9月3,10日礼拝説教
「日よ、とどまれ。月よ、とどまれ。」 小海 基

「日よ とどまれ ギブオンの上に 月よ とどまれ アヤロンの谷に。 日は とどまり 月は 動きをやめた。民が 敵を打ち破るまで。」
(ヨシュア記10章12〜13節)

<メッセージ>

 9・11のテロから5周年を迎えた9月の中で、この聖書が与えられました。ユダヤ教もキリスト教も回教も旧約聖書を重んじる群れです。受け入れ合う大切さをこの聖書の箇所から聴かなければならないでしょう。その場合、人間的誠実ではなく、神の前の誠実として受け入れあう事の重さをこの個所は私たちに語ります。人間的誠実は破綻するかもしれないけれど、神の前での誠実は神が保障して下さる、と、この物語は現代の私たちに語るのです。

 ほんの40年前まではエジプトの奴隷に過ぎなかったおびただしい数の民が、ヨルダン川を越えて押し寄せてくる。めっぽう強いらしい。堅固な城壁に囲まれていたはずのエリコもアイもたちまちにして滅んでしまった。…カナンの諸王、諸民族はパニックです。普段中の悪い王たちも連合軍を組むという最悪の危機を出エジプトの民は迎えることとなります。

そんな中で異色の動きをしたのがキブオン人です。なんとこの人たちはわざわざくたびれた装束をまとって遠くから来たふりをして、出エジプトの民を騙して神様の前で同盟を取り付けてしまったのです。古びた袋、使い古して繕ってあるぶどう酒の皮袋、継ぎの当たった古靴、着古した外套、干からびたパン…。私たち人間はいつも見てくれに騙されてしまいます。もちろんまんまと騙されてしまった出エジプトの民の側にも非があります。神様の前で誓約する前に慎重に神様に祈っていれば簡単に見破れたかも知れなかったのです。

 すぐにキブオン人たちの嘘はばれるのですが、出エジプトの民はある決断をします。「我々はイスラエルの神、主にかけて誓った。今、彼らに手をつけることはできない」(9:19)。

 ヨシュア記の10章はこの決断に誠実であることが出エジプトの民にとって大きな代償を払う事になったという史実を記録しています。カナンの先住民であるアモリ人の五人の王の連合軍は、裏切り者の「ギブオン打倒」を旗印に兵を挙げたのです。とんだ騒動に出エジプトの民は巻き込まれることになりました。

たとえ騙されたにしても、主なる神の前で立てられた誓いの重さを尊重すると決断した出エジプトの民を支えたのは、他ならぬ神様でした。連合軍を雹で撃ち、「日よ、とどまれ ギブオンの上に/月よ、とどまれ アヤロンの谷に」(10:12)と歌うヨシュアに答えて太陽が丸一日、中天に留まったというのです。

今年は一月一日午前九時に「うるう秒」を経験した私たちです。天文学者の中にはスーパーコンピューターを使って過去の地球の自転の時間の矛盾を計算した人もいるそうです。でも恐竜絶滅と氷河期登場の原因とも言われる巨大隕石衝突をはじめとして地球の自転に影響を与えた事件は過去に何度もあったようで、ヨシュア記に記録されている事を証明するのは難しいようです。むしろ通常の一日分の戦いの倍の密度をもってヨシュアたちは戦う事ができたということでしょう。

ギブオン人がその後どうなったのかを旧約聖書は記録しています。ギブオン人たちはここで幕屋や神殿に仕える奴隷となります(9:23,27)。ヨシュアの時代から3〜4百年後、ダビデ王の時代に、先代のサウル王がこの誓いを破ってギブオン人を殺害した事で3年間飢饉が続いたという話が記録されています。そのためにサウル王家の子孫が処刑されたというのです(サムエル記下21章)。更に4百年後の記録ネヘミヤ記には、ギブオン人95名が捕囚の地からネヘミヤたちと共に帰還してエルサレム神殿再建に活躍した事が記録されます。

 現代の教会も仲間内に固まってしまうのでなく、いつも「ギブオン人」のために門を開ける群れとならなければなりません。