」がやらせミーティングと強行採決という手法で「改悪」されてしまいました。
しかし「天を見上げる者」=「人間」にクリスマスという喜びの最初の知らせが届きます。この暗い夜にも「賛美しながら帰って行」かずにはおれない程の喜びが届いたのです。このクリスマス礼拝から使わされる私たちは、歌い、伝え、もう一度回りの人々に「天を見上げ」させる働きをする群れなのです。
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