「主を求めたからこそ」 2013年11月10日 小海 基
歴代誌下 第14章、 コロサイの信徒への手紙 第3章1~4節
「我々は、われわれの神、主を求めたので、この地を保有することができる。主をもとめたからこそ、主は周囲の者たちから我々を守って、安らぎを与えて下さったのだ」(歴代誌下14:6b)。
紀元前922年、ソロモンの息子レハブアム王の時代に、イスラエルが南北に分裂して以来、南ユダ王国のダビデ王朝に名を連ねる王様は20人おります。しかしその中で後世から「良い王」として評されるのはたったの5名しかいません(アサ、ヨシャファト、ウジヤ、ヒゼキヤ、ヨシヤ、ただしウジヤは歴代誌においては評価が低い)。今日登場するアサ王は、列王記の方ではたった16節の記載しかありませんが、ダビデ以来の久々の場外ホームランのような良い王様です。歴代誌の著者はこのことが余程嬉しかったのでしょう、実に14~16章にかけて3章にわたって記録するのです。アサ王こそ「主を求めた王」、「平和の王」だと高く評価するのです。41年間の治世の内今日の14章が最初の10年、次の15章が続く25年を記録するのですが、多少の波風が立ったけれど最晩年の6年間を除く35年間は平和が続いたのだというのです。
私たちの日本という国は敗戦後から68年を数えました。あともうちょっとで70年です。こんなに長く平和が続いたことは日本史を振り返っても無かったでしょう。理由ははっきりしています。「平和憲法」があったからです。しかし今その「平和」が「特定秘密保護法」(22日には日比谷の野音で1万人の反対集会が開かれ、私も参加しました)という悪法制定を強行することを皮切りに、「平和憲法」を改悪、なし崩しにしようという動きが加速しています。こんな時こそ「平和の主」イエス・キリストを求めているはずの私たちの日本基督教団が先頭に立って国政の流れに否を唱えなければならないのに、キリスト教の他の教派が声を上げているこの時になっても沈黙しているのは本当に残念であり、みっともない話です。この70年近く、いや半分の35年間でも良いです。イスラエル周辺の中東地域でどれほど戦争が繰り返されてきたことかを振り返ってみても、アサ王即位から35年間平和が続いたというのは、現代社会と比較してさえ奇跡のような話です。特に最初の10年間の平和については、今日の14章の4、5、6節に「平和」、「平穏」、「安らぎ」という言葉が立て続けに5回も繰り返されていることから、歴代誌がどれほど強調しているかが伝わってきます。
アサ王の曽祖父ダビデ王は良い王、名君でしたが、その生涯は決して平和ではありませんでした。身内からも戦争を挑まれた王です。戦争に強い王に過ぎませんでした。祖父ソロモンもエジプト風の軍馬や戦車といった当時の最新兵器を富に任せて増強させ、国民を徴兵し、合計1000人にものぼる外国人妻、側室との政略結婚で平和のバランスを保った軍事超大国の故の平和であったに過ぎません。
それに比べてアサ王の平和はどうでしょう。彼の政策は軍事増強策でなく防衛策(5節以下)です。最初の10年間の最大の危機は、20年前に父レハブアム王を悩ましたクシュ人の侵略だったと今日の14章は伝えまずが、倍の人数のクシュ軍(その中には南ユダ王国からはとっくに姿を消した古代社会の最新兵器である戦車300両も含まれていた!)に勝利したと聖書は伝えます。この危機の中で「主を求め続けた」アサ王の最大の武器は祈りであった(11~14節)と、「平和憲法」を捨てかねない私たち現代の日本人に対して聖書は静かに語るのです。平和をもたらしたのは、兵の数でも、最新兵器でも、政略結婚等の外交政策でもなかったというのです。結果はどうでしょう。クシュ人の侵略はアサ王の治世41年間の中では列王記に記録するほどの価値もないエピソードとなってしまったというのです。平和は少しも揺るがなかったのです。