2月19日礼拝説教
「墓所一つ残さずに 小海 基
「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」
(
申命記第34章1〜12)

本日が申命記講解説教の最終回です。199128(創立記念礼拝の翌週)から創世記を、9823日の創立記念礼拝から出エジプトの、2001年の29(創立記念礼拝の翌週)から民数記の、2003年の29(創立記念礼拝の翌週)から申命記の講解説教が続けられてきたわけです。15年かけてモーセ五書を、そして最後の3年は申命記を読んできた事になります。

 「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかりと見て、その信仰を見倣いなさい」(ヘブル137)。モーセはヨルダン川を渡る事は許されませんでした。ピスガの山頂から約束の地を見渡す事が許されただけでした。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」(4)。モーセは「ベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られた」(6)とありますから、申命記の編纂された当時にはもう人々の記憶にも記録にも残ってはいなかったようですが、墓所のような所に葬られた事は確かなようです。

しかし「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(6)という事を私たちはどう考えたら良いでしょうか。私たちは今日この申命記の終わりを読みながら、一方で「花小金井ふれあいパーク」に、今度のイースターに荻窪教会の墓所を神様に献げる準備をしています。教会の玄関にも、設計図を元に執事の人がこしらえた模型が飾られているのを皆さんも御覧になったでしょう。墓所取得に盛り上がっているこの時期に、この個所を私たちはどう読むべきなのでしょうか。

<聖書の民は墓所を持たない、墓所を持つ事は不信仰である>とここを読んでしまうのは明らかに誤っています。信仰の父アブラハムに神様が祝福として与えられた「約束の地」に、まさにこれからモーセガ出エジプトで導いてきた民が入って行こうとしているわけですが、しかしアブラハムがその長い生涯で得た「約束の地」は妻サラの葬りのために買った猫の額ほどのマクペラの畑に設けられた墓所でした。そこにアブラハムも、彼に続く父祖たちも葬られていったのです。そこが「約束の地」の中で最も早く得た土地だったのです。私たちの荻窪教会もよく似ています。先々週の創立記念礼拝で193325日に始まった私たちの教会は73周年を迎えたわけですが、地主さんとの関係もあり、私たちはまだ借地です。西東京教区で私たちよりも後に生まれた多くの教会が自分たちの土地を持っているにもかかわらずです。ひょっとすると私たちの教会が西東京教区で借地で伝道している教会の中で一番古く、大きな教勢の群れかもしれません。そしてようやくこの次のイースターに私たちはこの荻窪という「約束の地」に根を下ろした確かな印の一つとして、アブラハムのように墓所を得ようとしているのです。

「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(6)。この個所は<墓所を持つべきか否か>という意味で読むべきではなく、<墓所はどういうものにしてはならないか>という意味で読むべきです。それがどんなに偉大な指導者であろうとも、たとえ「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。」(10)という人物であっても、墓所をそうした人間崇拝の場にはしてはならないということです。今日世界中がそうした墓所であふれています。北京の天安門広場には巨大な「毛沢東記念館」が、モスクワには「レーニン廟」が、ワシントンには「リンカーン記念廟」が…といった具合に古代から現代に至るまでお墓を人間崇拝の場にすることを私たちは本当に好むのです。私たちプロテスタントはそうした「聖人崇拝」を徹底して退けました。

「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(6)。なんと聖書の民はみごとに「神にのみ栄光あれ」と告白している事でしょう。私たちは「その信仰を見倣う」べきです。