4月16日礼拝説教
イースター礼拝説教
「あの方は復活なさって、ここにはおられない」
小海 基
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」
(マルコによる福音書16:6)
今年のイースターは、教会学校育ちで今週20歳の誕生日を迎える若い姉妹の受洗、礼拝後には創立80周年記念事業の1つとして計画してきた教会墓所の奉献式、更には2年前の春に93歳で亡くなられたこの教会の三代の牧師と共に教会生活を続けてこられた姉妹の新教会墓所への納骨…、といった具合に、とりわけ印象的な1日となりました。
 この教会が墓所を持ちたいと願い、委員会まで設けたのはちょうど今から20年前の1986年のことでした。なかなか良い場所が見つからず、まずは会堂建築に集中しようという事になり、この計画は92年で一時凍結となりました。ですから今日受洗される姉妹の生きてこられた長さ分、ちょうど20年間の祈りが実ったのだという事になります。

 また今日の納骨の準備のために先週の受難日の金曜日の午後、受難日祈祷会を終えてからご遺族と出来たばかりの墓所で落ち合い、大きな骨壷から3寸の骨壷に遺骨を移してきました。93歳という長命で亡くなられた姉妹はしっかりとした大きな骨を残しておられる方でした。

 イースターまでの歩みと受難の記事が重なってくるような一週間でした。

 4つある福音書の中でこのマルコによる福音書が最も短いのですが、受難から復活にかけて割かれている分量は他の福音書と変わりません。言い換えれば、他の福音書に比べて受難の比重がとりわけ大きい福音書がマルコによる福音書であるということが出来ます。そうした重みを受難の記事に割いている文書として見た時、他の福音書には有るのにマルコには無い記事、逆に他の福音書には無いけれどマルコにだけある記事といったものが注目されます。そこに福音諸記者マルコの一貫した特色が現れるからです。

 前者、他の福音書にあるのにマルコに欠けている受難記事の代表は、銀貨30枚でイエス・キリストを売り渡した「ユダの最期」の記事です。事件から二千年も経つ現在の私たちから見ると、この記事はいかにも主イエスの十字架の全ての原因をユダの裏切りに押し付けたような意図が透けて見える記事で、皆さんにとっても後味の良くない記事ではないでしょうか。後悔したユダが銀貨を返しに行くのですが受け取りを拒否され、首をつって自殺するが綱が切れて落ちて腸が流れ出てしまい、その場所が「アケルダマ(血の地所)」と呼ばれたという記事です。驚くことにはマルコにはこの記事が1つも出てきません。もちろんユダの裏切りが出てきますが、ペトロの3度の否認や、無罪を確信しながら十字架刑へと引き渡したポンテオ・ピラト、逃げた弟子たちと同様に全く横並びの同等の扱いです。

 また後者、マルコにだけあってマルコを参照しているはずの他の福音書には無い受難記事があります。それは14省51〜52節に出てくる、主イエスの逮捕の時、1人の若者が腰に巻いていた亜麻布を捨てて素っ裸でイエスを見捨てて逃げて言ったというエピソードです。だいたいこの人は亜麻布一枚巻くだけの素っ裸という姿でオリブ山で何をしようとしていたのかとも思うのですが、この記事は「マルコによる福音書の著者のサイン」だと言われるものです。つまり、読者に向かって物語っているこの自分もイエス・キリストを裏切って逃げ出した1人なのだと告白しているというわけです。よく西洋の聖画の片隅に画家本人が登場人物の1人として顔を出しているものがありますが、あれと同じです。ユダも、ペトロも、他の弟子たちも、ポンテオ・ピラトも、そして何より自分自身も主イエスの十字架と深く関わっている。皆横並びで同罪だ。ユダだけが抜きん出て悪者とは言えない。皆主の十字架の救いなしに救われえない存在なのだ、と語っているわけです。(余談ですが今『ナショナル・ジオグラフィック』誌で話題になっている幻の「ナグ・ハマディー文書」の1つ「ユダの福音書」も良く似ています。あれは明らかに典型的な肉体否定の仮現論的グノーシス主義の文書で、内容的には恐らくそんなに衝撃的な発見でもないと思いますが、「ユダだけを悪者にして済む問題なのか」という問いを他の福音書が書かれた直後の時代に抱いていた人が教会の中に少なからずいたことを示すとても貴重な証言であると思います。)

 今日読んだマルコによる福音書の復活の記事もこの同じ流れにあります。最初のマルコによる福音書がこの16章8節で唐突に終わっていることについて、落丁であるとか、不都合な事が描かれていたので廃棄されたのだとか諸説あるのですが、現代の多くの聖書学者はこういう終わり方だったという見解が主流になっています。他の福音書ではこの女性たちは、逃げ出した12弟子とは違って最期まで主の十字架に立会い、主を墓に葬り、主の復活の最初の証人となったと描かれるのですが、マルコによる福音書では徹頭徹尾恐れるばかりです。そもそもお墓に向かう道筋から不安が付きまとっています。過ぎ越しの祭のドサクサに遺体を納めてしまったものだから、香料も塗っていない。ただ亜麻布にくるまれ腐るままになっている。せっかくアリマタヤのヨセフが勇気を奮って埋葬許可をもらい、墓も用意してくれたのだけれど、そんなドサクサのいい加減な埋葬に我慢がならない。しかし3日経って自分たちがどれだけ周到に準備したかというとそうでもない。墓の重い石を除ける算段もしてなくて、人目を憚ってまだ暗い早朝に出てきたのがあだになってしまったなどという具合にオロオロしているわけです。ここには男たちはだめだったが女たちは徹頭徹尾忠実であったなんていう風に美談として描こうという意図はありません。

そんな女たちにおそらくは天使なのでしょう、墓の右手に座る「白い長い衣を着た若者」が語りかけるのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(6節)。しかしどうでしょう。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(8節)と、徹頭徹尾恐れてパニックになっているだけです。つまりマルコによる福音書は言うわけです。この女たちだって主イエスを3度知らないと否認して無様に男泣きしてしまったペトロ、銀貨30枚で売り渡してしまったユダと少しも変わるところのない、弱い、恐れに満ちた存在なのだと。

 もう一方で私たちは知っています。にもかかわらず主の復活は語り伝えられたという事を。二千年後の今日、主イエス・キリストのリアリティーを何にもまさって証言するのは、数ある復活のエピソードである主の復活の体がどのように輝いていたとか、穴が開いていた…といった細かいディティールではありません。むしろたった五十日後に事件現場のエルサレムにたくさんの人たちが集まり、聖霊が降り、迫害にも負けず、高らかに教会が宣教の声を上げていったことの不思議さです。こんな事がはたして本当に起こるとしたら確かに復活したからに違いない。これこそ「奇跡」に直面したからこそのエネルギーです。こんなことは弟子たちが言葉巧みに神話をでっち上げたからといって出来るものではありません。私は牧会現場で何度も繰り返し思うのですが、愛する人を失った喪失感は日に日に募る事はあっても、とても五十日やそこら程度で乗り越えられるものでは有りません。病気や長寿を全うしてもそうなのに、まして十字架という不遇の死を突然迎えたという状況なら、周りの人たちはそれをうまく整理し、理解し、受け入れるまでにどれだけ時間のかかる事やら。そういう意味では主を失った弟子たちが部屋に閉じこもって呆然としていたとか、エマオへと逃げ出していたとかガリラヤ湖の漁師に戻っていたという光景はごくごく自然です。現実感に満ちています。しかし五十日後はそれと全く正反対の姿に生まれ変わっている。弟子たちが皆復活の姿を宿しているのです。そこにどう考えても復活が確かに起こって、主ご自身が出会ってくださったからとしか言い得ないリアリティーがあります。

 しかもその人たちは決して強い人でも、確信に満ちた人でも、言葉巧みな作り話が得意な人でもなかった。まさにマルコによる福音書が描いているように、徹頭徹尾恐れに満ちた、私たちと寸分の違いも無い普通の存在であった。だからこそ主イエス・キリストの復活の記事が現実感をもって輝くのです。「驚くことはない。…あの方は復活なさって、ここにはおられない」という証言の確かさは、復活の証人たちが、腰砕けで、徹頭徹尾恐れに満ちた弱い存在であったからこそ、二千年経っても色褪せることなく真実性を私たちに示し続けているのです。